3 精霊たちは仕事をする
「おや? そこにいるのは、アリエル嬢かな?」
ん? 「嬢」?
私、もう結婚してるから「嬢」ではないんだけど。
その場にいた誰もが言葉の違和感に気づき、訝し気に声の主を確認する。
「アリエル嬢。俺は――」
「違います」
「は?」
「私、『アリエル嬢』ではありません」
「え、じゃあ、誰?」
「よくぞ聞いてくれました! 私、闇魔法を司る唯一の家系・エレストール家の麗しき『闇の魔剣士』、そして精霊王様の再来とも謳われた孤高にして美貌の魔法騎士、レヴィン・エレストール様の妻、アリエル・エレストールです!」
「長えよ」
レヴィン様のツッコミを諸共せず、自慢げに胸を張った私に目の前の男性はあんぐりと口を開けている。
「ですので、私のことはエレストール夫人、とでもお呼びくだされば」
とか言いながらもう、私はニヤニヤするのを抑えられない。
エレストール夫人!
夫人!!
きゃー。照れる。
「いや、エレストール夫人って言ったら、母上のことになるんじゃないか?」
「あれ、そうなります? でもお義母様って、正式にはエレストール侯爵ですよね?」
「あ、そうか。じゃあ、いいのか?」
「ちょっと待って、それはレヴィンが侯爵の当主の座を継いでからの話でしょ。今のところは、一応治療院の人間なんだし『アリエル先生』でいいんじゃない?」
「先生! 先生ですか? 私!」
良い! アリエル先生も捨てがたい!
とか三人で盛り上がっていたら。
「俺を無視するな!」
「すみません。楽しくてつい。ところであなた様は?」
「こいつは、シリル・アイグノール。騎士科の二年生で俺と同期」
「それだけじゃないだろう? 俺とお前は従兄弟同士なんだから」
「いとこ」
そういえば、聞いたような気がする。
エレストール侯爵家に婿に入られたお義父様のご実家は、アイグノール侯爵家。
お義父様のお兄様、つまり現アイグノール侯爵には、レヴィン様と同い年の息子がいるということを。
あと、その話をしていたときのレヴィン様の表情がわりとはっきりとした嫌悪感や不快感で縁取られていたことも、ついでに思い出した。
「ああ、そういえば、そんなお話でしたね」
「つれないな。俺は君たちの結婚式にも出席しているのに。覚えてない?」
「あのときは、空前絶後の高貴さと崇高さを兼ね備えたレヴィン様のお姿に打ちのめされて、それ以外のことはまったく記憶にありません」
アイグノール侯爵令息の顔があからさまに引きつり、リネット先生が我慢できずに声を立てて笑い、レヴィン様がちょっと照れたように口元を手で覆いながら愛おしげな目で私を見つめている。
「シリルの負けね。出直してきたら?」
「ちょ、リネット先生!」
「休み時間は終わったぞ! そろそろ集まれ!」
尖った声が突然聞こえて、レヴィン様とアイグノール侯爵令息は慌てたように急いで訓練場に戻っていく。
「騎士科の剣技の先生、ブライアン・ギレノール先生よ」
リネット先生がちらちらと訓練場の中央に目を向けながら、持ってきた道具を簡易テントの中に並べていく。
それを手伝いながら生徒たちに指示を出すブライアン先生を眺めてみると、長身でがっしりとした体格ながらも柔和な顔つきで、なんだかとても優しそうに見えた。
「お優しそうな先生ですね」
「ふふ。そう見える?」
「違うんですか?」
「まあ、見てなさいな」
簡単な準備体操が終わると、生徒たちは並んで訓練場の外周を走り出した。
それぞれの体力や走る速度の差で徐々に隊列が乱れてくると、次第に容赦ない怒声を浴びせ始めるブライアン先生。
「えーー。意外に、怖い」
「ブライアン先生はね、もともとは魔法騎士として魔物討伐部隊に所属されてたの。でも少し前に魔物との戦いで大怪我をしてしまって、討伐の任務を続けるのは難しいと言われたらしくてね。ちょうど剣技を教える先生の増員が検討されていた時期と重なったこともあって、ここの先生になったのよ。魔物討伐の現場を知る人だから、生徒たちにもちょっと厳しいのよね。『鬼のブライアン』って呼ばれてるのよ」
「『鬼のブライアン』」
こういうあだ名とか二つ名って、ほんとに誰が考えるんだろう。
ただちょっと、今回のはひねりが足りない気もするんだけど。
そんなどうでもいいことを考えていた私とは対照的に、ブライアン先生の説明を続けるリネット先生はなんだかとても生き生きとしているように見えた。
そして、模擬戦が始まった。
一つの試合が終わると、両者ともテントにやって来てリネット先生の治療を受ける。
「だいぶ頑張ったじゃない。この前よりも魔法の威力が上がってたわよ」
「ほんとですか? 最近特訓してたんですよ」
「リネット先生、俺はどうですか?」
「剣さばきが上達してたわね。筋トレ続けてるの?」
「そうなんすよ! この筋肉見てください!」
生徒たちはリネット先生に怪我の手当てをしてもらいながら、模擬戦の感想を聞いたりそれぞれの成長を褒められたりしている。
そして怪我の治療だけではなく、別の何かを得たような満足感を浮かべて戻っていく。
二試合目は、さっきのアイグノール侯爵令息と別の令息との模擬戦だった。
