12.コンビニの駐輪場
翌日、即ち後半連休の二日目。
晶姫は祈る様な思いで、とあるコンビニの駐輪場エリア前に佇んでいた。
そう、このコンビニは数日前、刃兵衛にコンビニ強盗犯から救って貰った、あの店舗だった。
昨晩晶姫は、何度もSNS上で刃兵衛にメッセージを送り続けた。
一向に既読が付く気配は無かったのだが、それでも晶姫は決して諦めることなく刃兵衛に呼び掛けた。
(笠貫……お願い……来て……!)
指示した時間は、昨日と同じく午前十時。
既に一時間近く過ぎ去っており、もう間も無く午前十一時を迎えようとしている。しかし刃兵衛が来る気配は全く無かった。
(やっぱり、駄目なのかな)
晶姫はもう一度、スマートフォンを取り出してSNSアプリを立ち上げた。
相変わらず、刃兵衛とのチャットでは昨晩から既読が付いていない。晶姫が送ったメッセージに気付いていないのか、或いは気付いていても読む気が起きなかったのか。
前者ならばまだ救いはあるが、後者ならもう完全アウトだ。
ここ数日、実際に交流した感触からいえば、刃兵衛はそこまで辛辣なことはしない人物である様にも思えるから、前者である確率は高い様にも思える。
が、昨日あんな場面を彼に目撃されてしまったのだ。愛想を尽かされても文句はいえない。
それでも、晶姫はここで待ち続ける覚悟だった。
このコンビニなら、例え偶然でも刃兵衛と出会える可能性が高いと信じていたからだ。
(嫌われてても良いから……でも、もう一度、笠貫の顔、見たいな……)
晶姫は、自分より背の低い大人しげな少年の屈託のない笑みを脳裏に思い描いた。
昨日まで接してきた彼の表情の中には、下心など欠片にも感じられなかった。晶姫に、女性としての立場を求めていなかった風に思えた。
そこが、晶姫が刃兵衛に感じていた安心感の正体なのかも知れない。
日頃から何人もの男とセックスを繰り返し、一部の真面目な女子達からは蛇蝎の如く嫌われていることも知っている。別の男子グループからは、いつでもヤらせてくれる都合の良い女だと思われていることも、既に承知の上だ。
それでも毎日の様に男を変えて体を重ね続けてきたのは、勇也を忘れたい一心だった。
その勇也が昨晩、最悪な形として現れた。そしてあれ以降、彼への想いが綺麗さっぱり消えて無くなった。
あんなに大好きで、別れた後も愛情が途切れることは無かったというのに――自分でも信じられないと思う一方で、やっと解放されたという不思議な安堵を覚えたのも事実だった。
だが今は、勇也のことなんて、どうでも良かった。
晶姫が会いたいのはただひたすらに、刃兵衛だけだった。
今日の晶姫は、昨日とは打って変わって大人しめのスタイルだった。白いニットのトップスにダークブラウンのロングスカートを合わせ、スポーティーなスニーカーを履いている。
柔らかなウェーブを描くロングヘアは襟元で束ね、その上から黒いレディースキャップを被っていた。
何故こんなコーディネートに纏めたのか、自分でもよく分からなかったのだが、恐らく内心で、オンナとしての自分を表に出したくなかったのではないかと思われる。
そしてそんな姿を刃兵衛に見て欲しかったのかも知れない。
(ホント……今更だよね……)
既に校内で出回っているビッチという印象は、もう拭い去ることは出来ないだろう。だがそうであったとしても、刃兵衛の前では普通の友人で居たかった。
勿論、今日この日、彼と出会えるかどうかは分からない。それでも、彼と会うと思った日には自分の中のオンナの部分を極力消すことにしたのである。
それが、晶姫にオンナとしての面を求めようとしなかった刃兵衛への礼儀だと思ったからだ。
ところが、肝心の刃兵衛は全く姿を見せる気配が無い。
(今日……会えたら、良いな……)
晶姫はよく晴れた空を見上げた。この晴天の様に、自分の心も晴れやかになってくれれば良いのに――そんな願望がふと湧いてきた。
そう思うと、涙が滲んできた。
その時だった。
「あれ? 美樹永さん、こんなとこで何やってるんですか?」
晶姫はほとんど反射的に、声の方を見た。
すると、上下ともスウェットジャージ姿の刃兵衛が、心底驚いた表情でコンビニ店舗のドア手前で佇んでいる姿があった。
視界が涙で僅かにぼやけていたが、それでも晶姫は目元を拭うこともせず、一直線に刃兵衛の目の前まで駆け寄っていった。
「オ……オハヨ……笠貫」
「あぁ、えぇと、おはよう、ございます……?」
尚も刃兵衛は訳が分からないといった様子で、やや下の位置の目線から晶姫の美貌を見上げていた。
「ねぇ……今日って、ヒマ?」
「え、僕ですか? あぁ、えぇ、まぁ暇っちゃあ暇ですけど」
刃兵衛は困惑の表情で頭を掻いている。晶姫が何をいっているのか、未だに理解出来ていない様子だった。
「っていうか、美樹永さんこそこんなとこで油売ってて良いんですか?」
この反応を見るに、矢張り刃兵衛はSNSアプリをあれ以降、立ち上げていなかったのだ。しかし晶姫はそのことを別段責めるつもりは無かった。
ただ、刃兵衛が自分を拒絶している訳ではないと思えたことで十分に満足だった。
「あは……えっとね、その、昨日のアレは、もう、良いんだ」
「はぁ、そうなんですか。いや、何が良いかよく分かってないですけど」
いいながら刃兵衛はコンビニの店内をちらりと見遣った。
「ただですね、兄に頼まれたモンを買いに行かんと駄目なんで、お話はそれからでも良いですか?」
「あ、うん、御免……そうだよね、用事があってここに来たんだよね」
晶姫は依然として訝しげな表情の刃兵衛を店内に見送りつつ、彼に気付かれぬ様、そっと涙を拭った。
この時、晶姫は本当に救われた思いで、心の底からほっと胸を撫で下ろしていた。
刃兵衛と、こうしてまた、普通に言葉を交わすことが出来た。
今はもうそれだけで、全てが満たされた気分だった。