20 川の字で
任務を無事に終えて合流後、夕刻を迎えるまでの間魔族だとかオーガニックだか忘れて一家全員での久しぶりの平穏なひと時を楽しんだ。
興味を持ったものへと走っていくハクを追い掛けたり。冴えない自分にはとっては少し入りづらい煌びやかなブランドの店にアイリスと入ったり。各種薬の原料となる素材を手に入れるため、カーラに連れられて怪しげな店に入ったり等々。かなり歩き回ったが、不思議と疲れを感じることはなかった。
これまでの街散策と違ったのが、アイリスとカーラの様子だ。いつも以上に楽しそうで、幸せそうな彼女たち。そんな彼女たちが向けてくる笑顔を見ればこちらも嬉しくなり、テンションも上がってしまう。綺麗で可愛い嫁が向かうから来てくれるって最高だ。
終始にやけが抑えられなかったために通り過ぎざまの人に笑われたりもしたが、屋敷に帰るまでだらしない顔を正すことは出来なかった。恐らくこれをネタにゲイリーにいじられることがあるかもしれないがしょうがない。その分カレー屋で天に召されそうになっていたことをいじってやろう。
そんなこんなで現在サクたちがいるのは屋敷の厨房。今日もクロノスたちは城での仕事から帰れないそうだが、流石にアイリスの料理が恋しくなったらしい。多めに作って使用人に運んでほしいとの要請が来た。それを受けて一家+使用人でごった返しになってしまっていた。
「ママ! 皮むき終わった!」
「ありがとハク。それじゃそっちの鍋が沸騰したらそこにあるボウルの中のもの全部入れちゃって」
「分かった!」
アイリスの指示を聞き、鍋へと向かうハク。言われなくとも身長を補うために椅子を持っていく姿はとても微笑ましい。そこに上った後も金色の大きな瞳でひたすら鍋とにらめっこするのを見れば写真を撮りたくなってしまうほどにまで愛らしかった。今でならばたまちゃんのお父さんの気持ちがわかる気がする。
知れば周囲が呆れるほどの親ばかな思いを脳内で巡らせてにやけつつもサクは慌ただしい中で座り込み、熱気を肌に感じながらその時を待っていた。手には使い込まれた分厚いオーブンミトンをしている。
手伝いをするときに任されることが多いこの仕事。結構暇なのだが、本格的な調理に参加すればまるで異物が入ったかのようにアイリスの料理は味が変わってしまうという謎があった。だから、こうした簡単な仕事だけ手伝っているのだ。
使用人やカーラとゲイリーに指示を出しながらも動き回るアイリスの額には汗がにじんでいる。料理に入らぬように時たまそれを専用のタオルで拭いているが、厨房の熱気と忙しさは彼女を終わるまで休ませてはくれない。
大変なはずなのに、アイリスが浮かべているのは輝かしい笑顔。美しく、たくましいその姿に見惚れていると、オーブンが焼き終わりを知らせてくれた。
「サク!」
「分かってる。よいしょっと」
それなりに大きいオーブンから取り出したのはいくつもの耐熱皿。その中には、野菜多めのアイリス特製グラタンがぐつぐつとに立っていた。ホワイトソースと上に乗せられていい感じの色になっているチーズの香りが瞬く間に広がっていき、胃袋に刺激を与えていく。
このまま食べたいという欲を押さえつけながら作業台に並べていけば、アイリスが最後の仕上げ作業に入る。口に溜まり始めていた唾液を飲み込んだサクは、すでに指示されてあった作業へと移ることにした。
もしかしなくても終盤に差し掛かっているのでエライことになっているかもしれない。そんな悪い予想は的中し、流しには洗い物が山積みとなっていた。
魔法を駆使すればすぐに終わる作業なのだが、フォードゥン家の台所における『できることは自力で』という決まりで手作業でやらなければならない。それほど食器洗いは苦手ではないサクなのだが、これほどまでの量ともなれば気が滅入ってしまう。
