22 大きな恋人
広間にてカーラと合流したサクたち。額が痛む以外特に疲れもないため、全身全霊で屋敷の掃除に着手することとなった。
吸血鬼状態を活かした床の高速水ぶき。竜へと姿を変えたハクによる屋根の手入れ。舐めても大丈夫なほどにまでトイレの便器を綺麗にしたり、たまにハクといちゃいちゃしたり。色々と大変だったが、それなりに楽しむことができた。
合間における休憩時、カーラが厨房を借りて作ってくれた菓子各種が絶品だった。どうしてこんなに美味しいのか聞くと、隠し味は「愛」だといつものフワフワした感じで断言した。
いつもなら裏があるような気がするが、女神のような微笑みからは偽りを言っているようには見えない。素直に照れながらも食べ進める間カーラがこれまで以上に温かな笑みを向け続けているのに気づいてはいたが、恥ずかしくて声をかけることができなかった。
そんなこんなでハクとカーラ、使用人たちと作業をしていればもう夕方。アイリスとゲイリーが帰ってきたところで夕食作り。食べ終わって楽しいおしゃべりをしていればお風呂の時間。変わることのない、いつも通りの時間が過ぎていく。
だが、これ以降はいつも通りでは終わらない。終わらせてはいけない。かねてから準備を重ねていた大切なことを実行するときが来たのだから。
「……よし、準備完了。気張れ、俺」
外出用の服に身を包んだサクは、自室の鏡の前で気合を入れるために頬を張る。冴えない顔が変わることはないが、本人的には少しでも良くなっているように見えていた。
すでに夜、寝る前に散歩に行く約束はしておいた。目的地は無いような感じで歩きつつ、絶対に街の南の噴水のある公園にたどり着くように調整する。事前に何度か人の多い中を我慢して下見したので、全く問題はない、ハズだ。
収納方陣から取り出した小さな箱の中身を確認し、再度覚悟を決めていると扉がノックされた。不意打ちともいえるそれに驚いて箱を落としそうになるも、何とか耐えて収納方陣へとしまう。
「サク、そろそろ行く?」
「ああ。今行く」
問いかけに応え、最後に深呼吸をしてから扉を開ける。月明かりでほんのりと明るい廊下には美しい女神の姿があった。
「んじゃ、行くか」
「うん!」
輝かしい笑顔を眩しく感じながら、2人で一緒に屋敷の正面出入り口を目指す。その間でもちゃんと手は繋いでいた。
出入り口付近にいた使用人に声をかけ、外へと出ていく。こんな感じで初めてハクと夜の散歩に行った時の受付の女性従業員の対応が脳裏をよぎり、少し笑ってしまった。
屋敷の敷地内を出て噴水のある公園へと動き始めたところでハクは手を繋ぐだけでは満足できず、腕に絡みついてきた。温かなハクの体温と豊満な理想郷の柔らかさに反応してムスコが元気になるが気にしない。気にしてはいけない。
街灯の明かりが照らす中、営業時間を終えてしまったお店について話したり、明日以降スモークに行ってどんなことがあるかと予想したりしていれば、噴水のある公園が見えてきた。
いつぞやの公園と同じく、ごみ一つ落ちていない。徹底的に手入れが行き届いた美しいとも表現できる内部は、とてつもなくいい感じの雰囲気が漂っている。ここまですごいと、街がこういったシュチュエーチョンを想定して頑張っているとも思えた。
神聖な空気を心地よく感じながらも近づくその時を考えると鼓動が早くなってしまう。それを押さえつけようと試みたところでハクが腕から離れ、噴水の方へとゆっくりと歩いていった。
噴水の目の前までたどり着いたところで、こちらに振り向くハク。街灯の淡い光を白銀の髪に当たり、噴水で発生した水しぶきがその輝きを受けたことで輝く。上手く言葉にできないほどの素晴らしい光景にサクが言葉を失っていると、ハクは微笑んだ。
「5年前、同じようにロメルを散歩したよね。私、しっかり覚えてるよ」
「ああ、そうだな」
「すごく楽しかったし、嬉しかった。あの時の記憶は私にとっての最高の宝物の1つ。サクが好きって言ってくれたからね」
