9 精霊の愛し子は説教したい
それから、レヴィン様は渋々学園に復帰し、私も治療院の手伝いを再開した。
魔物の襲撃で怪我をした二年生は全員完治して、無事に学園に復帰したらしい。それを受けて、卒業式は二カ月遅れで実施されることが決まった。
「アリエルも卒業式と記念パーティーには参加するんでしょう?」
「もちろんです。レヴィン様の学園での最後の晴れ姿、その崇高で神々しく、風格さえ感じさせる佇まいをこの目に焼きつける最後のチャンスですからね。今度こそ、前にフレダが言ってた最近話題の絵師を連れて行こうかと思ってたんですけど、レヴィン様に止められてしまって」
「あー、でしょうね」
私の扱いにだいぶ慣れたリネット先生は、ちょっと呆れ顔で口元を緩める。
「パーティーのドレスは? もう仕立て終わったの?」
「はい、来週には仕上がるはずだと、お義母様が」
「レヴィンの独占欲がどんなふうに表現されてるのか、楽しみね」
「あー、まあ、どうでしょう?」
曖昧に笑うしかない私は、リネット先生の追及から逃れようとして椅子から立ち上がった。
その途端、ぐにゃりと視界が歪む。
「アリエル!」
リネット先生に支えられ、転倒は免れたけどなんだかおかしい。
めまいがする。
「アリエル! 大丈夫?」
「は、はい、なんとか……」
「どうしたの? 具合でも悪い?」
「あ、いえ……」
「ちょっと、横になる?」
めまいで立ち上がれず、足下もふらつく私はそのまま問答無用で治療院のベッドに寝かされた。
「うーん、微妙に熱がありそうね」
私の額に手を当てたリネット先生が、渋い顔をする。
「調子悪いとか感じなかったの?」
「いえ、特には」
「体がつらいとか、気分が悪いとかも?」
「ないですね。あー、ただ最近、なんだかすごく眠くて。治療院の手伝いを再開したから、それで疲れてるのかなって思ってました」
「そうよね。二カ月くらい休んでたし、復帰したと思ったらなんだかんだと忙しかったものね」
「はい」
「じゃあやっぱり、疲労のせいかしら」
「アリエル。最後に月のものが来たのはいつ?」
突然冷静な声が横から聞こえたと思ったら、学園の運営会議に行っていたはずのサンドラ先生がドアの前に立っていた。
「え? あれ……、そういえば、遅れてるかも」
「もしかして、妊娠したんじゃない?」
ベッドのそばまで来たサンドラ先生は、にこやかに微笑む。
「月のものがしばらく来てないのなら、可能性はあるでしょう?」
「そう、ですね……」
「ちゃんと調べてもらいなさい。大事なことだから」
「え、でも、今私が妊娠しちゃったら、ここはどうするんですか? また人手不足になってしまいます」
「まあ、それは、そうだけど。でもだからって、このままでいいわけないでしょう?」
「そうよ、アリエル。とにかくちゃんと診てもらうことが先決よ」
そのままサンドラ先生は、知り合いの産院ですぐに診てもらえるよう手配してくれた。
リネット先生は授業が終わった頃合いを見計らって、レヴィン様を呼びに行ってくれた。と思ったら、血相を変えたレヴィン様がすごい勢いで部屋に入ってきた。
「アリエル!」
まだベッドに寝かせられていた私を見て慌てた様子で駆け寄ると、心配やら不安やらのせいなのかやけに険しい目つきをして私の顔を覗き込む。
「大丈夫か? リネット先生にお前が倒れたって聞いて」
「倒れてはないですよ。ちょっとめまいがしただけで、今はなんとも」
「めまい? 大丈夫なのか? ほかにもどこか、痛いところとか」
「ないですよ」
意外にけろりとしている私を確認して、安心したように大きなため息をつくレヴィン様。
「痛いところはないんですけど」
「ちょうどいいから、レヴィンもこのまま病院について行きなさいな」
「え? 病院? そんなに悪いんですか?」
「悪いというか……」
私以外の女性陣は、なんだかやけに、ニヤニヤしている。
気恥ずかしくて何も言えない私を見かねて、リネット先生が困惑気味のレヴィン様に向かって楽しげに言い放った。
