怪盗はそこにいる
『月森さん、今家?』
テレビ通話だからと前髪を整えてから応答すると、夜の街を背景に海の顔が映った。
海は外にいるらしい。
「うん。家、だけど……。青芝くんはまだ帰ってないの?」
『ちょっと気になってさ』
「気になる?」
結宇はベッドから降りて勉強机の椅子に座り、スマホを適当に立てかける。
海は外にはいるが移動をしているわけではないようで、景色が大きく変わらない。
『怪盗フェイカーって、どんな奴なのか』
好奇心を感じさせる声の跳ねに、結宇の心もドキリと跳ねた。
夜で辺りが暗いから気付かなかったが、映っている背景は美術館から近い位置のものではないか。
治安維持委員会の活動を通して怪盗の存在を知った海が怪盗フェイカーを捕まえたいと思っても仕方ないのかもしれない。
誰かが怪盗フェイカーを捉える。
当たり前に待ち構えている結末を、そう言えば一度も考えたことがなかった。それがクラスメイトでないとは言い切れない。
「怪盗が現れるから今夜は危ないってさっき言って回ったばかりなのに……」
一人でも怪盗の邪魔をする人を減らさなければ、とわずか一時間前まで何とか美術館に行こうとしていた自身の行動を棚上げして海を止める。しかし海は怪盗を捕まえようとはしていなかった。
『そうなんだけど、月森さん、怪盗を見たそうだったから』
「……私?」
会ってお礼を伝えたい。そういう気持ちは常に持ち合わせてはいるものの、表に出すようなことはしなかった。
あくまでも個人的なものであって、委員会活動は別だ。そう意識はしていたつもりだった。
『あれ、違った?』
途端に焦った様子に変化した海が自信を画面から外した。恥ずかしくなってわざとカメラをずらしたのだ。
どこをどう見て結宇が怪盗に会いたいと思われたのかまったく見当もついていないが、結宇のために危険を冒してまで美術館の近くまで行ったと言われて嘘は吐けない。
「……違うよ」
『あ……あー、そっか。ごめん。俺の早とちり』
「私は怪盗さんを見たいんじゃない。会いたいの」
海の言葉を遮るように本音を話した。
ただ会いたい。会って、お礼を言いたい。それだけ。
それだけなのに、遠い。
『じゃあ……誘えばよかったか』
「ううん。いいの。青芝くん、くれぐれも気を付けてね?」
誘われたところで断らなければならないのは明白だ。ならば最初から誘われない方がいい。華子によって家に強制的に帰されるし、一度帰ってしまうと外に出るのは難しい。
母と祖母は、結宇の誘拐に対して強い責任を感じている。
女の子だから、こうも過保護になるのだろうか。
海のように男の子であれば、堂々と会いに行けたのだろうか。
機会を逃すこともなく――いや、何か手はあるはずだ。会って必ずお礼を言うのだと忘れさえしなければ、機会は必ず訪れる。
『ありがとう。ここから動く気はないから多分大丈夫だ』
ようやく画面に姿を見せた海はすぐに美術館へとカメラを向けたようで、画面の中央に小さく美術館が映った。
時刻は午後七時五十九分。
間もなく、怪盗フェイカーが現れる。
『お』
海の声が聞こえてしばらく後に、ガラスの割れる音が結宇のスマホから流れた。
結宇はスマホに顔を近付ける。先ほどの音は恐らく美術館に入った際の音なので中の様子は何一つとして見えない。
警察官や警備たちが騒ぎ立てているはずだが、その音も聞こえない。
『派手だなー。月森さん、見えてる?』
「うん。大丈夫」
中に入ったなら、捕まらない限りは出てくる。
怪盗フェイカーが出てくる瞬間を逃がさないつもりで食い入るようにスマホを見つめた。
「あっ……!」
長く細く揺らめくシルエットが美術館から飛び出すのが見えた。同じタイミングで海の感嘆の声も揃った。
間違いない。
怪盗フェイカーだ。
今でも鮮明に覚えている。長いマフラーで結宇を包み込んで、連れ出してくれたのだ。
過去に思いを馳せていた瞬間、影がこちらを見た気がした。
『今、こっち見たか……?』
息を呑む海。結宇は言葉を失っていた。
ほほ笑んだように見えたのは夜で視界が悪いからか、それともスマホ越しでも会えたらと願った心の声が届いたのか。
海もこっちを見たと思ったのなら、気付かれたと思っていいかもしれない。
さすがにスマホの画面なんてものは見えてはいないだろうけれど。
『すげえ……』
まだ通話が続いていることが頭から抜け落ちたのか、画面が大きくブレた。
これまで縦だった画角が横に代わり、どうやら写真を撮ろうとしていたのだと分かった。
『うわっ、月森さんごめん、俺っ!』
「分かるよ、青芝くんの気持ち。ありがとう、少しだけすっきりした」
『すっきり? ……まあ、いっか。うん。俺も電話してよかった』
二人とも、怪盗フェイカーを目にして興奮を抑えきれずにいる。
結宇だけでなく海も何かを決意したような表情をしていた。
また明日、と挨拶を交わしてテレビ通話は終わった。
「既読も付きませんわね……」
華子はスマホに指を滑らせながら溜息を吐き出した。
「お風呂かしら? それとも家族団欒に花が咲いている? そうであれば一向に構わないのですが」
華子が気になって仕方ないのは青芝海というクラスメイトの男子だ。
治安維持委員会という怪しげな委員会に結宇とともに入っただけでも気に入らないというのに、今日の放課後にあったという委員会活動の後、二人は一緒に学校へと戻ってきた。
結宇は華子と一緒に帰るために戻ってきたが、海がなぜ学校に戻ってきたのか理由は定かではない。
結宇を一人にしなかったという点だけは褒めてもいいかもしれないが、距離が近いのが気に入らない。
小さいころ、海外に転勤するという父親と一緒に日本から出ていた。
結宇と知り合って間もないころだったので非常に寂しかった記憶が強い。
日本に戻って来て久しぶりに会った結宇は誘拐を経験した後だった。
気丈に振る舞う結宇がそんな目に遭っていたとは想像もできず、知った時はかなりのショックを受けた。
それから結宇の母親と祖母がなるべく一人にしないようにしていることを聞いて、協力しようと決めた。
中学の三年間は常に一緒にいることができた。高校に入っても同じように、と意気込んですぐに委員会に躓いた。中学の頃なら男女一人ずつなんて決まりはなかったから、結宇と同じ委員会に入れた。部活も校外で行うものも少なかったので問題はなかった。
なのに、高校に入ってから上手くいかない。
結宇を誘拐したのは男である。そう結宇自身が証言したことで華子はすべての性別男に警戒するようになった。
さらに結宇が監禁されていた場所には怪盗フェイカーが現れたとの話もある。結宇は何も言わなかったが、結宇を誘拐したのは怪盗フェイカーなのではないかと疑っている。
誘拐だって立派な盗む行為だ。
だから今夜、部活帰りに遊んで帰ろうと言い出した結宇を急かして家に帰したのだ。
一度は無事に帰ってこられたが、もう一度狙われないとは言い切れない。
「結宇ちゃん……早く連絡を返して」
結宇の無事が確認できなければ安心できない。
華子はスマホをぎゅっと両手で握った。