彼女の目的 二
イェトが賭けで手に入れた宇宙船は、最低限の機能を備えただけの本当に小さな船だった。乗り口の先はコックピットへの一本道のみで、途中にエンジン調整室がある他には物置らしき小さな空間があるだけだ。そこには前の所有者が置いていったらしき大きな箱がそのままになっていたが、変な物が出てきたら嫌だったので触れるのは止めておいた。
「問題は無さそう?」
「うん。大丈夫だと思う」
操縦席に座って各機器のチェックをしながら、イェトの問いに頷く。機体は問題なく動きそうだし、宇宙空間に出る時に必須になるスペースアーマーもちゃんとある。特に後者は、密造宇宙船だった場合には備わっていないことも多い――本来宇宙船製造時は必ず最大人数分のスペースアーマーを装備することが国際法で決まっている――ので、確認できた時ネイサンはホッとした。イェトの話では船外行動を行う可能性も十分あったため、無ければ困ったことになっただろう。
ネイサンの返答にイェトは「そ」と短く返すと、二つある操縦席のもう片方にその身を沈めた。彼女の座る席でも一応操縦は可能なのだが、動かす気は更々無さそうだ。まあ、このためにネイサンは雇われたのだから、敢えて彼女に任せる気も無いが。
「じゃあ飛ぶよ」
フロントガラスの向こうに見えるゲートキーパーに合図を送り、エンジンのスイッチを入れる。外の噴出口からガスが噴き出る音と共に機体が揺れ始めたのを感じ、操縦桿を握るネイサンの胸の内に密かに喜びが広がった。
――――ああ、やっぱり僕は、これが好きだ。
スフィリスは、別名『黒い星』といわれている。その所以は、星全体を渦巻く黒雲が覆っているところにあった。黒雲の正体は世界大戦時に飛来した彗星の衝撃で地中から噴き出るようになった有毒ガスで、街全部が屋根で覆われているのもそのガスの所為だという話だが、詳しいことはわからない。
何にせよ綺麗なものではないな、と安定飛行に移った船の中からスフィリスを見下ろしながらネイサンは思った。――あのどす黒い星を見るのが、これで最後になったらいいのに。
「――動かさなくていいの?」
遠くに飛びかけていたネイサンの思考を、淡々とした声が呼び戻す。ハッとして視線を傍らに落とすと、隣の席で静かにしていたイェトがネイサンの手元を覗き込んで首を傾けていた。
「ああ、うん。もう安定に移ったから」
「安定?」
「……知らない? 安定飛行」
不思議そうな顔をするイェトに、逆にネイサンが不思議な気持ちになった。安定飛行――安定時自動操縦飛行モード――は全操縦士にとって必須のシステムで、今どきこれを実装していない宇宙船など存在しない。直接宇宙船を操縦しない人でも知っているような『普通』のものだった。
宇宙航行には長時間移動が付き物だ。そしてその間ずっと操縦桿を握っていなければならない操縦士には、身体的不調を含む様々な問題が降りかかる。これを解決しようと生み出されたのが、操縦士が寝ていても安全に飛行を続けてくれる安定飛行システムだったと言われている。ネイサンが生まれるより遙か前からある宇宙船技術のひとつで、一秒で超長距離を移動する光速飛行システムが開発された後も現役システムとして必須とされている機能、なのだが。
「自動操縦の、どの宇宙船にもついてる当たり前の機能なんだけど……知らない?」
「知らない」
「……イェトって宇宙船自体初めてだったりとかしないよね?」
「ないよ」
端的なイェトの返答に、いやでも、とむしろネイサンは謎を深めることになった。宇宙船に乗っていて安定飛行を聞いたこともないなんてあり得るのだろうか。宇宙航行をしていればどこかで必ず聞く単語だと思うのだが。
「今まで移動とかどうしてたの……?」
「目的地に向かう輸送船探して乗せてもらってた。それか星間連絡船」
「…………今までよく賞金稼ぎとして生きて来れたね?」
