31 『フィレ』と『フィオニーレ』
(そうか。なら、訳を話せ)
『発端は5年前。我が君が半休眠状態となり、『再臨』が最も早い私が現世へと降り立ちました。あれから700年。愚かな人々は争いを続けていると思っていましたが、世界全体の様相は私の予想と大きく異なっていました』
(なかったんだな。大きな争いが)
『はい。ほんの小さな小競り合いがあるものの、世界は平和を享受していました。人々が豊かな心を持つそこにおいて、私が活動する必要性が微塵にも感じられなかったのです』
顔を上げたフィレは偽ることなく、はっきりと思いを打ち明けていく。そんな彼をとがめることもなく、『本体』は静かに見守り続けていた。
『しかしながら私は魔族。意図しなくともいるだけで魔物の発生を促してしまう特性を持っています。ですので人々と深く関わることはなく、遠目から接し、世界全体を見て回りました。そして4年続いた旅の末、私はスモークへとたどり着きました』
(それからは?)
『……お恥ずかしながら、私はそこで恋をしました』
(恋?)
『透過の魔法で見て回っていた中で、自由奔放な姉を必死に追いかけ、時に叱りながらも支え続ける美しくも力強い存在がいました。それが、今日まで私が秘書官として付き従っていたニーアです』
(そうか。あの子が……)
コウを通して見た悲しみに暮れるニーアを思い出し、『本体』は感慨深いといった表情を浮かべる。感情を表現できるようになった『本体』を見て、サクはいい感じに人としての心が昨日から成長しているのではないかと思えた。
これではっきりしたフィレの隠し事である、魔族と人の恋模様。美女と野獣的な組み合わせがどうなるのかをサクはそのまま傍観することにした。
『経歴の詐称、役職への侵入は私にとって慣れたもの。そして私はニーアの同級生、同僚として近づき、『魔族』としてではなく『人』としての生活を楽しんでいました』
(その楽しいひと時があったのに、どうして今回のようなことをした)
『私以外にも目覚め始めた各将たち。彼らによってもたらされる問題を無視することは出来ません。私も間違いなく、その一員となっているのですから。その対応に追われ、ただでさえ忙しい日々を送っていたニーアの疲労は限界に近づいていました。そんな彼女の負担を少しでも早く軽減するため、私は行動を開始したのです』
(……自らを葬ろうと考えたのか)
『そうです。その後活動の最中にで想定外であり利用価値があると判断したのが我が君の独断行動です。ウィーンを消し去ったのを確認し、そうせざるを得ない状況を作り上げることで私も消滅してもらおうと計画を練り、実行した所存です』
(私を利用しようとしたか。お前らしい大胆な行動だな)
『ここまでが、私が秘匿してきたこととなります。処分、よろしくお願いします』
そういって立ち上がり、フィレは深々と頭を下げた。誠意を込めて自らの消滅を懇願する彼からはニーアに対する思いが滲み出ている。サクが知る限りその思いは間違いなく、愛と称せるものだった。
ここまで本気の強い思いを知ってしまえば、個人的には消滅させることはなく何かしらの別の手段を見つけてほしかった。声が出ないために助言ができないことを苛立っていると、『本体』がゆっくりと動き出した。
元に戻るフィレの目の前に立ち、金色の瞳は真っ直ぐに眼鏡の向こうにある瞳を見つめて動かない。緊迫した空気が流れ、呼吸をしていないのにサクは息苦しく感じてしまう。
(お前は最後にごめん、といった。あれはどういう思いから来たの?)
『それは……、こういう形で突然別れるのが申し訳なく思ったからです』
(申し訳ないということは、彼女とまだ一緒にいたいと思う気持ちがあると考えていいか)
『……はい。正直に言えば、そうだと言えます。しかしながら彼女のためには私は消えるしかありません。それこそが――』
(決まった)
フィレが言い終える前に簡潔に一言、『本体』は言い放った。その後光り輝き始めたフィレの体は、少しずつ消滅をしていく。
自らの懇願が聞き入れられたことに満足したフィレは穏やかな笑みを浮かべる。本人はよくても納得がいかないサクは抗議の念を『本体』と飛ばしてみるが、まるで反応してくれなかった。
何もできないことが悔しくてしょうがない。一心にニーアを思うフィレがこのまま消えたら後味悪い終わり方がさらに塗り重ねられてトラウマになってしまいそうだ。
そんなこんなしてるうちに半透明を超えてフィレはもう消える寸前になっていた。穏やかな笑みを崩すことのなく、生みの親である『本体』に最後の思いを告げた。
『ありがとうございました、我が君。いつかまた、会うことがあれば――』
そこにいるのは『フィレ』という魔族ではなく、『フィオニーレ』という1人の女性を愛する心優しい男性だった。少なくともサクには、そうとしか見えなかった。
完全に消え去り、しゃべり手が減ったことで空間は静まり返る。フィレの消滅は、サクの心を空しさで埋め尽くすのだった。
しばらく誰ともしゃべりたくない気分になったサクが早く普通の眠りに戻らないかと思い始めたところで、突然空間の景色が歪み始めた。異様にねじ曲がり、形を変えていく複雑怪奇な光景を見てに酔いそうになってしまう。
