婚約解消した令嬢は結婚相手に普通の人を希望します。普通の人って難しいですか?
リリノア・ミックフライはファミレスト王国の最南端にあるミックフライ領を治める辺境伯の3人兄妹の末娘である。先代である祖父の時代は隣国コビエス王国といざこざがあったものの、父であるマレアスに世代交代してからは平穏な環境が続いており、2人の兄もリリノアも伸び伸びと自然豊かな環境で育ってきていた。
マイペースで自己主張がそこまで強くないリリノアには10歳の時、北側に隣接する領地を収めているドリンコバー侯爵領の嫡男である3歳年上のルカッシュ・ドリンコバーと婚約を結んだ。父同士も仲が良く、年頃が似ていたため結ばれた縁談であった。ルカッシュは次兄のフライエと同い年で小さい頃は良くお互いの領地を行き来し、後をついて走り回っていたが、3歳も年下でマイペースなリリノアはいつも置いて行かれてばかりであまり楽しかった覚えが無い。兄はリリノアを気にするが、それも最初の方だけで夢中になればすぐに忘れ去られる。だから、どちらかと言うと、ルカッシュの5歳下の弟であるジンジエールとお人形遊びをしている方が楽しかった。それも、彼が7歳になる頃には相手をして貰えなくなっていたが。
そんなこんなで、10歳の時に結ばれた婚約はそれほど嬉しくは無かったが、まぁ決まったものは仕方ないとリリノアは割り切っていた。
あれから7年。17歳のリリノアは王都にある女学校の最終学年に上がる長期休暇中に、領地へ戻って来ていた。一年後、リリノアが卒業を終えて暫くしたらルカッシュと結婚式の予定もある。これから、その準備に忙しくもなるだろう。ルカッシュは後々、侯爵の跡を継ぎ領地運営を学ぶ予定ではあるが、今は王都で文官として働いている。できれば30歳くらいまでは王都でそのまま働いて、後を継ぎたいと定期的に行われる交流の中でリリノアに語っていた。リリノアが自由に過ごせるのもあと一年である。
領地で思う存分羽を伸ばしていたリリノアの元にルカッシュとドリンコバー侯爵が急に連れ立って訪れて来たのは突然だった。急な訪問にリリノアも父マレアスも嫌な予感がしていた。サロンに通して早々頭を下げられ、最近ルカッシュの調子が少し悪いとの理由で婚約の解消をして欲しいと、申し入れてきた。もちろん、体調不良の理由で納得できるはずもなく、父は理由を何度も確認するが通り一遍な返答ばかり。これでは埒があかないという事で、一週間考える時間を貰いその場は解散となった。
そこから、父は情報収集を家令に命じた。王都の社交界である噂を調査したり、侯爵領偵察を向けたり。そこで、少しずつ理由がわかってきた。確かに少しルカッシュの調子が悪い様であるが、それよりも大きな理由があった。商会を運営している金持ちの男爵令嬢と恋仲らしいという情報が入って来たのだ。とある伯爵家の夜会で出会い、擦り寄って来た男爵令嬢に骨抜きにされているらしい。そして、その相手が好きなあまり婚約を破棄したいと酔った勢いで、時々漏らしている様であった。しかも、リリノアの悪口も添えて。見た目が好みでないとか、動作の一つ一つがゆっくりで見ていてイライラするなどそこまで理由らしい理由でもないレベルでの愚痴だったらしい。リリノアは父と同じ栗色の髪に、母と同じ緑色の瞳だ。美人というより可愛い顔立ちで、幾分か幼く見える。どうやら、そこがルカッシュの好みではない様であった。その理由を聞いて、リリノアはこの人と結婚したいとは思えなくなっていた。その事を父に伝えると、嘘をつかれた挙句可愛い娘の悪口まで聞いたためか、あっさりとリリノアの意見に賛同してくれた。そして、それから一週間後多めの慰謝料を払ってもらい、リリノアに傷がつかない様にと婚約解消となった。
そして、リリノアはもう少しゆっくりと領地で過ごす予定であったが、新しい婚約者を探す目的に早めに王都に戻ってきた。王都で近衛騎士として働く次兄にエスコートしてもらい夜会に参加するも目星しい相手は見つからない。それなりに好条件の男性はやはり婚約者が居る。残っていても、女性関係が激しかったり少々素行に問題のある方だったりと、リリノアにはどうしようもなかった。
もちろん、領地で父も長兄ソテイも探してくれているもののそちらも芳しくない。
「別に普通で良いのに、普通の人が残っていないのね」
「普通が一番難しいのよ?」
リリノアの隣で美味しそうにケーキを食べているのは、友人のキャロル・パルフェ伯爵令嬢である。女学校のクラスメートで趣味は読書。あまり、自己主張が強くない所が似ているのか、付き合いやすい友人である。
「キャロは婚約者と仲が良いから羨ましいわ」
「この間ね、当たるって有名な占い師に占ってもらったの。そしたら、やっぱり私たち相性はいいみたい。子供も3人産まれて、幸せに暮らせるそうよ?」
「え!あの、3人から紹介して貰わないと見て貰えない占い師に占ってもらえたの?」
キャロルは嬉しそうに話した内容で、リリノアは驚きのあまり持っていたフォークを落としそうになる。カランとお皿に当たり、すぐに握り直して落ちはしなかったが。
「そうなの!ミゲルの知り合いにいて、予約が取れたの」
ミゲルとはキャロルの婚約者をでスープバーノン侯爵家の次男。今は王立病院で医師として働いている。2人は羨ましいほど仲が良い。
そして、今話題になっているのはここ最近当たると有名な占い師の話である。占って貰った者の紹介が3名無ければ予約もできず、予約できる事自体が幸運とされる占い師だ。しかもその紹介者3名の中の1人は公爵家以上の家柄で無いといけないらしい。占ってもらう側の身元もきちんと明かさねばならずそれなりの金額が必要だ。占い師は正体自体が不明で、手相と姓名で占ってくれる。
「リリも運命の人を占って貰いなさいよ」
「運命の人も良いけれど、普通の人で良いの。占ってもらえるなら、占って欲しいわ・・・」
リリノアも占いには興味があった。どんな風に占ってもらえるのか。しかもよく当たると評判である。しかしリリノアには占って貰えた知り合いは目の前に居るキャロルしか居ない。あと2人推薦が必要なのだ。しかも1人は公爵家以上の上位貴族でなければならず、当てさえ無い。
「ミゲルも居るし、あと1人も心当たりがあるの!予約取れたら取っても良いかしら?」
「え?本当?」
渡りに船だ。まさか、そこまでキャロルの婚約者の伝があるとは・・・。
「うん。日時指定はできないし、予約が取れるかもわからないけれどね」
「もう、それでもお願いしたいわ」
「期待せずにね」
それから、三日後にキャロルから連絡が入り、無事に予約が取れたらしい。二週間後に指定された場所に行けば良いと言われた。