わざわざ融通の利かない連絡船に乗って移動する賞金稼ぎが今までいただろうか。ひとたび賞金首に飛び立たれてしまえば何もできなくなるのでは、とネイサンは呆れと驚きが綯い交ぜになった複雑な気持ちになった。第一印象から常識外れだとは思っていたが、イェトは賞金稼ぎとしても常識外れなようだった。
「自分で船持とうと思わなかったの?」
「運転しようとガチャガチャしてたら壊れたことあるから、持つのは止めた」
「…………」
コックピットは確かに精密機器が多いが、だからこそそう簡単には壊れない設計になっている、はずだ。だが壊れたということは力加減がおかしいのか、それとも機械音痴なのか……どちらにせよ、イェトに操縦桿を持たせてはいけないな、とネイサンは遠い目になった。
「勝手に動くのはわかったけど、目的地には向かってる?」
「大丈夫だよ。さっきイェトにもらった座標をちゃんと設定してるから」
普通の星であれば宙図と呼ばれる惑星軌道データが必ず宇宙船に入っているので必要ないのだが、今回はいわば宙図にない物体を目指しているので座標がいる。さすがのバロールもそこまで嫌がらせする気は無かったのか、イェトはちゃんと目的の廃船の座標が入ったメモリーチップを持っていた。まあ、そのメモリーチップが本当に信用に値するものなのかは、行ってみないとわからないのだが。
「どれくらいで着く?」
「多分……30分もかからないかな。ルート周辺に危険物は無さそうだし、磁場も安定してるから」
最短ルートの進行シミュレーションや、周辺の磁場の計測など、各機器を操作し表示される結果を見ながらそう答える。イェトはネイサンと同じように映し出された映像を見てから、首を傾けた。
「全然わからない」
「あはは……」
素直過ぎる一言に、思わず苦笑いが出る。大事なことを平気で言い忘れたり、説明してくれないが、その一方で彼女は変な所で素直な性格だった。
尚もしばらく映像を見つめていたイェトは、ややあってネイサンを見上げた。
「すごいね、お前。なんでこんなのわかるの?」
「え? え、ええっと……」
イェトに唐突な称賛を投げられ、驚きながら言葉を探す。まさか彼女に褒められるとは思わなかった。
「……僕、航宙士目指してたんだ」
逡巡の後、ネイサンはそう口にした。
正直言うと、これを語るのは少し迷うことではあった。輝く未来を信じて夢を追っていたのは過去のこと。今はそんなものとは無縁の奴隷となってしまった自分が、過去形であってもそれを口にするのは、馬鹿にされそうでもあるし、口にする資格自体無いようにも感じられたからだ。でも――――イェトなら、話してもいい気がした。
「航宙士?」
「えーっと、なんて言うのかな……。宇宙航行の専門職で、プラズマや磁場を読んで最適な航行ルートを割り出したり、大きな船なら適宜何をどうするのか全体に指示を出したり、常に船の状態をチェックして問題があれば対処したり……船の操縦だけじゃなくて、いろいろ考えながら船の航行管理をする人、かな」
そこで一度言葉を切り、ネイサンは少し迷ってから「父さんが航宙士だったんだ」と続けた。
ネイサンの父は、名うての航宙士だった。実際に活躍した時期はネイサンが生まれる前だったので直接は知らないが、それでもネイサンは周囲に父を褒められながら育ち、そして父本人にもその頃に見聞きした様々な星の話を聞かされていた。父はいつも実に楽しそうに、時に場面を熱演しながら外の世界の話を語ってくれた。それはネイサンにとって何よりも面白い冒険譚で、そんな話を聞いていたネイサンが父のようになりたいと思うのも自然なことだった。
「父さんに憧れて、父さんがしたみたいな冒険がしたくて、航宙士になりたいって思った。父さん自身は、僕が小さい頃に事故で亡くなっちゃったんだけど」
「ふぅん」
