2話 破滅したくないので転生令嬢さんちょっと遠ざかってもらっていいですか?
「何これ何これ何これ何これ」
俺はぶつぶつ言いながら、ずっと豪華な中世ヨーロッパ風の部屋の中でぐるぐると回っていた。
「いや死んだよ。死んださ。上司に吐くほどタスク振られて10徹してもうろうとする中パソコン叩いてコーヒーでも足りないからエナドリ叩き込んでハイになってそのまま死んだよ。でも何だよこれ。悪役令嬢もの? 俺が? 異世界転生無双モノではなく?」
足を止めずにグールグルと部屋を回り続ける俺こと馬鹿王子ロレンシウス。鏡を見るとロレンシウスの俺様イケメン面が映ってるし、その記憶も全部ある。
例えば春学期に木に登っていたリーナを見つけ、声をかけた出会いのシーン。
例えばサーニャに春のお茶会に誘われ、『甘ったるいばかりの茶会になど出るか』とすげなく断ったシーン。
例えばリーナに手作りクッキーを渡され、素朴な味に感動するシーン。
例えばサーニャに『手作りの料理など口にしないでくださいませ! もし毒でも入っていたらどうするのですか!』と怒られ、『リーナが俺に毒を盛るというのか!』と逆切れたシーン。
「リーナに甘すぎるしサーニャに厳しすぎる……!」
何だこの馬鹿王子は。王侯貴族としてまっとうなことを言うサーニャは何も悪くないだろうに。というか『リーナが俺に毒を盛るというのか!』じゃないよその通りだよ。素朴な娘装って毒持ってくる暗殺者だったらどうすんだよ。リスクヘッジ……。
「……整理しよう」
俺は椅子に座り、自らのことを振り返る。
「俺は、ロレンシウス・アルタイル・ブリタニア。ブリタニア王国の第一王子だ。ずっと俺の自由を奪う王族のしきたりが大嫌いで、キャーキャー言いながらすり寄ってくる身分だけのバカ女たちが大嫌いだった、馬鹿王子」
うん、そうだ。その通り。女の子にクソみたいな態度を取るクソ男だった。
「アレクサンドラ・ヴィセーヌ・ミッドランは、俺の婚約者で、銀髪の可愛いお嬢さん……。めっちゃくちゃタイプなんだよなあの娘。釣り目気味でお小言が多いのがいい。ツンツンしてて可愛い……のはひとまず置いといて」
次。
「リーナ・ローズ。記憶を取り戻すまで、俺が寵愛を注いでいた少女……。すっと俺の語彙に寵愛とか出てくるの何か面白いな。素朴な男爵家の長女で、田舎暮らしなので貴族の常識外のことをしてしまうおもしれー女……は仮の姿」
その正体は、と俺はかつて読んだ漫画を思い出す。
「転生した現代日本人の元OLで、裏でサーニャが自分をいじめたという証拠を作ったりと暗躍する悪女……。いやマジで危なかったさっき。マジでとか言っちゃった。語彙が社畜と馬鹿王子で揺れてる」
統一しよう。と独り言。
「俺。俺はロレンシウス。ブリタニア王国の第一王子であり、そして社畜の記憶がよみがえった悲しき男……」
何が悲しいって前世の死に方が悲しい。エナドリキメてハイになって「記念すべき100連勤だ~!」と叫んで死んだのだ。涙がちょちょぎれる。せめてオフィスの外で日光を浴びて死にたかった。
「……どうしよう」
どうすればいいんだ俺は。と頭を抱える。それから「とりあえず破滅を避けよう」と主目的を掲げた。
「破滅は何故もたらされるのか。それは、婚約破棄をしたからだ。不当に婚約破棄をして、そしたら隣の国の若き王がサーニャを助けて、リーナが企んだ不正を暴いて、俺は廃嫡、&リーナともども追放……の流れだったはず」
ん? ってことは俺もう破滅回避?