それから、あっという間に二週間が過ぎた。その間、少しずつ何故かリリノアが婚約破棄されてルカッシュに捨てられたという噂が囁かれ始めた。リリノアの耳にもその噂が届いて来た事を思えば、だいぶ噂も広がってきているのだろう。夜会に行けば陰で笑われたり、興味本位で近寄ってくる者もそれなりに居た。丁寧に説明して、婚約解消を伝えるも噂を消す事はできていない。少しずつ、疲弊して来た今日、念願の占いの日である。
元気を出して占って貰おうと、予定より少し早めに指定場所に着いてしまった。馬車で時間になるまで待機して、時間ぴったしに入口のノッカーを叩く。出て来たのは男性で中へそのまま案内されるが、内部は暗い。令嬢が一人で訪れるのも危ないとの事で、前もって一人だけ同伴を許されている。リリノアは執事長にお願いして着いて貰って来た。何も無いとは思うが、正体不明の相手のため男性の方がいいだろうと言う、兄の勧めだ。
案内された場所には小さな部屋で薄暗い。カウンターテーブルに椅子が二つ並んで置かれており、テーブルのちょうど真ん中の壁に小窓の様な部分がある。
案内してくれた男性がお座りくださいと声をかけてくれて、リリノアは恐々とそこに腰掛けた。座り心地はそれなりに良く臀部のクッションも柔らかい。
「そちらの小窓から両手を出してください」
そっと手差し出すと、反対側から人の手が伸びてきて手に触れる。占いだと言われているが、薄暗く得体の知れない空間と状況に不安は募る。
「え?」
壁の向こうから微かな声がした。男性の声の様だ。占い師が言葉を発する事はないと聞いていたのだが、違ったのだろうか。前もって見て欲しい事柄を伝えておけば、占った内容のメモを渡される、とリリノアは聞いていた。
「ジェノ」
壁の向こうから声が再びする。しかし、何を言っているのかわからず、リリノアは首を傾げた。
「少々お待ちください」
ここまで案内してくれた男性が、リノアに声をかけて部屋から退出する。触れていた手が離れるが、自分の手をどうすれば良いかわからず、そのまま小窓に突き出した状態でリリノアは待った。
しばらくして、案内の男性が戻って来たかと思うと占い師の体調が良くないとの説明を受けた。
「では、今日は占っていただけないのですか?」
「申し訳ありません。また、後日こちらからご連絡いたします」
そう言われて、リリノアは仕方なく肩を落として帰る事となった。折角、楽しみにしていたのにとても残念である。
次の日、キャロルがどうだったか聞くためにわざわざ訪ねて来てくれたが、占いについては何も話せる事は無かった。
「でも、後日連絡が来るのでしょう?」
「別の日にしてくれるのかしら?何も説明してくださらなかったの」
「まぁ、連絡を待つしかないわね」
それから早々に占いの話は終わらせて、キャロルはリリノアの最近流れている噂を怒ってくれた。
「本当に嫌になるわ。リリノアが何かしたわけでもないのに。どうやら、ドリンコバー令息と恋仲のプリメラ・ラモード男爵令嬢が噂を流しているらしいわ。彼女、元から身持ちが悪いって有名みたいなのよ。でも、ドリンコバー令息に気に入られて本気になっちゃったのね。それで、自分達を正当化するために婚約解消したあなたの噂を流して悪者にしようとしているみたい」
「これじゃあ、普通の男性とご縁が遠のくばかりだわ」
この先の事を考えるとリリノアは気分が重い。このまま1人で生きていく手段も考えなければならないかもしれない。
それから一週間後、なぜか父と母サラナと長兄ソテイが慌てて領地から王都の屋敷にやってきた。しかも、婚約希望の方がリリノアに会いたいと顔合わせに来ると言うのだ。急すぎて、リリノアは首を傾げた。そして、顔合わせになぜ長兄も必要なのか。
その日リリノアはお肌を念入りにケアされ、次の日には朝からメイクとヘアセットをされ、新しいドレスに袖を通した。
「普通の人ならいいわね」
リリノアには相手が誰なのか教えてもらえていない。訪問予定時刻の少し前にエントランスに向かい、リリノアは妄想を膨らませながら相手を出迎える準備をしていた。リリノア以外の家族は皆な落ち着きがない。リリノアはマイペースに家族の様子を観察していると、お相手がやって来たと知らせが入り、リリノアはそのまま頭を下げた。
「ご無沙汰しています、ミックフライ辺境伯。本日は急な申し入れにわざわざ領地から出てこられたと聞きました。夫人も申し訳ありません」
リリノアはまだ顔を見れていない。早く声をかけて欲しいなと思いつつ声の感じは凄く素敵だと考えていた。
「ミックフライ令嬢」
声をかけられて初めて頭を上げる。どこか見た事ある男性ではあるが、リリノアは思い出せない。年齢はリリノアと同じか少し上か、どっちだろうとまじまじ見ながら考えてしまっていた。しかも、普通より素敵な顔立ちである。漆黒の髪の毛は少し長めで、紫の瞳は神秘的だ。
「はじめまして、フレッド・ファミレストと申します」
そして、名前を聞いて驚いた。フレッド・ファミレスト・・・・・・このファミレスト王国の王族。第二王子でたしか、年齢は3歳上。そう、次兄とルカッシュと同じ20歳だった筈だ。これでも自国の王族くらいは把握しているし、次兄は貴族学院時代にクラスも同じだった様で何度か話は聞いた気もする。顔は覚えて無かったが。
「はじめまして。リリノア・ミックフライでございます」
2テンポ程遅かったが、きちんと名乗れた。
「本日は求婚しに参りました」
リリノアの手を取り、口づけを落とす。はじめての事に、リリノアは驚き戸惑う。目の前に居るフレッドは女性が苦手だともっぱらの評判だった。ダンスを女性と踊る事もなく、婚約者も作らない。かと言って女性と遊んでいるわけではなく、なるべく女性には近づかない様にしているとも聞いていた。女嫌いの第二王子。社交の場ではそう呼ばれており、ほぼ姿を見せない。リリアナの耳にも入るくらいなので、本当だと思っていたが目の前の状況からして、嘘・・・なのだろか?がっつり手を握られている。でも、嘘ならなぜこの歳まで王子なのに結婚も婚約もしてないのか・・・リリノアは不思議に思っていた。
「どうぞ、こちらにお茶を用意しています」
固まっているリリノアを見かねて、父が応接間に案内する。それぞれ腰を下ろしてまず口を開いたのは父であった。
「その、なぜうちのリリノアなのでしょうか?どこかでお見初めに?」
恐る恐る父が確認する。
「えぇ、この間ご令嬢をお見かけしまして」
「それと、最近娘の噂が流れている様なのですが、その噂については?」
「噂ですね。所詮嘘だとわかっています」
なぜ、この人は嘘だと知っているのだろう?
