44 ごっつんこ
カーラは市民の誘導の手伝い。アイリスは城内の安全確認。ハクは上空にて警戒。そしてサクはテンガと協力してもう一人の脱獄者を捕らえる。これが現在の役割分担。テンガと肩を並べて戦ってみたいというサクの願いを渋々聞き入れたアイリスの不満そうな顔が今でもはっきり覚えている。
共闘できることに胸を弾ませながらも、突っ込んできた卓に対してサクは自らの左拳に力を集めて突き出す。解放された力は一直線に向かっていくのだったが、卓の周囲に浮かんでいたナイフが力とぶつかり合って相殺されてしまう。
割と自信のあった攻撃が無力化されたことに驚いたサクに卓は訳の分からない叫び声を上げながら近づいていく。その狂気じみた姿に、サクはビビって腰を抜かしてしまう。
ホラー映画とは比較にならないほどに怖い。幽霊をゆうに超える圧倒的な迫力を肉眼で、それも目の前でみることになるなんて誰が予想できようか。いや、ない。
恐怖のあまり自分でも使い方が合っているか分からない反語のような感想を考えていると、卓が右手に持ったナイフがサクの眼前へと迫る。それが鼻先へと触れようとしたところで、テンガが剣を振り上げて卓を上空へと弾き飛ばした。
「ぼさっとするな!」
「す、すまん」
テンガから叱咤されて動けるようになったサクは右手に握っていた木刀を勢いよく降りぬき、落下してきた卓に強烈な一撃を加えた。
まともにくらった卓は先ほどとは別の花壇に激突し、周囲に花びらを撒き散らす。一見すると綺麗にも思える光景を注意深く見守るサクだったが、先ほどの攻撃の際に何か嫌な音を聞いたような気がした。
右手の先の方から聞こえてきた何かが砕けるような音。まさかとは思いつつも、サクは恐る恐るその手に握る木刀へと視線を落としていく。そして、的中してほしくなかった予想通りの惨状が目に入った。
「俺の思い出がぁぁぁぁ!」
木刀の刃と言える部分がちょうど半分あたりのところで折れてしまっていた。買ったばかりであるお気に入りの品が早くも無残な姿になったことに、サクは心の底から嘆いていた。
力を注いで強化しているから大丈夫だと思っていたのが甘かった。少し離れたところに半分から先の部分が無造作に転がっている。それを見て何とも言い難いやるせない気持ちになったサクに、テンガが話しかける。
「木刀であれば私がいくらでも持っているぞ。貸してやろうか?」
「違うんだ。違うんだよ。お土産屋で買ったからこそ、これには男の子の夢と希望が詰まってたんだ。ああ、調子に乗って使わなければよかった……」
「何が何だか理解できないが、奴が来るぞ。気をしっかり持て」
「分かってる。畜生。木刀の仇をとってやる」
舞い上がる花びらと土埃の中から立ち上がった卓にサクたちは構えた。すると卓は、突進することはなく静かにその場から一歩踏み出した。それをふらふらとした足取りで繰り返し、徐々に距離を縮めていく。
その一歩進むたびに、卓の周囲にナイフが形成されていった。理性を感じられない虚ろな卓の瞳を見てサクは震えるが、自らの心に渇を入れて精神を落ち着かせる。
卓の背後に浮かび上がるオーラは悲しみに暮れる顔を作り出していた。先ほどテンガと合流した時よりも、あふれ出るそのオーラが大きくなっていることにサクは気づくことができた、
これ以上長引かせると本当に危険なような気がしてきた。若干焦るサクをそばで見ていたテンガは、静かに口を開く。
「可能な限り援護する。サクは邪悪な存在を祓うことに集中しろ」
「了ー解」
心強すぎる言葉を受け、サクは頷く。というかテンガのいる場所が異様に熱くなり始めている。これからが本気だとでもいうのだろうか。
何にせよ頼りになるのは間違いない。半壊した木刀を収納方陣へとしまったサクは、すぐにでも動けるようにしっかりと卓を見据えた。
しばしの沈黙の後、その歩みを卓は止めた。そして空中に浮かんでいたナイフを両手でつ掴むと、大声で叫んだ。
「死ねよ!」
殺意を端的に表したその叫びは空気を振動させる。びりびりとそれを肌でサクたちが感じていると、卓はこちらに向けて走り始める。悲しみのオーラとはかけ離れた怒りに満ちた卓のコントラストは凄まじかった。
覚悟を決めようとしたサクの近くで風が吹く。しかしながらそれは自然によるものではない。魔法によって高速移動を開始したテンガが発生させたものだった。吸血鬼化状態のサクでも捉えるのがやっとの速度で卓へと向かっていく。
速く、正確な剣捌きによって卓の周囲に浮かぶナイフを全て弾き飛ばし、そのまま卓を叩き伏せようとする。だが、それに負けることなく卓もその手に持ったナイフで応戦を開始した。何度も何度もぶつかり合うことで発生する鋭い音が響き渡る中で、サクは飛び込む機会を窺う。
ミスの許されない極限状況は、とても心臓に悪い。正直に言えばもっと簡単に終わると思っていた。早く終わらせて休みたい。
そんなダメダメな思いを抱きながらも、飛び込むその瞬間を待ち続けるサク。激しい戦闘によって広場の中心はほぼ崩壊してしまっていた。まだかまだかと様子を見守っていると、ようやくその機会が到来した。
