夢から始まる物語
九月、多くの高校生は夏休みという学生の特権の代名詞とも言える長期休暇を終えて学校生活という日常へ帰還する。
建立してからはまだそこそこ新しいといえる、私立伊丹野高校の生徒たちも例外ではない。
そして、多くの高校にある九月の学校行事の代表とも言える文化祭が終わり、生徒たちの浮ついた空気も無くなった九月の半ば頃、伊丹野高校では穏やかで、少し騒がしいありふれた日常が繰り広げられていた。
狭間学もそのありふれた日常に身を置く一人だった。
あの日、あんな不思議な事が起こるまでは。
いつも通りの六限まである授業をしっかりと受けきり、学は一人、部室へ向かう。
学が在籍している部活は今年出来たばかりのしかも一年生五人で構成された小説研究会というのは名ばかりの、部活に必ず入らないといけないという学校の決まり事を仕方なく承諾した、言わば帰宅部予備軍の掃き溜めのような部活である。
実際どういった活動をしているのかというと、最近のライトノベルの風潮や傾向を観察し、自分たちで作品を出す……というのが表向きの活動だ。
部室に入ると一人先に来ているようだ。
そこには、部屋に置いてある長机にノートパソコンを展開し何かしらの作業をしている、とりあえずのジャンケンで決まった部長、佐倉悠理の姿があった。
「佐倉だけか?他のやつらは」
「見たらわかるでしょ、鞄もないんだから誰も来てないよ」
少しキツめの言い方だが、ふわっとした柔らかな声で悠理は返した。
学は悠理と向かい合う形で椅子に腰掛ける。
少しの乱れや変色のない綺麗な栗色のストレートセミロングの髪、くっきりとした二重の瞼に琥珀のような瞳がしっかりと光る。
所謂美少女と形容できるその容姿は男子の間でもかなりの人気がある、学年一の美少女と言われるぐらいには人気だ。
「それで狭間くん、ニヤニヤしてるけどなんかいい事でもあったの?」
「いや、それがさ今朝すっげー夢見てさー、正夢だったらいいなーって思って」
「へー、どんな夢見たのー?」
「それがさ、佐倉が俺に……て、手作りのケーキをご馳走してくれる夢だったんだけどさ」
実際は学年一の美少女と言われている悠理から告白される夢……なんてことは流石に本人を前にして言える訳もなく、学はそれなりのいかにもありそうな内容で誤魔化した。
「はぁ?なんでアタシがアンタの夢に出なきゃいけないのよ」
「いやいや、そっちが聞いてきたんじゃねーか」
「そうだけど……なんかヤダ!」
「そんなストレートに嫌がるか、ちょっとオレ悲しくなってきたぞ」
悠理はムッとした顔をしているが、そんな表情もかなり可愛い、何を言われても許してしまえる気がする。
学がそんな事を考えていると、部室のドアが勢いよく開いた。
「おやおやお二人さん、放課後なってからも痴話喧嘩とはあっついねー」
少し茶化したような言い方で入ってきたのは、女子にしては高めの身長、しっかりとした顔立ちとポニーテールが特徴的な、中学のテニス部で全国一位の成績を収めたのにも関わらず、何故か強豪校の推薦を全て断り、挙句小説研究会に入部した謎の多いスポーツ少女、滝沢優奈だ。
「な、何が痴話喧嘩よ!」
「そ、そんなんじゃねぇし!」
思わず学と悠理、二人の声が被る。
優奈は「クスクス」と笑いながら鞄を投げたして部室の奥に設置されているソファーに寝転がる。
「優奈、普通に見えてる」
学の席からは見えていないが、どうやら悠理の席からはスカートの中が丸見えなようだ。
「いいじゃん、別に見られて困るもんでもないしー」
「いやいや、俺もいるんだが」
「えーなになにー?がっくんはあたしのスカートの中がそんなに気になるのー?」
優奈はそう言うとスカートの裾を少しづつ上に捲っていく。
「狭間くんサイテー」
「ちょっ、佐倉、誤解だって、っていうか滝沢、そういうのやめろっていつも言ってんじゃん」
「えーいいじゃーん、だってがっくんの反応面白いんだもーん、ちなみにー、スカートの中は半パン履いてまーす」
優奈はまた「クスクス」と笑いながら満足気な表情だった。
「ところでさ、さっきなんの話してたの?」
優奈が二人に尋ねる。
「え?ああ、アレだよ今朝見た夢の話」
