6
サーカスから一月後。昼食後しばらくしてから、お父様からお客様がいらっしゃってるから挨拶するように、と呼び出された。
「どなたなの?」
「旦那様から言うなと言われてますので」
メイドは誰が来たか教えてくれない。想像がつかないので首を傾げながらも、急いで準備をして階下へ降りる。
応接室に行くとメイドがノックして中に声をかけた後、扉を開けてくれた。入り口に立ったところで、室内の人物を見て動けなくなった。
ルイスが立っていた。驚きのあまり声が出ない。
ルイスの口が面白そうに弧を描くのを見て、ハッと我に返った。訳が分からなくてお父様を見ると、満面の笑みを浮かべていた。
「オリビア、ビックリしただろ。執務用の服の上下を、ルイスくんにお願いしていたんだよ。今日は出来上がったから届けてくれたんだ。オリビアが大変お世話になったから、お礼をしたいと言ったんだが、オリビアから貰ったからと受け取って貰えないので、代わりに服を注文させて貰ったんだ。素晴らしい出来映えだったよ」
お父様が話している間に、どうにか落ち着いてきた。室内へと足を踏み入れる。
「そうですか。素晴らしいものをありがとうございました。本日はようこそお越しくださいました」
私はどうにか愛想笑いを浮かべて挨拶をした。
「ご無沙汰してます」
ルイスは悠然と微笑んだ。その笑顔にドギマギしながら、ルイスの向かいに腰を下ろす。
お父様がルイスに改めてお礼を言ったり、私の悪口を言っていると、来客が告げられた。
「私はこれで失礼するよ。ルイスくん、ゆっくりお茶を飲んで行きたまえ。オリビアはきちんとおもてなしをしなさい」
「ありがとうございました」
ルイスが立ち上がり礼をした。お父様が出て行くと、無情にもバタンと扉が閉まった。
気まずい。私はお父様の出ていった扉を見つめる。逃げ出したい。二人きりにしないで!
「サーカス見に来てたな」
私の葛藤をよそに、ルイスは屈託なく話しかけてきた。
「え、ええ。あなたもね」
いきなり触れたくないところを話題にされ、顔が強張る。
「……うまくいってるのか?」
ルイスが、何気ない風に聞いてきた。
「えっ?」
「一緒に居た男性と」
ルイスはメイドの目を気にしてか、しゃべり方が硬い。
「断られた」
「えっ? そうなのか……あ、悪いこと聞いたか」
「あなたも女性と来てたじゃない」
平静を装って言う。
「ああ、あれは妹」
「へっ?」
予想もしてなかった言葉を聞いて、変な声が出た。
「間抜けな声だな」
「うっ……そうなんだ」
なんだそうだったのか! 私は、ホッとして、はーっと息を吐き出した。体に力がすごく入っていたようだ。思わず力が抜け、伸びていた背筋が緩む。
「何か、だらけたな」
「えっ、そんなことは」
「さっきまでなんかピリピリしてたのに、急にフニャフニャになった」
「観察しないでよ」
言い当てられて、いたたまれない。ずっと苦しかった心が、久しぶりにホッとしたのだ。フニャフニャにもなるわよ。
私のムッとした顔を見て、ルイスは笑った。それから紅茶を飲み、お菓子を食べ始めた。紅茶の飲み方も食べ方も所作が綺麗である。
「お茶の飲み方とかはどこかで習ったの?」
「母さんと仲のいい貴族のメイドに教えてもらった。父さんが話し方とか苦労したらしいから、俺が困らないよう、マナーの勉強をやらされたんだ。お茶の飲み方はせっかくだから知っておきなさいと、お茶するついでに教えてくれたんだよ。お茶なんかに誘われる機会があるとは思わなかったが、やっておくものだな。やっと役に立った」
「そうなの。それで完璧なのね」
「そうか、お嬢様にそう言っていただけると自信になるな。それにしても、お茶もお菓子もさすがに美味しいな」
「そう。良かったわ」
それからサーカスの話でひとしきり盛り上がった。
「この後も忙しいの?」
「いや、このまま店に帰るだけだ」
「それなら庭を散歩しない?」
「いいのか?」
ルイスが驚いたように声をあげた。
「ええ、もちろん。お客様のおもてなしは任されたから」
私は自分の思いつきにワクワクした。
「客じゃないけど」
「お父様がお客様と言ったから、お客様なの」
二人とも食べ終わると、メイドに声を掛けた。
「庭に出るから、日傘をお願いね」
メイドはすぐに部屋を出ていった。
「じゃあ行きましょう」
庭は、コスモスが咲き乱れていた。
「貴族の屋敷の庭を建物の中から見ることはあっても、歩いたのは初めてだ。流石に手入れが行き届いてるな」
横を歩く彼の顔を見上げる。嬉しさがじわじわと込み上げてくる。しばらく一緒に居られるのだ。自然に頬が緩む。
「嬉しそうだな」
彼が目を細めて言った。
「ええ。楽しいもの」
「そうか」
ルイスがフワッと笑って、その笑顔に心臓がキュンとなった。浮かれてふわふわとした気持ちのまま、ルイスとおしゃべりをしながら花の中を歩いた。
しばらく歩いた後、白いベンチに腰を下ろした。ルイスも隣に座ると背もたれに寄りかかり、足を組んだ。