「ドリンコバー侯爵令息が、貴方と婚約解消してくれて心から感謝しています。貴方はきっと傷つき、悲しみに暮れたのでしょう」
婚約が無くなった事は悲しかったが、ルカッシュには何も感じてなかったので、大丈夫ですよ。とリリノアは言いたくなったが堪えた。どちらかと言うと噂の方が辛い。最近はリリノアのアッチの具合が悪く捨てられた、性格も我儘で根暗だなどのありもしない内容で、流石に困っている。まぁ、根暗は悪意ある言い回しに変えたのだろう、陽気なタイプでも無いし。
目の前に居るフレッドは嬉しそうにリリノアを見ており、そんなにこの容姿が気に入ったのかと疑問に思った。目立つ方でもないし目に止まるほどの美貌も無い。見かけして、一目惚れされるなんて自惚れも皆無だから、フレッドの言い分は怪しいと踏んでいる。なら、なんで?
今婚約者が居ないであろう、このファミレスト王国の中で一番な優良物件がなぜリリノアのところに?リリノアは普通の人で良かったのだ。普通の人で普通に仲良く、勿論時には喧嘩もするだろう、温かい普通の家族で良いのだ。
そこで、ある可能性がリリノアの中で浮上する。今、噂を鵜呑みにしてお飾り妻を務めさせようとしているのでは無いかと。結婚までは嫌々でも優しくしておいて、結婚後は蔑ろにされるのではないかと。
リリノアはそれを望んでいない。普通の男性(旦那様)と楽しく「うふふ」「きゃはは」してみたいだけだ。もちろん子供もできれば欲しい。
「あの、殿下は女性が苦手だとお聞きしていたのですが・・・」
おずおずと気になっていた事を聞いてみる。
「はい、貴方を見つけるまで女性は苦手でした。苦手と言うか、女性が怖かったのです。ちなみに、私が男色家という噂は真っ赤な嘘です。今は貴方を見つけてしまいました。貴方には何も感じなかった!嘘の噂に困っている者同士でお似合いだと思いませんか?」
リリノアに何も感じない。やはり、お飾り妻を探しているのかもしれない、しかし噂は嘘だともフレッドは言っていた。リリノアの頭は混乱している。
「殿下、何も感じなかったは普通に失礼です」
「そうだった。私には特別なのだけどね」
フレッドに喋りかけた従者をちらりと見ると、どこかで見た事ある様な・・・。その視線に気付いたのかフレッドが声をかけてくる。
「僕より彼の方がお好みかな?」
「え?お会いした事がある気がしまして」
どこかのナンパの様な言葉だが、リリノアはそんなつもりで言ったわけでない。そして、リリノアの言葉にフレッドとお付きの彼は目を見合わせた。
「そうなんだ・・・。彼は僕の従者でジェノ」
「殿下・・・。ご挨拶が申し遅れました。ジェノ・ベーゼンでございます」
ジト目でフレッドを見たジェノは、直ぐに背筋を伸ばしてリリノア達の方を向き、頭を下げて来た。
「辺境伯、よければリリノア嬢と2人で話をさせてはいただけないだろうか?」
「あ、そうですね!良ければ我が庭をお2人で散策してください」
リリノアはフレッドとその後ろに着いてくるジェノを連れて、庭まで案内して来た。王都の外れあるこの家はそれなりに立地のいい場所にあるため、庭自体はそこまで広くはない。小さい子供が遊ぶのには十分な広さはあるものの、剪定された低木や花壇があるため、そこまでスペースは空いていない。
しかもそんなに自慢できる様な庭でも無い。お城で素敵なお庭を常日頃から見ているだろうフレッドを案内するのには少し恥ずかしい。どうせなら、あのまま父達が退室して応接間でお話しする方が良かったとリリノアは思っていた。
隣に立っているフレッドは目を合わせようと思えば少し首が痛くなる身長差をしていた。それなりに、身長の高い兄達よりも幾分か高いだろう。
少し歩いて木陰に置かれて居るベンチへと腰をかけた。隣あって座るが、拳2つ分のスペースを確保してくれており気を遣ってくれて居るのか、それともあまり近くに座りたくないのか。リリノアにはまだわからない。
「ジェノをどこで見たか思い出せそう?」
「いいえ、考えて見ましたが思い出せません。勘違いだったかもしれません」
先程の話を持ち出されて、リリノアは首を振る。もしかしたら、夜会で見かけたのかもしれない。ただ、そうなると目立ちそうなフレッドも一緒にいた事になると思うが、そんな記憶は一つもない。
「あと、殿下はどこで私を見たのでしょうか?殿下の姿があれば直ぐに気づきそうなのですが、私心当たりがありません」
「うーん、その話をすると貴方は私と結婚して貰わないとならなくなるけど大丈夫?」
「え?」
「話す前に婚約の誓約書にサインしてもらうよ」
意味がわからない。急に婚約の申し込みが合ったと思えば、お相手が第二王子で、訳もわからず理由を知りたければサインしないと教えられないと。なら、リリノアの考えはわりかし当たって居るのではないだろうか。
「やはり、お飾りの奥様をお求めなのですか?」
「は?」
フレッドは思わず聞き返して来た。
「殿下は結婚したふりをして、私にお飾りの妻となれと思われているのではないですか?」
「それなら、別にリリノア嬢で無くても良くないかな?」
はじめて名前を呼ばれた。それに気を取られて一瞬フリーズしてしまったが、それではいけない。リリノアはパンパンと自分の頬を軽く叩く。
「リリノア嬢?」
「あ、・・・私なら今、陸でもない噂が出回っていて、婚約者もなかなか見つからず籠絡し易いと思われたのでは無いですか?」