試合自体はあっけなくアイグノール侯爵令息の勝利となり、二人ともそのままテントにやって来る。
「先にウォーレスの治療をするから。シリルは待ってて」
言われると、アイグノール侯爵令息ははた目にもわかるような嫌な含み笑いをして、私の目の前の椅子にどかっと座った。
「ねえ。アリエル先生」
媚びるようないやらしさを含んだ声が、鼻につく。
「アリエル先生はさ、レヴィンが死んだら、どうするの?」
試すような目が、あざ笑う。
「エレストールは『早死に侯爵』なんだからさ。レヴィンだってどうせ、早死にするんだよ? 死んじゃったらどうすんの? 若くして未亡人だよ? その若い体で未亡人になっちゃったら、独り身は寂しいんじゃない?」
煽るように吐き出される卑劣な言葉に、私の頭の中がすうっと冷えていくのがわかった。
「そうでしょうか?」
「うん?」
「独り身は寂しい? それは、どなたがおっしゃっていたことでしょうか? それとも、あなた自身のご経験ですか?」
「いやいや、そんなわけないでしょ。ただ一般的な話としてさ。愛した夫を若くして亡くしたら、そりゃあ寂しいでしょ。寂しくて、誰かの温もりがほしくなることだって――」
「あり得ませんね」
事もなげに一蹴する私に、目の前の男は俄かに鋭い視線を向けた。
「あり得ない? 何が? そのときになってみなきゃわからないこともあるんじゃない? 今はレヴィンも生きているから、そんなこと言ってられるんだよ」
「いいえ。もし仮に、万が一、レヴィン様が私より先に亡くなったとしても、私がレヴィン様以外の温もりを欲することなどありません。というか、そもそもレヴィン様は早死にしないのでこうした議論は完全に無意味ですね」
「何言ってんの? エレストールの男子が早死になのは、みんな知ってる――」
そこで、男は何も言わなくなった。
というか、言えなくなってしまった。
何故なら、光る人型の小さな精霊たちが、その唇を瞬時に縫いつけてしまったからである。
可笑しくて爆笑しそうになるのを必死にこらえながら、私は何が起こったのかまったくわからないというようにわざと不思議そうな顔をして、首を傾げてみせる。
それから、口が開けずうーうー唸る男を放ったらかしにして、リネット先生のそばに駆け寄り「お手伝いすることありますか?」なんて言ってみる。
アイグノール侯爵令息はテントの中にいる間中、一言も発することができなかった。
*****
夜。
夫婦の寝室、いつも通りソファに座った状態で、すぐ隣に座るレヴィン様にゼロ距離で迫られていた。
「で、どうだったんだ? 勤務初日は」
「楽しかったですよ。サンドラ先生もリネット先生もお優しくて親切ですし。午後は魔法学科の授業を受けさせてもらいました」
「お前、剣技の授業のときシリルに何かしたのか?」
「何故ですか?」
「シリルがテントから戻ってきたら、急に口が開かなくなったとかなんとか喚いてたからさ。誰も信じてなかったけどな」
「だってあの人、『レヴィンが死んだら』とか『エレストールの男子は早死に』とか『独り身は寂しい』とか一方的に並べ立てて、とにかく鬱陶しかったんですよ。私以上に腹を立てた精霊たちが、きっちりと落とし前をつけてくれただけです」
「やっぱり精霊か」
「仕方ありません。あの小うるさい口を塞ぐには、あれが最適な方法でした」
私は体ごとレヴィン様の方を向いて、真正面にレヴィン様を見据える。
「レヴィン様が亡くなったあと私をどうにかするとか言ってたの、どうせあの方なんでしょう?」
「よくわかったな」
「わかりますよ。あんな、下品で下劣で悪趣味なことしか言えないくせに、ねちっこくていやらしい目で近づいてくるんですもの。口だけじゃなく、目も縫いつけたかったくらいです」
「あんまりやりすぎんなよ。『精霊の愛し子』だってのがバレるだろ」
「バレませんよ。その辺は、精霊たちや精霊王様が何とかしてくれます。精霊たちだって、私に負けないくらいレヴィン様のことが大好きなんですから。あんなの生温いし、やり足りないってみんな言ってました」
私のまわりでふわふわしている精霊たちは私の感情や状態に同調しやすいらしく、私を守ろうとするのと同じくらいの使命感を持って、レヴィン様のことも大切にしてくれる。
レヴィン様を害する者には容赦しない、と思っているのは精霊たちも一緒なのだ。
「それは、心強いことで」
「次は、剣と鞘をくっつけてしまうのと教科書の糊付け、どっちがいいと思いますか? あ、朝目が覚めたらベッドに縫いつけられてて起きられない、というのもいいかも」
「『くっつける』系が多いな」
「あれ。そうですね」
言われてみれば、と可笑しくなった途端、レヴィン様が私の右手を取って自分の口元に近づけ、軽く口づける。
「そろそろ、いいか?」
「何がですか?」
「確かめたいんだよ」
「何を?」
「お前が、俺だけのものだってことを」
近づいてきた端正な顔が耳元でささやくから、私はまた、レヴィン様の深い愛に溺れてしまう。
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