9話 悪役令嬢の誤解を防ぐための追及の誤魔化し方ってありますか? 後
「それで? アレクサンドラとはどうなってるんだ。最近奴の調査で手いっぱいだったからには、それなりに成果は上がっているんだろうな?」
レオの言葉に俺は凍り付き、遠くで盗み見ているサーニャの顔が険しくなった。口がちょこっと動く。多分「調査……?」とか反芻したんだろう。レオこの野郎マジでこの。
だが、いきなりレオに襲い掛かっては意味不明もいいところだろう。俺は「ふむ……」と頷いて、こう言った。
「レオ、お前が宰相の息子だからって、公爵家の財政状態を教えるわけがないだろう……?」
「あれっ? そんな話でしたっけ?」
「やめろ! よく分からんが小難しい話するな! 頭痛が痛いと言っているだろう!」
俺たち三人のやり取りを見て、ルーデルがぷっと吹き出す。弟が小さく「ツッコミどころスルーされてる……!」と震える声で呟くのを聞いて殺意が湧いた。
分かるなら突っ込めよ。「公爵家の財政調査を食事中に調べられる訳ないだろ」とか「何で公爵家の財政知ってんだよ」とか言えよ!
ダメだ、これだから金持ち坊ちゃんのクソガキはよ、と俺はため息を吐きながら首を振り振り。金の重要性が全く分かってない。いくら残業しても給料が増えないことの恐ろしさが、まるでわかっちゃいないんだ。
「そういう訳だ。話すことは何もない」
「あ、あれ……? そう、なのですか?」
不安げな表情で首を傾げるリーナに、「ああ、そうだ。何も言えない。国家機密のようなものだ」と告げる。これ行けるぞ。勢いで押しとおせるぞ。
「そ、そうか、分かった……。それで、アレクサンドラの秘密は分かったか?」レオお前もしかしてバカの振りしてるだけか? 詭弁絶対殺すマンか?
「だ、ダメだ……! 腹がよじれる……! ちょっ、ちょっとここで、私は中座しますね」
クソ弟は笑いが止まらない様子で、プルプル震えながらどこかに言ってしまった。最初に襲来を感知して以来何の役にも立たなかったなアイツ。もっと助け舟とか出せよ。って言うか今出せ今。お兄ちゃんは今困っているぞ弟よ。
しかしルーデルは帰ってこないので、俺は「そうだな」と言って全力で誤魔化しにかかる。
「実は、一つ分かった。飛び切りの奴だ」
「! そ、それは何ですか」
「おお! そうか、聞かせてくれ」
食いつく二人に、怪訝な目でこちらを伺うサーニャ。俺は目を瞑り、口を閉ざし、人差し指を立て、ためにためて、こう言った。
「アイツな、最近瞑想を始めたらしいんだ」
「あなたが一緒にやろうと誘ってきたのでしょう!?」
おお、釣れた。大物である。
そして状況は混沌に陥った。サーニャの登場で、一気に場の空気が角ばり始める。レオの視線がすっと鋭くなり、リーナの表情に脅えが混ざり始めた。一方でサーニャも、自らの迂闊さに顔を青くしてそこに立ち尽くす。
「盗み聞きとは感心しないな、アレクサンドラ」
レオナルドは先ほどの気取ったバカの仮面を脱ぎ捨て、敵を見る目でサーニャを見つめている。
リーナも似たようなもので、すっと俺の背後に回り、不安げな表情でサーニャを見つめている。
「な、何をしに来たんですか?」
「そ、それは……別に、ただの散歩です。それとも、あなたは私の散歩すら許さないと言うのですか? リーナ・ローズ」
ひぅ、と怖気づいて俺の背後に隠れるリーナと、氷の表情でリーナを詰めるサーニャ。対外的には三対一の構図が出来上がる。このままでは一本釣りされたサーニャが傷つくことになるだろう。釣った魚には餌をやらねばならない。
だが俺の背後には、魚を蹴り飛ばして捨てようとする悪い狐と、魚におびえるチビ狸が一匹ずつ。俺のポジションは何だろうな。ライオンとか? 熊? 熊で行こう。魚を食べちゃうのだ。いや何をするつもりだ俺。やめろ。
