21 思い立ったが吉日叔母さん
一家での幸せに満ちた一夜が明け、新しい一日がやってきた。いつもの如く準備を終え、それぞれの行くべき場所へと別れていく。
サクとハクの今日の午前中の予定は勉強会。だったのだが、急遽取りやめとなった。しかしながら自由な時間となったわけではない。いつもであれば講師の人が立つ教卓には、目の下にくまを作った不機嫌そうなカノンが立っていた。
もう5年もここにいるからある程度察することができる。自らが担当する調査や研究が上手く進んでいないのだろう。下手にそのことに触れれば苛立ちの矛先がこちらに向けられるので、慎重に言葉を選ばなければならない。はっきり言って、ものすごく面倒くさい。
どのような動きを見せるのかと机の椅子に腰かけているサクとハクが身構えていると、カノンは収納方陣から取り出した資料を教卓の上に粗雑に叩き付けた。結構な音が響いたことで驚く2人をよそに資料の一部を手に黒板へと手早く何かを書き始める。
こちらに配慮する気がないその様子に苦笑いしていると、どこからともなく現れたおっさんたちがサクたち用の資料を持ってきてくれた。
「「「はいどうぞー」」」
「おう、すまん」
「いつもながら冴えないわー」
「努力が感じられないわー」
「でもハクは綺麗だわー」
「ありがとう」
「相変わらず俺には厳しいのね……」
背に生えた羽を羽ばたかせておっさんたちは教卓の方へと戻っていく。その道中においても、見下すような冷たい視線はサクに対して向けられ続けていた。
確かに美女状態のハクはめちゃくちゃ綺麗だ。それでも、少しでも改善されつつあるこちらを評価してくれてもいいのではないか。8開きになったんですよ。
去りゆくおっさんたちに向けて心の中でぼやきつつ、サクは受け取った資料に目を通していく。専門用語とかまだ分からないものが多数あったが、おおまかには読むことができる。そこに書かれた内容は昨今における各種問題に関してのカノンの見解とそれらを説明するためのデータだった。
難しい内容に早くも頭がパンクしつつあるサクだが、横にいるハクはすらすらと読み進めていた。読書が好きなハクにとって、こういったものの読解は得意分野のようだ。
「はい、そんじゃ始めるぞ。今日はあたしの特別講義だ」
「叔母さ、先生。今日はどんなっだぁ!?」
「うわぁ!? サク!?」
「あたしが話してる間のおしゃべりは禁物だ。黙って聞け」
目にも止まらぬ速度で投げられたチョークがサクの額に直撃した。ハクが驚くすぐ近くで宙を舞う真っ白なチョークは素早くカノンの手の中へと戻っていった。
今までに感じたことのない痛みを額から感じ、心配して詰め寄ったハクの体が当たって高揚してしまうサク。痛みと幸せを同時に味わいつつもムスコが目立たぬように素早く内股になる。
「赤くなってる。大丈夫?」
目と鼻の先にある綺麗な黄金の瞳は額を見つめてくる。温かな吐息が肌に当たったところで色々と限界を迎えそうになったサクは焦りながらも答えた。
「あ、ああ。大丈夫。静かに聞こう。ハクもこうなっちゃうかもしれないぞ」
「うん。分かった」
納得してくれたハクは離れ、自らの席へと戻る。密着していた柔らかさがなくなったことを名残惜しく感じてしまうが、これ以上額に赤い点を生み出さないためにも教卓の方へと向き直った。
黒板には気づかぬうちに書き足されたことで、びっしりと文字で埋め尽くされていた。しかもぎりぎり理解できるレベルの汚さ。指摘したくて仕方ないが、こちらを見る叔母さんは手にチョークではなく分厚い本に持ち替えていた。それ当たり所悪いと死んでも可笑しくないんですが。
苦笑いすらできないサクが硬直していると、カノンは大きくため息をついて説明を開始した。
