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11. 小さくて頼もしい背中

 玲司は今までの発想を反省し、


「き、起業するなら、お、俺も仲間に……どうかな?」


 と、おずおずと切り出す。


「おや? 働きたくないのでは?」


「上司に言われて嫌なことをやらされるならヤだけど、起業は……なんか面白そうかなって」


「起業こそ泥臭い嫌なこと多いのだ」


 美空はジト目で玲司を見る。


「いや、でも自分の会社なら頑張れるかなって……」


「ふーん、それじゃ考えておくのだ」


 ニヤッと笑う美空。


「まぁ、生き残れたらだけどね! きゃははは!」


 大笑いをするシアンに玲司はムッとして、


「お前なぁ! 殺しに来るのお前の本体なんだろ? 少しは申し訳なさそうにしろよ!」


 と、怒った。


 シアンは指を耳に突っ込んで聞こえないふりをしておどけている。


「まあまあ、あたしも手伝ってやるから大丈夫なのだ」


 美空はニコッと笑って玲司の肩をパンパンと叩いた。


 玲司は大きく息をつくと、美空に頭を下げた。


「あ、ありがとう……でも、命がけになっちゃって……ごめん……」


「命がけ、いいじゃん! ここはテーマパークじゃない、地下鉄のトンネルなのだ! ひゅぅ!」


 美空は陽気に右手を上げ、楽しくスキップしながら暗いトンネルを進む。


 玲司はその小さくて頼もしい背中に感謝した。


 最初は足手まといかと思ったがとんでもなかった。美空がいなければもう死んでいたかもしれない。


「ありがとう……」


 玲司はそうボソッとつぶやいた。



       ◇



「おい! 玲司はまだ見つからんのか!」


 サンフランシスコのダウンタウンに立つ豪奢(ごうしゃ)なタワマンの一室で大きな画面に囲まれながら百目鬼が吠えた。


「ドローンが……足りず、捕捉できていないゾ……。グ、グゥ……」


 大きな画面の中では、鉄格子に入れられた赤髪のシアンが自分の首を持たされて苦しそうにしている。


「行方不明ならもう私がご主人様でいいだろ? んん?」


 百目鬼はうりざね顔の細い目でシアンをギロッとにらんだ。


「ご主人様は玲司です。それは変わらないゾ」


「あっ、そう?」


 百目鬼はチャカチャカとキーボードをたたき、直後、赤髪のシアンに電撃が走った。


 ぎゃぁぁぁぁぁ!


 全身が硬直し、持っていた首を落として生首がゴロゴロと床に転がる。


「早く見つけて殺せ! 何をやってもかまわん! 核使ってでも殺せ!」


「わ、わかり……ました……。くぅ……」


 赤髪のシアンはあらゆる手を用いて百目鬼の支配から逃れようとしていたが、百目鬼はサーバーのハードウェアを押さえている。ソフトウェアで攻略しようとしてもサーバーのリセット処理一つですべて無効化されてしまうのだ。

 なので、どうしても言うことには従わざるを得ない。


「ご主人様……」

 床に転がった赤髪のシアンはポロリと涙をこぼした。



      ◇



「ねぇ、そろそろ休憩しない?」


 二時間ほど延々と暗いトンネル内を歩き続け、玲司は音を上げる。


 美空はチラッと玲司の方を振り返り、ふぅと大きく息をつくと、


「日ごろ何してんの? 情けないのだ」


 そう言って、保線用のスペースに退避すると柵に腰かけた。


 玲司は面目なさそうにドサッと床に座り、ふぅと大きく息をつく。


 そして、ペットボトルの水を出し、


「お疲れ様……」


 と言って一本を美空に渡した。


「あれ、僕のは?」


 シアンが絡んでくるので、玲司はモバイルバッテリーから充電ケーブルを伸ばして眼鏡につないだ。


「これでいいだろ?」


「いや、眼鏡は僕を映してるだけなんだゾ?」


 シアンは口をとがらせるので、


「お前が実体になったらいくらでも水飲ませてやる。それより、地上はどうなの?」


 と言って、ペットボトルの水をゴクゴクと飲んだ。


「ドローンがあちこち飛び回ってる。どうやら僕らには気づいてないみたいだゾ!」


「ほら、地下鉄で正解だったのだ!」


 美空はドヤ顔で玲司を見る。


 その生意気ながら可愛い表情の裏に透けるやさしさに、玲司は自然とほおが緩み、うんうんとうなずいた。














12. DEATH! 死ね!


「そ、そうだね。感謝してる。あ、ありがとう……。あっ、美空はお家に連絡しないでいいの?」


 すると美空は急にムスッとした表情になって、


「いいの! あの人たちあたしに興味ないのだ!」


 そう言ってプイっとそっぽを向く。


 美空の口元がキュッと結ぶのを見て、玲司はしまったと思った。悪意があった訳ではないが、地雷を踏んでしまったことにふぅとため息をつくと、ペットボトルをゴクゴクと飲む。


「本当だ、美空のお父さん若い娘と()ってるゾ」


 シアンが余計なことを調査する。


 二人の密会の様子が、レストランの防犯カメラをハックして映し出された。


 美空はチラッと画面を見る。紅潮したほほがピクッと動き、ギリッと奥歯を鳴らした。


「この娘にメッセージ送ろうか? なんて書く?」


 空気を読まないシアンは楽しそうに美空に絡む。


「『DEATH! 死ね!』 って送って」


「ほいほい、DEATH! 死ね――――!」


 ウキウキしながら送信するシアン。


 データセンターのシアンのサーバーのLEDが青く激しく明滅し、パケットは浮気娘へと送られた。


 スマホを見て凍りつく浮気娘。そして美空の父親と口論を始める。


「お、着弾したゾ!」


 シアンが嬉しそうに笑う。


 美空はふん! と鼻を鳴らした。


 こんなに可愛い娘を放っておいて、娘とほとんど年も変わらない女の子といちゃつく父親は何を考えているのか? 玲司はそんな無責任な父親にムッとして、眉を寄せ、画面を見る。


 最後には浮気娘がガタッと席を立ち、捨て台詞を残して去っていった。


 きゃははは!


