23 彼女との一夜
ベヒーモスと遭遇するといった予想外の出来事があったものの、サクたちは夜のロメルへと到着した。眠ったままのハクを背負ったサクは、アイリスたちとともに以前泊まったホテルへと向かった。
自宅で帰宅を待ち望む人のために帰宅を急ぐ男性や女性。通り過ぎていくその背を見ながら、サクたちは街の中を進んでいく。歩いていく中で、夕飯のものだと思われる良い香りがしてきた。それを嗅ぎ取ったサクの腹の音が鳴る。
昼食をそれなりに食べたとはいえ、こうした臭い嗅ぐと腹が減ることがよくあった。それのせいか学校の帰り道で買い食いをした結果、小遣いがそれなりの勢いで消えていくのがサクの悩みの1つだった。
そんなことを考えていると、故郷である田舎町の老舗の肉屋でよく買って食べたハムカツを思い出して再びサクは腹の音を鳴らした。結構大きかったそれを聞いたアイリスとカーラが隣で笑っていた。
「……サクぅ?」
「おう、起きたか。このままおぶったままの方がいいか?」
「ん……」
目覚めたとはいえまだ寝ぼけているハクは、サクの問いかけに小さく頷くとともに返事をした。出来るだけ早くふかふかのベッドで眠らせてあげたいという己の中の父性がサクの足を速めていく。
営業時間が過ぎて所々の店が閉まり始めた商店街を抜け、すぐ近くにあったホテルへとサクたちは到着した。
受付で出迎えてくれたのは女性従業員。案の定アイリスとカーラを見た後にサクを一瞥し、一瞬顔をひきつらせた。もはや恒例行事になりつつある現象に、サクは突っ込む気すら失せ始めていた。
時期的に旅行客も少なく、尚且つこの前のアージュの一件があったため、4人が一緒に泊まれる部屋はあるはずだと予想していたアイリス。そのために事前に予約はしていなかったが、それが裏目に出てしまった。
「……そうですか。分かりました。それで充分ですので、よろしくお願いします」
「かしこまりました」
フロントから少し離れたところで様子を見守っていたサクたちのもとにアイリスがやってきた。その手の中には、鍵が2つあった。
「誤算だったわ。とある商会がこのホテルの大半にもう入ってたみたい。大部屋は取れなかったけど、何とか2人部屋が2つとれたわ」
「マジか。じゃあ別れる必要があるか。となると、組み合わせはどうする?」
「そうね、どうしましょ……」
そういって悩み始めたサクとアイリス。だが、カーラはアイリスが少しそわそわしながらもサクを何度も横目で見ていたのを見逃さなかった。
すでに一度行為に及んだのにも関わらず、ここぞといったところで積極的になれないアイリスを後押しするために、カーラが先手を打った。
「じゃあ私とハクが一緒の部屋になりますね~。良い機会ですし、ここで2人っきりの夜を過ごすのもいいと思いますよ~」
「ちょ、わ、私がサクと一緒!? そんなの……」
「嫌なら私が一緒にさせていただきますよ~?」
「……分かったわ。私が一緒の部屋になる。サクはそれでいい?」
「お、おう」
頬を染めたアイリスにサクは少しドキドキしながらも答えた。何だかんだいってアイリスと2人きりで過ごすのは初めてだった。
寝ぼけているハクをカーラに預け、サクとアイリスは先に階段を上る。背にあった温かみを失ったことを残念に思いながらも、目的の部屋へと向かっていった。
途中の階からはこれまでの商談の話をまとめていたり、これ以降の動向を議論している活気のある声が聞こえてきた。休む前の最後の仕事に取り掛かっている彼らの声には熱意が込められていた。
そんな中を通り過ぎ、サクとアイリスは部屋へと到着した。先に中に入ったアイリスが部屋の奥へと進んでいくのを確認しつつ、サクは手前にある浴室と便所を見て回る。
アメニティグッズに問題は無し。もちろんトイレにウォシュレットはないが、水洗式だ。ファンタジーなこの世界であれば十分な設備だ。最後に最も重要ともいえるトイレの紙の在庫があるかを確認した。公衆便所にて痛い目を見た経験のあるサクの目は特にそこに向けられていた。
満足したサクは部屋の奥へと向かおうとしたが、その前をアイリスが遮るように立ちふさがった。一体何事かと思うと、その顔が真っ赤になっていることに気が付いた。
「こ、これは違うの! その、えっと、確認不足であって、そういうことを意識したわけじゃないから!」
「お、落ち着けアイリス。何が何だか俺にはさっぱりだぞ」
「うう……。わざとじゃないの……」
「何をそんなに……。ああ、そういうことか」
視線を部屋の奥においてあるベッドへと移した。そこには、ベッドが2つ並んでいるのではなく、ダブルサイズといえる大きさのベッドが1つ置いてあった。