「父さんがいなくなっても……いや、いなくなったから余計にかな。僕の夢は変わらなくて、ずっと航宙士になることを目指してた。学校に行って、いっぱい勉強も訓練もして、それで……」
自然と、そこで口が閉じてしまった。本当なら自分は今頃、航宙士の星際資格を無事取得し、父と同じ道を歩み始めていたはずだ。――――だが、そうはならなかった。
「攫われでもした? 奴隷売りに」
同情も、軽蔑もない淡々とした声が耳朶を打つ。ネイサンはその声にハッとして、それからゆっくりと頷いた。
「故郷の航宙学校を卒業して、リヴェルティスに資格試験を受けに行こうとしたんだ。どの星でも使える星際資格は、首星のあの星でしか取れないから」
でも、向かってる途中で船が襲われて、攫われた。
その時のことを思い出して暗い気持ちになりながら、ネイサンは言葉を続ける。
「訳分からないうちに捕まって、移動させられて……気付いたらスフィリスで売られてた。それであの店に入って……あとはまあ、知っての通りだよ」
「ふぅん……」
ネイサンの〆の言葉に、イェトは関心があるのかないのか判別しづらい相槌を打った。ちらりと傍らを見ると、頬杖をついてどこか遠くを見ている。彼女が今何を考えているのかは、その横顔からはまったく読み取れなかった。
「……ごめん、つまんない話したね!」
長々と身の上話をしてしまったことが急に恥ずかしくなり、ネイサンは話を切り上げようとした。
なぜこんな話をしてしまったのだろう。イェトには何の関係もない、興味もない話だろうに。彼女に何かを期待している自分が情けなく思えて、ネイサンは話題を変えようと手元のボタンを押した。ブゥン、という鈍い音と共に、指定座標への航行シミュレーション結果のホログラムが浮かび上がる。いつの間にか、目的地が目視できそうな位置に来ていた。
「あ、そろそろ廃船が近いみたいだよ!」
気まずい沈黙を何とかしようと無駄に明るく声をあげ、フロントガラスの向こうへ目を凝らす。確かに、それらしき物が進行方向にポツンと浮かんでいた。
「遠いね。近付ける?」
いつの間にかイェトも、身体を起こして正面を見ていた。彼女の問いに「ちょっと待って」と返し、安定飛行モードを解除する。ネイサンが操縦桿を倒すと、エンジンが大きく振動した。
「……もしかして、イェトが言われてた廃船って戦時廃船なの?」
徐々に近くなってくる目的地の姿を見て、ネイサンは傍らを振り返った。
「戦時廃船って?」
「世界大戦時に使われてた、廃軍用艦のことだよ。普通の難破船と区別するためにそう呼ばれてるんだ」
戦時廃船は通常の難破船――何かしらの原因で航行能力に支障を来しその場に廃棄された宇宙船――と同じく、漂流デブリのひとつだ。軍事能力を持つ代物のため本来は回収が望ましいのだが、戦争末期に到来した巨大彗星の影響で即時回収が不可能な船が大量に出てしまい、事後の完全回収も難しいとして実質放置状態になっていた。
「戦時廃船かぁ……」
死体があったらどうしよう、とネイサンはちょっと憂鬱になった。迷信のようなものではあるが、難破船や戦時廃船が幽霊船になっている、などという噂話は学校でもよく耳にした。ネイサンは幽霊を信じているわけではないが、その手の話も死体も苦手なのだ。
「何もいませんように……」
「なに?」
「いえ、なんでも」
思わず漏れた呟きにイェトが首を傾ける。それに首を横に振って応え、ネイサンは操縦桿を握り直した。今は仕事中。変な与太話を思い出してビビっている場合ではないのだ。
「思ってたより大きいな……」
船が近づくにつれ、廃船の全貌が見えてくる。それは、真っ二つに折れた中型軍用艦のようで、ネイサン達が乗っている宇宙船の十倍以上の大きさだった。
