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スパンコール/レガシー  作者: AzV
Ch.1 The Lights in the Earth Are Enemy
1/2

01

 夜になると現れる「星」は、我々の物語(いきさつ)の全てを見守っている。輝かしさの違いはあれど、天を見上げれば遥か古代から満天の喜びを世界(あれ)に齎してきた。それらは人類に初めてできた(とも)であった。

「感覚の全ては(オブジェクト)に宿る。星の全ては(アイデンティティ)に宿る」

 嘗て、()()()が愛した人の受け売りだ。


 ○


 冷たい雪原が広がる暗闇の中に、白く燃ゆる大きな星があった。それは幾つもあるものではなく、誰かに焚き付けられたわけでもなく、唯只管にその火先をたまに高く伸ばしては揺らめいでいる。それを前にして一人の女がじっと眺めているのが、ぼくの目に入った。その女は櫛でよく梳かされた様な長い髪をゆったりと左右に揺らしている。腕を組んでいて、すらっとした長身で、スーツがよく決まっている。その女はこちらを振り向き、口を開いて低い声色でこう言った、


「キミもここに辿りついたんだね。私と同じだ──」


 その意味は全く理解できなかったが、何故かそれが嬉しいような事であることは感じ取れていた気がする、多分。そんなことよりも、ぼくはその女のことが気になっていて仕方なかった。顔は全く覚えがない。しかし、何故だか初めてじゃない気がする。こんなにも印象深いことであるのに、そのことがとても悔やまれる。ただその女には恐怖を感じた。

 女は組んだ腕を解いて、


「これは元々こんな大きさじゃなかった。誰かが継ぎ足し、薪とは比べ物にならないものを焚べてこんなに大きくなった。触っても熱くない。触れたところは熱傷しない。……()()()()という方が正しいのかもしれない。この概念的なものがなんであるか、私は分からない。その正体をキミは知っているんだろう? けれどキミは教えてくれそうにないから、何れまた出会った時に力ずくで聞こうかな」


 女が少し広角を上げたかのように感じた。そしてざくざくと雪を踏む音と共に、しんしんと降り落ちる雪と灯りのない暗闇の中へと消えていった。

 後ろ姿が薄れていって見えなくなって幾何かしてその星へと近づいてみると、それはほんの少しだけ熱を放っていた。手で触るとほんのり温かい。凍瘡している耳に当ててみると、地鳴りのような細かく鈍い音がずっと聞こえていた。なんだかそれは震えている子供のような感じにも取れた気がして、腕を伸ばしてゆっくりと抱擁をしてあげた。その温かさに眠気を誘われて、重たくなった目蓋をゆっくりと閉じる。徐々に意識が引いていく。大切な人に心を置き去りにされたような哀しみの強い想いが流れ込んでくる。その想いが凌駕しているが、微かに漂う清福と忿懣が地鳴りを強くさせていて面白みがある。

 二つ深呼吸を置いてから、体の芯から強い限界を感じた。許し難く度し難い欠伸が畝り、呼吸を一拍抑える。肺が凍るような空気を鼻で思い切り吸い上げる。足の麓にある雪解けた石に優しく顔を当て、頬に伝う母親の子守唄のような温かさに迎え入れられ一つ、意識を()くした。


 ○


 深い夢を見ていた、そんな気がする。重たい上体を寝床から起こして一つ深呼吸をする。目蓋はまだ半開きで目玉が乾いているような感じがして、開けるのがしんどい。自分の右側にあるナイトテーブルに手を伸ばすが、掌にはこれといって何の手応えもない。腕を大きく揺らすがテーブルランプの引き紐の硬い尾の部分が当たった感覚くらいだ。


「あれ、老眼鏡落っことしたかな……」

「……どうしたんですか?」

 正面にある扉のギギギ……と開く音と共に落ち着きのある柔らかな声が疑問を投げかけてくる。


「老眼鏡を落としたみたいなんだ」

 ぼくは、多分ここらへんにあると思う、と言いながら直ぐ下の床を指差す。

「あの、失礼かもしれないんですが、総一狼(そういちろう)くんはそもそも眼鏡はお持ちではないかと」

「あれそうだっけ。なんで老眼鏡があるだなんて感じたんだろう……、まあいいや。とりあえずおはよう、土師(はじ)さん」

「おはようございます、総一狼くん」

 ゆっくりと目蓋を開くと華奢な体躯の女の人がぼくに会釈をして、朝が早いのに眠い顔一つせず少し口角を上げる。首を傾けた拍子に黒いセミロングが右に揺れた。ほんのりと料理の良い香りがする。姿勢を正して冷たい空気を肺に一杯吸い入れる。


「朝食にしましょうか。今朝は良い赤魚が手に入ったので煮付けにしてみました」

「うん、支度してから行くよ」

「わかりました。冷めないうちに召し上がってくださいね」

 土師さんが軽く会釈してから踵を返して部屋を後にする。


 ぼくは毛布から脚を出してベッドから寝起きの凝り固まった腰を上げて立つ。その瞬間、左胸に強烈な痛みを感じてすぐさま状態を元に戻した。いつものやつだ。時折心臓が痛むが、この歳になって検査が怖くて病院にすら行けてない。肋間神経痛か……とネットで調べた情報で自身を誤魔化しているが、そろそろ冗談じゃなくなるくらいの頻度で胸痛が起きていて不安になってくる。手を当てていた左胸をなんの意味も無く目で確認してみた。