「明日スモークに行くって聞いたから、今日伝えようと思ってこの時間を使わせてもらう。異議は?」
「「ないです」」
「よろしい。手元の資料の最初のページを開け。まずは魔物に関して決まったことついてだ」
言われた通り素直にそのページを開く。そこには魔物の発生率が急上昇していることを示すグラフと、それに対する各国の対応が書き記されていた。
「魔物の大量発生についてはお前らでも知ってると思う。ここで新たに知らせるのは、4国共同による魔物討伐組織が近々設立されるってことだ」
ちょうど昨日イヤサが言っていたことなのだろう。資料には、魔物のような怪物を剣で貫きさしたようなロゴマークが表記されている。
「グリール、スモーク、『ベネディクト』、『インスタント』の有力な戦力を結集し、その名を『デビルズ・バスターズ』。何の捻りもないネーミングだが、サクよりかはましだな」
それに関しては否定できないし、治すことも出来そうにないサクは静かにうなだれる。シンプルイズベストともいうが、サクのそれはそう言い切ることもできない酷さだった。
何とか沈んだ気分を持ちなおそうとした結果、バスターズ繋がりで某SFコメディ映画の主題歌が脳内で流れ始めた。軽快な音楽と映画の内容を思い出して僅かに元気を取り戻して顔を上げる。
「次は魔物そのものについて。これまでの研究で魔力を主成分としているのは分かっていた。最近は5年前から姿が確認できない邪悪な存在の代わりに負のエネルギーを含んでいないかどうかを調べてたんだが、どうなったと思う、ハク?」
「資料にもある通り、含まれていなかった。ですか?」
「その通り。あいつらは邪悪な存在の代わりじゃなかった。だとしたら何故邪悪な存在が生まれないのか。それの答えとなる有力な仮説が、昨日の夜にできた。資料の14ページ開け」
指示に従ってめくるサクだったが、とてつもない後悔に襲われていた。開いた先には数日前の魔族と昨日イヤサに渡した例の地図があったからだ。
恐らく地図を手渡されたことで何かが繋がってしまったのだろう。寝不足っぽい感じからして、その後は作業などに没頭していたのは間違いない。多忙な中での貴重な夫婦の時間は消え、イヤサは一人で寝たはず。今度会ったら心の底から申し訳ないという意思を伝えよう。
「昨晩にイヤサ経由で渡ってきたこの地図。着目するのは小さな丸ではなく、そこに示された特大の丸。あるはずのないもう一つの大陸があると思える大きな丸だ。真夜中に各国の協力者と同時に観測を行った結果、そこにおいて見えない結界のような壁があり、その向こうには世界中から邪悪な存在の元となる負のエネルギーが集まって尋常じゃない量溜まっているのを確認できた。さあ、サクはこれをどう思う?」
「5年分が溜まってる、超危険地帯?」
「そうともいえる。その上で考えてほしい。似たようなこと、覚えているだろう?」
「……まさか」
「そのまさか。あの『創造主』に近い存在がいるかもしれない。負のエネルギーを主軸としたとんでもない怪物がね」
「マジか……」
世界崩壊を目論んだ存在と同等の力を持つ者。強くなった今であっても、倒せるかどうか不安が残る程の危険な存在。それがこの地図が示していると考えるとサクはゾッとした。
「その他の小さな丸は目下調査中。ここまででビビらせたが、あくまでいるかもしれないというのは仮設であることは理解してほしい。もしかしたら悟りを開いた善人が負のエネルギーを浄化しているとも考えられるからな。ま、いずれはわかるだろうさ」
「それでも怖いよな……」
仮説だとしても当たりそうで怖い。5年前の戦いを思い出すと鳥肌がたってしまう。あの時、イヤサたちの協力がなければ死んでいた可能性も十分にあったからだ。