これなら横付けするよりどこかに着艦した方がいいな、と判断し操縦桿を傾ける。廃船の表面を滑るように飛ぶネイサンは、少し進んだ先でぽっかりと空いた穴を見つけた。崩れて分かりにくくなっているが、戦闘機などの艦載機用発着口のようだった。ここから中に入れそうだ。
「ここ降りれる?」
イェトも同じことを考えていたようで、傍らからそう声がかかった。「いけるよ」と返し、ライトを付けて着艦体勢に入る。ゆっくり軍用艦の中に着艦したネイサンは、目視で周囲を見ようとして偶然目に入った船外気圧計に驚いた。
「え?」
「なに?」
「外が、地上と同じ気圧になってる。……まさか壊れてる?」
真空である宇宙空間は地上とは気圧や気温が大幅に違う。人間が地上と同じように活動するのは不可能な環境のため、スペースアーマーなどの外部装置を用いることで初めて普通に動けるようになるのだが、今ネイサンが見ている船外気圧計は地上にいる時と同じ数値を叩き出していた。故障か、はたまた超常現象か。どちらも嫌だな、とネイサンは思った。
「スフィリスにいた時は普通だったんでしょ?」
「うん……。大気圏を抜けた後も数値に異常は無かったから大丈夫だと思ってたんだけど……って、イェト?」
ネイサンが首をひねっていると、イェトが席を立って廊下の方へ足を向けた。
「ここで悩んでも仕方ない。行くよ」
「ちょ、ちょっと待って!」
ネイサンの返答を待たずにスタスタ行ってしまう彼女を慌てて追う。
「せめてSAくらい付けて行こうよ!」
「要らない。あれ嫌い」
「そういう問題!?」
「ダメだったらすぐ閉める」
イェトはそう言うと、実にあっさりと乗降口のドアを開けてしまった。咄嗟に息を吸い、念のためスペースアーマーを引っ掴む。そんなネイサンを他所に船外へ降りてしまったイェトは、すぐに顔だけ戻って来た。
「息できる。それ要らないよ、ネイサン」
「ええ……?」
生身で宇宙空間に出ても即死することはないが、十数秒で死に至る危険な場所であることに変わりはない。だというのにそんなリスクを冒しているとは到底思えない態度に、ネイサンは彼女が人間なのかちょっと疑わしくなった。
イェトの顔はすぐ引っ込み、船を降りた軽い足音だけが聞こえてくる。スフィリスだろうが宇宙空間だろうが関係なく我が道を行く彼女に、ネイサンは諦めのため息を吐いて後に続くことにした。
イェトの言う通りSAはとりあえず置いておくことにして、恐る恐る船外へ出る。そんなネイサンをあざ笑うかのように、船外の環境は『普通』だった。息はできるし寒くない。無重力で体が浮くことすらない。完全に地上と同じ状況だ。
「なんで……?」
これが、生きた船であれば納得がいく。戦闘機や小型貨物艦などの艦載機装備を持っている大型船では必ず、機体や人員物資の移動を滞りなく行うため地上と同じ環境を疑似的に作り出す『シールド』を張るからだ。すべての大型船はこのシールドのお陰で、発着口を開きっぱなしにしても発着場の作業員が死なないようになっていた。
しかし、自分達が今いるのは戦時廃船だ。シールド機能を持っていること自体はおかしくない軍用艦ではあるが、廃棄されて長いはずの今現在、その機能が稼働状態になっているなんて通常では考えられない。
――――この船、何かがおかしい。
「ネイサン」
一足先に周囲を調べていたイェトに呼ばれ、ハッとする。振り返ると、彼女の細い指が近くの壁を指していた。
「ここ、誰かいる」
イェトが指さす先に、明かりがある。壁に見えたのは大きなスライド式の扉で、その枠上で長方形の照明が煌々と照っていた。
「無人廃船では無さそうだね」
「……嘘だぁ」
聞きたくない話を聞いてしまった。戦時廃船にいるやつなんて、生きた人間でも幽霊でも死体でも全部嫌だ。
「行くよ」
「……もうちょっと躊躇いってものを持って欲しいなぁ……」
当たり前のように大扉へ向かったイェトにため息を吐き、ネイサンは気乗りしないまま彼女の後を追った。