50 新たな性癖の覚醒?
「あ、俺っす」
「あんたが? 随分パッとしないのがなったもんだね」
そう言ってまるで汚物を見るかのような目でサクを見るカノン。久しぶりにここまでひどい見方をされたと実感しつつも、何故か喜んでいる自分がいることにサクは気が付いた。
態度はどうであれ、それなりに美人なのだ。そんな人に見下してもらえる。年を重ねたことで生まれる独特な雰囲気がさらに迫力を増大させているのも、いい。
サクが新たな性癖を勝手に自分の中で開拓させていると、先ほどの発言が気に入らなかったハクがカノンを睨み付ける。
「サクのこと悪く言うなら、たとえアイリスの叔母さんでも許さないよ」
「へえ、そいつの肩を持つってのかい? 美人だからってあたしは手加減――」
「叔母さん待って。ハクをそれ以上怒らせない方がいいかも」
喧嘩姿勢を崩す気配を見せないカノンに対し、アイリスが慌てて2人の中に割って入った。落ち着いてもらおうとしたのだが、それでもカノンは止まろうとはしない。椅子から身を乗り出し、アイリスの向こう側にいるハクへとそのまま続けた。
「ハクって言うのね美人さん。あんた程ならサクとかいう暗いガキよりも良い人と一緒になれるだろうに。あたしなら紹介できるけど」
「……」
「反論とかないってことは、その気があるってことかしら。そうよね、そんな冴えないやつよりも――」
「カーノーン。そろそろその煽りを止めろ。というか前からその癖は直した方がいいと言ったじゃろうが」
「親父は黙ってて。先に突っかかってきたのはこの……、美人の……」
呆れた様子のクロノスの助言を受け流してそのまましゃべり続けようとしたカノンだったが、その口は徐々に失速していく。部屋の中の魔力がハクを中心として異様に発光し始めたからだ。
カノンを睨む金色の瞳と銀色の髪が輝きを増していく。今にでも感情を爆発させようとしているその様子に気づいたサクは慌てて手に持っていた本を研究机に置き、前に立ってなだめようと試みる。
「あまり気にするなハク。こういうのは慣れてるし、ああいう物言いの人だって屋敷の口論で分かってるだろう?」
「それはそう……だけど」
「俺が大丈夫ならハクも大丈夫。それでいいじゃねえか」
「……分かった。サクがそういうなら」
サクの言うことを聞き、高め始めていた力を静めていくハク。だが、その鋭い視線はカノンに対して向けられたままだった。
それに対してカノンは椅子の上で呆然としていた。目の前の光景が信じられないといった感じがその様子からは伝わってくる。
しばらくして我に返ったカノンは立ち上がると、アイリスを退けさせてハクの全身をくまなく観察し始めた。突然の行動にハクが戸惑っていると、その体を一周して目の前に来たカノンが小さくつぶやく。
「あんた、竜なのね。それも雌でこの力……。ちょっと待って、ハクがこれならあんたもやばいってことじゃないの」
そう言って驚愕の表情でサクを凝視するカノン。それなりに迫力のある顔にサクが体を震わせていると、カノンはその表情のままで今度はサクの観察を開始した。
見た目は老けてはいないが、いい年の叔母さんに見つめられ続けている。未体験の出来事に喜んでいいのか、困ればいいのか分からずにひきつった笑顔を浮かべることしかできない。
ハクと同様に観察を終えてサクの前に立ったカノン。その後、最後の確認のためにお互いの体温が感じられるほどにまで顔を近づけてきた。眼鏡越しにある綺麗な青い瞳がサクの瞳の奥底をのぞき込むように真っ直ぐと見つめてきた。
先ほどまでしていた悪臭は消え、爽やかなよい香りがカノンから漂ってくる。それを嗅いでサクが胸の鼓動を高鳴れせ始めると、カノンはため息をついた。
「まだ見ぬ力を秘めた現守護騎士は異世界出身ときた。何なのよこれ。どうすればこんな組み合わせが出来んのよ」
「いやー、俺からはなんとも……」
返答に困って口ごもってしまうサク。周囲に助けを求めるように視線を送ると、クロノスが助け舟を出してくれた。
「サク君がここに来た原因を作ったのは感化されていたお前だぞ、カノン」
「え、マジで」
「マジじゃ。今から一ヶ月半前にお前が見つけた異世界。そこからサク君はお前の介入によって発生した事故に巻き込まれたんじゃ」
「……履歴漁ってみる。感化されていたとはいえ、残してるはずだから」
真剣な顔つきへと変わったカノンはテーブルの方へと戻り、椅子に素早く腰かけた。そしてテーブルに置いておいたノートパソコンを使い、これまでの一ヶ月間における自分の行動を確認していく。集中したその様子からは、話しかけないでほしいといった思いが見ている者に対して向けられているような気がした。
