4 布教活動が実を結ぶ
それからも、治療院の手伝いは順調だった。
神聖魔法の出番はなかったけど、雑用をしたり先生たちのサポートしたりして、だいぶ重宝がられるようになった。
アイグノール侯爵令息、長いのでもうシリル様と呼ぶけど、あの人の鬱陶しいちょっかいはその後もたびたびあって、あまりにもうざいのでいっそこれ見よがしにレヴィン様といちゃいちゃするようにもなった。
去年まで、つまり私が学園にいた頃は、私だけが一方的な愛情を叫びながらレヴィン様を称賛し尽くしている一方、レヴィン様は傍から見るとだいぶ塩対応だったらしい。
なのでレヴィン様は私のことをなんとも思っていないか、むしろ邪険にしていると感じていた人も多かったんだとか。
でも、結婚したら常に蕩けるような柔らかい目をして私をそばに置きたがるから、その変貌ぶりに学園の令嬢たちはこぞって黄色い声を上げ、感嘆と憧憬の眼差しを向けるようになった。
サンドラ先生やリネット先生のおつかいで学園の中を歩いていると、知らない令嬢たちがレヴィン様の噂をしているのを耳にすることも増えた。
「今日のレヴィン様の剣技、見た?」
「見た見たー! 何あれ、もう超絶格好良すぎてやばいんだけど」
「わかる! レヴィン様の剣技にみんな釘付けで、誰も先生の話聞いてなかったじゃない」
「あら、オーロラ先生だって見惚れてたわよ。図書室って訓練場が良く見えるから、オーロラ先生はわざと図書室で授業することが多いんだって噂よ」
「そうなの? でもその気持ちわかるわー。あんな素敵な方に熱烈な愛情を一途に向けられるレヴィン様の奥様、ほんとに羨ましい」
そうでしょうとも、そうでしょうとも。
ニヤニヤするのを抑えられず、私はわざと廊下の中央を、鷹揚に歩いたりする。
やっと、世界がレヴィン様の尊さに気づき始めたというところかしら。
私の長年の布教活動がここへ来てようやく花開き始めたと言いましょうか。うんうん。
「なにニヤニヤしてるのよ」
「あ、リネット先生」
振り返ると、白衣姿のリネット先生がニヤニヤしていた。
いや、リネット先生の方が、だいぶニヤニヤしてるでしょ。
「レヴィンの評価がずいぶんと変わってきたじゃない」
「ですよね。爆上がり中です」
「妻としては、心配にならないの? レヴィンに憧れる令嬢がどんどん増えてくってことはライバルが増えるってことでしょ。やきもち焼いたり、別の子に取られないか不安になったりしない?」
「それはないですね」
特に考えることもなく即答すると、リネット先生は大きく目を見開いた。
「ないの?」
「だって、この状態は私がずっと望んできたことですよ? やっと、やっと世界がレヴィン様に追いついてきたのです。そもそも、世の中がレヴィン様の素晴らしさを認識するのが遅すぎるのですよ。むしろレヴィン様はもっともっと高く評価されていい至高にして究極の存在です」
「あー、そうよね。アリエルって、そういう子だったわ」
どういうわけだかリネット先生は、決まり悪げに苦笑しながら肩をすくめる。
「クレアがね、よく言ってたわ。ああ見えてレヴィンはアリエルのことが大好きでしょうがないのよって。でも、どうせ自分は早死にするって信じ込んでるから、素直に気持ちを表現することに葛藤があるのよねって。クレア自身は、昔からレヴィンが早死にするなんて思ってなかったわ。『あのひねくれ者は、殺そうとしてもただでは死ななそう』ってよく笑ってたもの」
「レヴィン様は、早死にしませんよ。でもクレア義姉様がそう思ってくださっていたのは、心からうれしいです」
「なんか、うらやましいわね、あなたたち。『比翼の鳥、連理の枝』ってとこね」
リネット先生の率直な賛辞の言葉に、身の置き場がなくなってあたふたしていると。
「リネット先生!」
右側の渡り廊下から、あの「鬼のブライアン」ことブライアン先生が走ってくるのが見えた。
「先ほどはすみません。お世話になりました」
ブライアン先生はリネット先生の前で立ち止まると、軽く頭を下げる。
実はさっきの剣技の授業で、生徒の一人が模擬戦中に痛烈な一撃を食らい、気絶してしまったのだ。
「ショーンなら、治療院でまだ休んでると思いますよ。サンドラ先生がついてくれてます」
「そうでしたか。最近あいつ、調子が悪いのか顔色もずっと冴えなくて、気になっていたんです」
ブライアン先生の心配そうな声に、リネット先生は少しだけ目線を下げる。
それから、意を決したように顔を上げた。
「ショーンのお父上が魔物討伐で重傷を負って、戻ってこられているのはご存じですよね?」
「はい」
「実はショーンのお父上、体に麻痺が残ってしまったそうなんです。魔物の毒を受けてしまって」
「……そうなんですか?」
「はい。こちらに戻って来てからも神聖魔法士が連日治癒や解毒を施しているそうなのですが、一向に回復の兆しが見られないようで。ショーンは父親をとても尊敬していて、ゆくゆくは自分も父親と同じように魔法騎士として討伐隊に所属したいと言っていたのでショックも大きいのでしょう。率先して治療の手伝いをしているみたいで、あまり眠れていないと言っていました」
想定外の深刻な状況にブライアン先生は相槌も打てないほど驚き、その場に立ち尽くしている。
「……まったく、知りませんでした」
「人に言わないでほしいと、ショーンが言ってましたので。サンドラ先生も知っていて、これであなたが倒れたら意味がないのよっていつも注意していたんですけどね。なのでショーンが今寝ているのは、疲労のせいです。ゆっくり休ませて、起きたら早退させようと思っています」
「……わかりました」
何も知らなかったであろうブライアン先生は、思い詰めた表情のまま大きなため息をついた。
「リネット先生は、すごいですね。生徒一人ひとりのことをよく見ていらっしゃる」
「私なんて、まだまだです。でもどんな生徒にも一人ひとり事情があって、いろんなことで悩んだり迷ったりしていますから。少しでも力になれたらなって思っているだけです」
「いや、俺も見習いたいです。少しでも、あなたに近づきたい」
ん?
