11.KYになりたくなかった少年
刃兵衛は、エラいところに出くわしてしまったと渋い表情だった。
夜の噴水広場を抜け、出口付近の自販機エリアでペットボトルのお茶を二本購入し、晶姫が待つベンチのところまで引き返す最中だった。
ところがそのベンチには、何故か人影がふたつある様に見えた。
最初、刃兵衛は見間違えたかと思った。晶姫が腰かけているベンチは、もっと他の位置だっただろうかと改めて周辺に視線を走らせてみた。
が、どんなに探しても他に晶姫らしき人影は無い。
ということは、今まさに、見知らぬ男性と熱い口づけを交わしているあの女性が、矢張り晶姫なのだろう。
しかしこんなことがあるのだろうか。
恐らくあの人物は、晶姫が語っていた初恋の相手で、且つファーストキスの相手なのではないかと推測した。確証は無かったが、何となくそんな気がしたのである。
となると、このままお茶を持って晶姫の元まで戻ってゆくのは、余りに気まずい状況となるだろう。
(いやいやいや……何ぼ何でも、これはKY過ぎるよなぁ)
あれだけアッツアツの情熱的なキスを交わしているのだ。
これはもう、イチャラブ度MAXに違いない。
そんなところに、
「は~い、お待たせしました~。お茶で~す」
というのは流石に、無理だ。誰がどう見ても、究極にアホ過ぎる。
(うん……今日はもう、帰ろう。それが一番、賢い)
ちょっと残念な気もしたが、そうするのが最も賢明な判断だ。
この日晶姫は、刃兵衛が困る様なことは絶対にしないと約束してくれた。刃兵衛としては、我天月心流のことを黙ってさえいてくれれば、それで良い。
それ以上のことを晶姫に望むのは、贅沢に過ぎるというものだろう。
(まぁ正直、ちょっと期待してた部分もあったのは本音やから、多少残念ではあるんやけど)
しかし、これもまた人生だ。出会いというものだ。
晶姫は東京での初めての友達になってくれる可能性のあった女性だが、しかし結局は縁が無かったという訳なのだろう。
こればかりは、どうしようも無い。
刃兵衛も本当に心残りはあったものの、他人の恋路の邪魔をするのは余りに野暮だと頭を切り替えた。
(こういうのって、所謂NTRに入るんやろか?)
などと馬鹿なことを考えながら、噴水広場を後にした。
が、黙って帰るのは少し気が引けたので、SNSのメッセージに一応、先に帰る旨だけを入れて伝えておこうと思った。
「何か、良いカンジのひとがいらっしゃったので、お邪魔したら悪いですね。僕はもう先に帰ります。お疲れ様でした」
まぁこれで、大体通じるだろう。
最後にもうひと言、さようならと打って終了だ。
(せやけど、物っ凄い濃厚なキスやったなぁ。めっちゃ、ブッチュウってやっとったやん)
もしも自分の場合、ファーストキスでアレをやられたらちょっと引いてしまうなぁ、などと下らないことを考えながら、駅のホームへと辿り着いた。
ところで、晶姫からは後半連休の内、二日間を空けておけとの指示を受けていた。今日でその一日目を消化した訳だが、次の二日目はどうするのだろう。
流石に彼氏持ちの女性と、ふたりで遊びに出かけるのは気が引ける。彼氏さんにも申し訳が無い。
しかし、何の連絡も無しにいきなりブッチするのも拙かろう。
やはりここはひと言だけ連絡を入れておいて、後は「おふたりさん昨夜はお楽しみでしたね」などと後方腕組クラスメイト的な立ち位置で、微笑ましく見守ってやるのが吉だ。
そんな訳で、
「明日は勿論キャンセルで良いですよね。じゃあ、どうぞ良いお時間をお楽しみ下さい」
などと軽くジャブを打つつもりで送信した。
ところがその直後、予想外の返信が表示された。
「駄目」
そのひと言に、刃兵衛は首を傾げた。何がどう駄目なのか、さっぱり分からない。
一応念押しで訊いておいた方が良いだろうか。
そこで刃兵衛は、
「無茶いわないで下さい。彼氏さんに殺されます。かといって僕が無意識に反撃して彼氏さんを殺しちゃったら僕がムショ行きです。勘弁して下さい」
と返してやった。これだけはっきり書いてやれば、理解して貰えるだろう。
しかし、だ。今度は更に意味不明な返信が戻ってきた。
「大丈夫」
何がどう、大丈夫なのか。さっぱり分からない。駄目と大丈夫って、全然意味が正反対なのだが。
(駄目なのかい? 大丈夫なのかい? どっちなんだい?)
某筋肉芸人にでもなったつもりで、心の内で問いかけてみる。だがどうにも、答えが出て来ない。
ならば、ここはもう割り切るしかないだろう。意味不明な単語返信を送ってくる以上は、こちらがどの様な解釈をしようと自由な筈だ。
刃兵衛は自分にとって最も都合の良い理解で最後の返信を送り付けた。
「あ、じゃあ行かなくても大丈夫なんですね。了解です。ではまた休み明けに」
このメッセージを最後に、SNSアプリを落とした。
余り意味も無く、真意不明なやり取りを続けるのも疲れるだけだ。刃兵衛はそのままスマートフォンをベルトポーチに押し込み、駅ホームに入線してくる各駅停車の普通電車に乗り込んだ。
この直後、更に晶姫から明日は絶対に来て欲しいという意味の返信が打ち返されてきたのだが、マナーモードで音を消していた為、その着信には気付かないまま自宅マンション最寄り駅まで辿り着いた。
それにしても、今日鑑賞した実写映画は本当にセンセーショナルだった。
自分にアニメ以外の作品を楽しむ素養があったとは、これはこれで新たな発見だった。
休み明けにでも、晶姫に礼を述べておこうと思った。