画面を確認しつつ、情報をまとめるために手早く入力をしていく。その場で手を上げたと思ったら、部屋にある本棚から必要な本がその手に向かって飛んできた。確認すべき箇所を見終わると適当にその本を投げ捨てる。作業に集中するのは良いが、綺麗になった部屋の中が見る見るうちに散らかっていく。
この光景をアイリスたちフォードゥン家の者たちは見慣れているためか、またかといったような呆れた目でカノンを見ている。しかし、どうしていいか分からずサクはおどおどしてしまっていた。
カノンの作業は終わりが全く見えない。一体これから自分たちはどう行動すればいいのかとサクが悩んでいると、クロノスがため息交じりに話しかけてきた。
「カノンはグリール王国における異世界研究の第一人者でな。儂がサク君に使った試験段階の魔法も、カノンが考案した物なんじゃ」
「マジか。結構すごい人なのか」
「ああ。以前から存在自体はあると考えられていた異世界をカノンは実験によってその存在を実証したのよ。世界初の出来事に各国から称賛されたのが懐かしいわい」
「ほえ~、この人がそんなことを……」
「性格に難はあるが、才能に関してはずば抜けとる。ちなみに作業に没頭するといつもこうなるんじゃ。しばらくは他人の話を聞かなくなるから、そっとしておこう。下手に刺激するととんでもない怒り方をするからな」
クロノスはそういった後、ゲイリーに目くばせした。それを確認したゲイリーは持っていた昼食を少し離れたところにある机の上に置き、カノンに呼びかけた。
「ではカノン様、昼食はここに置いていきます。忘れずに食べてくださいね」
「あ~い……」
画面から目を離すことなく、カノンは気の抜けた返事をする。長年に渡ってフォードゥン家に仕えるゲイリーであってもその態度は呆れ以外の何も生まないようだ。その顔には苦笑いが浮かんでいた。
感謝の言葉もないが、この場に居続けてもただ時間が経つだけ。サクたちはとりあえず夕食までの時間を潰すために屋敷へと戻ることにした。
魔力供給が再会されたことで明かりは行きよりも輝きを増し、廊下を明るく照らしていた。それに階段を使わずとも、もう少し奥にいったところにあるエレベーターで上階へと向かうことができるそうだ。
ファンタジックな外見とは違い、中身はそれなりに近代的なカーボン城。異世界で発見した技術を積極的に取り入れているらしく、王国の各地へとそれらを提供する前の実験場となっているようだ。
帰りは楽をできることに喜びながら、サクはアイリスたちに続いて部屋を出ていこうとした。その足が部屋から出ようとしたその時、後頭部に何かが当たった。
「……?」
おもむろに振り向いたが、そこには変わらず作業に集中するカノンの姿。気のせいかとも思ったが、サクは足元に何かが転がっていることに気が付いた。
それは、紙飛行機だった。丁寧に作られたそれをサクは拾い上げると、構成している紙に何かが書かれているのが目に入った。短いがそれが文章だと分かったサクは紙飛行機を広げみる。
『ありがとう。それと、巻き込んで申し訳ない』
書かれていたのは感謝と謝罪の言葉。綺麗なその文字には気持ちがこもっているようにも感じることができた。
それを読んでそんなに悪くない人だと思ったサクが笑みを浮かべると、カノンがこちらをちらりと見たような気がした。視線を紙からカノンの方へと移したが、こちらには見向きもせずに没頭している姿があった。
こうした素直ではないところはどこかの誰かに似ているような気がする。何だかんだ言って同じ血が流れているようだ。ともなればクロノスもそうなのだろうか。
「サクー? どうしたのー?」
「あ、すまん。今行くー」
先を行っていたハクからの呼びかけに答え、サクは皆の後を追って廊下を進み始めた。その後全員がエレベータに乗り込んで見えなくなるまで、部屋から顔を半分出して小さいおっさんたちが見ていたことに誰も気づくことはなかった。
サクたちが地下からいなくなったことを見届けたおっさんたちは、研究机に置かれていた本をカノンの所まで運んでいく。テーブルの上に置かれる前にそれを受け取ったカノンは、迷うことなくその本を開いて中身を手早く読み進めていく。
半分までいったところで、カノンは手を止めた。そしてこれを自らの下へと持ってきた張本人の顔を脳内に浮かばせながら、静かにつぶやいた。
「……あいつ、まだ克服できてないんだ。そこに付け込まれた可能性が高い……か」
少し落ち込んだ様子のカノンは、壁にぶら下がっているコルクボードに貼り付けられた写真に視線を移す。懐かしくも、ついこの間に感じられるそれを見ながら、カノンは大きなため息をついた。
その写真に写っているのはカノン、イヤサ。そして、綺麗な黒髪を肩まで伸ばした綺麗な女性がいた。




