3話 え! 婚約破棄寸前までいった悪役令嬢の心を解きほぐす方法があるんですか?
俺が取り掛かるべきは何からだと考えて、リーナを排除できるような証拠を、隣国の王ではなく俺の手で集めてしまえばいいのだと思いついた。
そしてその上で、もっとも多くの情報を握っているのは誰かと言えば、一人だろう。
「殿下。本日の昼食ですが、庭園にランチを用意させましたので、よろしければご一緒に……」
昼頃。学園の廊下。全く期待していない、と言うような声音で、目を伏せて俺に話しかけてくるのはサーニャだった。
ツンとした態度で誘ってくる感じは素人受けしないだろう。だが俺ほどのツンデレスキーともなれば、この態度がどういった種類のものであるか一目で分かる。
ここで一旦、いつもの流れをおさらいしておこう。
『断る。何故リーナたちとの食事を断って、お前と共に食事をとる道理がある』
馬鹿王子ロレンシウスこと、昨日までの俺であれば、このように断った。するとサーニャは、
『そうですか。承知しました』
と相槌を打ち、次にリーナを睨みつけ、
『殿下と共に食事をとるのです。品位のある行動を心がけなさい。また、以前のように手作りなどの危険なものを摂らないように―――』
と小言を言って、
『くどい! 早くこの場から去れ。お前などお呼びではない!』
と俺が一喝して、サーニャはツンと澄ました態度で
『かしこまりました。ではこれにて』
と去っていく。針のむしろもいいところだ。さてここからは漫画情報での補完になるが、去っていったサーニャはスタスタとその場を去っていき、そして一人になれる裏庭に出て、小声でこんな風に言う。
『……ロレンシウス様の、バカ』
くぅー! これは配点の高いツンデレ具合だ。前世の漫画ではツンデレで不器用すぎて素直になれないサーニャが可愛すぎて愛読していた俺である。隣国の王は終始いけ好かなかったが、サーニャは一貫して可愛かった。
さて、では前提を明確にできたところで、今日の俺の返答はこれだ。
「ああ、そうだな。ともに食べようか」
「そうですか。承知しま……し……?」
聞き間違えかな、という顔で見上げてくるの可愛い。そして俺は、こういうときにどういう対応を取るべきなのかを理解している。
「ということだ。済まないが、今日は五人で食べてくれ」
「「「「「!?」」」」」
リーナと取り巻きたちの驚愕を置いて、俺はサーニャの手を取って庭園に向かった。サーニャは「えっ、あっ、えっ、えっ」と困惑に満ちた声で俺にされるがまま付いてくる。
「どうした、サーニャ? お前が誘ってきたのだろう。不服か?」
「い、いいいいいい、いえっ! めっ、滅相もない!」
答えるサーニャは真っ赤になって、ブンブン顔を横に振る。そして一心に足元を見つめながら俺についてきた。
これはアレだな? 緊張で俺の顔が見られないと見た。なので、少しからかってやる。
「おい、いつか前を見て歩かないと危ないと小言をくれたのは、どこの誰だった?」
「ひぅっ、す、すいませ」
顔を上げてくるサーニャに合わせて、至近距離で見つめてみる。彼女は目を点にして、白磁のような肌を真っ赤に染め上げて「きゅう……」とまた俯いてしまった。
俺は思う。
何だこの子。超かわいいし、超俺のこと好きじゃん。
庭園にて、サーニャと二人、向かい合ってテラス席に座っていた。
机にはシェフの用意した昼食が並んでいる。それを前にして、俺はサーニャのことをじっと見つめていた。
「淑女の顔をじっと見つめるものではございません。マナーがなっておりませんよ」
キリッとお小言をくれるサーニャだが、俺はこれが照れ隠しであることを知っている。
「そうだな。マナーを守れないくらい、お前を見つめていたくなってな」
慣れとは怖いもので、前世の社畜彼女無が信じられないほど、歯の浮いたセリフがぽんぽんと出てくる。これが俺様王子か……。
一方サーニャはと言うと、俺に対する防御力が低すぎるのか、この一言だけでノックアウト状態だ。顔を赤くし、口をもにょもにょさせながら斜め下を一心に見つめている。そこには芝生しかないぞサーニャ。もっとこっち見ろサーニャ。
とはいえずっと見つめているだけでも話は進まない。サーニャが可愛いのは今後いくらでも堪能できるとして、喫緊の問題としてリーナをどうにかするための情報を聞き出す必要がある。
俺はサンドイッチを一つ手に取りながら、サーニャに尋ねた。
「それで、最近学園はどうだ。この頃はお前とこうして話す機会も少なかったのでな、近況を聞きたくなった」
俺の質問を受けて、サーニャは我に返ったようだった。芝生からパッと俺へと視線を戻して、はきはきと答える。
「特に変わりはございません。つつがなく過ごしております」
無論それが強がりであることを俺は知っている。
「お前は教科書を破り捨てられることを、つつがなくと表現するのか?」
指摘すると、サーニャは「ッ」と言葉を詰まらせた。それから視線をさまよわせて、取り繕う。
「そ、そのようなことはございません。第一、私は教科書くらい、すぐに新しいものを用意できます。一冊二冊失ったところで、問題ではありません」
「そうか。語るに落ちているが、自覚はあるか?」
「ッ。お、落ちてません」
落ちてるよ。俺はサンドイッチを咀嚼しながら、じっとサーニャを見つめる。っていうかサンドイッチうめぇ。ジューシー。
「……分かりました。認めましょう。確かに、私の教科書は破り捨てられていました。ですが、先ほど述べた通り、新しいものを用意できるので問題ではございません」
「問題だろう。破り捨てられ続ける教科書がまずもって無駄の極みだ。破り捨てる犯人を見つけて処罰する方がよほどいい」
言うと、サーニャはぽかんとした顔で俺を見た。え、何々? 何が突っかかった?