「凄く色々と考えたのだね」
感心した様にリリノアを見つめてくるが、やはり何処か怪しい。
「私は貴方をお飾りの妻にするつもりも無いし、できれば愛したいと思っているよ」
「殿下、できればとか思っている、では信憑性が低いです」
どうやら、女心はフレッドよりもジェノの方がよくわかるらしい。たしかに、できれば愛したいと言われたら、なら愛してないのに婚約の申し込みに来るなよ、である。だめだ、これではきっと堂々巡り。
「あー、私はある事のせいで女性が苦手なんだ。ただリリノア嬢にはそれが無かったんだよ。それで貴方が好ましくて、結婚したいと。まだ、リリノア嬢を愛しているとは今は言いきれないけど、幸せには絶対にする。そして、そのある事を話せるのが婚約を結んでからで無いとダメで、ね。信じてください。お願いします」
フレッドはどこか余裕がなさげに頼み込んでくる。
「きっと、王命を使えばこの婚約は強制的に履行できます。それをしないという事は、殿下は誠実でおられるのでしょうね」
フレッドが一生懸命説明してくれたが、リリノアにはよくわからない。ただ、きちんと申し込みに来てくれたのだけはなんとなく嬉しく感じていた。
「私は普通の方で良かったのです。容姿も、身長も、身体能力も頭も。できれば性格は優しい方が良いです。でも、居ないのですね、そういう方って。いい方はみんなお相手がいます。そして、殿下は普通より上の方です。できれば、私はご遠慮したいのです」
フレッドは悲しそうな瞳でリリノアを見つめてきた。リリノアには勿体なさすぎる相手だ。もし、婚約したらまた色々と言われるのではないだろうかとも不安になる。
「ただ、私には当てはまらない事というのは気になります。凄く気になっています。殿下にとってとても大切な事ですよね?」
「勿論!凄く大切な事だよ。でも、僕と婚約してもらわないと教えられない!だから、婚約して欲しい」
フレッドもどこか必死だ。
「どうしましょう。まだ、悩んでも良いですか?」
「可能性はゼロでは無い?なら、悩んでください。私の秘密を教えたい。ただ、私にとって貴方が唯一の人だからあまり待たされるのも辛い・・・」
「わかりました、一週間ほどご猶予をいただけますか?」
「大丈夫だよ。では、良い返事を待っています」
手を出され、握手を求められる。そっと触れた手は触り心地が良かった。フレッドは握った手を見て優しく笑っていた。
フレッドが婚約の申込みをしに来て三日、まだリリノアの返事は決まっていない。親からはルカッシュの事もあるため、ゆっくり考えなさいと言われている。
そして、すっかり忘れていたがキャロルとカフェでお茶を楽しんでいる時に、忘れていた占い師の事が話題に上がる。
「そういえば何も連絡は無いわ」
リリノアはすっかり忘れていたのだ。フレッドが来た事で、色々と騒がしかったからだが・・・。
「噂によると、今はお休みしているらしいの。困ったわね、婚活が進まないもの・・・」
「そ・・・それが、婚約の申込みがあったの」
「本当に?おめでとう!どこのご子息?」
「驚くと思うわ・・・第二王子様」
「は?」
「フレッド殿下」
「あの、女嫌いで有名な?」
うんうんとリリノアは頷く。やはり、キャロルも驚いている様だ。
「女嫌いなのよね?どんな女性もエスコートしない、どんな女性とも触れない。男色って噂もあるでしょ?」
やはり、噂の内容はどこも変わりない様だ。
「何故か私は大丈夫みたい、普通に手も触られたし。男色も否定されていたわ」
「で?」
キャロルは何かを聞きたい様だが、それがわからずリリノアは首を傾げる。
「お返事は?」
「まだ保留にしていただいて考えている最中よ」
期限まであと四日、どうしたものか。この三日は毎日お手紙と果物と花が届けられる。手紙には今日は何をしただの、リリノアの好きな物は何かなど色々書かれていて、リリノアもお返事を書くのが少しだけ楽しい。こんな事はルカッシュと婚約していた時には無かった。あったのは義務的なやり取りだけだった。
「もう、フレッド王子で決めちゃえばいいのに。小説みたいで素敵じゃ無い。でも、明日の夜会はどうするの?」
「お父様達も参加するみたいだし、私も行くわ」
「なら、明日も会えるのね。うれしいわ」
ふふっと2人で笑い合う。
その日の夜会は久々に長兄にエスコートされて、参加した。兄は、久々の夜会で学友達を見つけて早々とリリノアを置いて行ってしまった。次兄もだが、長兄もあまりリリノアには関心が無いのだ。噂もあるため1人になりたくはなかったが、置いていかれてはしかたない。コソコソと周りがリリノアを見ているのも気にしないようにして、キョロキョロとキャロルを探す。すぐに細くて長身の真面目そうな青年にエスコートされたキャロルの姿を見つけて、歩き出す。すると、すぐに人とぶつかった。
「キャッ」
甲高い声のそれなりに大きい悲鳴が耳につく。
「申し訳ありません」
リリノアは慌てて目の前に居る女性に頭を下げた。色白でブロンドの髪のグラマラスな女性が立っていた。軽く当たっただけのため怪我は無さそうだが、凄い形相でリリノアを睨んでくる。親の仇とばかりの睨み様に、知り合いかとも思ったがリリノアの知人達とは一致しない。しかも向こうからの謝罪もない。当たっただけでそこまで睨まれるとは思わずリリノアは驚きのあまり動けなかった。
「どうしたのだ?プリメラ」
