5 魔物討伐実地訓練
秋が過ぎ、冬が近づいていた。
冬は、魔物の数が増えると同時にその活動が活発になる時期でもある。そしてこの時期、騎士科の二年生は卒業試験を兼ねて、魔物討伐の実地訓練に赴くことになる。
レヴィン様も討伐訓練のための準備を着々と進めていた。
「実地訓練って言ったって、試験的なものだからな。実際に魔物と戦うのは討伐部隊の人たちで、俺たち学生が戦うことなんてほぼないらしいから」
「そうなのですか?」
「まあ、卒業したらすぐに討伐部隊に配属されて戦闘に加わるわけだし、実際の雰囲気を目の当たりにしておけってことなんだろ」
余裕の表情で荷物を詰め込むレヴィン様を見ながら、私はどうしても底知れない不安に駆られてしまう。
それはもちろん、実地訓練で命を落とすことへの不安ではなくて。
「レヴィン様と二週間も会えないなんて、耐えられるかわかりません」
「お前なあ」
レヴィン様は準備を進める手を止めて、ちょっと呆れたように笑っている。
それから「しょうがないな」なんて言いながら立ち上がって、私の顔を覗き込んだ。
「私は欲張りになってしまったようです。結婚して、毎日レヴィン様と一緒にいられるのが当たり前になってしまって、それが二週間もお預けなんて耐えられる気がしません」
「そうか」
「私もついて行っていいですか?」
「いいわけねえだろ」
思わずといった様子で、レヴィン様は盛大に吹き出している。
「どうにか出発までに体を柔らかくして、この鞄に入れるようになれないものでしょうか? 酢を飲めば体が柔らかくなると聞いたことがありますけど」
「できるわけねえだろ」
「では、変装するとか? あ、出発の前日にシリル様の食事に下剤を投入しておいて、いざ出発となったらシリル様に変装してついていくというのは」
「すぐバレるだろそんなの」
「うーん、じゃあ」
「アリエル」
レヴィン様はその腕の中にふわりと私を閉じ込めて、子どもを諭すような優しい声で続けた。
「あんな危険なとこに、お前を連れて行けるわけねえだろ。ちゃんと帰ってくるんだから、精霊王様にでも俺たちの無事を祈っておいてくれよ」
「……はい」
納得のいかなさはあれど、そう言われてしまっては何も言えない。
はあ、と小さくため息をついた私の耳元で、レヴィン様の甘く低い声がささやく。
「帰ってきたらさ」
「帰ってきたら?」
そのあとの言葉で私はますます何も言えなくなって、ただ顔中に集まる熱を持て余すしかなかった。
*****
レヴィン様たちが出発して、十日ほど経った頃。
いつものように治療院に出勤すると、珍しく私より先に来ていたリネット先生がぎょっとするほど蒼ざめた表情で立っていた。
「……おはようございます。リネット先生、どうかされました?」
普段通りの軽い調子で声をかけても、硬い表情を崩そうとしない。
「スタンピードが……」
「スタンピード? え、魔物のですか?」
「……討伐訓練中に突然スタンピードが起こって、討伐部隊も生徒たちも魔物の襲撃を受けて散り散りになったって……」
「は?」
「助かった人もいるけど、まだ見つからない人が大勢いるって……。どうしよう、アリエル。ブライアン先生が見つからないって言うの……!」
リネット先生の言葉に弾かれるように、思わず後ろにいたサンドラ先生に目を向ける。
サンドラ先生の見たこともないような険しい表情で、私は先生がこれから何を言おうとしているのかを察してしまった。
「ごめんなさい、アリエル。こんなこと、ほんとは知らせたくないんだけど……。まだ見つかっていない生徒の中に、レヴィンもいるらしいの」
実地訓練が始まった当初は、それなりに緊張感はありつつも切迫した危機感など皆無に等しかった。
レヴィン様が言った通り、所詮は訓練の一環。生徒に本格的な戦闘はさせられないし、前線で討伐部隊が戦ってくれているから生徒たちがいる野営地まで魔物が襲ってくることはない。
ところが一週間ほど経った頃、突然スタンピードが起こって魔物の群れが一斉に討伐部隊を襲撃する。あまりの数に、討伐部隊は大打撃を受けて総崩れになってしまう。
魔物の群れはそのまま生徒たちの野営地まで迫ってきて、応戦しながら生徒の多くは散り散りに逃げたため、いまだ被害状況が把握できるような状態ではないらしい。
その情報が、今朝早く学園にも届いたという。
「応援の討伐部隊が編成されて、すぐに発つそうだから。大丈夫、ブライアン先生もレヴィンも、ほかの生徒たちもすぐに見つかるわよ」
サンドラ先生の声が、どんどん遠くなっていく。
聞こえる音もなく、見えるものもない真っ白な空間に一人取り残され、思考すら白く塗りつぶされてしまう。
レヴィン様が……?