平穏な日常に暗い影が迫りつつあることを知ってサクが気を落としていると、先ほどとは違って椅子ごとハクが隣へと寄ってくる。その綺麗な両手でサクの頼りなさそうな右手を包んでくれた。
「大丈夫。私がいるから」
「……おう。ありがってぇ!?」
「いたぁい!」
心を通わせる2人の額にチョークが直撃した。ここで驚くべきはチョークが鮮やかに空中で軌道を変えてハクの額に当たったことだろう。意地でも額に当てるというカノンの執念がそこからは感じられた。
「さっきも言っただろ。おしゃべり禁止。そんでイチャイチャも禁止だ」
「イチャイチャ禁止は言ってながっだぁ!?」
「黙れサク。今、ここでは、あたしが絶対だ」
駄目押しの一発が放たれ、サクは机に突っ伏して沈黙する。戻ってきたチョークを握ったカノンはまるでガンマンかのように白く汚れた指先に吐息を吹きかけた。
涙目で額を擦りながらハクも渋々自らの机に戻っていく。屋敷の一室であるここは、完全にカノンが思うがままの空間となっていた。
「次は魔族について。正直に言おう。奴らがどういった目的を持っているのか、全く分からない。改めて確認したが世界中の本や記録にも奴らに関する情報はなかった。サクの証言が唯一の情報で、守護騎士と敵対してたことと、実体が生まれるときに魔力が押し固まることぐらいだ」
頭を掻きながらカノンは黒板に箇条書きしてあった魔族に関する情報をチョークで囲むように円を書く。そこの部分だけさらに字が汚いので、かなり苛立っているのがすぐに理解できた。
「今出てる仮説が、こいつらが魔物の大量発生に関わっている魔物の親玉。さっき説明した結界の向こうから来てるだとか、そんな不透明なやつばっかりだ。情報が足りな過ぎて腹が立ってくるよ。何か新しいものはないのかサク」
「えっと、関係してるか分からないけど、この前行った不思議な家で聞いたことのない守護騎士の名前を知ったことかな。もしかしたらその人が魔族と戦った人かも」
「……名前は?」
「オーガニック・クロムウェル。テンガのご先祖様かもしれない」
「オーガニック……? そんな奴、歴代守護騎士にはいないぞ」
「歴史には残っていなくても活躍していた。それか、守護騎士という名称がまだ確立されてない時の人だとも思えるけど、どう?」
「――」
「……叔母さん?」
「……その家はどこにある」
「地図にある森に書かれた小さな丸のところ。でももう中は――」
「以後自習! お疲れ様、サク、ハク!」
「え!? お、叔母さん!?」
苛立った表情が真剣なものへと変わったカノンはそう言い残すと部屋から勢いよく出て行ってしまった。どうしていいか分からずにサクとハクが唖然としていると、残された小さなおっさんたちが後片付けを始めた。
「思い立ったらすぐ行動だわー」
「いきなりすぎてついてけないわー」
「でも好きだわー」
愚痴と慕い言葉を吐きながら、教卓の上とサクたちに渡しておいた資料を回収していく。最後に黒板をチョークの跡が残らないように徹底的に綺麗にすると、こちらにむけて手を振りながら空いていた窓から大空へと舞い上がっていくのだった。
嵐が過ぎ去り、静まり返る部屋。壁にかけられた時計はいつもの終了時刻よりも2時間は早い時刻を指し示していた。せめて資料を残してくれれば見直すことが出来たが、それも無理。ともなればもうここですることは何一つない。
横にいるハクと顔を見合わせるサク。お互いにどうしていいか分からずに無表情のまましばらく固まっていた後で、サクは重い口を開いた。
「……カーラの手伝いに行くか」
「だね」
提案を了承して頷いたハクと一緒に手早く部屋を片付けたサクは廊下へと出る。何ともいえない消化不良な感じを胸に抱いたまま、この時間帯であればカーラがいると思われる広間へと向かっていくのだった。




