15話 俺様王子が悪役令嬢と復縁デートってホントですか? 下
「ロレンシウス様、起きてください。ロレンシウス様」
「ん、んん……」
聞き触りの良い声が、俺の耳朶を打つ。
「ロレンシウス様。殿下。起きてください。お昼時ですよ」
「ん……食事か」
俺が薄目を開けると、目の前にサーニャが立っていた。あまり見られない微笑みを浮かべて、「はい。シェフが呼んでいます。行きましょう?」と俺の手を取る。
が、サーニャ。脱力した俺を持ち上げるほどの筋力はなかったらしく、俺が持ち上がらない。
「……殿下、起きてください」
こんなん振りだろ。
「起こしてくれ」
「うっ。わ、私がですか?」
「サーニャ以外に誰がいる」
「護衛がいます。森の中にも2人ほど控えていますので、彼らに頼めばよいかと」
「嫌だ。サーニャに起こしてもらいたい」
「駄々っ子ですか」
「そう言う日もある」
「一国の王太子にそんな日はありません」
あるよ。今とか。
「さぁ起こせ。起こすんだ。でなければお前の婚約者はそのままずり落ちて土を食むことになるぞ」
「どんな脅しですかそれは! ああ、もう。面倒くさいお人……!」
じゃあお互い様だな。あっはっは。
俺は脱力を継続し、サーニャは俺の手を力いっぱい掴んで引っ張り上げる。お、少しずつ俺の身体が持ち上がってる。良いぞいいぞその調子。
「も、もう無理です……」
手が離される。俺の頭が木にがっつりぶつかる。俺は悶える。
「はぁ、はぁ、はぁ」
「くっ、ぐぅ、が……!」
そして意味もなく労働に駆られ息を切らす公爵令嬢と、横着のせいで痛みに苦しむ王太子の図が出来上がった。これが未来のブリタニアか……。
俺は流石に起き上がって一息ついた。
「おはよう、サーニャ」
「……はい。おはようございます」
拗ねた顔するなって。
二人して森から戻ると、護衛に交じって連れてきたシェフが料理を完成させたところだった。
「実にちょうどよい時にいらっしゃいました。どうぞこちらです」
促されるままに、簡易的な椅子に案内される。待っていると、俺とサーニャの目の前に、どんと縦だか横だかわからないステーキが鉄板ごとおかれた。
すげぇ……! 縦だか横だかわからないステーキだ……! 前世から憧れてたが、今世でようやく見られるとは。
しかしサーニャはさっぱり系がお好きなヘルシー志向。ちょっと重いな、という顔をしている。
「これはすごいな……! しかし、肉の感じが珍しい感じがするな。赤身が多いというか。これは何の肉だ?」
「鹿です。先ほど護衛の方で狩猟してきたものになります」
君たち強いね。えっじゃあ何? これ狩ってきたばっかのシカ肉ってこと? やば。
「鹿ですか!」
そして食いつくサーニャ。ここで食いつくんだお前……。ジビエとか好きそう。
「順々に切り分けていきますので、満腹になられましたらストップとお止めいただければと思います」
言いながら、縦だか横だかわからないステーキを串にさして持ち上げるシェフ。ギコギコと端っこから切り離し、俺たちの皿に盛りつけていく。シュラスコみたいだなこれ。
赤身肉をさらに何枚か落とし、そして鍋から掬ったソースをそっと垂らす。俺はそれに、これが王族なのだと感動してしまう。ピクニック先で、現地で取れた動物のステーキをシェフの料理でって……! こんな贅沢中々できんぞ普通なら。
サーニャと顔を見合わせいただきます。俺はしっとりとしたその鹿肉を口に含む。瞬間、口に広がる歯ごたえと旨み! バターの香りが風味の豊かさを出しつつ、それでいて脂肪がほぼなくヘルシーな味わいだ。野性味が強い、とはこういうことを言うのか。
「あっ、おいしいですこれ。私好みというか」
「そうでしょう。鹿肉はほとんど脂肪がありません。アレクサンドラ様もお気に召すと思い、ご用意いたしました」
そこまで読んで鹿肉なのか。しかも肉が無条件で好きな俺の好みにもあっている。このシェフすげぇな。
「褒めて遣わすぞ、シェフ」
「ありがたき幸せに存じます。ロレンシウス殿下」
腰を折って一礼するシェフ。そのまま彼は、また違う部位の肉を焼き始める。あ、マジでシュラスコ形式なのね。余った肉はどうするのだろうか。護衛たちが食べるのだろうか。