背後から男性の声がした。
「彼女がぶつかって来たの」
声も怒って居るのか、それなりに低い。
「申し訳ございません。不注意でした」
もう一度、丁寧に頭を下げる。このタイプは早めに謝って切り上げるが一番利口だ。
「リリノア?」
名前を呼ばれて、顔を上げるとそれなりに見知った人物が女性の横に立っており、なぜ目の前の女性がこれほど恐ろしい顔をしているのか想像がついた。
「ご無沙汰しております、ドリンコバー侯爵令息。体調はよろしいのですか?」
面倒くさい人物に遭遇してしまい、リリノアの気分は最悪である。一ヶ月と少しぶりのルカッシュは相変わらず、見た目はそれなりだが性格が悪そうなのは変わらない。
「あ、あぁ」
「彼女、わざとぶつかって来たのよ!私の事に腹を立てて」
プリメラの言い方からして、彼女はリリノアの事を知っているらしい。しかし、リリノアの方は彼女がルカッシュのパートナーだと言う事も知らなかったし、故意にぶつかった訳では無い。
「失礼ですが、どちら様でしょうか?私どちらかで、お会いになりましたか?お二人はお知り合いですか?」
彼女に心当たりはあるが、取り敢えず知らないふりをする。婚約解消も建前はルカッシュの体調不良と聞いての解消のため、リリノアはルカッシュが浮気していた事は知らなくてもなんら問題は無い。
ルカッシュは目を見開き、プリメラはワナワナと怒りをうちに溜めている様に感じた。
「えっと、彼女は・・・」
「私はルカッシュの新しい婚約者、プリメラ・ラモードよ!」
プリメラは声を大にして堂々と宣言する。その行動にリリノアは驚いた。婚約解消(噂では婚約破棄だが)したばかりの者がそんな事を堂々と言うべきでは無いし、この場でそんな馬鹿でかい声を上げるのもどうかと思う。
「婚約者?おめでとうございます。体調不良はよろしいのですね、よかったです」
取り敢えず、知らぬふりをして蜂の巣を叩いてみる。
「あ、ありがとう」
「ごめんなさいね!貴方の婚約者だったのにぃ〜」
ルカッシュは何も言えず、御礼だけ伝えてきた。プリメラはルカッシュの腕にしがみつき、しなだれかかってアピールしている。周りもプリメラの大きな声のせいで、注目を集め始めていた。
「末永くお幸せに。では、私は失礼いたします」
そのまま、その場から離れようとリリノアは歩き始めると直ぐに手を取られる。
「ちょっと、待ちなさい」
プリメラは握力がそれなりにあるのか、握られた手首がギリギリと痛い。
「ぶつかった事に対して、ここで土下座しなさいよ」
まさかの土下座強要。このお嬢さん、色々と大丈夫なのだろうか?リリノアはチラリとルカッシュを見るも、彼はどこ吹く風でプリメラのする事には口を出すそぶりもない。さて、どうするかリリアナは悩む。流石にこの場で膝をついて頭を下げるのは理不尽なため嫌だ。
「リリノア嬢」
困っていると、聞き覚えのある声に呼ばれた。目の前には煌びやかな衣装を身に纏ったフレッドが立っている。数日前に見たフレッドとは少し雰囲気違い、華やかで玲瓏たる月のように美しい。リリノアは一瞬王子様みたい、と惚けたがよく考えれば正真正銘の王子である。
「殿下、どうしてこちらへ?」
痛いほどに握られていた腕の力が緩み、そっと手を引っ込める。プリメラはフレッドに目を奪われていた。
「リリノア嬢がこちらに参加されると耳にして、会いに来ました」
蕩けるような笑顔を向けられる。発せられた言葉は、女性なら言われたら嬉しいセリフであろう。ただ、リリノアは今の状況から抜け出せる可能性の方が嬉しくてしかたない。
「なんの騒ぎかな?」
リリノアに向ける表情とは違い、険しい表情でルカッシュとプリメラの方を向く。優しい表情しか見てないリリノアにはそれもまた新しい発見だ。
「この女が、ぶつかって来たので謝らせていたのです」
この女呼ばわりで、上から目線。爵位的にはリリノアの方が上なので、その発言は大丈夫なのだろうか?婚約者かもしれないが、まだ侯爵家の人間では無いわけで・・・。
「殿下、お久しぶりです」
「あぁ、ドリンコバー侯爵令息。新年の挨拶の時以来かな?」
「はい、あの時以来です。もしよろしければ、前の様にルカッシュとお呼びください」
ルカッシュがフレッドに挨拶をする。年齢が同じため、学生時代に2人ともそれなりの仲だったのだろうか。リリノアはあまりルカッシュの学生時代の事を聞いた事が無かったため、知らない。次兄とルカッシュはそれなりに仲が良かった様なので、もしかしたら懇意にしていたのかもしれないなと、握手を交わす2人を見ながら考えていた。
「ルカッシュ?」
プリメラはルカッシュの後ろに移動して、自分を置いて話を進めるルカッシュの名前を呼びかける。袖を引きながら、上目遣いで声も可愛らしく・・・だ。
「あぁ、殿下彼女は私の婚約者のプリメラ・ラモードです。プリメラ、こちらは第二王子のフレッド・ファミレスト殿下だ」
「ラモード男爵家の長女、プリメラ・ラモードです」
リリノアの前で見せていた傲慢な態度は何処へやら、とても綺麗な挨拶をして、手を差し出す。
「すまないが、女性はリリノア嬢以外触れないんだ。それに、私は何の騒ぎか説明を求めていたのだけれども・・・リリノア嬢、大丈夫かな?」
フレッドは大きなため息を吐き、挨拶をして来たプリメラを拒絶した。リリノアを心配そうに見つめるが、リリノア以外の女性を触らないとはどういう事か・・・。こんな場所で言わなくてもいいのに。
