放課後活動1
「はい、華子ちゃんの好きな抹茶ラテ」
「もう、そんなもので機嫌を取ろうだなんて原始的すぎですわ」
「でも嬉しそうだよ?」
怪盗フェイカーが現れた夜が明けて、結宇は駅前のカフェで買った抹茶ラテを既読無視のお詫びに買って登校した。
これで許してくれるかどうかは賭けだったが、隠し切れない笑顔に許されたと安堵した。
「それにしても、結宇ちゃんが珍しいですわね? いつもなら一時間以内には返事をくれますのに」
「ご飯食べて、部屋に戻って探し物したりしてて……」
本当のことを言うと逆上してしまう恐れを感じて、結宇は適当に嘘を並べた。
海が美術館の近くから結宇に怪盗フェイカーを見せるためにテレビ通話をしてくれた、なんて言ったなら、海が華子に何をされるか分からない。
過剰な表現だと言い切れないのが華子の行動力の強さだ。
「探し物……。だから気付かなかったわけですのね? なら仕方ありませんわ」
渋々ながらも納得した華子は抹茶ラテにストローを突き刺して口を付けた。
華子が日本に帰ってきて最初に感動したものが駅前のカフェの抹茶ラテである。
抹茶味にハマってから抹茶味のお菓子を始めとした抹茶製品を好むようになり、高校からは茶道部に入部した。
中学の頃は書道部に入っていたので、どちらもお嬢様だから、という理由が周囲の決めつけとして存在している。
「私の知らないところで男の方と深い仲になっていたらどうしようかと思いましたわ」
「深い仲? ないない!」
あはは、と心の底から笑った結宇の頭の中から一瞬だけ昨夜のテレビ通話のことが消えた。
残っているのは画面の中から見たあのシルエットだけ。
華子が危惧しているすべての性別男は結宇からしてみれば男の人ではなく、結宇にとっては怪盗フェイカーだけが唯一だった。
青芝海に警戒していた華子も結宇の態度に肩透かしを食らった気分になった。
まったく異性として認識していないことは喜ばしいのだが、あちらはどうなのだろう。
明らかに結宇を意識している――ように見えてならない。
この街の外からの新顔で、最初に優しくしてくれた相手に惚れてしまうのも分からなくはない。けれど、その相手が結宇というのは遠慮してほしいものだ。
華子は小さく溜息を吐いて問題を頭の隅に追いやった。
「部活はどう? 茶道部だよね」
「楽しいですわよ。好きな甘さに抹茶をたてられるんですもの。結宇ちゃんは声楽部でしたわよね? なぜ急に歌を? 中学の頃は卓球部でしたけれど」
「卓球は華子ちゃんの帰り時間を合わせるためにやってただけで、やりたいことでもなかったんだよね。今回もまあ、似たような理由だよ」
「私のために部活動を選んでいたのですか? 結宇ちゃんのその優しさに私は身が震える思いですわ!」
「大袈裟だよう……」
感激して胸の前に両手を合わせている華子に心の中で申し訳ないと思っていた。
十歳の誕生日に起きた誘拐事件を救ってくれた怪盗フェイカーに会うために、密かに努力をしていた。
お礼を言うためだけに会いたいと言っても相手は追われる立場の怪盗。簡単に会えるとは考えていない。追われている相手に不都合があってはならない。そして覚えられていないことを前提に行動するしかない。
会いに来てくれるわけがないのだから、会いに行くしかないのだ。
そこで中学時代は基礎体力を上げるために走り込みの多い卓球部を選んだ。
高校でも運動部にしようかとも考えたのだが、高校からは運動部の力の入れようが強くなっていて結宇の目的とは違っていた。
文化部でも運動部のように鍛えられる部活。さらにコンクールなどの予定が多すぎないものが好ましい。
演劇部と声楽部の二択まで絞り込んで、声楽部を選んだ。
演劇部の舞台に結宇の精神が耐えられる気がしなかった。
それに声楽部なら声の大きさを鍛えられる。怪盗を呼ぶ声を鍛えるという意味では適している気がする。
またしても華子に言えない理由で部活動を選んでいた。
「ふふ、今日は一日幸せな気分で過ごせそうですわ」
「何よりだよ」
抹茶ラテ一つで一日の気分が決まるなら安い買い物をした。
結宇は美味しそうに抹茶ラテを飲んでいる友人の様子に満足した。
「おはよう、月森、秋保」
教室に入って来た海がややすっきりした顔で二人に挨拶の声をかけた。
「おはよう、青芝くん」
「おはようございます。あの、急に苗字を呼び捨てにしないでくれます? 不可解なのですが」
「不愉快じゃなくて?」
「不愉快ですが、それ以上に不可解ですのよ」
ずっと手に持っていた抹茶ラテを置いた華子は体を海に向ける。
「私たち、あなたとお友達になった覚えはありません」
さすがに言い過ぎなんじゃないかと焦った結宇は双方の顔を交互に見た。
どちらを止めればいいのか、すぐに決断が下せない。
困った結宇を見かねてなのか、それとも結宇の反応を待っていたのか、海が言い返した。
「友達でなくても呼ぶだろ。クラスメイトなんだから。それとも何か? この街じゃ友達にならないと苗字を呼び捨てにすることもできないのか?」
「でしたら、あなたのことを「青芝」と呼び捨てにしてさしあげますわ!」
ほら不愉快だろうとばかりに指を差した。
だが、海は頭上に疑問符を浮かべている。
「だから、普通なんだって。小学校の時も中学も、誰も俺のこと「青芝くん」なんて呼ぶ女子いなかったし」
「な、なんですって⁉」
雷に打たれるほどの衝撃に襲われているのが結宇にははっきりと見えた。
海外に行っていた経験があるのだから、むしろ今の華子の態度の方が不思議なのだ。
「てっきり、そういう馴れ馴れしいのは海外だけだと思ってましたわ……」
顔を青くしてショックを受けた華子は助けを求めて結宇の手を取る。結宇はゆっくりと視線を逸らした。海が味わってきた世界のことは、結宇も小学生の頃に体験していた。海外から華子が戻って来てからは遠ざかってしまった文化である。
「そんな、結宇ちゃんまで……⁉」
華子が想像していた高校生活はどうやらまだまだ前途多難らしかった。