「レヴィン。あなた、父親になったのかもよ」
「え」
*****
「まあまあ! おめでたいじゃない!!」
産院で診てもらったあと、侯爵家に帰宅して真っ先にお義父様やお義母様に報告に行ったときの二人の喜びようと言ったら、もう。
「体調はどうなんだい?」
「さっき治療院でめまいがあって倒れたんですよ。それですぐ、サンドラ先生に言われて病院に行ったんです」
「あら、そうなの? じゃあすぐにでも休まないと」
「今は、大丈夫なので……」
「そんなこと言って、今がいちばん大事な時期だし無理しちゃダメなんだから。これでも私、四人も産んでるのよ」
「存じ上げてます……」
「レヴィン、すぐに離れに戻って休ませてあげなさい。しばらくゆっくり過ごした方がいい」
「もちろん、そのつもりです」
「いえ、あの、大丈夫です。体調は変わりないですし、元気ですので」
「そういうわけにはいかないだろ」
思った以上に厳しい顔つきのレヴィン様は、容赦なく私の意見を却下した。
お義父様もお義母様も、うんうんと頷いている。
なんか……、前々から思ってたんだけど……。
ここの家の人たち、案外過保護だよね?
離れに戻ったら私はすぐさまベッドに寝かされ、トイレに行く以外は動くことを許されなかった。
夕食でさえも、部屋に運ばせるほど徹底的な過保護ぶり。
「レヴィン様」
「なんだ?」
「ここまでしなくても」
「うるさい。お前は黙って寝とけ」
「でもまだ、眠くないですし。お医者様だって、激しい運動はダメだけど動けるなら軽い運動はした方がいいって言ってたじゃないですか」
「まためまいで倒れたりしたらどうすんだよ。何が起こるかわからないだろ」
「それは、そうですけど……」
なんかもう、有無を言わさない圧がすごい。
私が反論できずにいると、レヴィン様はベッドのそばまで椅子を持ってきてそのまま座り、何やら本を読み始めた。
「なんですか? その本」
「あ? ああ、本邸の図書室にあったから持ってきた。名づけの本」
「気が早くないですか? 男か女かだって、まだわからないのに」
「俺は知ってる」
「は? なんで」
「それは言えない」
そう言って、満足げに、というかどこか自慢げに微笑むと、レヴィン様は名づけの本に没頭し始める。
なんで男か女か知ってるんだろう、とは思ったけど、私たちのまわりには精霊とか精霊王様とか、人にはわからないような不思議なことがたくさんあるもんだから、どこかで何かを知ったとしてもおかしくはないなと妙に納得してしまった。
そして、レヴィン様の度を越した過保護ぶりにやれやれと思いながら眠りについたその日、またしても久しぶりに、精霊王様が夢の中に現れた。
しかも、意外な「人」を連れて。
「アリエル。大事ないか?」
「あ、はい。おかげさまで。知ってるんですよね? 私が妊娠したこと」
「無論。喜ばしいことだ」
「レヴィン様に、性別教えました?」
「どうだろうな」
目の前の比類なき美貌の持ち主は、意味ありげに含み笑いをする。
あー、教えたね、この人。
「で、今日は何ですか?」
「お前に一言謝りたいと言うのでな、連れてきたのだ」
「誰をですか?」
私がそう言うと、精霊王様の後ろから、何かがふわんと飛び出してきた。
それは、小さな人型の、羽のある、何か。
でも、私がまわりでよく見る精霊たちとは違い、光ってはいない。むしろグレーっぽいオーラを纏っているようにも見える。
「え、もしかして」
「闇の精霊だ」
闇の精霊は、精霊王様の手のひらの上に止まって直立不動の姿勢を取ったかと思うと、勢いよく頭を下げた。
「すまなかった!」
「え」
「永いことやさぐれて役割を放棄し続けた結果、最終的にはエレストールの人間を危険な目に遭わせてしまった。すまなかった。しかも私のせいで世界の調和と均衡が崩れ、魔物が手に負えぬほど凶悪化してしまったことも、申し訳ないと思っている」
眉根を寄せ、真剣な表情で必死に弁解する闇の精霊は、ほかの精霊たちとはだいぶ趣が違っていて私の方が面食らう。