「はい、これは終わり。パンと一緒に冷めないうちに持って行ってあげて」
「かしこまりました」
うじうじしているサクとは対照的なアイリス。彼女の指示を受けた使用人は岡持のようなものにそれらを入れると足早に厨房から去って行った。
今手伝っている使用人と壁際で待機している数人の使用人がいるのだが、彼らのアイリスを見る目はまるで憧れの存在を見るかのように輝いている。実際、そうなのだろう。サク以上にアイリスと接している彼らには、嫁にしたくないアンケートの結果など気にも留めていないに違いない。
忙しい中でも明るくあり続けるこの姿を他所でも躊躇うことなくやれば人気は出たかもしれない。しかし、本人が見知った存在以外には見せないと徹底しているので仕方がない。この笑顔を見れるのは、許された者だけに与えられるご褒美ともいえる。
作業に入る前にこちらを見つめてサクが止まってしまっていることに気づいたアイリスは、不思議そうにしながらも問いかけてきた。
「……? サク、どうかした?」
「ああ、いや、すまん。何でもない。後もう少しだろうから、頑張れアイリス」
「任せなさい。ぱぱっと終わらせて私たちも食べましょ」
「おう」
「ママ、沸いた! 入れるねー!」
「はいはい。それじゃあ次は――」
笑みを絶やすことなくアイリスはハクの方へと向かっていった。椅子から下りたハクがその横に並び、楽しそうにやり取りしているのを見れば本当の家族にしか見えない。その様子をサクだけでなく、カーラや使用人たちも優しい目で見守っていた。
アイリスが頑張っているのだから、こちらも集中しよう。眼前にある山積みの洗い物も頑張れば夕飯までには終わるはず。そしてママの美味しい料理を食べ、最高の気分で風呂に入り、安らかに寝る。これだ。
油断せずいこう。その瞬間思い出した某テニス漫画の部長の名言を脳内でつぶやきながら、油や汚れにまみれた強敵にサクは挑んでいくのだった。
※※
「はい、終わり」
「ありがとう! やっぱりママの方が上手だね」
「そりゃね。私も一時期長かったことがあったから、慣れてるのよ」
「長かったの?」
「かなり前のことよ。ちょうど今のハクぐらいのときだったと思うわ」
「へ~」
髪の手入れが終わり、信じられないといった感じで大部屋のドレッサーの椅子からサクは立ち上がる。その目は肩辺りまで伸びているアイリスの髪に釘付けになっていた。
楽しい夕飯と癒しのお風呂も終わり、お爺ちゃん(ゲイリー)を除いたサク一家は屋敷の大部屋にいた。全員が一緒に横になれるような大きなベッドは、幼少期にアイリスが両親と寝るときに使っていた物。フッカフカなその上に、サクは先に座っていた。
お花畑に行ったカーラが戻ってくれば就寝。間近に迫ったその日終わりを待ちながら、サクはアイリスの綺麗な金色の髪をじっくりと眺めながらつぶやく。
「アイリスの髪が長いバージョン……。それもそれでありだな」
「うん。似合うと思うよ、ママ」
「そ、そう……、かな」
少し照れたアイリスは指で髪の先をいじりながら、ほのかに頬を染めた。その姿であればそんな髪型でも似合うはずだとサクの無駄に高い妄想力は結論付けている。
騎士としての仕事を想定したためか、単なる気分転換か。髪を切った理由をサクが考えていると、ハクが勢いよく飛び込んできた。受け止めることはできたものの、フワフワなベッドに押し倒されてしまった。
無邪気に腕の中で笑うハクの頭を優しく撫でながら、ゆっくりと上半身を起こす。三日に一度である皆で一緒に寝るこの時が楽しくてしょうがない様だ。
嬉しそうに胸へと顔を押し当ててくるハクに癒されていると、先ほどよりも顔を赤くしたアイリスがゆっくりと右隣に座る。ハクと同じかそれぐらいの温かさがアイリスからは感じられた。
「ねえサク。私、長い方がいい?」
「いや、今でも十分だと思うぞ。出会ったころから変わってないから、こっちのほうが安心かも」