「これは……本格的に病院になんて行けそうにないな」


 ○


 暫くしてから自室を出た。大きな窓ガラスが貼られた重たい色合いの廊下をまっすぐ進み、狭い階段を降りると和室へと続く廊下が白い靄がかかっていた。奥を進むと引き戸がある。朗らかな光が射す白い洗面所で顔を洗い、歯を磨く。鏡を見て、自分の寝起きの解けた顔が思いのほかにだらしがないと感じたので、もう一度冷水を浴びせる。

 先程の廊下に出て左を曲がる。玄関の正面にある障子をすうっと開けて、和室に入る。これで漸く朝食にありつける。畳の上に敷かれた漣柄に藍染めされた座布団に腰を降ろして胡座をかく。目の前の木目調の座卓に置かれた蠅帳を退かすと、すっかり冷めた煮付けの和食料理が目下に並ぶ。


「冷めちゃいましたね。温め直しますか?」

 土師さんが湯気の立った白飯が装われた茶碗を目の前に置いてくれる。

「いやいいよ。時間ないし」

「全くもう……お部屋で何してたんですか?」

 ため息混じりの声がすぐ横で聞こえる。

「ごめん。今朝は一段と寝ぼけてて、聢りと目覚めるのに時間が掛かっただけだよ」

 ぼくは右手で目を擦ってやって、恰もそのように見せる。

 本当は全くもって眠気なんて感じていなかった。暫く動揺で自室を出ていけなかった。不思議で堪らなかったからだ。朝、体を起こしてから感じる疼痛の箇所を押さえていた。自分の手を退けて左胸を覗いて見た時に、心臓があるであろう箇所が僅かに光り続けていた。インナーとシャツを介しても薄らと見えるこれをどう隠してやり過ごそうか悩んだ末に、ナイトテーブルの引き出しにある医療箱にあった包帯を二重、三重と巻いてやるとどうにか目立たなくはなった。一人でやるとかなり時間が掛かるものだったが、付け焼き刃としては名案だと思う。

 ぼくは初めて彼女に嘘を吐いた。お世話になってる人に対して多少の罪悪感があるが、()()に相談できるものではないと思う。

『自分のことは自分で解決できるようになりたい』

 未成年ながらの意地かもしれないけど、変な心配もしてほしくない。今後のことと、バレた時の言い訳は授業中にでも考えておこう。


 土師さんがぼくの向かいに腰を下ろす。

「私はこれから家事を済ましてから、午後は友人と食事の約束があるので夕食は冷蔵庫の上段に置いておきますので温めて食べてくださいね」

「うん、ありがとう。明日は学校が休みだから一緒にご飯食べよう」

「私、よくよく考えたら総一狼くんの好きな献立知りませんので、一緒にお買い物も行って教えてくださいね」

 彼女はふふふ、と朗らかに微笑みながら、軽く握った手を口許に当てる。

灯百合(ひゆり)お嬢様は怖いので、総一狼くんが職場(ここ)では私の癒しですよ〜」

「姉貴は僕以上に寡黙で何考えてるか分からないし、トゲのある事をよく言うから土師さんには同情するよ。姉貴はもう家を出たんだろう?」

「はい。風紀委員の委員長ですから朝の活動で、早くから校門前で学生さんの服装チェックをやってますよ」

 ぼくは少しため息を吐く。

「やだな。結構苦手なんだ、姉貴の事」

「まあまあ、そう言わないであげてください。姉弟(きょうだい)なんですから」

 ぼくはそれにうんともすんとも返さず視線を下へ流す。

 右手で麓に置かれた箸を持ち上げて食事を始める。熱い茶碗を左手で掴む。かちゃり、と金属と陶磁器が軽く打つかった音がなる。

 ぼくには肘から下の左腕が無い。金属を露出した筋電義手を使用している。生まれつき無かったわけじゃない。幼い頃、綾取りをした思い出が残っている。ただ、失った時の原因や経緯の記憶が丸ごと抜け落ちている。義手に不満を持つと両親はいつも()()と言う。そう聞かされたから、ぼくもそう納得している。

 断片的に記憶が欠損していても。

 断片的に身体が欠損していても。


「新しい筋電義手のほうはどうですか?」

 土師さんが、ぼくの濁った光に照った義手を見ながら言う。

 ぼくはその義手を見ながら、

「大分快適だよ。肌の色じゃないから義手なのはすぐに分かっちゃうけど、格好良いからいいや」

「なんていうか、メタリックでロボットみたいなので、どかん、とロケットパンチできそうですね。私、そういうの好きですよ」

 土師さんは和かな顔をしながら、作った拳を前に突き出して嘗て流行ったアニメの技名を柔っこい声で叫ぶ。ぼくはそれを見ながら装われた白飯と、煮付けを交互に頬張る。生姜が入っているので辛く感じる。

 幾許かして、かちゃりと音を鳴らしながら味噌汁を飲み干し、青い小鉢に入った法蓮草のお浸しを平らげて冷めた朝食を終えた。

ぼくは自室へと戻り、通学用の鞄の中身を確認してから持ち出して玄関へと向かう。スマートフォンで時間を確認する。丁度八時を回った頃だ。式台を踏み、学校指定の革靴を履いて三和土に爪先をとんとん、と叩く。廊下から土師さんが現れ、

「いってらっしゃい」

と声をかけてくれたので、ぼくは直様、

「いってきます」

と返して玄関の扉を開けて家を後にした。

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