「優奈きいてくれる?なんか狭間くんの夢にあたしが出てきて手作りのケーキをご馳走するとかいう現実じゃありえない内容の夢らしいの」
「現実じゃありえないレベルなのかよ、ほんとに泣くぞオレ」
優奈はそれを聞いてなにか考え込んでいる。
「優奈どうかしたの?」
悠理が優奈に尋ねる。
「いやー、実はさ、あたしも夢に出てきたんだよねー」
「ん?どゆこと?」
「ゆーりとがっくん、んで、これ言ったらゆーり怒るかもしんないけど、ゆーりががっくんに……」
「ち、ちょーっとまったぁぁぁあ!」
優奈の言葉を悠理が遮る、まるで自分も何かを体験したかのような反応だった。
そして悠理は優奈に何かを耳打ちすると、優奈はその話を続けずに終えた。
だが、学はその反応に疑問を抱かずにはいられなかった。
「滝沢、まさかとは思うんだが、お前の見た夢ってもしかして佐倉が俺に告白する夢じゃないか?」
悠理も優奈も一瞬凍りついた。
「狭間くん……どうしてそれを……」
悠理はオドオドしながら学に尋ねる。
「いや、さっき見た夢の話なんだけどさ、実はお前が俺に告白してくれる夢だったんだけど、さすがに本人にそのまま言うのは気が引けたというかなんというか……っていうか所詮夢だしな、普通に言えば良かったな」
学は少し照れくさそうにしながら続けて優奈に尋ねた。
「で、滝沢どうなんだ?」
「すっごい!その通りだよ!なにが凄いってその夢見たのあたしとがっくんだけじゃないって事が凄いよね!」
優奈はハッとして学の質問に応えた。
「どういうことだ?」
「だって悠理も見たんでしょ?その夢」
「……うん……」
学は呆気に取られた。
三人が全く同じ夢を見るなんてことが実際にあるのだろうか、いや、実際に今起こっているのだが。
「で、でも!所詮夢よ!夢!アタシが狭間くんに告白なんて手作りケーキよりもっとありえない!」
「で、でーすよねー……トホホ……」
学もいい夢を見れたと思い、その場はそこまで気にしていなかった、優奈の後に部室に入ってきた二人の言葉を聞くまでは。
「遅くなった、ごめん」
「なんだ、みんなもういるのか」
部室のドアが静かに開き、入ってきたのは一学期の終わりに他県から転校してきてとりあえずで学達と同じ小説研究会に入部した氷室楓と学年トップの成績の秀才、新羅大地だった。
氷室楓の見た目は少しの乱れもない綺麗な黒髪のストレートロングヘア、顔立ちはかなり整っており、高校生にしてはかなり大人びている。
新羅大地はというと、身長は学とほとんど変わらず平均的で、所謂ジャニーズ系と呼ばれる顔立ちで、学年でもかなりのイケメンの部類に入る、正直かなりモテるのだ。
「二人ともおつかれー」
入ってきた二人に対して優奈が反応した。
「あ、そうそう、来て早速なんだけどさ、佐倉って学のこと好きだったりすんの?」
突然の大地の発言に学、悠理、優奈の三人は固まってしまった。
「は、はぁ!?そんな訳ないじゃん!なんなのいきなり!」
その硬直を我に返った悠理が慌てて断ち切った。
「いやさ、さっきここ来るまでの廊下で氷室と今朝見た夢の話してたんだけど、これがまた同じ夢見てさ」
大地の応えに学と優奈が顔を合わせた。
「新羅くん、そ、その夢ってまさか、あたしが、その、狭間くんに告白するっていう夢じゃないよね?」
悠理は大地に話を続けた。
「ん?ああ、そうだけど?いや、それでさ二人で聞いてみようぜってなって……、ってなんでわかった?」
大地はまさかと思い問い返す。
「これってホントに偶然なのかな?」
「いや、さすがにこれが偶然起こってるならどんな確率だよって話だ」
学と優奈は顔を真っ青にして話し合う。
「え?あのさ、まさかと思うんだけど三人も同じ夢見たとかそんな事言い出すんじゃ無いよね?」
楓は三人の反応に何かを察したものの、どうしても信じられない内容だったのか三人に向かって問いかけた。
「一旦まず、話を整理しようか」
学はこの混乱した状況をとりあえず纏める為、全員をいつもの定位置に座らせた。
そして、学がいざ話を切り出そうとした時、静かに部室のドアが開いた、そこには何処か遠くを見ているような、自分たちを視界には捉えていないような虚ろな表情の同級生、白石美沙の姿があった。