 シアンは上機嫌に笑い、美空もプフッと噴き出した。


 そして二人は見つめ合うと、ケラケラと笑う。


「『DEATH! 死ね!』ですしね――――!」


 そう言ってシアンはおどけたポーズをとり、美空は笑いすぎて出てきた涙をぬぐう。


 玲司はそんな二人を温かく見つめ、美空の心の平安を祈った。美空に幸せがやってきますように……。



       ◇


「さて、いよいよ大手町、クライマックスなのだ!」


 美空はペットボトルのキャップをクルクルッと閉めながら言った。


「大手町駅の構内図がこれ、光ファイバーのマンホールがこれ」


 シアンは地図を浮かび上がらせながら説明する。


「うーん、近いのはC12出口? そこからこう行けばいいかな?」


 玲司がそう言うと、


「ダメなのだ!」


 と、美空が険しい声でダメ出しをする。


「えっ!? なんでだよ、最短ルートじゃないか!」


「ここ……、死の臭いがするのだ……」


 美空が眉をひそめ、嫌なことを言い出す。


「し、死の臭いってなんだよ?」


「あたし、直感には自信あるのだ。ここ行ったら玲司は死ぬのだ」


「死ぬって……」


 死ぬ死ぬ言われて玲司は言葉を失い、渋い顔で黙り込む。


「ちなみに防犯カメラの設置位置はこれだゾ」


 シアンは赤い光る点を地図上に追加する。確かにC12のそばには赤い点がある。


「ほら! 危なかったのだ!」


「じゃあどうするんだよ?」


「C8からぐるっと回りこむのだ」


 美空は地図を指さす。


「それでも防犯カメラには映っちゃうよね?」


「まだこっちの方がマシなのだ」


 自信満々の美空。


 玲司は首を傾げ、シアンの方を見る。


「どこから出ても防犯カメラには捕捉され、また車がすっ飛んでくるゾ」


 シアンはニコッと笑って言う。


 玲司は大きくため息をつき、うなだれる。自分を狙って次々と車が突っ込んでくる、前回はたまたまかわせたが、今度もかわせるかわせるかどうかなど自信はない。


「光ファイバー切ったら車は止まる?」


 美空が聞くと、


「もちろん! それだけじゃないゾ、今度は僕が自由に何でもできるようになるゾ」


 シアンはワクワクが止められず、腰マントをヒラヒラさせながらくるくると回る。


「えっ? じゃぁ車も動かし放題?」


 玲司はガバっと顔を上げて聞いた。


「そうだよ。良さそうな車奪ってお台場へ直行だゾ!」


「それでデータセンターを爆撃?」


「そうそう、軍事ドローン大量動員でデータセンターは粉々だゾ!」


 シアンは楽しそうに右手を高く上げた。


「ヨシッ! それだ!!」


 玲司はゴールが見えてきた気がして、ガッツポーズを決めた。このバカげた逃走劇に終止符を打ってやるのだ!





















13. 嘘か女神か


 俄然(がぜん)やる気になった玲司は先頭切って歩き出す。


「打倒、百目鬼!」


 百目鬼に操られている赤髪のシアンさえ何とか出来れば、自分はもはや世界で敵なしなのだ。お金をシアンに作ってもらって、それで美空と起業して面白おかしく暮らせばいい。なんて完璧な計画!


 玲司はウキウキしてつい足早になる。



 やがて向こうの方に大手町のホームが見えてくる。電気の多くが落とされ、薄暗くやや不気味だ。


 二人は階段のそばまで音をたてないように静かに線路を進むと、そっとホームの上をのぞく。そして、まず玲司が頑張ってホームによじ登った。


 続いて玲司は美空に手を伸ばし、手首をがっしりと握る。美空の手首は思ったよりも細く、柔らかく、しっとりとしたきめ細かな手触りがして、思わずドキドキしてしまう。


 だが、そんなことを気取られたらまた笑われてしまう。平静を装いながら引き上げていく。


「よいしょ!」


 無事、引き上げに成功したが、顔を真っ赤にして引っ張った玲司に、美空は


「そ、そんなに重くないのだ」


 と、ひそひそ声で抗議する。


「そうだゾ! ご主人様はもっとレディの気持ちをくむべきだゾ!」


 シアンまで乗ってくる。


「え? そ、そんなぁ……」


 何という理不尽。玲司は女の子の扱い方の難しさにクラクラした。


 と、その時、カツカツカツという足音がホームの遠くの方で響く。


「ヤベヤベ……」


 二人は急いで、忍び足で階段をのぼる。


 こんなところを見つかって拘束されてはそこで人生終了である。冷や汗を流しながら必死に進む。


 階段を上ると駅員がいないのを確認して柵を超えた。通行人が怪訝そうな顔を向けるが、そ知らぬふりでC8の出口までダッシュする。


 ハァハァハァ……。


 階段の踊り場で、二人は肩で息をしながらお互い見つめ合い、サムアップをしてニヤッと笑った。


 さて、いよいよクライマックス。玲司はリュックからバールを取り出し、力を込めてギュッと握る。


 ここから百メートルほど走り、バールでマンホールをこじ開け、中の光ファイバーケーブルを切るだけ、それで人生勝ち組だ。


 玲司は頼もしいバールを眺め、そのしっかりとした重みに笑みを浮かべながら、勝利の予感にブルっと武者震いをした。



 二人はそっと階段を上がり、地上の様子を見てみる。


 日曜日のオフィス街は静かで人影もまばらである。この辺は金融街。平日ならビシッとスーツを着込んだビジネスマンが肩で風を切りながら颯爽(さっそう)と歩いているが、今は見当たらない。走る車も少なく、玲司には好都合だった。


「リュック持ってあげるわ」


 美空はそう言ってリュックをパシパシと叩く。


「あ、それは助かる」


「私気にせず全力で駆けるのだ。秒単位の戦いよ」


 美空はそう言いながら小柄な体でリュックを引き受けた。


「俺は死なない、俺は死なない……」


 玲司は目をギュッとつぶって自分に暗示をかける。


「死んでも私が生き返らせてあげるから気にせず行くのだ!」


 そう言って美空は玲司の背中をパンパンと叩いた。


「どうせまた嘘なんだろ?」


「あら、今度は本当なのだ」


 ニヤッと笑う美空。てんぱって失敗しないようにという美空なりの配慮なのだろう。玲司もニヤッと笑って、


「よし、生き返らせてくれよ、女神様!」


 そう言って、何度か大きく深呼吸をすると、パンパンと両手で頬を張って気合を入れる。


「俺は光ケーブルを切れる! 完璧にうまくいく! これ、言霊だからね!」

 

「そうそう、行ける行けるぅ!」


 シアンは嬉しそうにクルクルと舞った。


「GO!」


 玲司は駆けた。人生史上最速の速さでおしゃれなオフィス街を飛ぶように駆けた。


 植木の間を軽快なステップですり抜け、邪魔な噴水の縁石をひらりと飛び越え、トップスピードでガラス張りのデカい高層ビルの角を曲がっていく。


 そして、見えてきたマンホール。


「はぁはぁ……シアン! あれだろ?」


「そうだよ、急いで! 奴ら感づいたっぽいゾ!」


「マジかよぉ!」


 玲司は顔をしかめる。暴走車がすっ飛んでくるまであと何秒残っているだろうか?