「はい、私は大丈夫です。不注意で少しぶつかってしまいました」
「そうよ!ちゃんと謝りなさいよ」
「会場に到着してすぐにこちらに向かって来たのだけれど。間に合わなかったけれど、リリノア嬢はきちんと謝っていたと思うけど?頭を下げたのが見えていたよ」
「誠心誠意の謝罪では無かったのです」
上目遣いで、媚を売る様な目線を向ける。隣にルカッシュが居るのに、あからさまだ。
「怪我もしてないし、転んでもない。そこまで、何度も謝る必要は無いと思うけれど?こんな場所で大声を出すのは悪目立ちすると思うけどな?」
フレッドは冷たい表情でルカッシュを見る。
「今、僕は彼女に夢中でね。君達の事が不愉快に感じるから、早く立ち去ってくれるとありがたいな」
女嫌いのフレッドの言葉にルカッシュは目を見開き、また周囲もざわめく。こんな場所でそんな事を言わなくてもと、リリノアは目眩を感じた。
「申し訳ありません、我々は失礼いたします。プリメラ行こう」
ルカッシュは一瞬、リリノアに視線を向けるが直ぐに戻してプリメラの手を引いて歩き出した。ルカッシュはこの場に居てもリリノアには無関心だというのが伝わってくる。別に悲しくも何ともないが、無関心ならプリメラを接触させないでほしかった。ルカッシュとは反対にプリメラは縋るような視線をフレッドに向けた、見えなくなるまではそのまま引かれるように歩いて消えて行った。身持ちが悪いと聞いたのはなんとなくそうなのだろう。
「リリノア嬢、本当に大丈夫かい?」
「助けていただいて、ありがとうございます。目の敵にされているみたいですね・・・」
「もう少し早く着いていたら、良かったのに」
本当にそう感じてくれているのだろう、フレッドの綺麗な眉尻が下がっている。とても悔しそうな表情を見せてくれる。
「お気持ちが嬉しいです」
笑顔を向けると、フレッドの表情も柔らかくなった。
「この後は?」
「友人に挨拶をしたら帰ろうかと思います。やはり、この場に居るのも何となく居た堪れなくて・・・」
いい意味と悪い意味の両方の思わぬ形で視線を集めてしまい、リリノアはこのままここに滞在するほどの勇気も気力も無かった。
「なら、私が送っていこう」
「今来られたばかりですよね?お気持ちだけで充分ですよ」
「私がリリノア嬢と少し話したいからだよ。そのために来たのだから・・・。私も挨拶を済ませないとならないから、少しだけ居心地の悪い思いをさせてしまうかもしれないけれど」
先程はめんどくさい状況が打破される事への喜びが優先されたが、自分のために来てくれたと改めて言われてリリノアは嬉しくて、少しだけ頬が熱くなった。そして、少しだけでもフレッドの事を知る時間ができて良かった様に感じる。一度会っただけで、結果を出すのは婚約を受けても断っても後悔しそうな気がしたからだ。
「では、よろしくお願いします」
すぐに、夜会の主催であるチーインバーク公爵夫婦にフレッドは挨拶をしにリリノア連れて行った。チーインバーク公爵家は数代前の王弟が武功をあげて臣籍降下した公爵家だ。現国王の弟、フレッド達の叔父に当たる人物が入婿しており代々準王族として知られている。リリノアもその辺は知っていたが、フレッドからはとても朗らかで真面目な叔父だと説明された。言われた通り、笑顔で迎えられ先ほどの騒動の心配も夫婦揃ってしてくれたためリリノアもそこまで緊張せずに挨拶が終われた。
次はリリノアの番である。まずキャロルに会い行き、先程の騒動の話を聞かれて少しだけフレッドに待ってもらいおしゃべりをした。その後家族にフレッドが送って行ってくれる事を伝えに行き、そのままフレッドの馬車に迎え入れられた。
「ドリンコバー侯爵令息とは仲が宜しかったのですか?」
向かい側に座ったフレッドは一番上まで止めていたシャツのボタンを外し、タイを緩める。少しだけ見えた首筋にリリノアはドキリとした。
「クラスが一緒だったんだ。そこまで、仲が良かった記憶は無いけど、学生時代はファーストネームで呼んでいたよ。家柄も悪くなかったし、そこまで目立つ変な奴でもなかったしね。君との婚約が無くなって喜ばしいが、先程の騒動は腹が立つ」
先ほどの事を思い出しているのか、フレッドの表情が硬い。
「あの方が何かしたわけでは無いですわ」
「見ているだけも充分加害者だよ、あの場合」
「あまり、私に興味がないのだと思います。昔から・・・」
そこまで傷ついていないが、言葉にすればなんとなく落ち込んで聞こえたかもしれない。リリノアはフレッドを見ると先ほどの表情と変わりフレッドは微かに笑っていた。
「でも、少し面白い事もわかったけどね」
「面白い事?」
「秘密」
フレッドは人差し指を立てて唇の前に翳す。そんなポーズが似合うのもなかなか居ない。
「婚約してくれたら、教えてあげれるけれど」
このフレーズをここ最近よく耳にする。もちろん、フレッドからしか聞いていないはずなのだが・・・そして乱用されると、秘密を人質に取られている感覚だ。
「あ、そういえばお花やお菓子、手紙までありがとうございます」
「初めてだから、どんな物が良いのかもわからないし好みも知らないけど、迷惑じゃない?」
「毎日とても嬉しいです。私も毎日の贈り物は初めてです。お互いに初めて同士ですね」
