6話 俺様王子と腹黒王子の兄弟仲がこんなに良いことありますか?
放課後、という時間帯は終わり、夜のとばりが落ち始める頃。俺は一人、岐路についていた。
様々な歓楽施設も内に備えた円形のデザインシティこと、ブリタニア王立学園は貴族の園だ。貴族とその使用人によってのみ構成されたこの街では、貴族が自由に街を歩けるという自由がある。
そんな環境下でなおも「俺は不自由な籠の鳥だ」とか「こんな七面倒くさいマナーなど何故覚えなければならない」とか言ってたかつての俺は、正直ただの甘え野郎にしか思えない……という話はひとまず横に置くとして。
この学園内で、何か妙な気配がするとしたとしても、それは外敵ではない、と言う認識が主流だ。
学園外の街なら追いはぎの一人でも付いて来ていて何も不思議ではないが、ここではそうならない。貴族と使用人しかいないし、そもそもこの学園内に無断で侵入するには、おぞましい森を抜ける必要がある。魔獣に満ちた魔怨の森だ。抜けられるものなどいない。
だから、俺は背後に感じたその気配に、警戒することはなかった。
「ディルか」
問うと「バレていましたか」と風の余波を纏ってディルが現れた。彼は俺の一歩後ろを歩くようにして、帰路を共にする。
「調査が一旦落ち着きましたので、ご報告に参りました」
「聞こう」
「まず、残念な報告です。殿下が机に残すように誘導したカバン、及び他机の中などに、アレクサンドラ様が怪しげな魔法を殿下に行使した、という証拠はありませんでした」
「そうか。他には」
「そうですね……。これは些事かもしれませんが、アレクサンドラ様のカバンの内容物を、他貴族の子女が持ち去っていくのを確認しております。名簿をリスト化していますが、ご所望ですか? 興味がなければ処分いたします」
「ご苦労だった。厳重に確保、管理しておいてくれ。俺の私室にも、一部手配を」
「かしこまりました。……殿下、僭越ながら、一つ質問をしてもよろしいでしょうか?」
「何だ、言ってみろ」
「まさかとは思いますが、リーナから心が離れたのですか?」
俺は足を止める。振り返ると、かつて俺を覗き込んだリーナのような、底知れない深みを有した瞳がそこにあった。俺は僅かに竦むのを感じたが、同じことに二度狼狽えはしない。
「それこそまさかだ。だが、使える手はすべて使うべきだ。だろう?」
ディルは俺の返答に、あからさまにほっとして「そうでしたか。良かったです。俺たちの中で、殿下が一番にリーナに愛されていたものでしたから……」と言う。
「殿下、調査のための虚言とはいえ、アレクサンドラ様に心を開き過ぎるのはおやめください。リーナが傷つくことを、我々は望みません」
「……そうだな。その通りだ。すべては、愛するリーナのために」
「ええ。愛するリーナのために」
合言葉のように示し合わせて、ディルはまた風の中に消えた。彼が遠ざかっていったのを確信して、俺は呟く。
「……俺、秘密結社の裏切り者だったっけ……?」
リーナさんこわ……。
その後自室に帰ると、メイドの一人が寄ってきて、このように報告してきた。
「ご命令の通り、アレクサンドラ様のカバンに新しい教科書を忍ばせておきました」
「そうか、ご苦労だったな。次は、この名簿に載っている名前の生徒について調査を行ってくれ」
「かしこまりました」
いそいそとメイドはいなくなる。俺はほっと一安心しつつ、次はどうしようかと考えた。
「サーニャとはここで折れて接触を止めれば、それこそ彼女を傷つけることになる。リーナは……メイドの調査次第か」
女の子を裏で詰める、というのはちょっと前世社畜の身からすると重いものがあるので、どうにか手を考えておかねばなぁと思う。誰か代わりにやってくれる人でもいればいいのだが、身内で仲間にできそうな奴なんて……。
「……身内?」
身内、身内か……。
「これはこれは、本日はお日柄もよく」
「お前は何とも言い難い挨拶をするな、ルーデル」
ルーデル。ルーデル・ベガ・ブリタニア。俺の弟であり、第二王子にあたる。俺とは違って幾分か柔和な立ち振る舞いをする奴で、その分皮肉っぽいところがある。いっつも薄目でにこやかに笑っているような表情がチャームポイントだ。
そんな弟君は、今まさに魔法で花壇の花に水をやっていた。ガーデニングが趣味なのだそうだ。俺にはよく分からないが。
「珍しいですね。リーナの所に居ると思っていましたが」
この物言いで分かる通り、弟はリーナ逆ハーレムのメンバーではない。遠巻きで見ている観客のような立ち位置の存在だ。漫画で俺が廃嫡した時は、すんなり王太子にすげ替わっていた。
そんな弟に、俺は近づいて言う。
「なぁ……俺がリーナから心が離れたって言ったら、どう思う」
「え、それ本当ですか」
珍しく目が開いている。チャームポイント崩れるの早かったな。
「ひとまず答えろ。どう思う」
「そうですね……。王になるチャンス逃したなって思います」
「お前超面白いな」
前世の記憶がよみがえる前から割と仲が良かったが、俺こいつ大好きかもしれん。
と答えると、弟ルーデルは吹き出し、「アハハハハ!」と高笑いを始めた。何だ何だ。
「あー、ふふ、ははは。こんなに笑ったの久しぶりですよ。最近何だか人が変わったみたいだって聞いてたのでどうかなって思ってたんですが、何ですかそのレベルの上がりっぷり。質問返しを許さない、奪う宣言されても動じずに面白がる。あなた誰です?」
「俺は俺だ。ロレンシウス以外の何物でもない」
「ぷふっ、いいですね。それでいて昔からのまっすぐさと言うか俺様さは崩れてない。良いですよ認めましょう。あなたが王です。私には荷が重かった」
