1 闇の魔剣士は精霊の愛し子を愛でる
うっすらとした陽の光が窓から差し込み、ふと目が覚める。
少しずつ意識が覚醒してきた私は、今日が何の日か思い出してがばっと体を起こした。
「……なんだ? もう起きたのか?」
横で寝ていたレヴィン様はするりと腕を伸ばしていとも簡単に私を捕らえ、自分の方に引き寄せる。
「まだ早いだろ」
背中に回った指先がくすぐったくて目線を下に向けると、蕩けるような甘い目をしたレヴィン様が私を見上げているからたまらない。
「は、早くはありません! 今日は初日ですから!」
「あ? ああ、そうか……」
恥ずかしさを振り切るように叫ぶと、レヴィン様はとてつもなく嫌そうな顔をした。
「まだ、怒ってらっしゃるのですか?」
「……怒っているわけじゃない。心の底から不満なだけだ」
「そういうの、怒ってるって言うんですよ」
*****
私とレヴィン様は、つい先日七年の婚約期間を経て、結婚した。
レヴィン様は、私の一つ年上。
闇魔法を司る唯一の家系、エレストール侯爵家の長男である。
この国で「魔法」とは、大昔にご先祖様がそれぞれの属性を司る精霊と「契約」し、その「加護」を得たことが始まりとされている。
ただ、闇魔法とそれを操るエレストール家に関しては、大昔から現在に至るまで非常にはた迷惑でとんでもない誤解がなされてきた。それは「闇魔法は悪魔と契約して得られた魔法」であり、「加護を得る代償として当主が自らその身を差し出した」ため「使役者の身体を蝕む」と言われ、「だからエレストールの男子は短命である」というもの。
ほんとにもう、最初に言い出したやつちょっと出てこいや、案件である。
でもこの大いなる誤解のせいで、エレストール家は永きに渡って冗談では済まされない深刻な影響を受けることになった。闇魔法が使役者の身体を蝕むなんて事実はまったくないのに、実際にエレストール家の男子は短命だったのである。
それは何故か。
偏に、「思い込み」のなせる業だったというのだから恐ろしい。
はるか昔、故意に捻じ曲げられ拡散された「嘘」がそのまま定着し、この世界に広く知れ渡って周知の事実とされてしまう。
その「思い込み」が、長い間人の寿命までをも左右していたのである。ほんと、思い込みって怖い。
ちなみに、私がこの真実を知り得たのには理由がある。
何を隠そう、実は私が「精霊の愛し子」だったから。
小さい頃から人には見えないはずの精霊が見えていたんだけど(でもそれが精霊だとは気づいてなかった)、あるとき精霊王様が夢に出てきてエレストール家と闇魔法にまつわる正しい知識と真実を教えてくれた。
あの超絶美形なお兄さん(?)が精霊王様だなんて、いまだにちょっと信じられないところはあるけど。
真実を知った私はそのままレヴィン様と婚約し、幼い頃から自分は「早死に」なのだからといろんなことを諦めてきたレヴィン様が「やっぱり長く生きたい」と心から望んでくれる瞬間を待っていた。
そしてついに、結婚式の夜、その願いは叶う。
私は真実を伝え、レヴィン様は私の話に納得してくれて、「短命」という呪縛から解き放たれることになったのだ。
早死にしないとわかったレヴィン様は、それから生きることに積極的になった。
いや、貪欲になったと言っていい。
そしてそれは、私を甘やかすことと同義であった。
出会った瞬間からその日まで、レヴィン様は「自分はいつか死ぬ、それもそう遠くない未来で」と思い込んでいたから、私に対してもどこか距離を保った素っ気ない態度が多かった。
でも早死にしないとわかったら、レヴィン様は自分の気持ちにブレーキをかけなくなった。常にトップスピード、もはや愛の暴走機関車と言っていい。
容赦のない溺愛にさらされてこっちの身が持たないし、なんなら私の方がいろんな意味で早死にしそう。
そんな感じで、私たちの結婚生活はスタートしたのだけど。
しばらくしたら、たいそう暇を持て余すようになってしまった。
エレストール侯爵夫妻、つまり私にとっての義父母はまだまだ若く健在で、領地経営も屋敷の管理もすべて二人で担っている。
侯爵家の離れを与えられた私たちに対して、
「レヴィンはまだ学生の身だし、アリエルもお嫁に来たばかりなんだからゆっくりしていていいのよ。家のことは、追々でいいから」
とお義母様がにっこり微笑まれたせいもあり、侯爵家の管理運営に関しては当面特にやることがない。
レヴィン様は、実はまだ学園の魔法騎士科に在学中である。
我が国では学園で五年間学ぶと、一応卒業になる。でも、さらに学びを深めたい人は「魔法学科」か「魔法騎士科」に進学して学び続けることもできる。
私は結婚が決まっていたこともあって五年で卒業し、進学はしなかった。
レヴィン様は当然のように魔法騎士科に進学し、現在二年生、最終学年である。
それは、「闇の魔剣士」の二つ名を得るほど類い稀なる剣術の才能があったからというのももちろんあるけれど、実は闇魔法の家系だからという理由の方が大きかったりする。
闇魔法は魔物とその出自を同じくするせいなのか、魔物殲滅に絶大な効果を発揮する。なのでエレストール家の人たちは学園を卒業したあと進学し、将来的に魔物討伐に赴くことが暗黙の了解となっている。