「……ロレンシウス様。あなたが教科書の一つ一つに対して、そういった感覚を持ってらっしゃるとは思っていませんでした」
ん? どういう感覚を言っているのか分からない。
「何のことだ?」
「私の知る殿下は、『教科書の一つや二つ、騒ぐほどのものではないだろう』と、失せ物が出たという私の相談を棄却したことがございます」
馬鹿王子がよ。と俺は過去の自分を蹴りつけてやりたくなる。
「……俺とて、考えが変わることもある。誰しも日々変化しているものだろう」
もしゃ、ともう一口サンドイッチにかぶりつくと「それもです」とサーニャは言う。
「以前までは、シェフの作った食事など、嫌々食べていました。ですが今日は、とても美味しそうにお食べになっています」
「? 美味いだろう、このサンドイッチは」
「そうですね。ですがこれまでは、『シェフが作った、愛情のひとかけらもこもっていないような食事に、何の価値がある』と詰め込むようにお召し上がりでしたので」
馬鹿王子がよ……! と俺は過去の自分の発言に眉根を寄せる。
「愛情などという曖昧なものよりも、実態としての栄養と味の方がよほど重要だろう。それに、シェフはシェフなりに愛情を込めて作ってくれている」
ちなみに本来食べるはずだったリーナの手料理は、本職のシェフに一歩及ばないくらいの腕前だ。マジでリーナさん、万能人間で困る。可愛さと政略、裏工作に全振りしていると見せかけて、成績も実技も料理までできるのだ。
何アイツ。裏をかける気がしない。かくけど。
「……まるで、私の知る殿下ではないようです」
複雑そうな表情で、サーニャは言う。俺は、問いかけた。
「不服か? ならば今からでもリーナとの食事に戻るが」
「まっ、待ってください! そ、そういうことではなく、その」
俺が立ち上がる振りをすると、慌ててサーニャは引き留めた。俺は半腰のまま、続く言葉を待つ。
「……と、戸惑っているのです。私は、あなた様に嫌われていたのではないのですか? 昨日も、そうです。私は―――あの瞬間、てっきり」
サーニャはそこまで言って口をつぐむ。俺は座り直して、手を組んでサーニャを見つめる。
「てっきり、何だ?」
「……いえ、何でもございません。忘れてください」
「難しい相談だな。鳥ですら忘却に三歩要する。俺はまだ立ち上がってすら居ないぞ」
「……殿下は、以前よりもずっと意地悪になられましたね」
お、何かいい感じにボールが来たな。俺は俺様王子の感覚に任せて、サーニャに肉薄する。
「お前にだけだ。お前を前にすると、意地悪してやりたくなる」
「っ」
顔を真っ赤にして口元を押さえるサーニャ。それから彼女は「しっ、失礼します!」と立ち上がって、その場から離れていってしまった。
俺は周囲に誰もいないことを確認してから、「あー楽しかった」と漏らす。サーニャ、弄り甲斐があってとても可愛い。少なくとも無限に油断ならないリーナさんよりはいい。リーナさんは素性を知れば知るほどさん付けしたくなる。
「さて、随分楽しんでしまったが、ひとまず情報は得られた」
といっても、適当なヤマ張りが当たっただけだが。俺は最後の一口を頬張ってから立ち上がった。
「今、いじめられてるのはサーニャだ。公爵令嬢をいじめることの意味、よくよく犯人に分からせてやらねばな」