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「結構です。ルイスさんが送ってくださるので、お二人でお帰りになって。さすがに三人で同じ馬車はいやだわ」
私の言葉に、ロイと連れの女性が固まった。
「ハハハ……しょうがないなあ」
ルイスは声をあげて笑った。それからさっきまでとはうってかわって愛想良く言いながら、前方を指差した。
「心配しなくても、俺はこの先の紳士服ハモンドの店の従業員というか、息子なんだ。身元だけは確かだ。貴族相手に商売してるから、問題を起こしたら店がつぶれるよ」
「オリビアさん、彼は知り合いなの?」
ロイが強ばった顔のまま尋ねる。
「違うわ。初めて会った人よ」
「そうか……。ルイスさん、あなたを疑うわけではないが、彼女は友人の大切な友達だし責任があるんです。念のため、店で確認だけさせてもらいますよ」
「ああ、構わない」
ルイスは嘘はついていないと思うが、ロイが安心できないだろうから、口を出さないことにした。
皆でぞろぞろと店の前にやってきた。
「では、私は確認させてもらいますので、皆さんは外で待っていてください」
そう言うとロイは扉を開けて店の中に入って行った。窓越しにルイスの姿を店の人に確認してもらうようだ。
ロイは店員とこちらを見て少し話すと、すぐに店から出てきた。
「オリビアさん、彼はこちらの息子さんだそうです。今日は不快な思いをさせて本当に申し訳ありませんでした。そのうえ一人にさせて危険な目に合わせてしまって、重ね重ね申し訳ありませんでした」
「いえ、それは私の不注意なので気にしないでください」
「オリビアさん……」
ロイは私の名前を呼んだ後、何か言おうと口を開けたが、ハッとしたように横の女性の方をチラリと見て、ただ「ありがとう」と言った。
「ではルイスさん、どうか彼女をよろしく頼みます」
「分かった」
ルイスが、答えた。
ロイの連れの女性は、私を見て深々と頭を下げると、ロイと共に帰って行った。
「ちょっと店内で待っててくれ、荷物を取ってくるから」
「分かったわ」
ルイスは私に声をかけると店の扉を開けた。二人で店内に入ると、店員の明るい声が響いた。
「いらっしゃいませ」
「座って待つか?」
ルイスは奥を指差した。応接室もあるようで、ソファーが見えた。
「いいわ、お店の中を見せてもらうから」
ルイスは女性店員と二人でぼそぼそと話をしている。先ほどの件について聞かれているのだろう。しばらくするとルイスは店の奥へ行ってしまったのか、いなくなっていた。
店内には男性もののスーツやジャケットが飾られていた。ベルトや小物も置いてある。少し先だが、お父様の誕生日には何がいいかしらと考えていると、ルイスが戻ってきて、私に声をかけた。
「おい、行くぞ」
二人で揃って店を出て店の裏手に回ると、馬車があった。荷物を運ぶ幌付きの馬車だった。
「これ上に着とけよ。目立つと困るだろ」
そう言うと私にフード付きの上着を渡してくれた。
確かに男性と二人で馬車の御者台に乗っているところを誰かに見られたら、噂になるだろう。
「ありがとう、すごく気が利くわね。助かるわ」
「あんたが抜けすぎてるだけだろ」
呆れたように言うけれど、その表情は、初めよりは、ずいぶんと和らいでいた。
「そうね」
フードを深くかぶった。ルイスが御者台に引っ張りあげてくれた。馬車が走り出す。ガタガタとよく揺れるし、板の上なので座り心地は大変悪い。
「あんたって、こんだけ毒吐かれてるのに怒んないんだな。貴族なのに」
「自覚があるなら止めてくださる?」
彼をじとっとした目で見た。彼は意に介さないというように、手綱を操り馬を走らせた。
「まあ、なんか納得できるとこもあるから、そこまで腹が立たないわ」
私は、前を見たまま何でもない風に言った。
「変なヤツ。もしかしてヒドイ言葉を言われたいのか?」
ルイスはニヤリと笑った。
「そんなわけないじゃない! バカじゃないの?! いい加減にしてよね!」
流石にそう言われて黙っていられない。
「変な趣味があるのかと思った」
相変わらずニヤニヤしている。
「あんなに嫌味な言い方ばかりされて、全く平気なわけないじゃない。すごく感じ悪かったけど、悪意を感じないから、そこまで腹が立たないのかもしれないわ」
「そ、そうか」
ルイスが微妙な表情になっている。
「フフフ、困ってる」
ずっと偉そうな彼が私の言葉で困った顔をしているので、ちょっと胸がスッとした。
「調子狂うなあ……なんか訳ありっぽかったけど、元気そうだな」
チラッとこちらを見た顔は、穏やかで、初めて彼が整った顔をしていることに気が付いた。黙っていれば、貴族男性の中に入っても何の違和感もないだろう。髪も艶やかで、肌も大変綺麗である。庶民の男性とは思えない。