「……懐かしくも思えるけど、ついこの間のようにも感じられるよ」
「そうだね。あっという間だったよね、この5年……」
その後、お互い感慨深いといった表情で空を見上げる。雲一つない夜空には、数えきれないほどの星が煌めていた。5年経っても変わらないそれをじっくりと眺め、再び大切な人へと向き直る。
幸運という最高の恩恵を与えてくれた世界に感謝しながら、呼吸を整えた。収納方陣にある箱のイメージをしっかりと確立させ、切り出すタイミングを計る。
「ねえ、サク」
「うん?」
計っている途中で先にハクが問いかけてきた。その瞳は真っ直ぐと向けられ、逸らす気配は全くない。
色っぽいとも違う。純粋に凄まじく可愛く、美しい。ハクの他を寄せ付けぬほどの圧倒的な雰囲気によって、落ち着き始めていたサクの鼓動は最高潮に達してしまった。
頭の中が真っ白になり、渡すときに言おうと思っていたことが完全に脳内から消滅してしまった。しかしながら、不思議とそれでいいと思える自分がいる。いいわけないのだが。
なるようになれと諦めながらも、目の前から向けられている好意に対してその姿勢を見せてはいけない。気張れと必死に自らを叱咤していると、ハクはゆっくりと口を開いた。
「大好きだよ。これからも、どんな時でも、ずっと。ずーっと」
「俺もだ。これからも、ずっと」
「……ありがとう。本当に、ありがとう。私、サクに会えてよかった。こんなに楽しい毎日送れるのも、サクのお陰だよ」
満面の笑み。この世界において他人には絶対に向けることのない、サクだけの、最高の笑みをハクはサクに向けていた。
正直、嬉しすぎて泣きそうだった。というか泣いてしまっているかもしれないが、まだ視界がぼやけていないから大丈夫なはず。大丈夫なうちに、意識を保てているうちに渡さねば。
変わることなく、いつも通りに。冴えない自らの信条を心の中で復唱し、意を決してそれとは正反対と言える冴えてる行動へと自らを動かした。
「ハク。あのな、渡したいものがある」
「渡したいもの?」
「ああ。……ああ、ちくしょう。やっぱ思い出せねえや。こういう時ぐらいかっこつけたいのに」
「……? どうしたの、サ――」
首を傾げたハクに詰め寄ったサクは頭を下げ、開けた箱を差し出す。そして、迷いのない真っ直ぐな意思を込めて、言い放った。
「俺と、結婚してください!」
たったの一言。幸せで頭の中がぐちゃぐちゃになっているサクには、これが限界だった。これ以上長く言えば、間違いなく噛んでしまって何を言っているか分からなくなっていただろう。
自分らしいと言えばそうとも言える告白。しかしながら、工夫の欠片も感じられないこれを受けてハクはどう思うか。敷き詰められた綺麗な白いタイルを見ながら、ただ返答を待つことしかできなかった。
聞こえてくるのは噴水の音。だが、それとは違う音が聞こえる気がするが、ちゃんと聞き取ることができない。吸血鬼化して聴覚を鋭くしようと思った矢先、視線の少し上、白いタイルに噴水のものとは違う水滴が落ちた。
次々と落ちてくるそれは乾いたタイルに黒い点を作り出していく。これによってようやく気付いたサクが顔を上げる。そこには、
「あり……が…、どぅ……、サクぅ……」
綺麗な黄金の瞳から止めどなく溢れ出した涙が頬を伝い顎の辺りで溜まって落ちていく。今までにない泣き顔だったが、その口から出たのは感謝の言葉だった。
ぐっしゃぐしゃのハクを見て、限界を迎えたサクの目からも涙があふれ始める。お互いにうれし涙を流し、それを止めることなく向き合い続ける。
「ごめんな、遅くなって」
「ううん、ぞんなことない」
「形も大切って言うし、これで誰からも見ても夫婦になれるな」
「……う゛ん! 私は、サクの奥さんになる!」
箱からそれぞれがつける指輪を取り、左手の薬指につける。サクにとって2つ目の指輪。アイリスの指輪の上につけたそれを見せると、ハクもつけたそれを見せてくれた。