サーニャを見ると、食欲というよりも興味が先行する形で舌鼓を打っているようだった。その様子が面白くて、「味はどうだ」と尋ねてみる。
「おいしいですね。さっぱりしっとりしていて。草食でも牛と鹿ではここまで脂肪の付き方に差があるとは思っていませんでした。いえ、牛に脂肪がついているのは家畜だから……? 調査が必要ですね」
咀嚼しながら楽しそうに語るサーニャ。本当に生物が好きなのだなあと思う。魔法生物とかならね……俺もちょっと興味あるのだが。地球にもいたようなのはあんまり興味が引かれない。
そんな会話をしながら次々に追加される様々な部位の鹿肉を食べて、サーニャが五切れ目くらいでギブアップ。俺が十五切れで満足して、腹ごなし、と草原の方に歩き出した。
「本当にいい見晴らしです。風が気持ちいい」
「そうだな。しかしサーニャ、来る前と今では随分態度が違うな」
「今日の殿下は優しいので、私も少し油断しているかもしれません」
「はは、それはそれは。デートに連れ出した甲斐があったというものだ」
「……そういえばこれ、デートでしたね」
改めて言葉にされると恥ずかしいのだろう。僅かに顔を赤くして、視線をそっと下ろすサーニャだ。俺はすこし嗜虐心を刺激されるが、今日は控えろ、と自制する。
そこで、サーニャは振り返った。
「……あの時、何で私を許してくれたんですか?」
不意に投げかけられる言葉に、俺は口を閉ざす。
風が、一層強く吹いた。まだ夏めいた時期ではあるものの、半袖に強い風が吹けば、肌寒さを覚える。だがその寒さは、俺の心の中だけにあるものなのかもしれなかった。
「私は、嫌な女だったと思います。振り返れば振り返るほど、殿下に嫌なことばかり言ってきた、と自覚します。『マナーをしっかりしてください』『王族たるものそんなことをしては示しがつきません』『下級貴族と付き合いがあると聞きましたが、正気ですか?』……私の言葉は、とげだらけでした」
苦しそうに、サーニャはこちらを見つめてくる。俺はまだ、黙して聞くばかり。
「それが高じて、友達も出来ず、地位ばかりがあって疎まれ、リーナをいじめた主犯格に祭り上げられました。私の言う事なんて、誰も聞いてくれませんでした。ロレンシウス様も、一時はそれを信じ、私を蛇蝎のごとく遠ざけました」
「……そうだな」
事実だ。何も否定する要素がない。
「今でこそ、ロレンシウス様の自由奔放さに振り回されて、私もはしたない姿を見せてしまうことはあります。ロレンシウス様はそれをして、あ、愛らしい、なんて仰いますが、殿下の生誕パーティでは、私は殿下にそんな面を一度だって見せはしませんでした」
「……」
「教えてください、ロレンシウス様。私を、あのとき、何故許してくださったのですか? 私は、覚悟を決めていました。私のような嫌な女、ロレンシウス様にはもちろん嫌われてしかるべきでした。それを、ロレンシウス様は、人が変わったかのようにお許しになりました」
つじつまが合わないのです。
サーニャの目は、複雑な感情に彩られていた。すがりたい気持ち、すがっていいのかと疑う気持ち。伝わってくるのは、彼女の自信のなさだ。自らを信じられない以上、そんな自分を愛すると口にする者の気持ちが分からない。どうしても疑ってしまう。
思うに、俺は今岐路に立たされている。難しい岐路だ。『嘘つき』になるか、『無価値な男』になるか、それとも今のままでいられるか。
嘘つきはその通りだ。サーニャに近づいたのは、サーニャを欺いて笑うため。本当にはリーナと関係を保ち続けている。そういう筋書きだ。俺が下手な言い訳をすれば、嘘つきとしてサーニャに拒絶されることだろう。
無価値な男は、つまり、蛙化現象に飲み込まれるという事だ。蛙化現象。両想いになった瞬間、好きであった感情が破綻する現象。自信のなさが転じて、自らを愛する者に何の価値も感じられなくなってしまうという袋小路だ。
ただ根拠なくサーニャへの愛を訴えれば、俺はきっと、サーニャにとって『理屈もなく私なんかを好きになる価値のない男』になる。サーニャには、自らが愛されてしかるべき存在であると信じられるだけの自信がない。その自信をつけさせるための時間も足りない。