なんだか急に、恐ろしく唐突に、私たちのまわりの空気だけが甘い雰囲気を醸し出す。
見上げると、ブライアン先生は妙に熱っぽい視線でリネット先生を見つめてるし、リネット先生もその視線に絡めとられて身動きできずにいる。
あれ。
これ。
もしかして。
「では」
ブライアン先生は何事もなかったように真顔になって一礼すると、足早に去っていく。
その姿を、ちょっとだけ顔を赤らめながら黙って見送るリネット先生。
「ブライアン先生って、リネット先生がお好きだったんですね」
「……あなたって、時々、というかわりといつも、直球よね」
固まったままでそう答えるリネット先生は、耳まで真っ赤になっている。
「いやだって、私だっていたのにあんなにはっきりと。それとも、私はブライアン先生の視界に入ってなかったとか? 見えてなかった? シックスセンス的な?」
「何言ってるのよ」
「しかもその反応から察するに、リネット先生もまんざらではないと言いますか」
「畳みかけないでよ、もう」
とうとうリネット先生は、両手で自分の顔を覆ってしまった。
「え、もうそういうご関係なんですか?」
「違うわよ。はっきりとは言われてないのよ」
「えーー、なんですかそれ」
「なんか、それらしい言動はたびたびあって、そうなのかな? っては思うんだけど。でも決定的なことは何も言われてないから、逆に気になっちゃって」
「あー。なんかそれ、ずるいですね。男なら真っ向勝負に出ろって思っちゃいますね」
私の意見に困ったように頷くリネット先生がとてもかわいらしくて、私はついうきうきとそれを眺めていた。
*****
「ということがありまして」
その日の夜、いつものようにソファの定位置に座る私たち。
「ブライアン先生、ずるくないですか? 好きなら好きって早く言えばいいのに、じれったいというかなんというか」
今日の出来事の一部始終を怒涛のように説明し終わり、一息ついてティーカップに手を伸ばすとレヴィン様は意外にも思案顔でつぶやく。
「うーん、多分ブライアン先生も、はっきり言いたいけど言えない事情があるんじゃないか?」
「どういうことですか?」
「ブライアン先生が魔法騎士として魔物討伐部隊に所属してたのは知ってるよな?」
「はい。怪我をされて、これ以上の職務続行は難しいと言われて学園の先生になったと。でも見た目的にはどこも悪くなさそうですよね? 身体的な障害が残っているようにも見えませんし」
「魔物との戦闘中に、毒を受けたらしい。それも、神経に作用する毒だったらしくてな。怪我をしてから治療を受けるまで少し時間がかかったこともあって、神聖魔法士が治癒を施したけど解毒しきれなかったんだ。だからその後遺症で、時々手足が震えて使い物にならなくなる」
「え」
私が顔を上げると、レヴィン様はやり場のない痛みを隠し切れない様子で頷いた。
「これは、たまたま姉上から聞いたんだ。そのとき一緒の討伐部隊に配属になってたらしくて」
「どのお義姉様ですか?」
「カレンだよ。二番目の」
カレン義姉様も、以前は魔法士として討伐部隊に所属していた。
今はご結婚されて、しかもつい先日お子さんを出産されたばかりなんだけど。
「最近は毒性の強い魔物が増えてるらしい。その毒を食らって、後遺症の残る体で求婚なんかできないだろ。迷惑かけるだけだしな」
「でも」
と言いかけて、私はふと、さっきリネット先生から聞いた言葉を思い出す。
――――どうせ自分は早死にするって信じ込んでるから、素直に気持ちを表現することに葛藤があるのよね――――
「ご自分と、重ねてらっしゃるのですか? 早死にすると思い込んでいた自分と、後遺症の残るブライアン先生とを」
「……そうかもな」
「迷惑をかけるだろうから、つらい思いをさせてしまうだろうから、想いを告げるのに躊躇してしまうと?」
手を伸ばして、レヴィン様の頬にそっと触れる。
滑らかな頬は、私を拒まない優しい温度でほっとする。
「私のせいで、レヴィン様はおつらかったのではないですか?」
「んなことはねえよ。お前と一緒にいて、つらかったことなんて一度もない」
そう言って、レヴィン様は切なげな目をしながら自分の頬に触れる私の手を、優しく握った。
「どうせ早死にすると思い込んでいたから、少しでも早くお前を手放してやるのがいちばんいいとわかってた。でもできなかったし、かと言って好きだと告げてお前を繋ぎ止めることもしたくなかった。俺がずっと中途半端なところをうろうろしてたせいで、お前の方こそつらかったんじゃないか?」
「そんなこと。私だって、レヴィン様と一緒にいてつらいと思ったことなんか一度もありません」
私はレヴィン様を真っすぐ見つめたまま、むしろ得意げに微笑んでみせる。
「レヴィン様との婚約が決まった瞬間から、私はずっと幸せです」
レヴィン様は一瞬呆気にとられ、それからふっと口元を緩めた。
そして握っていた私の手を強く引いて、バランスを崩した私をその腕の中に抱きとめる。
「……お前には、ほんとに敵わねえよ」
甘く熱っぽい声でつぶやきながら、レヴィン様は私の首元に顔を埋めてキスをした。