テンガがもう一本の剣を収納方陣から抜き放ち、両手に持ったそれをに振り下ろした。手に持っていたナイフが消し飛ばされ、衝撃によって両手を下へと垂れ下げた卓。周囲のナイフも全て消えていることを確認したサクは、脚部に力を溜め込んだ。
「サクターックル!」
何の捻りもない技名を叫びながら、サクは脚部の力を解放させるとともに卓目がけて飛びかかっていった。小銃から撃ち出された弾丸と同等の速度で一気に距離を縮めていく。
これは決まった。そう確信したが、伸ばした両手がオーラに触れる直前で反撃を試みようとした卓が顔を上げた。そして次の瞬間、サクと卓は盛大に額を衝突させた。
激痛を感じつつも両手は伸ばしたまま、背後にあるオーラへと触れる。尋常じゃないほどの大きさの断末魔が辺りに響き渡り、サクは衝突によって若干勢いを落としつつもそのまま進行方向にあった花壇に突っ込んでいくのだった。
土まみれになり、目の前がちかちかと光り輝くサク。視界の向こうにあるはずのない綺麗なお星さまを掴もうとして手を伸ばす。くらくらする頭に混乱しつつも、やっぱりここぞというところで決めきれない自分に心の中でため息をついた。
立ち上がることもできずに徐々に意識が遠のき始める。こちらに駆け寄ってきたテンガの心配する声を耳にしながら、サクは静かに気を失うのだった。
※
真っ暗な道路をライトで照らし、かなりの速度で駆け抜ける。片手に握っているのは車のハンドル。上部をわずかに開けた窓からは外気が流れ込みつつ、大音量の音楽がダダ漏れになっていた。
そんな情景をサクは見ていた。だがサク自身は免許を持っておらず、車も持っていない。となればこれは自らのものとは違う記憶とでもいえばいいのだろうか。
気を失う直前で卓と衝突したが、あれで記憶の一部を吸収してしまったのか。それ以外にまともな理由が思いつかないサクは、取り合えずこの情景を静かに見守ることにした。
気持ちよさそうに鼻歌を歌う卓。しかしながらそれは大音量で流すロックな曲のものとは違うものだった。せめて同じものを歌えとサクがしたくても出来ない突っ込みを入れると、その視界が突如真っ白になった。
いきなりのことで焦る卓だったが、それを同時に見ているサクも同様に混乱してしまう。一体何が起きたのかと戸惑っていると、その視界に1人の男が浮かび上がった。
鮮やかな緑髪にファンタジーの王様のようなド派手な服。その左手に分厚い本を抱えた初老の男性は、こちらに向けて話しかけてくる。
『時は来た。今こそが破滅の時。お前はその導き手となるのだ』
とてつもなく物騒なことをつぶやく男。逆に捉えれば中二病っぽいともいえるが、その様子からは一切のふざけているのを感じ取ることができなかった。
怪しすぎる男だったが、サクはその手に抱えられている本に見覚えがあった。アルーセルで出会った宗教勧誘の爺さんがもっていたそれだ。となればこの男はその宗教の信者だという可能性が高い。
ただでさえヤバい見た目なのに、さらに怪しげな宗教の信者ときた。サクにとって、この男は危険人物として強く印象に残ることとなった。
訳の分からない言葉に卓が苛立ち始めていると、男は優しく微笑んだ。そして、後ろに向かってゆっくりと消えていく。完全にその姿が消えてなくなると、視界も元通りになっていった。ようやく解放されたことに安心した卓とサクだったが、その表情は驚愕へと一変した。
目の前にある信号は赤。歩行者信号に従って横断歩道を渡る冴えない男子。速度は100キロオーバー。慌ててブレーキを踏みつつハンドルを切ったところでもう遅い。
車は冴えない男子を巻き込み、勢いを落とすことなく歩道へと乗り上げた。そしてそのまま塀へと激突して、卓の視界は真っ暗になるのだった。
事故って怖い。素直にそう思ったサクが震えていると、すぐ隣に光り輝く球体が姿を現した。温かな光を放つ光球にサクが目を奪われていると、それから聞いたことのある声が発せられた。
(なるほどなるほど。良い証拠が手に入ったのー)
(あ、久しぶりじゃねーか爺さん)
(おう、久しぶり)
いつぞやの夢の中で話した老人、アイリスの祖父であるクロノスだった。また夢の中で話すことになるとは思わなかった。
(んで、よく分からんけどその証拠は重要なものになりそうなのか?)
(もちのろんよサク君。これでようやく親玉を叩くことが出来そうじゃ)
(ほーん。そりゃなにより)
この一部分の情景が役に立ってくれるようだ。激痛を感じたのは無駄ではなかったことにサクが喜んでいると、視界がかすみ始めた。
それにクロノスも気づいたようで、光球から人の手を形成してこちらに向かって手を振ってきた。そんなこともできるのかと思いつつも意識が薄れ始めるサクに、クロノスは告げた。
(たぶん目を覚ましたら儂とはすぐに会えると思うぞー。その時は巨乳談義でもしようー)
(おう、楽しみにしとくわー)
紳士にとって重要な約束を交わしたところで、サクは夢の中で完全に意識を失うのだった。