彼女が欲しい答えは分かっている。つまり『納得のできる、私を愛してくれる理由』だ。だがそんな都合の良い理由はない。俺が好き勝手やった挙句できた本来あり得ないシナリオに、そんな魔法の言葉はないのだ。
だってお前、俺が「面倒な女が好きだから」って言って納得しないだろ。
時間があれば、サーニャに自信をつけさせることが出来る。だがそれに足る時間もないまま、彼女の好感度を上げ過ぎたという事らしい。結果訪れたのは破綻した告白イベント。両想いになった瞬間破局が訪れる「詰み」だ。
本当に、本当に、面倒可愛い少女である。俺のようなツンデレマイスターでもなければ、手に負えない難物だ。
だが、だからこそ俺は、お前が欲しい。
「サーニャ」
俺が長期間的に行うべきは、サーニャの自己肯定感を養う事。その方法は様々だが、その一つとして愛を囁くというものがある。そして今それをすれば俺たちの関係性は破綻する。何と恐ろしい罠だろうか。
だから俺はそれをしない。前世の話をしたところで納得してもらえる事もないだろう。だから俺がすべきこと。
それは、この破綻した両想いイベントをぶち壊すことだ。
「お前、何か勘違いをしているな?」
ニヤと酷薄に笑って言うと、サーニャは怯むように固まった。俺が彼女に近づくと、彼女は蛇ににらまれた蛙のように動けなくなる。
「許した? 誰が、何を? 俺は何も許してなどいない。ただ、俺が事実でないことで踊らされそうだったと気づいて、急遽手を打っただけだ。お前はあのとき、俺にとってただの嫌な女のままだった」
「え、あ」
「この回答でいいか? あまり思い上がるなよ。お前ごときが俺の決断を左右できると思うな」
この物言いは彼女の自信を損なう。俺への好感度も下がることだろう。だが、確実にこのやり取りを破壊するに足る一言になる。
「……いえ、申し訳ございませんでした。私の、思い上がりでした」
「……」
できることなら、そんなことはないと抱きしめてやりたい。だが、それで彼女を永遠に失うのでは意味がない。
だから俺は、彼女を置いていく形で、隣をすり抜けて歩いた。まさかこんな事になるとはな、とため息を吐きたくなる。本当なら、他にももっとやりたい事はあったというのに。
そうだ、やりたいこと、で思い出した。
「サーニャ」
「……何でしょうか?」
すっかり意気消沈したサーニャに、小さな箱を投げ渡す。
「わっ、たっ、……何ですか、これは」
「婚約者に誕生日プレゼントだ。少し早いが、パーティで皆に交じって、というだけでは味気ないだろう」
「……」
じわ、とサーニャの目に涙が浮かぶ。開ければ、そこに入っているのはちょっとしたネックレスだ。
「ありがとう、ございます……」
「気にするな。―――サーニャ、俺は嘘を言わん。だから言うが、あのパーティのことは忘れろ。あれは単なるきっかけにすぎない」
「きっかけ、ですか……?」
「ああ」
俺は、振り返って言う。
「侮るなよ、サーニャ。俺の愛情深さがこの程度だと思うな。お前が本当に愛するに足る存在なら、俺はもっともっとお前を深く愛するだろう。分かるか? お前は、俺の愛の入り口に立って『自分は愛され尽くしたのだ』と勘違いしているだけだ」
「えっ、と……?」
「つまりだ」
俺は言う。
「精進を怠るな。己を磨け。サーニャ、俺にふさわしい女になれ。国母を目指すとはそういうことだ。俺に、俺の注ぎうるすべての愛を注ぐに足る女だと思わせろ」
分かったか、というと、涙目が一転、サーニャはぽかんと呆気に取られてから、小さく笑いだした。
「ふふ。何ですか、それは。そんなに傲慢な物言い、初めて聞きました」
「何を言う。王が傲慢でなくて誰が傲慢になれるというのだ」
「それもそうですね。……かしこまりました」
サーニャは涙をぬぐい、俺の下にひざまずく。
「ロレンシウス王子。私はあなたの婚約者として、あなたの妻に、正妃に足る女となります。そのとき、私にあなた様の持つ、全ての寵愛を頂戴したく存じます」
「……いいだろう。存分に励め。その日が来たとき、俺はお前に心の全てを明け渡そう」
俺は護衛たちが集う花畑へと向かった。サーニャは、その後ろを駆け足でついてくる。