幸せな気分に浸っていたいけど、いい加減肝心なことを聞かなければ。気になってしょうがない。
「……ルイスさん」
話を切り出すため名前を呼ぶ。
「気持ち悪いから呼び捨てでいい」
「何よ、気持ち悪いって」
「さん付けに慣れてないから」
「私も呼んでて、ムズムズしたけど」
「そうだろ」
勇気を振り絞って聞こうとしたのに、出だしからつまずいた。今度こそはと、膝の上でギュッとスカートを握り締める。
「…………ルイスは、結婚してるの?」
言いながら心臓が飛び出しそうなくらいドキドキしている。
「は? ああ。いや、してない」
安堵から、声が出そうになる。反対を向いてそっと息を吐きだした。
「まぎらわしいわ」
心の中で呟いたつもりが、口に出ていたようだ。
「えっ?」
「何でもないわ」
『ああ』と言うから結婚してるのかと驚いたじゃないのよ。
誤魔化す様に質問をする。
「結婚しろって言われないの?」
「結婚しろっていうか、あの子はどう?、この子はどう? って母と妹がうるさいよ」
「そうなのね」
ということは、彼女はいないのよね? 彼女が居るならいろんな人を紹介しようとしないもの。
「妹は結婚して子供もいるんだけど、子育てでストレス溜まりすぎて、旦那に向かって、別れてやると叫んだらしいんだ。だから旦那が子供の面倒見てるから、妹をサーカスに連れてってやってくれって、券をくれたんだよ」
「妹さんと、すごく仲良さそうだったわね」
「観察してたのか?」
ルイスはニヤリと笑う。
「た、たまたま見たら、仲良さそうだったから……」
「まあ仲は良いな」
「妹には優しいんだ」
羨ましくて嫌な言い方になる。
「あんたにも優しいだろ?」
「えっ? 優しくされたかしら? うーん。そうねえ。そう言われると親切にしかされてないわね。口が悪くて分かりにくかったけど、あなたはとても心の温かい人だと思うわ」
「えっ?」
ルイスがなぜか赤くなった。
「何で赤くなるの?」
「いや、まさかそう来ると思わなくて」
口元を手で隠している。
「あっ照れてる、フフッ、なんか可愛いわ」
私が顔を覗き込んだ。
「やめろよ。25の男捕まえて何言ってんだよ。バカかよ」
あっち行けと言うように手で払う仕草をされた。彼はさらに真っ赤になっていた。今までの仕返しが出来たわ。ついつい顔がにやけてしまう。みっともないので、口元を隠した。二人で口元を押さえて反対側を向いている不思議な光景になっていただろう。
ルイスは、しばらくすると、ようやく落ち着いたのか顔を上げた。
「本当に凄い所に住んでるな。家というレベルじゃない。庭だって公園のようだ。住んでる環境が違いすぎる」
私にとっては公爵邸に比べれば、取り立てて大きいと思わない邸も、庶民の小さな家と比べ物にならないくらいの大きさだ。
「そうね。でも同じ人間よ」
同じという言葉に気持ちを込めた。
「そうだな」
しばらく二人共黙っていた。
「…………貴族にしてあげるよと言われたらなる?」
口に出してすぐに後悔した。答えが怖い。
「………今の仕事が楽しいから……ならないかな」
ルイスは、こちらを見ないで答えた。
「……そうだよね」
ガッカリし過ぎて涙が出そうだ。
「オリビアさんだってそうだろ?」
ルイスは前を見つめたまま言った。
「…………私って何にも出来ないのよね。料理も掃除も洗濯も買い物も。……贅沢するのは我慢できるけど、ただの役立たずよね。庶民になりたくないと言うより、今のままじゃ庶民として生きていけないでしょうね」
しばらく二人とも黙ったままだった。
「オリビアさんは、買い物に行ったらぼったくられそうだ」
ルイスがボソッと言った。
「否定できないわ」
「でもオマケをいっぱいもらえそうだな」
「それは得意かも」
二人で顔を見合わせて笑った。そこから庶民と貴族の違いについて二人であれこれとしゃべっては、驚きあっていた。
「長居しすぎたな」
楽しい時間は短いらしい。日が陰ってきた。二人とも黙ったまま屋敷の方へ戻る。
「もう会えないのかな」
思わず言葉が出た。
「えっ?」
「何でもないわ」
「そうか」
本当は聞こえていたのかもしれないけど、ルイスは何も言わなかった。
「今日はありがとうございました。沢山お話出来て楽しかったです」
私はありったけの気持ちを込めて、お礼を言った。
「こちらこそありがとう。楽しかった」
「気をつけて帰ってくださいね」
「ああ」
ルイスが優しい笑顔を向けてくれた。涙が出そうだ。
ルイスは裏口から帰るので、家の中でルイスと別れた。すぐに階段を上がり、自室のある3階の廊下からルイスの馬車が出ていくのを見送った。
部屋に入ると涙がポロポロ出てきた。もっと一緒に居たかった。やっぱり彼が好きだ。先のない恋だから、見ないようにと懸命に蓋をしていたのに、やっぱり無駄だったみたい。
身分差があるから、この恋は始める前から終わってると思うと、泣けて泣けて仕方がなかった。