と、ここで俺は妙案を思いつく。そうだ。リーナが本当は悪女ではないというのなら、この場で打ち解けさせてしまえばいいのだ。そうすれば、敵対関係は解除されるはず。
ということで、俺は氷漬けの魚を解凍すべく、先陣を切って声をかける。
「サーニャ、こんなところまで散歩とは珍しいな」
「さっ……!?」
俺が親しげにサーニャに話しかけるのを見て、レオが驚いたような顔をする。俺はレオに視線を向け、味方面でウィンクをした。奴は何かを悟ったように、神妙な顔で頷く。まぁその推察は間違ってるんだが。
「え、ええ。たまにはそんな日があってもいいと思いまして」
「そうか。この周辺の地面は整備されていない土で、昨日雨が降ってぬかるんでいるから、目的がないと普通避けると思ったのだが、サーニャは気が向いてここまで散歩できてしまったんだな?」
「っ。そ、そうです。あくまで、散歩で来ました」
リーナとレオが、おお、という顔になる。敵に一泡吹かせたぞ、みたいな顔をしている。一方サーニャは語るに落ちる寸前というか、僅かに顔が赤い。以前までなら同じ問いかけで青ざめていただろうなと思うと、アプローチが効いている感じがして嬉しいなぁ。
「女子のロングスカートだと、少し油断しただけで、このぬかるみでは裾が汚れてしまうだろうに。それでも散歩がしたかったのだな、サーニャ。ああ、散歩は良い趣味だ。是非存分に励むといい」
「ぅ、く、そ、そうですね。本当に今日は散歩日和で」
「曇りなのにな」
「うぐっ。ええ。こんな日の散歩も一興と存じました」
顔がもう何かすでにだいぶ赤い。じゃあそろそろ次の話題に切り替えて遊ぼう。
「ところでレオが言っていたことは本当か? サーニャ、お前は盗み聞きしていたのか?」
「「「っ!?」」」
俺以外の全員が驚愕の面持ちで俺を見た。中々の急カーブに、みんなどよめく。
「し、していませんわ! そんなはしたないこと!」
「していただろう! でなければこんなタイミングで口を挟むなど」
レオが言い返したのを、俺が手で制する。お前の言い方は良くない。もっとねちっこくやるのがサーニャの調理法だ。
「大丈夫だ、サーニャ。レオはこう言っているが、俺は信じているぞ」
「……ロレンシウス様」
感動した風に、サーニャは呟く。レオは疑惑の目で見ているが、リーナさんは察しがいいのかちょっと口端がにやけている。
「ああ、お前が柱の裏でじっとこちらを伺うように見ていたのは、俺たちではなく違う何かを見ていたからだと、俺は信じている。俺が勉強について話そうとしたときにメモを取り出したのも、俺たちがお前の話をし始めた時に目の色を変えたのも、きっと何か偶然であるとな」
「……っ、えっ、ええ。その、通りです。き、きき、きっと、何か、わ、悪い、偶然だったのです……」
サーニャは涙目になって、ぷるぷる震えながら顔を真っ赤にしていた。リーナはそれに何か重大な発見をしたかのように目を丸くし、レオはバカだからなのかよく分からない顔をしていた。
「で、ではこの辺りで失礼させてもらいます! みなさま、ごきげんよう!」
叫ぶように言ったサーニャは、スカートの裾を持ち上げて、駆け足で立ち去っていった。途中ぬかるみに足を取られてこけそうになっていたが、ギリギリ耐えて遠くへと逃げていく。
「……ロレンシウス様」
声のトーンを落としてリーナが俺を呼んだので、「何だ、リーナ」と返す。
リーナは言った。
「もしかして……アレクサンドラ様って、ものすごく可愛いお人なのでは……?」
「そこに気付くとは、素質があるな」
「なっ、何を言っている!? お前たちはアレクサンドラの、あの屈辱感に満ちた禍々しい顔を見ていなかったのか!?」
「レオ、お前には何の素質もないな」
「!?」
レオは驚愕の面持ちで俺のことを見つめた。こいつ本当に馬鹿だな。