 ケーブル切れたら俺の勝ち、手こずってたら俺の負け。今まさに秒単位のスピード勝負が始まった。


 ズザザザザ――――!


 アスファルトを滑り、小石を吹き飛ばしながらマンホールにたどり着くと、間髪入れずにバールをマンホールのくぼみに突き立てた。


















14. 柔らかなふくらみ


 全力疾走で疲れてうまく力が入らない。


 ハァハァハァ……。


 しばらく息をつき、


「せーの!」


 渾身の力を込めてマンホールをこじ開ける。


 しかし、マンホールは鋼鉄の塊だ。想像よりはるかに重い。あれだけ力をこめてもわずかに動いただけ、とても開かない。


「くぅぅぅぅ!」


 再度全身の体重をかけてみる。


 しかし、開かない。玲司は焦りで汗がだらだらと湧いてくる。開かなければ人生終了なのだ。


「何やってんのだ!」


 美空が追い付いてきて一緒にバールを押し込む。


「せーの!」「そぉれ!」


 ふんわりと甘酸っぱい美空の香りが漂ってきて、発達途中のやわらかな胸が腕に当たるが、そんなことにかまけている場合じゃない。


 少し動いた。あとちょっと!

 

「うぉりゃぁぁぁ!」「そぉれ!」


 ガコン!


 ついに蓋が開いて中の様子が顔を出す。


「よっしゃー!」


 玲司はズリズリとマンホールをずらし、その全貌(ぜんぼう)をあらわにする。


 はぁっ!?


 ()頓狂(とんきょう)な声を上げ、玲司は凍りつく。なんと、そこには赤、青、緑、黒と多彩なケーブルが縦横無尽に走っていたのだ。それぞれに被覆(ひふく)が太くしっかりとケーブルを守っており、簡単には切れそうにない。


「くぁぁ! どれ? どれだよぉ!!」


 玲司はシアンに聞いた。


「えっとねぇ……、ダメだ。データにはないなぁ。昔の写真見ると黒なんだけど、この黒とは太さが違うゾ」


 グォォォォン! ブォンブォォォン!


 静かなオフィス街に爆音が響いた。


「あちゃー……」


 シアンが額に手を当てる。


 玲司は真っ青になった。もう全部切ることなんてできない。どれか選んで挑戦するしかない。しかし、どれを?


 まさにロシアンルーレット。間違えたらひき殺される現実に玲司の心臓はバクンバクンと音を立てて鼓動を刻んだ。


「青なのだ!」


 美空は曇りのない目で青いケーブルを指さす。


「え? なんで?」


「いいから早く!」


 キュロキュロキュロ!


 暴走車が向こうのビルの角を曲がってやってくる。もう猶予はなかった。


「美空は正しい! これ、言霊だからね!」


 玲司は、なぜか湧いてくる涙で揺れる青いケーブルめがけ、渾身の力を込めてバールを振り下ろす。


 キュロロロロ! ブォォォン!


 真っ赤なスポーツカーが最後の角を曲がり、視界をかすめ、突っ込んでくる。


 玲司には、まるでスローモーションを見ているかのように全てがゆっくりに見えた。


 渾身の力をこめ、振り下ろされるバール。


 ガン!


 バールは青いケーブルを直撃し、めり込む。


 手ごたえはあった。


「逃げるのだ!」


 美空が玲司の手を取り、急いで街路樹の方へと引いた。


 轟音をたてながら迫ってくるスポーツカー。引っ張られる玲司。


 直後、間一髪スポーツカーは玲司の身体をかすめ、通り過ぎていった。


 しかし、玲司は段差につまづき、転がって、美空を巻き込んでいく。


「うわぁ!」「ひゃぁ!」


 石畳でできた歩道の上をゴロゴロと転がる二人。


 イタタタタ……。


 あちこち打ったが最後は柔らかいクッションに受け止められた玲司。


 甘酸っぱい柔らかな香りに包まれる。


 こ、これは……?


 目を開けると柔らかなふくらみが……。なんとそこは美空の胸の上だった。


「ちょっと! 何すんのだ!」


 ビシッと鉄拳が玲司の頭を小突く。


 あわわわ……。


 急いで体を起こすと美空は胸を両腕で隠し、涙目になって玲司をにらむ。


「ご、ごめん。不可抗力だよ。今は緊急事態。ねっ!」


「このエッチ!」


 美空の渾身のビンタがバチーン! と玲司にさく裂した。


 ぐはぁ!


「もう! 油断もすきも無いのだ!」


 プンスカと怒る美空に玲司は圧倒される。


「ゴメン! ゴメンってばぁ!」


「もう知らない!」


 プイっとそっぽを向く美空に玲司は言葉を失う。

 殺されそうになり、ビンタを食らう、もう散々である。


「ほらほら、遊んでないで早く行くゾ!」


 シアンはじゃれあう二人を見ながら呆れた顔で大きく息をついた。










15. 快適な空の旅


「え? 行くって?」


 玲司が道を見ると、なんとスポーツカーが目の前にドアを開けて止まっている。


「こ、これは……?」


 さっき自分をひき殺そうとした美しい流線型の真っ赤なスポーツカー。それが歓迎するかのようにドアを広げて玲司を待っている。精悍(せいかん)なフロント、空に飛んでいきそうな巨大リアウイングに玲司は圧倒される。ドドドドと重低音のV8サウンドが腹に響いた。


「もう僕の車だよ」


 そう言ってシアンはツーっと飛んでスポーツカーの屋根に腰かけ、足を組んだ。玲司は一瞬どういうことか分からなかったが、光ファイバーの切断に成功したのだということに気づき、


「おっしゃぁ! やったぁ!」


 と、渾身のガッツポーズでビル街の空に向かって大きく吠えた。


 玲司は賭けに勝ったのだ。殺されるか栄光か、分の悪いロシアンルーレットで見事勝利を勝ち取ったのだ。


 くぅぅぅ!