レヴィン様の三人のお姉様方も同様で、三人とも魔法学科に進学し、卒業後は凄腕の有能な魔法士として活躍されていた。
過去形なのは、みなさんすでにご結婚されて、魔法士としての役割を一旦退いているからである。
ちなみに、エレストール家は昔から何故か女性が産まれる確率の高い家系でもある。
レヴィン様はそんなエレストール家に何十年ぶりかで生まれた、待望の男子。
そのこともエレストール家にまつわる不名誉な思い込みに拍車をかけていた(男子がなかなか生まれないのも呪いのせいだと言われていた)のだけど、精霊王様は「それとこれとはまったく関係がない。女性が多いのは家系というか体質というか、とにかく私の力の及ぶところではないのだ」とか偉そうに言っていた。
「森羅万象を統べる」とかいつも言ってるくせに、どうにもできないこともあんのかよ、と思ったけど言ってない(でも渋い顔をしていたから多分バレてる)。
なお、現在の直系のエレストール家当主は実はお義母様の方で、お義父様はお婿さんである。どうでもいい情報だとお思いだろうが、あとで出てくるので覚えておいて損はない。
というわけでレヴィン様は毎日学園に通っているし、私はやることがなさすぎてどうしたものかと困っていたのだけど、ある日思いがけない提案を持ってきてくれたのはいちばん上のクレア義姉様だった。
「せっかく神聖魔法が使えるんだから、学園の治療院の手伝いに行ったらどうかしら?」
学園附属の治療院は、生徒の体調不良に対応したり怪我の手当てをしたりする医務室のような役割を担っている。治癒を施すのは神聖魔法士と呼ばれる方々(一応「先生」と呼ばれている)だけど、なんと言ってもいちばん出番が多いのは、魔法騎士科の剣技の授業で怪我をした生徒の治癒である。
「あそこは常に人手不足なんだけどね、この前も神聖魔法士の一人が産休に入っちゃったのよ。院長先生ともう一人、私の友達なんだけどリネットっていう神聖魔法士しかいなくなっちゃって、もうてんてこ舞いらしくて。アリエルが暇なら、手伝いに行くのもいいのかなって」
「でも私で務まるんでしょうか? 神聖魔法士の資格もありませんし」
「来てくれるなら、空いてる時間に魔法学科の授業を受けさせてくれるそうよ。資格はないけど、特例でなんとかするって院長先生が言ってる」
特例でなんとかなるものなのか? という素朴な疑問は置いといて、魔法学科への進学も考えていた私にとっては願ったり叶ったりというか、断る理由がないほど魅力的な話だった。
ところが、ろくに話を聞くこともせず、問答無用でこの話を却下しようとした人がいた。
レヴィン様である。
「アリエルが治療院の手伝い? なんでだよ」
「人が足りなくて大変なんだそうです。神聖魔法なら私も使えますし、暇を持て余すくらいなら行ってみたらとお義父様たちもおっしゃって」
「お前、治療院の仕事が何かわかってんのか?」
「もちろん知ってますよ。でも治療院の出番がいちばん多いのは、魔法騎士科の剣技の授業のあとなのでしょう? 魔法を使った剣術の授業は、生徒たちの怪我が絶えないと聞きました。レヴィン様がお怪我されることはほぼないと思いますけど、治療院にいればレヴィン様の剣さばきを目にすることができるかもしれないし、何より同じ学園にいますから偶然を装ってレヴィン様に会いに行くこともできます」
「お前それ、なに目当てなんだよ」
「もちろんレヴィン様ですよ。治療院の手伝いに行けば、レヴィン様にお会いできる機会は今より確実に増えるでしょう? 私には下心しかありません」
「自慢するな」
可笑しそうに笑うレヴィン様の目が、愛しさで溢れている。
この流れでいけば楽勝か!? と思っていたけど、そうは問屋が卸さなかった。
「でもアリエルがわざわざ行く必要はない。しっかりとした資格もないんだし、治療院の先生たちに逆に迷惑かけるだけだ」
「それはそうかもしれませんけど。でも、資格はなくても雑用とか、いろいろ手伝えることはあると思うんです」
「それこそ、お前が行く必要ないだろ。ほかにも神聖魔法が使えるやつはいるんだし、手伝いなら誰でもできる」
「そうですけどーー。でもーー」
「あらあら、そんなもっともらしいこと言っちゃって。本心は違うのでしょう?」
振り返ると、もうとっくに帰ったと思っていたクレア義姉様が壁に寄りかかり、訳知り顔で立っていた。
「本当にそれが理由なのかしら?」
「姉上は黙っててください。これは夫婦の問題です」
「夫婦なら、もっと堂々と自信を持っていなさいな。いくら騎士科が男所帯だからって、アリエルがあなた以外の男に目がくらむとでも思うの?」
「そんなことは心配してませんよ。俺はただ、アリエルをほかのやつらの目に触れさせたくないだけで――」
言ってしまってから、レヴィン様は明らかに「しまった」という顔をした。
その顔を見て、さらにニヤニヤするクレア義姉様。
「あら、そうなの」
「あ、いや……」
「そうよねえ。レヴィンがかわいいアリエルを独り占めしたい気持ちはわからないでもないけれど」
そういってクレア義姉様は、気まずそうに目を泳がせるレヴィン様にわざとらしい満面の笑みを向ける。
「でもレヴィン。男の独占欲は、見苦しいわよ」
その一言でレヴィン様は撃沈し、それ以上反論することはできなかった。