夢の中で酔うという新たな体験に困惑していると『本体』がゆっくりと近づいてきた。目が回り始めているサクの意識の塊を周囲から丁重に保護しながら、笑いかけてきた。
(行こうパパ。ニーアのところに)
※※
「――?」
湿ったヒンヤリとした風が頬に当たる。それだけでなく、聞き慣れた音が聞こえてくる。城の近くにある深夜でも稼働し続けることで有名な街の部品工場の稼働音だ。
消滅した先には何もないはず。それともこの感覚はあるかもしれない天国と地獄のものなのか。しかしながら自らの性分からしてありもしないことを信じられなかった。
真実を確かめるため、開くことができると分かった瞼を開いていく。その先に広がっている光景を見て、フィレは思わずたじろいでしまった。
「スモーク……? そんな馬鹿な。私は我が君に――」
ほんの少し前の記憶は自らが消滅していくというもの。だが、目の前にはもう見ることはないと思っていたスモークの街並みがある。理解できないフィレだったが、すぐにあることに気づいた。
「力が……」
次元を超える力。そして生み出された際に仕込まれた多くの魔法が使えなくなっていた。今の自分はまるで非力な一般人。そう、一般人だ。
開いた両手の平をまじまじと見つめた後、雨が上がって綺麗な月が優しく光を振りまく空を見上げる。美しい景色を眺められるそこは、今日の戦闘でボロボロになった謁見の間だった。
すでに生み出した存在であっても作り変えることができたのだろうか。現状ではそうとしか考えることができない。だとすれば、感謝してもしきれない。
非力になった自分が嬉しくてたまらないフィレは月明かりに照らされた街並みを新たな目線で観察する。そして、晴れやかな心に思い浮かんだ一言を口にしようとした。
「綺麗っ!?」
突然腹部に手が回され、背後から抱きしめられてしまったフィレ。一人っきりだと油断していたがために、素っ頓狂な声を上げてしまった。
力を失ったので一体誰が抱き着いているのか分からない。とりあえず困惑する心を何とか落ち着かせようと呼吸を整えようとしたところで、抱き着いている存在が話しかけてきた。
「本当にフィレだよね?」
「……ニーア?」
か細いその声を聞き、ようやく抱き着いてきたのが誰かを理解することができた。よく見れば月明かりに照らされた腕が褐色だった。
絶対に離さないといった感じで強めに回されている腕のせいで、思う様に動くことができない。フィレはそのままの状態で、ニーアに語り掛ける。
「どうしてここにいたんだ? 私もついさっき来たばかりだと思ったんだけど」
「夢で白い誰かが教えてくれたの。フィレがここに現れること。それとフィレがどういった存在だったのかを」
「……そうか。大丈夫だニーア。これ以上君には迷惑をかけない。だから手を――」
「離したら絶対にどこかに行っちゃうでしょ!!」
大きくも震えたニーアの大声が響き渡る。感情が抑えきれなくなったニーアの嗚咽はフィレの耳にも聞こえていた。
これまで一緒にいたから、彼女の思いもちゃんと理解はしている。それだとしても、彼女の下から去ろうと強硬策に及んだ自らにフィレは後ろめたさを感じていた。
ここで抱きしめ返してすぐにでもニーアを慰めたい気持ちもあるが、それを実行する権利が自分にあるとは思えないフィレ。悩み続けながらもとりあえずニーアに語り掛ける。
「聞いたなら知ったはずだ。だからこそ、今私はどうしていいか分からなくなっている」
「何で?」
「君を愛していた。しかしながら今日まで君をだまし、挙句無理矢理、身勝手に君の下から去ろうとした。結果人間になれたが、私のしたことは――」
「愛してたんでしょ?」
「ああ。でも――」
「ならいいじゃない」
「しかし、それでは――」
「私はフィレがいなくちゃ嫌なの! これからも一緒にいてほしいの! だから、だから……!」
酸素が足りなくなったためかむせてしまうニーア。それだけでも迷うフィレを押しとどめたいという強い思いはひしひしと伝わっていた。
腕を解き、ニーアはフィレの前へと回り込む。吹っ切れることのできないフィレの目には、大切な存在を一心に思い、特殊な力を宿す瞳から大粒の涙を流し続けるニーアが映し出されていた。
だらしなく垂れた鼻水や涙が月明かりを反射している。大好き存在のぐしゃぐしゃになった顔は、この上なく愛おしく感じられた。それによりフィレの迷いが消え始めていき、止めといえる一言をニーアは絞り出す。
「だから、どこにも行かないで、『フィオニーレ』! あなたがいるから、私は頑張れるの!!」
「……ありがとう。そして、すまなかった、ニーア」
感謝と謝罪を述べたフィレは、優しくニーアを抱きしめる。お互いの思いをしっかりと確かめ合いながら、2人っきりの時間を楽しんだ。
「絶対、どこにも行かない?」
「ああ。絶対だ」
「絶対に絶対?」
「絶対に絶対だ」
「……ううぅぅええぇぇぇ~――」
「存分に泣けニーア。私が全部受け止める」
大きな傷跡が残る深夜のチップ城の上層にて、ニーアの鳴き声が響き渡る。それを嫌がることなく受け止めるフィレは優しく頭を撫で続けていた。
これにてめでたしめでたし。そう心の中で締めくくるサク。彼らの様子を街の建物の上から見守っていたのだ。
悪かった後味は何処かへと消え去り、心地よい爽快感が胸を満たしていた。いい仕事をしたと、サクは意気揚々に城の方へと戻っていくのだった。