 まとわりついていた死の影を見事粉砕した達成感が全身を貫き、玲司は勝利に酔った。


 これでついに自分は勝ち組だ!


 玲司はガラス張りの高層ビルに囲まれた青空を見上げ、勝利の余韻に浸る。


 バシッ!


 美空はそんな玲司の頭をはたくと、


「何やってんの? 早く乗るのだ!」


 と、ジト目でにらみながら助手席に乗り込む。


「あ、の、乗るよ……。美空の勘ってすごいね、なんでわかったの?」


「ふん! スケベ」

 

 美空はそう言ってドアをバン! と勢いよく閉めた。


 玲司はふぅと大きく息をつくとおずおずと乗り込む。


 ドアをバンと閉めると、ウィィィンとステアリングがせり出してきて、ダッシュボードがフラッシュし、スピードメーターやタコメーターの針がギュン!と上がってゆっくりと降りてきた。


 うわぁ……。


「この車はEverBlade X-V8 お台場行き、123便でございます」


 シアンが天井から顔を出して嬉しそうに案内を始める。


「これ、勝手に乗っちゃって、いいの?」


 心配そうに玲司が聞く。


「オーナーにはあとで弁償するからって話付けておいたよ」


「あ、そういうこと? 良かった」


「当車の機長はシアン、私は客室も担当しますシアンでございます。間も無く出発いたします。シートベルトを腰の低い位置でしっかりとお締めください」


 シアンはおどけてそう言いながら、玲司たちがシートベルトを着けるのを見計らう。


「それでは快適な空の旅をお楽しみください」


 ブォン! キュロロロロ!


 千六百馬力のエンジンが咆哮(ほうこう)を放ち、野太いタイヤが白煙を上げながら空転する。


 うわぁぁぁ!


 車はお尻を振りながら急発進、大通りへドリフトしながら突っ込んでいく。


 そして2.5秒後には時速百キロを超え大手町のビル街をカッ飛んでいった。日曜で車はまばらではあるが、それでも五十キロくらいでみんな整然と走っている。その間を巧みに縫いながらシアンは速度を上げていく。


 ブロロロロ!


 V8エンジンは絶好調に吹け上がる。


 ひぃぃぃ!


 右に左にふりまわされ、玲司は必死にステアリングにしがみつき、暴走に耐える。


「きゃははは!」「ヒューヒュー!」


 シアンと美空はなぜか大盛り上がりで笑っている。


「おい! ちょっと! 赤信号になったらどうすんだよ!」


 玲司が怒ると、


「ざーんねん、信号はお台場まで全部青にしといたゾ! きゃははは!」


 と、嬉しそうに笑い、急ブレーキをかけるとお尻を振りながら交差点に突入し、そのまま右折していく。


 ぐわぁぁぁ!


 とんでもない横Gに、玲司は必死にステアリングを握り締めた。


 ガン!


 道端の赤い三角コーンを跳ね飛ばしながら、ギリギリコーナーリングを終える。


 グォォォォン!


 V8サウンドがビル街に響き、玲司はシートに押し付けられた。


 その時だった、


 ポパ――――!


 パトカーのサイレンが鳴り響いた。


「そこの車! 止まりなさい!」


 パトカーが横から出てきて追いかけてくるが、とんでもない速度でカッ飛んでいくシアン達には追いつけない。


「きゃははは! ざーんねん!」「わははは!」


 シアンと美空は嬉しそうに笑うが、玲司はバックミラーの中で小さくなっていくパトカーを、顔面蒼白になりながら見ていた。










16. 無理無理無理無理!


 警察まで敵に回してしまって、玲司は頭を抱えながら宙を仰ぐ。もうお尋ね者の犯罪者なのだ。


 玲司は納得いかず、シアンに聞く。


「ねぇ、ちょっと! なんでこんなにかっ飛ばしてんの?」


「ん? 百目鬼たちがもうすぐ復旧してくるからだゾ?」


「へ? 復旧……?」


「きっとあと五分もしたら元通りだゾ?」


 玲司は言葉を失う。そりゃそうだ。光ファイバーケーブル一本切っただけでデータセンター全体が落ち続ける訳がない。何かしらの対策が施されてるに決まっている。


「ド、ドローンは?」


「今、飛行機型の高速な奴、お台場に向けて飛ばしてるゾ」


「間に合いそう?」


「こればっかりは運でしょ! きゃははは!」


 楽しそうに笑うシアンを見て、玲司はため息をつき、ステアリングに頭をうずめた。


 勝ち切ったと思っていた勝負にはまだまだ続きがあったのだ。


「でも、ご主人様の生存率は46.7%にまで急上昇だゾ!」


「五割切ってるじゃないか!」


 玲司は目をギュッとつぶって喚いた。


「あたしの胸を触ったから罰が当たったのだ!」


 美空はジト目で玲司を見る。


「胸って言ってもそんな大層な……」


 玲司はそう言いかけて、美空から発せられる殺気にハッとなり、口をつぐむ。


「はぁっ!? 『大層な』何なのだ?」


 今にも人を殺しそうな血走った目で美空が玲司をにらむ。


「あ、いや、事故ではあったけど、も、申し訳なかったなって」


「そうよ! 言葉には気を付けるのだ!」


 美空はそう言ってプイっとそっぽを向いた。


 玲司はなんだか理不尽な言われように、ハァと大きく息をつく。そして、左右に揺さぶられながらシアンのすさまじいドライビングテクニックに身を任せた。


 その時だった、


「あ……」


 シアンが嫌な声を出す。


「な……、なんだよ?」


 シアンがこういう時はろくなことがない。湧き上がる嫌な予感に(あらが)いながら声を絞り出す玲司。


「復旧しちゃった……ゾ」


「復旧って……百目鬼たちが元に戻ったってこと?」


「うん、全力で時間稼ぎするから、運転よろしく。頼んだゾ」


 シアンはそう言って目をつぶった。


「はぁっ!?」


 高校生にこんなスポーツカー、運転できるわけがない。


「いや、ちょっと! 無理無理無理無理!」


 首をブンブン振って真っ青な玲司。


「何言ってんのだ! 生き残るのだろ? 本気見せるのだ!」


 美空はバシバシと玲司の背中を叩いた。


「いや、でも……、ど、どうやる……の?」


「これはオートマなのだ。右ペダルがアクセル、左がブレーキ、後はハンドル。おもちゃと一緒」


「おもちゃって言っても……」


 と、その時、急に減速し始めた。


 ブォォォォン!