初めてという事も何となく嬉しくて笑顔が綻ぶ。リリノアにとってこの空間はとても居心地が良く、色々と聞いてくれるフレッドとの時間はとても楽しい物であった。そして、悲しい事に楽しい時間はあっという間に過ぎる。
「では、リリノア嬢三日後に良い返事が聞ける事を期待しています」
そう言い残して、フレッドは帰って行った。
それから三日間、リリノアは考えた。沢山考えた。
次の日もその次の日も変わらずに贈り物と手紙が届いた。
そして、約束の一週間後。花束を手にしたフレッドが屋敷を訪れて来た。
リリノアの事をきちんと見て
「結婚してください」
とその花束を差し出した。
フレッドの表情は今までリリアナの見てきた柔らかさはなく、緊張していて硬めの表情だ。
そこに少しだけ照れも入っているように見えた。
リリノアは考えて出した答えを、彼の目を見て伝える。
「よろしくお願いします」
結局、何故リリノアなのかを知りたいと思った。婚約しなければ、教えてもらえない秘密というのも面白かった。女性嫌いのフレッドが、触れる事のできる女性という特別感も嬉しい。そして、まだ2回しか顔を合わせていないけれどきちんとリリノアを見てくれていたのを感じていた。ルカッシュの時も、親兄弟もリリノアの事はあまり無関心なのだと思っていた。今だけかもしれないけれどフレッドはリリノアをちゃんと見て気遣ってくれる。
「本当に?」
「はい」
「なんで?」
「秘密の内容が聞きたいのと、私の事を気にしてくれたのが嬉しかったからです」
嘘をつくのも嫌だったため、リリノアは秘密と言う餌に釣られた事もはっきりと伝えた。
「効果が少しでもあったならよかった」
フレッドはちゃんとリリノアが餌に食いついてくれた事が嬉しいのだろう。満面の笑みで手を握り、ありがとうと伝えてきた。
「あ、婚約して秘密を聞いたら、結婚は決定事項だからね。結婚中止はだめだよ?」
「そんな狡い事はしません」
まぁ、人によってはそういう姑息な手を使う人も居るかもしれないが、リリノアはそんな事をする予定は全くない。
「ごめんね。あとは辺境伯にご挨拶して婚約証書へのサインをお願いしよう。もう用意して陛下と私のサインはしてあるよ」
リリノアは色々と驚きである。サインを貰うだけという手際の良さは、さぞかし仕事もできるのであろう。取り敢えずリリノアは父を呼んできて婚約を受ける事を伝えた。父は大喜びで、サインをしてくれたが挨拶とサインだけしたら気を気かせたのか、興味がなかったのか直ぐに部屋から出て行った。多分、リリノアに興味が無いだけだとリリノアは踏んでいる。
「では、これで婚約を結んだと言う事で今後はリリノアと呼んでも?私はフレッドと」
「私はどう呼んでいただいても良いです。これから宜しくお願いします、フレッド様。・・・それで?」
リリノアはあの事を知りたいのだ。
「リリノアはせっかちだね。まー良いか。リリノア、私が婚約を申し込んだあの日の少し前に私たちは会っているんだよ」
「え?」
「ジェノに気付きかけていたから、すぐに気付くかもとは思ったのだけど・・・難しいか」
フレッドはリリノアの顔を覗き込んでくる。
「初めて会った日、手を握ったよ?」
異性と手を握った記憶はフレッドに婚約を申し込まれる日より前にはほぼ記憶が無い。フレッドの手を握ったと言うのは妄想か何かなのか?もし、フレッドと何かしら手を握ったのだとしたら、ここまで見た目が良ければリリノアですら覚えているだろう。なら、フレッドは何を伝えたいのか。
「私は少し特殊な能力があってね。それを使って占い師をしているよ。いや、していたと言うべきかな?リリノアも最近占いに行ったでしょ」
そこでハッキリとリリノアにもわかった。確かにキャロルに勧められて行った占い。そこでなら、手を触られた。
「なら、あの占い師様は・・・」
「僕だね。そして案内係がジェノだよ。それなりの変装はしていたけれど」
「王子は副業しても良いのですか?」
「私の場合は副業というより、結婚相手を見つけるためにね。だから、お金もそこまで取らなくても良かったのだけど、きちんと相手の家柄や身分の保証目的と私の身元がバレるのを防ぐためにね。流石に、身分によっては結婚する事ができないから」
確かに、誰でも良いからと客を取っていては効率的にも悪く、平民もやって来るだろう。それなりに忙しい王子の隙間時間でちょっと占うのであれば、お金のそれなりにある、身元の厚い貴族が良い。それに王子であれば平民との結婚は認められてはいないので、色々と都合が良かったと。しかし、どういった能力なのだろうか?占いができる能力とは。
「能力と女嫌いも関係があるのですか?」
「おおいにね。これから話す事は一部の人間しか知らない。もし、他に話してしまうと・・・まぁ別に罰はないと思うけど王家の不利益になるから覚悟はしといたほうがいいかも。リリノアが私の運命の人だから話すけれど、他言無用で頼みたいな」
フレッドは笑顔で話して居るが、笑顔故に恐怖が増す。
「そこまで馬鹿ではないので、大丈夫です。旦那様の秘密を知っているのも、特別でいいと思いますし」
「ポジティブだね、リリノアは。なんなら、秘密保持目的で直ぐに僕の離宮に居住を移してもらおうかとも思っていたのだけれど・・・」
「そのまま、女学校に通わせていただけるのなら住まいが変わって楽しそうですね」
フレッドはリリノアの言葉を聞いて驚いた顔をする。何か変な事を言っただろうか?