「お前の敗北宣言など要らんが」
「まぁまぁそうおっしゃらず」
クスクス笑いながら言うルーデルに、俺は首を傾げて受け流す。「それで」と切り込むと「存じ上げてますよ」と返ってきた。
「リーナさんから心が離れたとなると、サーニャに戻ったってとこでしょう? いえ、兄上がサーニャを好きだったことなんて今まで一度もなかったので、やっと好きになったってとこですか。まぁ彼女を可愛いと思えるようになるには、それ相応の器の大きさが必要ですからねぇ」
「器の大きさ……か」
前世で良く言われていた。どんなにタスクを振られても笑顔で受け入れるから、本当に器が大きい、と。結果は体が先に壊れて死んでしまったわけだが。メンタルはそんなにダメージなかったつもりでいる。
「器は大きいほど損を見逃すが、結果として幸福への道に至りやすくなる。人間だれしも失敗をする。問題は、上に立つものがそれを許し導けるかどうか……すまん、関係ない話だったな」
「いえ、大変含蓄のある言葉だと思いますよ」
「本題に入ろう」
「ええ、そうしましょう、兄上」
ルーデルの表情に、真剣さがにじみ始める。俺は言った。
「サーニャをいじめている連中がいる。俺は奴らの情報を集めているところだ。だが恐らく大半が女子なので、俺が直接問い詰める、というのも後味が悪い。何かいい案は無いか?」
「えー……がっかりですよ兄上」
期待を返してください。と言われる。知らんがな。
「どうにかならないか」
「どうにでもなりますよそのくらい。後味が悪いなんて気にしないで、兄上が直接裁けばいいだけの話です。そうすることで、学園全体の空気感すら変わりますよ。王太子はあなたで、正当な婚約者はサーニャです。リーナを正妃に迎えるよりよほど簡単でしょう」
「いやでも、リーナさんだぞ?」
「何で兄上がリーナにさん付けしてるんですか?」
おっと油断した。
「だが、王族たるもの『何でもして良い』というのはよろしくないだろう。王族ならば王族なりに、品位を守って事を為すべきだ」
「あー……なるほど。身分に応じて自らを縛っている、という訳ですか。それは何とも気高い話ですね。本当に人が変わったようです。誰ですかあなたは」
「ロレンシウスだが」
「ぷっ。ダメだ。兄上が真顔で『ロレンシウスだが』っていうの、私のツボかもしれません」
こいつそろそろうざいな。
「そろそろウザいぞルーデル」
「はいはい、分かりましたよ。要するに、表ざたにせずイジメをやめさせればいいのでしょう? あとリーナを兄上の近辺から遠ざける遠因になればいいなってとこですか。でもリーナは多分この件に関わってませんよ」
俺はルーデルの物言いに、眉根を寄せる。
「何故そう言える」
「リーナは自分の手を汚しません。周りが望んで汚れるんです。たった数ヶ月で兄上たち五人を篭絡したのを見て、急いで彼女のことについて調べさせたんですよ。結果はまっしろ。びっくりしました。国の調査機関でそういう結果になったってことは、つまりそういうことなんですよ」
水やりを継続しながら、ルーデルは続ける。
「リーナ本人は非常にいい子ですよ。そして、魔性の魅力を持つ存在でもある。その魅力に狂ってしまった結果、周りが気を利かせるんです。それで今みたいなことになる」
それはそれで怖いな……。となると、色々と俺の持つ情報にすれ違いが出てくる。
例えばリーナがサーニャを嵌めたという証拠を隣国の王が提示する、というのが漫画の大筋だが、証拠そのものが事実ではない可能性がある、ということ。
他にも、俺が握っているサーニャがリーナを貶めたという証拠。これもリーナではない誰かが作って、俺に握らせた、ということになる。
……怖すぎないか、王権の周辺。
「大丈夫ですよ、兄上」
俺の不安を見て取ったか、ルーデルは言う。
「兄上は今、正義を執り行おうとしています。かつての、自分の欲求のために道理を捻じ曲げる、ということをしようとしている訳ではありません。そして兄上には、王家の血という絶大な力があります。しかもそれすらある種の美学に基づいて運用しようとしている」
見上げても見上げきれないような高潔さです。とルーデルは言う。
「正義を為そうとする力は、誰もが認める正義です。そして寛容さと美学まで備えているのだから、完璧に近い。だから、一旦思うようにやってみたらいいんじゃないですか。失敗してもただの正義です。兄上は完璧にこだわりすぎてるだけだと、私は思います」
「……そういうものか」
「そういうものです。高望みしすぎなんですよ。まぁ私たち王族が高望みしなくて、誰が高望みできるのかって気はしますが」
もういいですか? と言われ、「ああ」と頷いた。リーナの悪行の証拠をどうこう、ということをする必要はない。それが分かっただけでも、ある程度気が晴れるというものだ。
「ならば、すべきことは簡単だな。助かったぞ、ルーデル」
「礼には及びませんよ、兄上。でも惜しかったなぁ。先日の兄上の生誕祭で、私の王位も盤石になる予定だったのですが」
首をひねってあからさまに悔しがる弟に、俺は一言尋ねてみる。
「お前、王になりたいのか?」
「え、何ですその言い方。譲ってくれるんですか?」
「お前の真の望みによる。お前がただ王になりたいだけなら譲らん」
「実はちょっとやりたい政策があってですね……」
「ならそれを任せよう」
「えっ、良いんですか! 内容言ってませんけど! 良いんですね!」
「王に二言はないぞ。俺はまだ王ではないがな」
「どっちですかそれ!」
クックと笑う。ルーデルも高らかに笑っている。和やかな、晴れの日の一幕だった。