「そう? ならいいけど」
「うん。このままで大丈夫」
ゆっくりと頷いてハクと同じようにアイリスも撫でる。恥ずかしくも嬉しいアイリスは、顔を赤くしながらも柔らかな微笑みを浮かべてくれた。相も変わらず、可愛いすぎる。
しばらく撫でてあげようと思うサクだったが、アイリスは何か欲しがるような目で見つめてきた。そこから色気を感じて少し鼓動が跳ね上がったところで、アイリスはゆっくりと目を閉じる。
これは、してほしいということか。それ以外にどういったことがあるか逆に教えてほしい。こういうのは待たせるのはまずいはずだから、早く対応せねば。
鼓動の音をハクに聞かれていることを理解しながら、傾けた顔をゆっくりとアイリスに近づけてゆく。そして唇が重なる直前でサクは目を閉じ、お互いの熱と愛を口元で確認しあった。
緊張以上に、これほどにまでない幸せを感じることができた。するときに重ねる激しいものとは違う、こうした状況でなければ味わえない大切な思い。大事なそれを噛みしめて、ゆっくりと唇を離していった。
目を開けて向き直ったところでお互いに微笑む。大切な相手を思う気持ちを確かめ合ったことで心地よい満足感に浸っていると、胸にいた存在が唐突に声を上げた。
「パパ!」
「んお? どうし――」
返答の途中で勢いよくサクの口が塞がれた。その後、何度も離れは重ねるを繰り返していく。強引ながらも幼少女状態のハクなりの思いを込めたそれは、中々に激しいものだった。
深夜の公園でのやり取りが脳裏をよぎったところで連続キスは終わりを告げた。目の前には、屈託のない笑みがあった。
「ママだけはずるい!」
「あっはは。そうだな、すまんすまん」
「そうよパパ。ちゃんと娘の面倒もみないと」
「おおう。ママからもか。こりゃ反省しないと」
「あら~、楽しそうにしてますね~」
3人で楽しく会話をしているところで、カーラが大部屋に戻ってきた。フワフワとした足取りで近づき、空いていたサクに左隣に隙間を開けることなく座る。
たわわなそれが押し付けられたことでムスコが反応しそうになったが、ハクが膝の上にいるために何とか耐える。頑張るサクの様子を見て微笑んだカーラは、何を言うこともなく唇を重ねてきた。
ここでいつものディープなものが来ると思ったが、予想に反して大変穏やかなものだった。慈愛に溢れた接吻が終わると、カーラは女神のように美しい笑みを浮かべる。素直に美しすぎると断言できる、最高クラスの笑顔だ。
口から幸せが溢れ出しそうで、もう近いうちに自分は死ぬのではないかとも考えるサクに、カーラは優しく告げる。
「それじゃ~、そろそろ寝ましょうか~。確か、明日は皆それなりに早かったですよね~」
「そうね。明日が終わって明後日にはスモークへ出立。これからはずっと忙しい感じかしら」
「だな。ま、無理せずに頑張っていこう。俺らなりにな」
「俺らなり!」
「ハクの場合は私たちなりにでもいいかも」
「私たちなりに!」
「よくできました。んじゃ、寝るか」
「うん!」
ハクの元気な返事の後、アイリスの魔法によってカーテンが閉められる。真っ暗になったところで、サクたちはそのままの位置で横になった。ここに上から掛布団をかぶせれば、いつも恒例の川の字寝だ。
左右を嫁で挟まれ、体の上には明日嫁になるハクがいる。まるで一体化しているかのように重みは全く感じられない。大切な小さな恋人の頭を優しく撫でる。
「おやすみ、サク……」
「おやすみなさい~」
「……おやすみ」
「おう。皆、おやすみ」
ハクから始まった就寝の挨拶に返答したサクは全方位から温かさを感じながら、ゆっくりと意識を薄れさせてゆく。
とてつもなく安心できて、ものすごく幸せ。これがずっと続くようにと切に願いながら、サクは大切な存在と一緒に眠りにつくのだった。