「……いやいや待て待て。油断するなよロレンシウス。お前は学校のテストと実技しか満点が取れない馬鹿だ。テストでいい点とれたからってお前の頭がいい証拠にはならない」
俺は支離滅裂なことを言いながら、自分に冷静になれと言い聞かせる。
「リーナは傍にいさせれば、まず間違いなく再びサーニャ追放の流れに持っていくはずだ。アイツは普通に悪女だし、身の回りからは遠ざかってもらおう」
でも、と俺は苦虫をかみつぶした顔になる。
「リーナ、俺の取り巻き全員巻き込んで逆ハーレムルート推し進めてるんだよな。つーか完了間近。見捨てるにも俺の取り巻きは普通に気のいい奴らだし。リーナに騙される馬鹿だけど」
だから、俺一人が気に入らないから、とリーナを敬遠することは難しい。というかリーナがかなりやり手なのだ。
「サーニャが鉄の意志で嫌がらせみたいなことをしてこなかったから、他のやらかしちゃうタイプの令嬢をけしかけて、サーニャに責任を押しつける、みたいなことをしたんだっけか。しかもサーニャはそれを知らないし、他の学生たちは全員それが真実だと思い込んでる」
今となっては、サーニャ憎しの雰囲気が学園中に蔓延していると言ってもいい。他方リーナは事実上の正妻第一候補だ。過半数の生徒が歓迎ムードになっている。下級貴族なのにこの空気感作れるって何だよ神かよ。
それ思うとマジで有能なのがね……。お妃教育とかすんなりクリアするんじゃねーのって思う。
「そして最大の敵。他国の王……。名前忘れたけど、こいつが一番おっかない」
今言ったリーナの用意周到な悪行を、どうやってか証拠を揃えてやってくるのだ。しかも他国の王と言う立場で俺を廃嫡にまでもっていく手腕まで持ち合わせる。えげつない敵だ。社畜の俺でも馬鹿王子の俺でも勝てる気がしない。
「どうする、俺……」
リーナでも手に余るのに、隣国の王ともなれば敗北は必至だ。うーんうーんと唸るしかない。
そこで、ノック音が響いた。
「殿下! ロレンシウス殿下! 開けてください! 先ほどは一体どうしたというのですか!?」
「ッ!?」
俺は、恐怖するリーナの声を聴いて竦みあがる。俺に破滅をもたらす悪女だ。破滅するシーンでは、『そうです! 好きになった殿方がいるのなら、是が非でも手に入れるに決まっています!』とか言い放ったシーンが忘れられない。
「……」
が、入れない訳には行かない側面もあった。何せ、リーナがたぶらかしているのは俺だけではない。俺の取り巻きも、彼女に恋焦がれているからだ。ここで扉を開けなければ、後日「何故リーナを迎え入れなかった!」と詰められる。
そんなリーナ逆ハーレムメンバーは、俺を含めて五人いる。エレメンタルを模している構造で漫画では描かれていて、火、水、土、風、とそれぞれ覚えやすい悪役だった。
ちなみに俺は光。社畜の癖に光とは上等なポジションである。
「開錠の音を我が耳へ届けよ」
俺がアンロック魔法の詠唱を唱えた途端、リーナは扉を勢いよく開いて「大丈夫ですか!? ロレンシウス様!」と近づいてくる。リーナは二人きりになると、殿下呼びから名前に様付けに代わるのだ。流石悪女、男心をよく分かってらっしゃる。
「あの後、急に様子が変わって、私、心配で……! 大丈夫ですか? もしかして、アレクサンドラ様に、何か弱みでも握られたんじゃ……」
むしろ君にものすごい量の弱みを握られているけどね、とは口に出せない本音である。馬鹿王子ロレンシウス君は、リーナと二人きりでどれだけにゃんにゃんしたことか。流石にプラトニックな関係性ではあったが。
……マジでリーナ敬遠ルートが厳しすぎる。
「いや、案ずるな。……そういったことはない」
「では何故、あのように無理に取り繕って去っていってしまったのですか!? 私は、ロレンシウス様が心配です……!」
そう言って涙をボロボロ流しながら抱き着いてくるのだから、本当に役者である。漫画情報がなければ悪女って信じられなかったかもしれない。この子本当にすげーな。
「……」
と考えながら黙っていること十数秒。答えない俺に不信感を抱いたのか、リーナは声のトーンを下げて、問いかけてきた。
「……まさか、寸前になって情が湧いたのですか?」
ビクッと俺がリーナを見ると、リーナはそこの見透かせないような深い瞳で俺の顔を覗き込んできた。え、何この子。怖い怖い怖い。いやマジで怖い。どこまで見抜かれてるか分からない。
対する俺の返答は。
「そう……なのか……? 俺は、奴に情が……?」
俺にも分かりませんというポーズで、どうにか誤魔化す流れを作る。今はっきりした。リーナは敵に回してはならない。敵に回せば、俺の手に余る脅威になる。
「……ロレンシウス様」
ふっ、とリーナは表情を緩めて、俺の額に自らの額を当てる。
「ロレンシウス様には、ひどく酷な役目を押しつけてしまったことを、私は後悔していました。私のような身分の低い者のために、婚約者で、昔からの幼馴染であるアレクサンドラ様への婚約破棄をさせてしまうだなんて……」
リーナは、先ほどとは違うニュアンスで、涙を一筋流した。
「ロレンシウス様がアレクサンドラ様を選ぶというのでしたら、私はそれでも構いません。私一人が、我慢、すればいいだけのことですから……」
……リーナさんすごすぎる。セリフ発するたびに王手かけてくるの、本気でヤバい。そうだな、とか絶対言えない空気だし、もし言えば取り巻きたち全員が俺の敵になる一手だ。王手飛車取りという感じ。まるで将棋だな。
俺に取れる選択肢は、一つだけだ。
「お前が我慢する必要などない! 悪事を働いているのは奴だ! 奴には裁きを受けさせる!」
「ッ。ロレンシウス様……!」
感極まったように目を見開いて、俺の胸に飛び込んでくるリーナ。俺は彼女を受け止めながら、ポンポンとその背中を叩くしかない。
だが、このままだとまた今回の焼き直しになるばかりだ。今後こそ今回のような無理やりな方法では、婚約破棄イベント回避は叶わないだろう。
「どうにか、しなければな……」
俺は重々しい声で、ぽつりと呟いた。リーナの俺に抱き着く手が、少し強くなる。