「心配してくれてたの? 確かに意味深な話し方をしたものね……お付き合いしてみようかなと思った相手が、私が化粧室に行ってる間に、元恋人らしき女性とよりを戻したのかしら? 本人達に確認してないからよく分かんないけど。私はまだ彼のこと好きになってなかったから、実害はないの」
彼は流石に驚いた様子で、こちらを見た。
「そうなのか。凄い話だな。好きになってなくてもショックだよな」
先ほどとは違い、ずいぶんと優しい口調で言った。
「そうね。少しもショックを受けなかったと言うと嘘ね。あんなことさえなかったら、また会おうと思ってたもの。でも、そんなことよりも目の前の光景が衝撃すぎて、それが自分に起こったことだと思うと、なんだか可笑しくて、笑いそうになりながら歩いてたら変な人に声をかけられたの……だって笑えない? 目の前で相手を取られたのよ。化粧室から戻ったら、『あなたじゃないとだめなの。あなたのことが好きなの』ってやってるんだもの。お芝居見てるみたいだった」
ルイスは流石に驚いたように、私と目を合わせた。
「確かに、それはなかなかの衝撃だな」
「ええ。なんか現実味がないというか、悪い夢でも見た感じ。相手を取られたことより、また一から結婚相手を探さないといけないのかと思うと、ウンザリするわ」
彼は口は悪いが、思いやりはあるようだ。私の気持ちに寄り添ってくれる。
「結婚相手を探してるのか? 引く手あまたじゃないのか?」
「あら、上手が言えるのね。ありがとう。うちは選び方が特殊なのよ。申し込みだけは沢山あったし、妹達は早々に相手が見つかったけど。私は神様に見放されてるのかしらね」
つい自嘲気味になってしまう。
「父親が許さないのか? 」
「お父様が許さないというか、良いご縁だと確信がないと結婚を許されないというか」
「なんか大変そうだな」
「あら、やだ。恥ずかしいことペラペラしゃべっちやったわ。よそで言わないでね」
慌てて口止めをする。
初めて会った人に、こんなことまで話しちゃうなんて、思ったより動揺してるのかしら?
「いちいち言ったりしないよ」
ルイスは真面目な顔つきで前方を見つめている。
「結婚を焦ってるみたいだが、そんなに焦る年なのか?」
「もうすぐ20になるの。行き遅れ目前なのよねえ。子爵家も、もれなくついてくるのに」
「優良物件だな」
「本当にねえ、フフフ……」
「自画自賛かよ」
ルイスはバカにしたように言った。
「そうでもしないとやってられない。あなたは何歳なの?」
「25だ」
「そうなのね」
馬車は軽快に走っていた。髪の毛が風になびくイメージを思い浮かべていたが、実際はフードを被らざるを得ないため、それは果たされなかった。しかし充分風が心地良く感じられる。
「あんた、俺の言うことに一々怒ったりしないけど、意外とハッキリ言うよな。さっきも同じ馬車に乗るのは嫌だと言うし」
「だって嫌じゃない。家に着くまで気づまりだわ。これ以上謝罪や言い訳を聞かされるのは遠慮したいわ」
「それもそうだが、見事なまでにバッサリ切り捨てたなと。あの時はなにも知らなかったからビックリしたよ。まあ、話を聞けば納得だが」
「人でなしかしら」
「いや、彼らもあの時はビックリしただろうが、謝罪と言い訳をしながら帰る拷問から解放されてホッとしてるよ。今頃あんたに感謝してるさ」
「それもそうね。結果的には良いことをしたわね。実はちょっと嫌味っぽかったかと気になってたから、心が晴れたわ。ありがとう」
私は笑顔でお礼を言った。
「そうか、それなら良かった」
ルイスは、チラリとこちらを見て頬を緩ませた。
私達はそれからも軽口を叩きながら、馬車に揺られた。
「そろそろ着くな。裏口の方に停めようか?」
気がつけば我が家のすぐ隣の邸が見えている。
「そうしていただけると助かるわ。本当に色々とありがとう。とても楽しかったわ」
「そうか、でも乗り心地は悪かったろう」
「それも良い思い出だもの。上着は洗ってお返ししたいから、すぐに返さなくて大丈夫かしら?」
ルイスは『良い思い出』と言った時、一瞬目を見開いたが、すぐに元の表情に戻った。
「ああ、別に急がないが、少しの間羽織っただけだから洗う必要はないぞ。わざわざ別の日に持って来なくてもここで少し待ってようか? 家に入った後、使用人に届けてもらえばいい」
「また返しにお店に伺うわ。そうさせて」
「そうか、分かった」
ルイスは馬車から降りる時も、先に降りて手を貸してくれた。
手を離した後、彼の手の感触が残る右手を無意識にギュッと握り締めた。
「本当にありがとうございました。ごきげんよう」
「じゃあな」
ルイスは御者台に乗ると、こちらをちらりと見た。それから、馬を走らせた。
何だか名残惜しくて、彼の馬車が動き出してもしばらく見ていた。