怪盗と邂逅1
十歳の誕生日は、最悪だった。
フルーツたっぷりの大きなケーキ、骨付きのチキン、大好きな厚切りハムの入ったマカロニサラダ。
飾り付けられたリビングと、片付けが楽な方のクラッカーを鳴らして。
両親と、祖父母、それから兄から祝われて、楽しい十歳の一年が始まるはずだったのに。
新しい服を買ってくれるというので母と祖母と三人で街に繰り出し、家に帰って来たまさにその瞬間、私は家族と引き離された。
口元を覆われ、視界を奪われ、意識も落とされて、気が付けば暗闇の中に一人だった。
足と手はガムテープのようなもので縛られ、動ける範囲で閉じ込められている場所を推測すると、とても狭くて部屋とは言い難い。箱のような――それにしては強度があるので棚か何かに入れられているのか。
蹴ってみるとわずかに動きはするものの、体が満足に動かせないので蹴破るまではいかない。
これがもしもテレビドラマで見た「誘拐」であるならば、家に犯人からの電話が行っているはずだ。
ミノシロキンだとか。
ウケワタシバショだとか。
テレビで見たようなやり取りがなされているはずだ。
絶対に、娘を見殺しにするような家族ではない。犯人の知りえないところで警察も動いてくれている。きっと。
大人しく待っていれば、助けてくれる。
それでも恐怖は拭えなかった。
一人で狭くて暗い場所に閉じ込められていると、簡単に恐怖は消えない。
このまま誰にも助けられることなく、孤独に死んでしまうのでは。いや、殺されてしまうのでは。
そう考えると心の中に闇が広がる気がしてきた。
目の前の色と同じ、闇色に染められる。
命が尽きるよりも先に心が死んでしまいそう。
目を開けているのか閉じているのかも分からない中、こちらに近づく足音が聞こえた。
夢でも闇の中でもない、現実の音。
もしかして助けに来てくれた人だろうか。そんな希望の期待も虚しく、聞こえた声に絶望がすぐに戻ってきた。
「まだ生きてるだろうな? 死んでたら意味ねえぞ」
低くて恐怖を覚える声。
キイと扉の開く音がして、慌てて眠った振りをする。
「さっきまで暴れてたんで生きてますよ」
もう一人別の人の声がして、それもそうかと納得した。
「誘拐」なら、一人で行うことはまずない。
何人かのグループで行うのが普通だ。
そして手に入れたミノシロキンで仲違いするのだ。
そういうドラマの多いこと多いこと。
扉が閉められてまた暗闇が戻る。
「そうか。それならいい。身代金の要求の電話はさっき入れた。あと半日もすれば俺たちの願いは叶うぞ」
「受け渡し場所はどうするんです?」
「それならもう決めてある」
「じゃあ後はこの娘を……」
「ああ。金が手に入りさえすれば用はない。だが殺すなよ? 一度だけで終わらせるには惜しいからな」
「……誰よりも恐ろしいことを考えますね」
男たちの会話を耳にしながら、改めて酷い誕生日だと憂えた。
この男たちは一度ならず何度も誘拐をして、大金をせしめようとしている。これからの長い人生、誘拐に怯えながら生きていかなければならないのか。
そんな絶望しかない人生を歩めというのか。
盛大にお祝いしてくれるはずの誕生日のパーティもなく、今後の人生を嘆くしかない。
いっそ、殺してくれた方が楽だ。
「それより、今日なんかヤバそうなんすよ」
「ヤバい? どういうことだ?」
「さっきから外を警察が何度も通りすぎてんですよ……」
「は? もしかして通報されたのか⁉」
「そうじゃないっぽいっす。多分、これっすよ」
「なんだよ……」
会話だけでは何が繰り広げられているのか予想も想像もつかない。だが、男たちが焦っていることだけははっきりと伝わってくる。
「とにかく、一旦離れるぞ」
「え、でも娘はどうするんです⁉」
「そこにいりゃ見つからねえよ! 状況が落ち着いたらまた来ればいい。金が先だ!」
荒っぽい二人分の足音が遠ざかっていく。
今度こそ、一人きりになったようだ。
試しに一度、足を思い切り動かしてみる。
反応はない。もう一度。
反応はない。もう一度。
三度音を立てて反応はないところを見ると、本当に誰もいなくなってしまったらしい。
家族はミノシロキンを用意してくれるらしいが、今後何度も同じ目に遭うと知られたら、どんな顔をされるのだろう。
いつか見捨てられてもおかしくはない。
暗くて狭い何かの中で一人、溜息を吐いた。
涙が重力に従って流れ落ちる。今ならどれだけ泣いても、聞かれることも見られることもない。
ぐしゃぐしゃに顔が涙で濡れると、口元を覆っていたガムテープが剥がれ落ちた。
すすり泣く声が漏れ出る。
悲しくて、申し訳なくて、涙が止まらなくなった。
「泣いてるだけじゃ、どこにいるか分からないな」
さっきの二人とは違う声がして、慌てて口を閉ざす。別の仲間が戻ってきたのかと焦ったが、仲間なら隠されている場所が分からないのはおかしい。
「まさか、幽霊ってわけでもないだろう? 幽霊ならすぐに姿を見せてほしいもんだが……」
もしかして、助けに来てくれた警察の人かと思い、足を動かして音を鳴らす。
「お、そこか。……ふーん」
殺されるならそれでもいいと思った。
暗い闇の中で一人死んでいくくらいなら、殺されてもいいから人に見ていてもらいたい。
一人で死ぬのだけは、嫌だった。
開けられた扉から、光が差し込む。
蛍光灯なのか外の明かりなのかは視界が歪んでいてよく分からない。
涙で歪んだ視界は、布で拭われて晴れていった。
「おいおい、なんでこんなところに子供がいるんだよ……?」
手と足のロープが解かれ、狭い場所から外に出た。
ただただ広い空間。何度か家族と来たことのある場所だった。
美術館。
その展示室の中に隠されていたようだった。
「誘拐か。ははあ。誘拐犯も馬鹿だなあ。今日みたいな日に決行するとは」
笑いながら目の前の人物――髪も目も服装も、特徴的な長いマフラーもすべてが黒一色の男の人は笑いながら少女の手を取った。
「あなたは……?」
どうやら偶然見つけてくれたらしい。助けてくれるのだろうかと見上げていると、服装の乱れを簡単に直してくれながら最後に頭を撫でてくれた。
「俺か? 俺は怪盗だ。君の閉じ込められていたケースに入っているものを盗みに来たのさ」