まさか。
そんな。
嘘だ。
レヴィン様の声が、白銅色の目が、蕩けるような笑顔が、言葉が、腕の力が、指の優しさが次々に思い出されて自然に涙が溢れてくる。
それを押し留めるように、ぎゅっと、目をつぶった。
それから、手を、握り締める。
強く、強く、爪が皮膚に刺さって血が滲むほど、強く――――
「わかりました」
思った以上に抑揚のない、乾いた私の声にサンドラ先生が心配そうな目を向ける。
「アリエル……」
「私も行きます」
「え?」
「私も、応援の討伐部隊について行きます。私がレヴィン様を探します」
「何言ってるの!」
サンドラ先生がとんでもないというような表情をして、ぴしゃりと言い放った。
「そんなことできるわけないでしょう? あなたは神聖魔法士でもないし、無茶よそんなの」
「無茶でもなんでも、討伐部隊が連れて行かないと言っても私は行きます。レヴィン様を見つけられるのは、多分私しかいませんから」
「あのね、アリエル。居ても立っても居られない気持ちはわかるけど、あそこはいわば戦場で、これは遊びじゃないのよ? ここは討伐部隊に任せるしか」
「遊びじゃないのはわかってますけど、討伐部隊に任せる気はありません」
「何言って……! 何もできない小娘が行けるようなところじゃないのがわからないの? 行ったって足手まといになるだけで」
「足手まといになるかどうか、行ってみなくちゃわかりません」
一歩も引かない私を前にして、サンドラ先生はより一層険しい表情で眉根を寄せる。
数秒間、私たちは睨み合うように視線を動かさず、そしてとうとうサンドラ先生が降参したかのように大きなため息をついた。
「……レヴィンのこととなると、アリエルがこうも頑固になるとはね」
「お褒めいただき、ありがとうございます」
「褒めてないんだけどね」とか言いながら、サンドラ先生はすぐそばにあった椅子に腰かける。
それから、何かを懐かしむような、それでいてやるせない寂しさに支配されたような目をして話し出した。
「もう、何年も前の話よ。私の夫もね、魔法騎士だったの」
「そうだったのですか?」
「下の子が産まれる直前に、魔物討伐に行くことになってね。行った先で小規模なスタンピードが起こってしまって、前線で戦っていた夫は魔物の攻撃を受けたらしいの。魔物の牙には毒性があったみたいなんだけど、そのまま行方知れずになってしまって」
「え」
「遺体も見つかっていないのよね」
サンドラ先生は、言いながら目を伏せた。
私も、リネット先生も、想定外の重い衝撃に言葉を返すことができない。
「私も本当は、あのとき探しに行きたかった。でもお腹の中には子どもがいたし、あとで応援のために編成された討伐部隊にお願いするしかなかったの。あのとき自分が行っていたら、もしかしたらって今でも思ってしまうのよ」
サンドラ先生が、はらりとこぼれた涙を慌てた様子でぬぐう。
救いようのない悲痛な空気に支配され、沈黙が治療院を侵食していく。
でもそれを打ち破ったのは、意外にもリネット先生だった。
「わ、私も行きます!」
「え? リネット……?」
「私もブライアン先生を探しに行きたい。行って、言わなきゃいけないことがあるんです!」
さっきまで動揺して半ばパニックに陥っていたリネット先生は、一転強い意志を宿した目をして私たちに向き合った。
「お願いします、サンドラ先生。私も行かせてください」
「リネットまで……。行ったとしても、見つからないこともあるのよ。もっとつらい状況になり得ることだって」
「わかっています。でも、私も自分の目で確かめたいんです」
サンドラ先生はだいぶ困惑ぎみの表情で私たちを交互に見つめて、そして二回目の大きなため息をついた。
「もう、なんなのあなたたち」
そう言って、いきなり立ち上がったかと思うと何故か赤茶色のドアに向かい、治療院から出て行こうとする。
「先生、どちらへ?」
「善は急げって言うでしょ。討伐部隊にあなたたちを連れて行ってもらうようお願いに行ってくるわ。リネットは神聖魔法士の資格があるからそんなに難しくないけど、問題はアリエルよ。でもどうにかして、潜り込ませるから」
サンドラ先生はいたずらっ子のような目をして微笑むと、足早に部屋から出て行った。
かくして、その数日後。
私とリネット先生は魔物討伐の応援部隊に参加することになった。
サンドラ先生の言う通り、リネット先生が部隊の一員になるのはさほど難しくなかったようだけど、私をねじ込むのはだいぶ難儀だったらしい。
「まあ、『奥の手』を使ったのよ」
と、サンドラ先生は意味ありげに笑っていたけど、最後まで何をしたのか詳しくは教えてくれなかった。
「何をしたんでしょうか? サンドラ先生」
「わからないけど、多分『権力』を使ったんじゃない?」
「けんりょく」
「だって、サンドラ先生はリンディール家の人よ。筆頭公爵家が全力を出したら、誰も勝てないでしょう?」
あ、そうでした。
リンディール家は我が国の筆頭公爵家。絶大な権力を誇り、莫大な資産を有し、歯向かう者には一切の容赦をしない、泣く子も黙る「冷徹無比のリンディール」と呼ばれている。
ほんと、何度も言うようだけど、こういう二つ名って誰が考えるんだろうね。
「サンドラ先生の旦那様が亡くなったとき、子どもたちもまだ小さかったし、リンディールの籍から抜けて再婚したらって話もあったそうよ。でもサンドラ先生はリンディール家に残って子どもたちを育てることにしたんですって。再婚する気なんかさらさらないって、私の夫は一人だけですってね」
そうしてサンドラ先生は、二人の子どもを育てながら学園の治療院の院長として、長く勤めることになったという。
「アリエルは私の助手として参加が許可されたんだから。私から離れちゃダメよ」
「わかってます。でも多分、私たち死にませんよ。あと、ブライアン先生はともかくレヴィン様は今のところ無事です」
自信満々に話す私に、リネット先生は「なんで『ブライアン先生ともかく』なのよ」なんてあからさまに不満げだったけど。
昨日、久々にあのお方が私の夢に現れたのだ。
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