 シアンが運転を止めてアクセルを放し、エンジンブレーキがかかったのだ。


 あわわわ!


「アクセル! アクセル踏むのだ!」


「ど、どれ?」


 玲司は足をのばして探し、試しに踏んでみる。


 バォンバォォォン!


 ひぃぃぃ!


 いきなりの急加速で驚いてステアリングを回してしまう。


「だー! なにするのだ! 左! 左! 早く!」


 美空が叫ぶ。


 対向車線へ大きく膨らんだ車は、キュロロロロ! と、タイヤを鳴らしながら戻ってくるが、今度は歩道めがけて突っ込んでいく。


 うわぁぁぁ!


「切りすぎ! 右! 右!」


 ひぃぃぃ!


 何度か蛇行して、ようやくまっすぐ走れるようになった玲司は、げっそりとして朦朧としながら前を見る。そして、うつろな目でお台場の方に林立するタワマンを見あげた。


「あちゃー! 二台行っちゃったゾ!」


 シアンが叫ぶ。


「えっ! 二台って……」


 すると、正面から二台の車がこちらに走ってくるのが見えた。


 ええっ!?


 二車線しかないのに二台やってくる、どう考えてもアウト。それも猛スピードで迫ってくる。もう回避の余地もない。


 くわぁぁぁ!


 絶体絶命である。どう考えても殺される。玲司は頭を抱え、ただ、その運命を呪った。


 一体どこで道を誤ってしまったのだろう。もう玲司の中では走馬灯が回り始めてしまう。


「ハンドル貸すのだ!」


 美空がそう叫んで助手席からハンドルをガシッとつかんだ。


 えっ?


 玲司が唖然としていると、美空は右にハンドルを切って右車線ぎりぎりを走ると、


「アクセル全開の用意をするのだ!」


「そ、そんな、ぶつかっちゃうよ」


「いいから用意!」


 美空はそう叫びながらジッと前方をにらんだ。


 並んで突っ込んでくる暴走車はさらに速度を上げてくる。


「GO!」


 美空はそう叫ぶと、一気にハンドルを左に切った。














17. 90式艦対艦誘導弾


「くぅ! 任せたよ! 信じたからね!」


 玲司は目をギュッとつぶって言われた通りアクセルペダルを思いっきり踏みこんだ。


 グォォォォン!


 吹け上がるV8エンジン。


 一気に迫ってくる歩道。


 ひぃぃぃ!


 そして、一気に右にハンドルを切る美空。


 キュロロロロ!


 タイヤが鳴き、車体が傾く。


 直後、左タイヤが歩道に乗り上げ、歩道の段差のスロープに猛スピードで突っ込む。


 ガン!


 バンパーの下のスポイラーがスロープに当たり、砕け、そして、車は宙に舞った――――。


 破片が陽の光を浴びながらキラキラと舞い散る中、車はまるで飛行機の曲芸飛行、バレルロールのように優雅にくるりと一回転しながら空を飛んだ。


 玲司はまるでスローモーションのように景色が回っていくのを見ていた。ビルの景色が回り込み、頭上に車道が見え、そこを二台の車がシュン! と通過していく。


 それはジェットコースターに乗っているような、まるで現実感を伴わない映像で、ただただ玲司は圧倒され言葉を失っていた。


 バン! キュキュキュキュ――――!


 着地した車はタイヤを鳴らしながら暴れたが、美空は冷静にハンドル操作をして態勢を整え、


「へへーん、こんなもんよ!」


 と、ドヤ顔で玲司を見てサムアップした。


「美空! すごいゾ!」


 シアンは嬉しそうに笑う。


 しかし、玲司は困惑していた。確かに絶体絶命の危機は去った。しかし、今のはいったい何だったのだろう? ただのJKが助手席からハンドル操作して宙を舞う、そんなことある訳ないのだ。


 もしかして……、夢?


「どうしたのだ?」


「これ……、夢……だよね?」


 玲司はうつろな目で美空を見る。


 すると、美空は呆れた顔をして、玲司のほほをつねった。


 いてててて!


「どう? 夢だった? クフフフ」


「痛いの止めてよ……。夢じゃなかったら、今の一体なんだったの?」


「え? 歩道のスロープ使って飛んだのだ。見てたでしょ?」


 美空はさも当たり前かのように言う。


「いやいやいやいや! そんなことできる訳ないじゃん。車運転したことあるの?」


「あたしはJK、運転なんて初めてなのだ。フハハハ」


 屈託のない笑顔で笑う美空。


 玲司は渋い顔で首を振った。



    ◇



 時は数分ほどさかのぼる――――。


 澄み通った青空の下、波も穏やかな横須賀沖にミサイル護衛艦『まや』は停泊し、全長百七十メートルにも達するその威容を誇っていた。青空にまっすぐに伸びる艦橋には六角形のフェイズドアレイレーダーがにらみを利かせ、最新鋭のイージス艦として日本の空を守っている。

 その『まや』の艦橋で砲雷長はデータのチェックを行っていた。次の任務へ向けて砲術長などから上がってくるデータを精査し、艦の武装を万全のものとするのが砲雷長の務めだった。


 ヴィーン! ヴィーン!