「……意外と素直なんですね」
ちょっと驚いて精霊王様を見上げると、「悪いやつではないのだ」と頷く。
「今後は心を入れ替えて、役割を全うすると誓う。しばらくは仕方がないが、魔物の力も徐々に弱まるだろう。これ以上犠牲者が増えることのないよう、心を配るつもりだ」
「なんか、闇の精霊って、ほかの子たちと違ってちょっとお堅いんですね」
いつも私のまわりをふわふわしている精霊たちは、もうちょっと砕けた話し方なんだけど。
真面目で実直な精霊だからこそ、人間に変に誤解されて、ちょっと拗らせちゃったのかもと思ったらなんだか気の毒になった。
「そもそもなんですけど、エレストール家にまつわる誤解の発端は、一体誰だったんですか? 何のために、あんな根も葉もない嘘を広めたんでしょうか?」
「ああ、それはだな……」
闇の精霊の纏うオーラが、一瞬黒く淀んだ気がした。
「昔、ある青年がいたのだ。心を寄せる相手がいたが、想いを告げることができず遠くから見ているだけだった。その相手の婚約が決まり、嫁いだ先がエレストール家だったのだ」
「え、それって」
「そうだ。はじめは単なる嫉妬だった。しかし嫁いだ先ですぐに子にも恵まれ、幸せに生きていることがだんだん許せなくなった青年は、嫉妬から憎悪を深めていくようになる。そこでエレストールの闇魔法について、あらぬ噂を広めたのだ。エレストール家の当主は悪魔と契約して闇魔法を得たのだと。そして秘密裏にその命を奪い、悪魔との契約の代償としてその身を差し出したのだと触れ回った」
「なにそれ。ひどくないですか?」
「それだけではない。生まれたばかりであったエレストールの男児の命をも、奪ったのだ。そうして、『エレストールの男子は短命』という噂がまことしやかにささやかれるようになった。これが事実だ」
「ちょっとそれ、あんまりですよね? なんとかできなかったんですか? 一部始終を見てたんでしょう?」
「見ていた。しかし私たちは、人間の営みに直接介入することはできない」
「でも私には、みんな力を貸してくれるじゃないですか」
「それは、お前が『精霊の愛し子』だからだ」
闇の精霊の淡々とした声に、その声が示す事実に、何故か圧倒される。
そうだった。
そうなのか。
だから。
「『精霊の愛し子』とは、この世界の均衡を保つ精霊とこの世界に生きる人間たちとの懸け橋になる存在なのだ。『精霊の愛し子』を助け、手を貸し、支えることが、すなわちこの世界の調和と均衡に直接介入する手段にもなり得る。お前とレヴィンを引き合わせたのも、そのためだ。エレストールの男子が長く生きられれば人々の強固な『思い込み』に亀裂が入り、闇の精霊がその役割を再認識するきっかけになるやもしれんと我は思った。すべては、この世界の平穏な存続のためだったのだ」
精霊王様がその威厳を保ったまま、すこぶる難しい顔で説明し続ける。
「……それって、つまりですね」
「なんだ?」
「私とレヴィン様のつながりは、この世界の存亡にもかかわるもはや運命的なものだったってことですよね?」
「は?」
一瞬目を見開いた精霊王様は、「ああ、まあ、そうとも言えるか?」なんてもごもご言っている。
「つまり私とレヴィン様は、出会うべくして出会った運命の夫婦、まさに比翼連理ってことですね。了解です」
「いや、了解すんのか」
「レヴィン様の怪我も治りましたし、私も妊娠したみたいだし、今んとこ良いこと続きなので別にいいです。闇の精霊も謝ってくれたし、これからちゃんと働いてくれるならそれで。あ、でも、また何かあったら容赦なく説教させてもらいますけどね」
「精霊に説教する『精霊の愛し子』など見たこともないのだが」
「じゃあ、これが最初ですね」
大威張りで豪快に笑ってみせると、精霊王様も闇の精霊も、顔を引きつらせて力なく笑うしかなかった。
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