これによって絆はさらに深まり、繋がりもより強くなる。サクとハクを結ぶ愛は、誰にも破れないほどの強固なものとなった。
何が来ても大丈夫。何が来ても怖くない。どんな困難だって全て吹き飛ばせる。2人がいれば、必ず。
「キス、しようか」
「うん! あ、でもちょっとしょっぱいかも」
「俺も派手に泣いてるから大丈夫。お互い様だよ」
「そっか。そうだよね」
2人の泣き顔は意思確認によって笑顔に変わる。そしてハクは目をつぶり、夫であるサクが来てくれるのを静かに待った。
涙の跡が残り、まだ濡れているハクの美しい顔にサクは近づいていく。身長は少しだけハクの方が高いため、少しだけ背伸びをする必要があった。
やがて、唇が重なる。そこから愛と幸せを共有しながら、ずっとこうしていたいと願うハクはサクの背中に手を回す。サクもそれに応え、抱き合う感じでキスを続けるのだった。
星が輝く夜空の下、雰囲気満点の公園で愛を確かめ合う守護騎士と竜。誰にも邪魔されることのない空間がそこにはあった。はずだった。
『隙ありだぁあ!!!』
轟いたのは咆哮にも近い叫び。公園の上空から発せられたそれと同時に、赤黒い特大の光弾がサクたちに向けて放たれた。
着弾と同時に爆発した光弾は凄まじい衝撃波を撒き散らし、美しかった景観を荒れ果てたものへと変貌させていく。土埃が舞い、視界がきかないなかで叫んだ張本人が高笑いした。
『フハハハハ!! あれで倒せたと油断していた貴様らが悪いのだ! 我は『あのお方』が存在する限り不滅なりぃ!!』
宙に浮かぶ禍々しい存在。それは先日サクによって粒子となって消えたはずのウィーン・サーロだった。
けたたましい声は夜の街に響き渡り、寝ていた者を叩き起こし、起きていた者には恐怖を与える。騎士団が異常を察知したのは、その声が聞こえてからだった。
勝利の余韻を楽しむウィーンだが、舞っていた土埃が急に晴れていくのを見て声を止めた。はっきりとした視界の先には、その場でうなだれるハクとウィーンを睨み付けるサクの姿があった。
壊れた噴水から噴き出し続ける水がサクの足元を濡らす。すでに靴下を貫通してとても気持ち悪くなっている中で、サクはウィーンに向けて言い放つ。
「何だよ。生きてたのかお前」
『我に死もなければ、消滅もない。『あのお方』がいる限りな』
「ああそーかい。とりあえず謝れ」
『ほう? 謝罪を要求するか、守護騎士。それに我が答えると思うか?』
「違う、俺じゃない。ハクに謝れ」
『ハク? 竜のことか。だが、対象が変わったところで何も変わらん』
「いや、早く謝れ。頼むから」
『くどい。謝るわけがなかろうが』
サクの願いを一蹴し、ウィーンは鼻で笑う。余裕たっぷりなその様子を見て、サクは焦りを募らせていた。
早くしなければ大変なことになる。そう考えつつも、噴水の水の冷たさと明確な恐怖でサクは震えが止まらなくなってしまった。その姿を見たウィーンは勝ち誇ったような表情でサクたちを見下す。
『勝てずとも貴様の大切な物を破壊してやる。そして、貴様を心から蝕んでやるぞ! 我を怒らせたことを後悔す――』
「頼むから早く謝ってくれ! いいよ、今回はお前の勝ちだよ! それでいいからとりあえずハクに謝れ!」
『くどいと言ってるのが分からんのか! 何故そうまでして我が謝らねばならんのだ! 訳が分からん!!』
「だって、だって……――」
焦るサクは口ごもる。それに対して苛立つウィーンは凄まじい怒気を放ち、睨み付け続けていた。
繋がっているから分かる。理解してしまった。とんでもなくヤバいことを。この先、自分でもどうなるか本当に怖くて仕方がない。少なくとも、抑えきれないというのは間違いなかった。
心の中で渦巻く恐怖。その正体をサクははっきりとした声で見下し続けるウィーンに伝えるのだった。
「こんなに怒ってるハク、見たことないんだよ!!」