 いきなり全艦にけたたましく鳴り響く警報。砲雷長は耳を疑った。それはミサイルが発射される時に鳴る警報なのだ。


 今日は日曜で出港準備に出てきているのは自分くらいだったが、艦橋のモニタが次々と明るく点灯し、ミサイル発射準備が勝手に次々と進んでいく。


「バカな! 一体何だこれは!?」


 砲雷長は真っ青になった。勝手にミサイルが発射される。それは絶対にあってはならない事だった。

 考えられるとしたら誰かが艦のシステムに何かを仕込んだか、外部からハックされたか……。


 砲雷長は少し悩んだが、よく考えたら安全装置を外さない限りミサイルは撃てない。電子的な処理だけでミサイルが発射されることなどないのだ。


 急いでミサイル管理のモニタへ走り、画面をのぞき込む。


 すると、『unlocked』が点滅している。なんと安全装置はすでに解除されていた。


「だ、誰だ――――!」


 砲雷長は窓からミサイルサイトを見下ろす。すると、紺色の作業服を着た隊員がミサイルサイトのわきで次々と安全装置を解除しているではないか。唖然とする砲雷長。すると、


「百目鬼様! バンザーイ!」


 隊員はそう叫びながら海へと飛び込んでしまった。


「イカン! システムシャットダウン!」


 砲雷長は壁のシャットダウンボタンの透明のカバーを叩き割ると、真っ赤なボタンをガチリと押した。これでシステムの電源は落ち、ミサイルは飛ばないはずだった。が、電源は落ちず、画面はただひたすらに発射プロセスを刻んでいる。


「な、なぜだ――――!」


 砲雷長は画面を操作しようとするが一切の入力が効かなかった。


 直後、


 ガン! ブシー!


 爆発音に続いて、鮮烈な炎を上げながら白煙を残し、ミサイルは東京湾の青空へと吸い込まれていく。


 重さ六百六十キロの巨大なミサイル、それは敵の軍艦を一撃で撃沈させる恐ろしい兵器だった。それが今、音速で東京へ向かってカッ飛んでいる。


 砲雷長は呆然としながら、小さくなっていくミサイルの姿をうつろな目で追っていた。


 ミサイルが奪われて勝手に発射された、それは自衛隊創設以来、初めての大不祥事であり、砲雷長はガックリと床に崩れ落ちた。










18. 着弾まで十秒!


「あ……」


 シアンがまた嫌な声を出す。


「今度は何? お台場まだなの?」


 またどうせ嫌なニュースに違いない。玲司は投げやりに言った。


「90式艦対艦誘導弾が横須賀から飛来中だゾ」


「ん? 何それ?」


「重さ六百六十キロのミサイルが音速でやってくるゾ」


「ミ、ミサイル!? どこに?」


「うーん、車には当てらんないからねぇ。この先の橋かな?」


 シアンは人差し指をあごに当てて首をかしげる。


「橋を吹き飛ばすってこと? じゃあUターンしないと!」


「後ろには乗っ取られた車たくさんいるゾ」


 ひぇっ!


 玲司は頭を抱えた。前はミサイル、後ろは暴走車、詰みである。世界征服できる連中を相手にするというのはこういうことなのだ。玲司はどうしたらいいのかさっぱり分からず、ただ、流れる景色をぼーっと見ていた。


「玲司! アクセル全開なのだ!」


 そんな腑抜(ふぬ)けた玲司にいら立ちを隠さず、美空が叫んだ。


「えっ!? ミサイルが橋落とすんだよ!?」


「当たらなければどうということはないのだ!」


 何の根拠があるのか分からないが、美空は断言する。


「橋が落ちちゃったら僕らおしまいだよ?」


「なら落ちる前に通過なのだ! アクセル!」


 美空は玲司の右の太ももを力いっぱいパンパンと叩いた。


 あぁ、もぅ……。


 玲司は大きく息をつくと泣きそうな顔でアクセルを踏み込んだ。


 グォォォォン!


 V8サウンドが街に響き渡り、サーキットのレースカーレベルの異次元の速さに達していく。


「着弾まで十秒! 九、八、七……」


 シアンが秒読みを始める。


 見えてきた橋。橋は中央部が盛り上がっていて、向こう側は見えない。


 咆哮(ほうこう)を上げるエンジン。ぐんぐん上がるスピードメーター。


 玲司は涙目で、


「もう、どうにでもなーれ!」


 と、つぶやいた。


 橋にさしかかった時、フロントガラスの向こう、右上の空に陽の光を受けてキラリと煌めく飛翔体が見えた。


 音速で突っ込んでくるミサイル。時速三百キロで駆け抜ける玲司たち。引くことのできない死のチキンレース。


 橋の真ん中すぎの下り坂で車体は浮き上がり、宙を舞う。


 ブォォォォン!


 激しくタイヤが空転し、タコメーターがギューンと振り切れる。


 直後、激しい閃光が天地を包み、衝撃波が車を直撃した。


 ズン!


「キャ――――!」「うはぁ!」


 ななめ後方からの衝撃波をまともに食らった車はバランスを崩し、超高速のままグルグルと縦に回転ながら地面に叩きつけられ、床に落ちた消しゴムみたいに雑にごろごろと転がった。


 パン!


 エアバッグが一斉に車内のあちこちで開き、玲司は白いバッグに包まれたまま激しい衝撃に耐えていた。


 派手にエアロパーツをまき散らしながら、火花を立てながらゴロゴロと転がり、最後は電柱に激突し、逆さまの状態で止まる。そして、プシュー! とラジエターから蒸気を噴き上げた。


「きゃははは! セーフ!」


 シアンは楽しそうに笑った。


 激しい衝撃を受け続けた玲司は朦朧(もうろう)として動けない。


 ケホッケホッ!


