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プロローグ

 夕方5時の鐘の音を耳にしながら洗濯物をたたんでいた。これを終えたら厨房へスープの様子を見に行こうと頭の中で次の行動を決める。たたんだ洗濯物は自分のリュックの中に納め、その足でそのまま厨房へ向かった。5時の鐘の後でも、廊下は夕映えでまだ明るくランプへ火をともすのはもうしばらく後でもよさそうだ。随分と日が伸びた……


 厨房に入るとかまどに置かれた寸胴鍋からゆっくりゆらゆらと湯気が昇っているのが見える。おいしそうな匂いも台所に満ちている。皆が皆、この光景は絵に描いたような幸せな光景に見えると言うだろう。夕飯の準備をしていると、家族が1人、また1人と帰宅してくる。そして家族全員がそろったところで夕餉が始まる。その日の出来事を話しながらの家族団らんの夕食を幸せに感じない人はいないだろう。



「そろそろ頃合いかな?」



 鍋を覗きこむと湯気の奥に黄金色の透明なスープ。このスープは母さんが王都に住んでいた頃、あまりのおいしさに感動して、レシピを教えていただいたのだと聞かされていた。母さんがレシピを望んだ気持ちも理解できる。それほど、このスープは魅力的だ!


 鍋の中には鶏肉と魚と数種類の野菜。ただ、この村では生肉や生魚の販売が禁止されているので干物を使用していて、レシピどおりには作ることはできない。それでも、我が家では喜ばしいことがあると用意されるご馳走のスープで、このスープを飲むことでいろいろな楽しい思い出が蘇る。僕にとっては幸せな味と言っても過言ではない。ただ、母さんは1度だけ悲しい思い出があると話していた。そして僕にとっても今夜のスープは悲しい記憶と紐づいてしまうのは間違いないだろう。


 最後の仕上げにスープの表面に浮かんでいる灰汁と油を取り除き、僕史上最高の出来栄えの一品は完成した。ただ、正直な気持ちはスープの出来栄えの喜びよりも、心底ホッとした気分。きっとこのスープが母さんの最期の食事になるからだ……




 スープの入ったお椀とスプーンをトレイに乗せ、母さんの寝室へ向かう。厨房を出て廊下を進むと階段があり、階段を上がってすぐの部屋で母さんが眠っている。


 この家は、村の人たちからはお屋敷と言われているだけあって、とても立派な建物だ。それもそのはず、先代の王妃様がご静養されるために建てられた建物で、王妃様と側近と側仕えの少人数が生活するためのこじんまりとはしていても、3階建ての王族が住むためのお屋敷として作られているからだ。


 こんな立派なお屋敷に住んでいる母さんと僕ですが、お貴族様ではもちろんなく一般庶民です。学生時代の母さんがとった行動が功績と認めてくださった先代の国王陛下が、不自由な体となってしまった母さんのために、この屋敷を貸し与えてくださったそうです。



「母さん、今回のスープは自信作だよ、ぜひ食べてみて!」



 僕は軽い口調を心掛けながら母さんに近づき、ベッド脇のテーブルにトレイを置いた。代わりに横に置かれていた大きめのクッションを手に取り、母さんの背中とベッドの間にクッションを割り込ませる。母さんに座る体勢をとってもらうためだ。


 もう母さんが自分で自分の体を支えられなくなって数日。日に日に衰える母さんの姿を見ているのは正直辛い。だがそれ以上に、母さんのお世話をしてあげたい気持ちが僕を動かしていた。そしてその行動が気分も紛らわせてくれていた。


 スープとスプーンを持って母さんの横に腰かけ、スプーンにすくったスープを母さんの口元へ。母さんは驚いた顔をして、「これは美味しい。王都でお店を開いても十分やっていけるよ」と息苦しそうにかすれた声で褒めてくれた。それでも母さんは3口ほどで、「もう十分にごちそうになった」と横になることを望んだ。


 母さんの体を支えながらゆっくりゆっくりと寝かせる。もう目を開けているのも辛いのか、目を閉じたままだ。僕はベッド脇の椅子に腰かけ母さんの左手を両手で包むように握る。もう母さんと僕に残された時間は、母さんが消えゆくまでの数時間となった……




 母さんが体調を崩したのは半年ほど前。2人で冬支度について相談をしている途中で突然意識を失い倒れた。僕は突然のことにパニックを起こしそうになりながらも、母さんを抱きかかえてベッドまで運び寝かせ、かねてから渡されていた液体の薬を母さんの口に含ませ様子をみた。


 確かに前兆はいくつもあった。魔力の回復が遅かったり、魔力の出力が弱かったり量や強さにむらがあったり、思念が途切れ途切れに送られたり……あれほど魔法を巧みに使いこなしていた母さんがだ。最近は魔法の使用を控え、いつも肌身離さず持っていた立派な白い石の杖を僕に預けて、自分では握ることもなくなった。僕に薬を預けておいたのも、意識を失い倒れるようなことが近々起こると想定してのことだったのだろう。


 幸いにして、母さんは二日ほどで目を覚ました。第一声は、「お腹が空いた」だった。僕は消化の良さそうな食事を準備して、母さんの寝室へ持って行った。母さんはゆっくりながらもぺろりと平らげ、再び眠り始めた。そして翌朝には何事もなかったように厨房へ顔を出した母さん。朝食の準備をしている僕に向かってにっこり微笑む。



「心配かけてごめんね。とりあえず起きられる程度には回復できた。でも残された時間はわずかしか無いみたい……あなたにも協力してもらって準備を進めていくから!」



 そう宣言する母さんを、僕はポカンとした顔で見つめることしかできなかった……


 朝食を終えた母さんは夕方まで、自室で薬の調合をして過ごしていた。僕はちょくちょく母さんの様子を見に行きながらも、普段と変わらない家事をこなす1日を過ごした。


 その日の夕食が終わると僕は後片付け、母さんはリビングの暖炉前に椅子とサイドテーブルを運び、お茶とクッキーを準備しはじめた。母さんは利き腕の右腕を失っているため、最近は力仕事はほとんど僕が引き受けていた。だが今夜の母さんは魔法の手を出現さて、自ら支度をしていた。昼間調合していた薬で、体調も魔力も回復したのかな?


 食事の片付けを終えた頃、僕は母さんに声をかけられ椅子に座るよう言われた。



「今夜は夜更かしでおしゃべりになるからね!」



 お茶とクッキーをすすめてくれた母さんは、しゃべる気満々といった感じだ。僕は昨日まで意識を失って寝込んでいた母さんを心配する気持ちがありながらも、僕に伝えておきたいことがあるのだろうと察して、今夜は黙って従うことにした。


 そして母さんの昔語りが始まりました……


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