「何か?」
「リリノアはあっさりしているね。住まいが変わるのは不安が有ると思ったのだけれど?」
「もちろん、不安はあります。ただ、結婚すればいずれ住むところは変わる物ですから。あ、でも領地に帰れなくなるのは寂しいわ」
領地で伸び伸びと過ごす事ができなくなるのは寂しい。牛や馬を眺めたり、川で水遊びをしたり。
「兄上のところに、子が生まれれば私は子供の居ないチーインバーク家に養子に入るからね。そしたら、王宮にいる時よりは自由に行き来もできるよ」
チーインバーク公爵家は子供が居ない。叔父である現公爵は入婿ではあるが、王弟だ。叔母には他に兄弟が居らず、叔母自身も王族血を受け継いでいる為、フレッドは王太子に子供が2人生まれれば王族から籍を外しチーインバーク家に養子に入る事になるらしい。
「そろそろ話を戻そうか」
そういえばそうだ。話が脱線したが、リリノアが一番知りたいのはそこでは無い。
「15歳のデビューの頃だ。急に人と握手をするとその人の未来が頭に浮かぶようになったんだ。断片的で、いつ起こる事かはわからないけど急に頭に浮かんでね。最初は意味わからなくて気持ち悪くて、人と握手するのが怖くてたまらなかったよ」
フレッドが渋い顔をして居るので、当時はよっぽど不快だったのだろう。たしかに、急に変な映像が見え始めたら、リリノアも怖いと思った。
「しばらくして、友人が怪我をするのが頭に浮かんでね。数日後に本当にその友人が怪我をしたんだよ。それで、未来が見えるのではないかと考えて、色々と確認して一年後ぐらいには手を繋いでいる時間に応じて未来が見える事がわかった。あと、わかっている事は自分の未来は見えないし、自分に関わる事も見えない。だから、自分には役に立たないと思っていたよ」
確かに自分の事が見えないのであれば、自分には何の得も無いかもしれない。人様の未来が見えた所で、助言するのも怪しまれるだろう。
「そして、問題も出てきた。女性とダンスを踊って居るとね、その女性の未来が色々と見えてしまう。私にダンスの誘いをかけて来るくらいだから、それなりに自分に自信があって欲深い女性が多くて。見たくない女性の部分を見ていたら、女性に触るのが恐ろしくなった・・・。握手と違って、ダンスはそれなりの長さ手に触れるから余計にね」
ここで、フレッドの女性嫌いの原因判明である。確かに見たくもない部分を見せられたらトラウマになるかもしれない。
「でも、それでも結婚はするべきだという後押しもあって占いを始めたわけだ」
「未来は変える事も可能なのですか?」
「可能みたいだよ?いつ起こるかわからないから、今のところは変わっている可能性が高いと見ているけど、確定ではないな」
ここで一つフレッドにはリリノアに言わなかった事がある。占いは結婚相手を見るためだけでなく、王家に悪害をもたらす可能性がある不穏分子の炙り出しにも使われていた。そこで可能性がある人物がわかれば、密偵をつける。もし、事が起こりそうなら阻止できるし、起こらなければ密偵がつき続ける。
「なら、なぜ私なのでしょう?それがよくわかりません」
「リリノアの未来は見えなかったんだ」
リリノアは首を傾げる。
「さっき、自分に関わる事は見えないと伝えたよね?」
確かにそう言われた。それくらいはリリノアも覚えている。
「だから、リリノアの未来も見えないんだと思う」
「私の未来にはフレッド様が関わっているから?でも、それなら他にも関わっている女性は見えないのではないですか?」
「見えないけれど、私が関わって無い部分はそれなりに見えるんだよ。リリノアの場合は全然見えなかった。今のところ全く見えないのは、親くらいだよ。だから、リリノアは初めて他人で見えない人。特別だね。そういう事だから婚約もしたし今後は気にせず触れる」
フレッドは嬉しそうに身を乗り出してリリノアの手を握って来る。それが、リリノアもなんだか嬉しかった。
「特別って嬉しいものですね」
今まで誰かに特別と言われた事もないし、自分でも特別だと感じた事は無い。それが嬉しい事だと教えてくれたフレッドには感謝である。照れて笑いがぎこちないかもしれないが、フレッドにありがとうの意も込めて微笑む。
「可愛い」
フレッドから出た言葉にリリノアは固まる。
「な、な、何を」
「これからは思った事をいっぱい伝えるよ。いろんな表情のリリノアが見せてもらえそうだ」
顔が熱く、リリノアはフレッドから目を逸らす。
「あ、それから・・・」
フレッドはある事を思い出した様にリリノアから手を離す。リリノアはそれが少しだけ寂しく感じた。
「ルカッシュ・ドリンコバーのこれからの事がこの間の夜会で見えたのだけど、聞きたい?」
リリノアは少し考えて首を左右に振る。
「人の事には興味がありません」
わざわざフレッドが教えてくれるという事は、それなりの天罰が下るという事だろう。それをリリノアが聞いて清々する必要もないし、悲しむ必要も無いと思う。だから、聞いた所で心を動かしたく無いのがリリノアとしての率直な意見だ。
「わかった。本当にリリノアは・・・。できれば私には興味を持ってね?さて、これから帰って報告でもしようかな。ちなみに結婚は卒業してから直ぐでいいかな?」
「はい。構いません」
「これから、色々と忙しくなるとは思うけど。よろしくリリノア」
「こちらこそ」
フレッドが立ち上がり手を差し出してくる。リリノアも立ち上がり、握手を交わす。この握手こそが特別な証。
この後フレッドとリリノアの婚約は直ぐに発表され、リリノアの噂はいつのまにか消えていた。それよりも、女嫌いの第二王子が女性と婚約した事の方が衝撃的で尾鰭が色々と付いて噂される事となり、祝福ムードは結婚式まで続いた。
フレッドは占いをこの後も続けるが、なぜ続けるのかリリノアに理由は聞かれない。それは、それで寂しいけれど色々とありがたくもある。
そして、ルカッシュはプリメラに移された性病により体調を崩して跡を継げなくなってしまった。もちろん、プリメラ自身も感染したためルカッシュとの婚約は消えてなくなり、その後の噂は聞かない。この一連の流れはやはりフレッドが見たものと一致している。
リリノアとフレッドは結婚後もよく手を繋いでいるのを目撃されており、これは子供が産まれても孫が産まれても変わりなかった。一部ではお互いの手が粘着剤で取れなくなったと噂する者も居たらしい。
名前とか国名とか、何か気づいてくださる方が居たらうれしいな。と思いながら考えました。
誤字脱字報告ありがとうございます。