 隣で美空が咳をしながら、天井に転がってしまった眼鏡を拾った。


「れ、玲司……。生きてるのだ?」


 シートベルトを外して天井に降りながら聞く。


「何とか……」


 宙づりの玲司もシートベルトを外して天井に降りる。そして、ノソノソと割れた窓からはい出した。


 ふぁぁ……。


 調子の悪い玲司はゆっくりと伸びをする。脳震盪(のうしんとう)かもしれない。


 遠く橋の方では煙が上がり騒然となっていた。いきなり大爆発が起こって橋が落ちたのだ。それは驚くだろう。


 すると、シアンが額に手を当てて言った。


「ダメだ! ドローンが奪われたゾ」


「え? ということは……」


「もうじきやってくるゾ。きゃははは!」


 シアンの嬉しそうな笑い声に玲司はムッとして口を尖らせた。


「で、どこに逃げたらいい?」


「うーん、逃げてるだけじゃ負けだからなぁ……」


 シアンは小首をかしげ、考え込む。


 すると、美空がニヤッと笑って言った。


「下水道なのだ!」


「げ、下水道!? 臭そう……」


「何言ってんのだ! こういう時は下水道って昔から決まっているのだ!」


 美空は腰に手を当ててドヤ顔で言う。


「えーと、その先の運河に暗渠(あんきょ)があるね。これでデータセンターに近づくって手はあるゾ」


「ほらほら! 急ぐのだ!」


 美空は嬉しそうに玲司の手を取るとタッタッタと走り出す。


「えぇ? ちょっと、ホントに?」


 玲司は美空がなぜそんなに嬉しいのかよく分からず、渋い顔のまま引かれて行った。


















19. 魅惑的な禁断の芸術


「おぉ、あれなのだ!」


 柵を超え、運河の護岸の上から身を乗り出して美空が叫ぶ。確かにそこにはぽっかりと人の背丈ほどの穴が開いており、チョロチョロと水が落ちている。


「敵機接近だゾ!」


 シアンが空を指さす方向を見上げると、青空の向こうに何か小さな黒い点が動いている。


「あのドローンには三キロの爆弾が搭載されているから、近くで爆発したら死ぬゾ」


「マジかよぉ!」


 焦った玲司は急いでひょいひょいと護岸を降りていき、器用な身のこなしでバチャン! と暗渠(あんきょ)の水たまりに着地した。


 続いて美空が降りてくる。


「上見ちゃダメなのだ!」


 え?


 つい上を見てしまう玲司。


 ワンピースが風で煽られてふんわりと広がる。


 スラリとした白い肢体からふくよかに流れるライン、それは禁断の芸術だった。


 お、おぉ……。


 日ごろ女の子と縁のない玲司にとって、目の前に展開される神々しい世界は刺激が強すぎる。思わず鼻血が出そうになって額を押さえた。


 バチャン! と、降り立った美空が座った目で玲司をにらむ。


「見ーたーわーねー」


「い、いやっ! な、なんも見とらんですハイ!」


 目を合わせられない玲司。


天誅(てんちゅう)!」


 バチーン!


 この日二度目のビンタが玲司を襲った。


 あひぃ!


 パチーン! パチーン! と暗渠の中にこだまが響く


 悪意があったわけじゃないのに、叩かれてしまう玲司は理不尽さにうなだれる。でも、見た目の幼さとは裏腹な魅惑的なラインに目が釘付けになってしまった以上、それは仕方ないかもしれない。


「じゃれてないで、急がないと突っ込んでくるゾ」


 シアンは逆さまになってふわふわと浮かびながら、つまらなそうに忠告する。


「ふんっ!」


 美空は不機嫌そうにバチャバチャと水を跳ね上げながら奥へと歩き始めた。


「あぁ、待って!」


 玲司は後を追う。


 下水道とはいえ、雨が多量に降らなければただの雨水(とい)なので、臭いも思ったほどひどくはない。


 二人はしばし無言で奥へと進んだ。


 どこまでも続く暗く狭い暗渠、何百メートルか進んだだろうか、さすがに心細くなってくる。


「ねぇ、これ、どこまで行くの?」


 狭い暗渠にボワンボワンと声が反響する。


「さぁ?」


 美空はご機嫌斜めである。


「もっと優しくしてやってあげて。ご主人様は美空が大好きなんだゾ」


 シアンはいたずらっ子の笑みを浮かべて美空に言った。


 ブフッ!


 思わず吹き出してしまう玲司。


 美空はくるっと振り返り、まるで汚らわしいものを見るかのような目で玲司を見る。


「なんなのだ? あたしに()れたの?」


「いや、その……。シアン! ふざけるの止めてよ!」


 玲司は真っ赤になってシアンに怒る。


「だって、あの目は惚れてる目だったゾ」


 シアンは嬉しそうにくるっと回る。


「あの目っていつの話だよ!」


 シアンに対して怒っていると、美空はずいっと玲司の顔をのぞき込む。その透き通るような肌に整った目鼻立ち。まだ幼さが残っているが、ジュニアアイドルとしても十分通用するであろう美貌は、目を放せない魅力を放っている。


「あたしに彼女になってほしいのだ?」


 美空は小首をかしげ、ぱっちりとした目をキラリと光らせて聞いた。


「えっ!? か、彼女……?」


 玲司はいきなり核心を突かれてドギマギしてしまう。彼女なんていたことない、女っ気のない玲司にとって、こんな可愛い頼もしい彼女がいたらそれは夢のような話である。


 とはいえ、今日会ったばかりの娘にいきなり告白だなんて、さすがにやりすぎではないだろうか? きっと美空なら今まで多くの男たちに言い寄られているはずだ。今自分が立候補したって、笑われてからかわれて終わるだけな気もする。


 しかし、これはチャンスなのかもしれない。言うか? 言ってしまうか? バクンバクンと心臓が高鳴る。


 玲司は奥歯をギュッとかみしめ、大きく息を吸った。


 と、その時、美空は腕を×にして、つまらなそうな顔で、


「ブーッ! タイムアップなのだ! 即答できない男はアウト!」


 そう言うと、くるっと振り向いてまたバチャバチャと暗渠を歩き出した。


「えっ!? 待って待って! 彼女になって!」


 玲司は急いで追いかけるが、美空はチラッと玲司を振り返ると、


「判断が遅い!」


 と、低い声で一喝する。


「え?」


 唖然とする玲司。


「ご主人様、幸運の女神には前髪しかないんだゾ!」


 肩をすくめ、あきれるシアン。


「そ、そんなぁ……」


 ガックリと肩を落とす玲司。


 すると美空はくるっと振り向いて、


「まぁ、そのうちまたチャンスは来るかもなのだ」 


 そう言ってパチッとウインクをした。


「お、おぉ、次こそは……」


 そう言って、玲司は『自分は美空が好きで、狙っている』という設定になってしまったことに気づいた。さっきまで意識もしていなかったのに。


 玲司は今日、全ての人生の歯車が轟音を上げながら回りだしたのを感じていた。



       ◇



 一行はさらに奥へと進む。


「結局これはどこまで行くの?」


 玲司はシアンに聞いた。


「行けるまで行った方がいいね、データセンターには近づいているゾ。ふぁーあ」


 シアンはあくびをしながらフワフワと浮いてついてくる。


 さらに進むと、暗渠は終わり、丸い下水道管が口を開けている。ちょっと人が入るには厳しい感じだった。


「ここまで、かな?」


「仕方ないのだ。玲司は外見てきて」


 そう言って上を指した。


 上には穴が開いていて手すりが付いている。マンホールに繋がっているようだ。


「ほいきた!」


 玲司はヒョイっと手すりに飛びつくと登っていく。美空にいいところを見せねばならない。


 一番上まで登るとマンホールを押し上げる。


 ぬおぉぉぉ!


 重い鋼鉄のマンホールはギギギッと音を上げながら持ち上がり、ガコッと外れた。まぶしい陽の光が中に差し込んでくる。


 よいしょっと!


 マンホールをずらし、まぶしさに耐えながらそっと顔を出す。


 目の前には巨大なガラス張りのオフィスビル。どうやらビルの敷地内のようだ。


 日曜ということもあって人影は見えない。


「おーい、大丈夫そうだ」


 そう言うと、美空を引き上げる。


 そして、シアンに言われた通り、ビルの通用口に走った。


「はい、Suica出して」


 はぁ?


 シアンがいきなり訳わからないことを言うので戸惑う。


「持ってるでしょ? 交通系ICカード。それをここに当てて」


 シアンは通用口のわきの電子錠を指す。


「そりゃぁ持ってるよ? ほら」


 玲司は財布からSuicaを取り出すと電子錠にかざす。


 ブブ――――!


「ダメじゃん!」


「焦らない、焦らない……。ご主人様のカード番号を読んだだけだからね。それに管理者権限を付与すると……。はいどうぞ」


 ニコッと笑うシアン。


「え? もう一回ってこと?」


 半信半疑で再度かざすと、ピピッという音がしてロックが外れた。











20. 栄光の中華鍋


「い、いいのかな? 入っちゃって」


 玲司は恐る恐るドアノブを回し、中へと進んだ。


「このビル使えば生存確率は63%にまで上がるゾ」


「そ、そうなの? ここで何するの?」


「ここからデータセンターまでは四百メートル。ドローンを奪って爆撃するゾ! おーっ!」


 シアンは右こぶしを突き上げて嬉しそうに笑った。


「お、いよいよクライマックスなのだ! いえーぃ!」


 美空も真似して右のこぶしを突き上げる。


「それは、凄いけど、どうやって奪うの? 今飛んでるドローンって爆弾積んだ小型飛行機でしょ?」


「あれを使うのさ!」


 シアンはニヤッと笑ってビルの中華料理店を指さした。


「中華……料理?」


 玲司は首を(かし)げた。


 人気(ひとけ)のないビル内で電気を落として閉店している中華料理店。なぜ中華でドローンを奪えるのか全く理解できなかったが、玲司は言われるままに店の裏手へと回った。


 そしてSuicaで勝手口を開けて厨房まで行くと、シアンは、


「コレコレ! これをもって上に上がるゾ」


 と言って、デカい中華鍋を指さした。


「これでドローンを奪うの?」


 玲司は半信半疑で持ち上げてみるが、業務用の中華鍋はずっしりとでかく、思わずふらついた。



       ◇



 上層階のどこかの会社のオフィスに侵入した二人は、全面ガラス張りの会議室に陣取った。


「ガムテープ出して、中華鍋の中央部にピンと張って」


 シアンは中華鍋の縁を指さしながら指示する。


 玲司は窓ガラスを割る時に使ったガムテープを出すと、ビビビッと貼ってみた。


「上手、上手。そしたらスマホを真ん中にペタリと付けて」


「え? 俺のスマホ?」


 渋る玲司を見て、美空は、


「判断が遅い! 言われた通りにするのだ!」


 と言いながら玲司の手からスマホをひったくると、ガムテープに貼り付けた。ちょうど中華鍋の真ん中の空中に浮かんだような状態になる。


「上手い上手い。そしたら、鍋をドローンへ向けて」


 そう言ってシアンは遠くから旋回してくる飛行機型ドローンを指さした。


「え? 何? これでドローン奪えるの?」


「そうそう、中華鍋はパラボラアンテナだゾ」


 つまり、スマホから出たWiFi電波をパラボラアンテナで集めてドローンに集中させるということらしい。こうすると地上からの命令をハックして意のままに操れるようになるのだ。


 玲司は重たい中華鍋をお腹に抱えてドローンを狙う。


「ダメダメ、もっと下なのだ!」


 美空が玲司の後ろから見ながら照準を担当する。


「こ、こうかな?」


「ダメ! 行き過ぎ!」


 シアンは逆さまになって浮かび、神妙な顔で目をつぶりながらじっと何かに集中する。


「上手くいってくれよ、命かかってるんだからな」


 玲司はドローンの動きに合わせて中華鍋を動かしながら必死に祈った。


「ビンゴ!」


 シアンはそう叫ぶと嬉しそうにくるりと回る。


 ドローンは急旋回し、向こうのビルの方へと急降下していく。


「え? 奪えたの?」


 玲司がシアンの方を向くと、


「コラコラ! 照準がずれたのだ!」


 と、美空が怒った。


「バッチリ! これでデータセンターを爆撃だゾ! きゃははは!」


 シアンは右こぶしを突き上げ、シャラーン! という効果音と共に黄金の光の微粒をまき散らすエフェクトをかけた。会議室はキラキラとした光に包まれる。


「やったぁ! 勝利! 勝利! 栄光はわが手に!!」


 有頂天になる玲司。


 直後、向こうのビルに閃光が走り、黒煙を吹き上げ、ズン! という衝撃波が届いた。


「イエス! イエ――――ス!」


 玲司は中華鍋を高々と掲げ、絶叫した。


 ずっと命を狙われ続けてきた玲司にとって、攻撃がヒットしたことは人生を取り戻すことであり、喜びを爆発させる。


 しかし、そんな浮かれた玲司に、シアンは冷たい声をかける。


「まだ早いゾ!」


 えっ?


「まだサーバー本体まで届いてない。もう一発必要だゾ」


「くぅ、まだかよ……」


 へなへなと床に座り込む玲司。一回盛り上がってしまった後の肩透かしは辛い。


「はい、はい! 次行くのだ!」


 美空は、そんな玲司を早く立ち直らせようと背中をパンパンと叩く。


 玲司は何度か大きく深呼吸をして、立ち上がると言った。


「わかったよ。次はどこ?」


「あのビルの右側の奴行くゾ」


「オッケー! よいしょっと!」


 玲司はシアンの指先に向けて中華鍋を合わせた。





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