2人部屋は2人部屋でも、こういった点を考慮して商会の人たちはこの部屋を借りなかったのかもしれない。しかしながら、今更変えてもらえる部屋もないのが現実だ。
ハクと違ってアイリスと一緒に寝ると考えると、サクも鼓動が早くなっていく。そんなヘタレ心を押さえつけつつ、アイリスを安心させようと声をかけた。
「しょうがねえよ。それに、一緒に寝るって言っても別にするわけじゃないし、そこまで恥ずかしがる必要はないと思うぞ」
「……もし、したいと思ったらするの?」
「それは……、ええっと、その……」
破壊力の高い上目遣いをくらい、サクの心臓がはち切れそうになる。昨晩もこれを見てしまい、初めて自分の理性が吹き飛んだことを思い出した。
しかし、サクはぎりぎりでその心を抑え込む。好きであることを、愛していることを確かめるのは、お互いの体を重ねるだけではないと自らに言い聞かせる。実際、それは合っているはずだ。
今にでも口から飛び出しそうな心臓を感じつつ、サクは真っ赤になるアイリスの頭を優しく撫でた。ハクと同じようなそれに対し、アイリス自身は嫌がるそぶりは見せない。それどころか、少し嬉しそうだった。
「するだけが愛の証拠じゃないだろ? アイリスみたいな俺には勿体ない美少女をぞんざいに扱う気はないよ」
「……分かった。ありがと、サク」
そういって満面の笑みを向けてくるアイリス。眩しいそれは、冴えない存在にとっては女神と称するほどに美しく思えた。
これもあかん。破壊力高すぎるわ。気が動転した時に発生するいつもの似非関西弁を心の中でつぶやきながら、サクも笑顔になる。
とりあえず一息ついたところで、サクは夕飯に関してはどうするのかとアイリスに問いかけた。すると先ほどフロントでもらった案内用紙を確認し始めた。
前回は広いホールでのバイキング形式の食事だったが、商会が貸し切っているために使えない。そのため、アルーセルのホテルと同様に、部屋においてある小さい鐘を鳴らせば食事を持ってきてくれるらしい。
腹が減っていたため、手早く準備を済ませたサクはすぐに鐘を鳴らした。少し経った後、部屋のドアがノックされた後に従業員が料理を運んできた。
若干期待していたが、今回はあの4人組ではなかった。彼らの圧倒的な連携を目の当たりにしていたため、ここのホテルの準備の手順がかなり遅く見えてしまう。しかし、アイリス曰くあの4人組が早すぎるらしいので、これでも十分早いのだろう。
作業を完了し、従業員は部屋を後にした。テーブルの上に並べられた温かい料理からは良い香りが漂ってくる。席に座った2人は、両手を合わせた。
「「いただきます」」
行儀よく言ったのち、美味い料理の数々を口に運んでいく。正直に言ってアイリスおすすめの昼食と比べれば劣るが、それでも圧倒的に美味しかった。
他愛のない話を交えながらの食事はあっという間に終わってしまった。楽しい時間が過ぎるのは早いというのをサクは今実感していた。
エロ本を読んで自家発電をしているときの高揚感とは全く違う方向性の満足感。自らを愛してくれる存在とのひと時は格別なものだった。まだよく分からないことが多いが、自らをこの世界に能力を備えつつ送り込んでくれた存在に深く感謝した。
鐘を鳴らし、片付けてもらっている間にサクは湯船の準備を始めた。やはり日本人であればシャワーだけでなく風呂にも入りたいと思うのは至極当然だった。
準備が完了したところで片付けも終わって従業員が出ていった。バスルームから静かになった部屋へと戻ると、後頭部にまとめていた髪の毛をほどいたアイリスの姿があった。
出会ったころから綺麗だと思い続けるその髪にサクが見惚れていると、アイリスは少し恥ずかしそうにしていた。
「何? 私の髪がどうかしたの?」
「前から綺麗だと思ってた。ちなみに親の遺伝なのか?」
「うん。お母さんと同じ髪色なの。お父さんは茶なんだけどね」
「ほー、そうなのか」
「サクの黒髪もそうなんでしょ?」
「ああ。生粋の日本人の黒髪だ。ちょっと天パーが入ってるが」
「にほん? そっか、異世界の国の名前ね」
「そういうこと。察しが良くて助かるわ」
そんな感じで会話を続けているうちに、浴槽に湯が溜まった。お待ちかねのお風呂タイムである。
アイリスに先に入ることを告げると、サクは意気揚々とバスルームへと向かった。手早く衣服を脱ぎ捨てて体を洗った後、ゆっくりと湯船へとつかる。
全身が心地よく温まっていく。シャワーでは味わえきれないこの感じがサクは大好きだった。
「ばばんばばんばんば~ん。は~びばのの~」
父親がよく風呂に入っていた時に歌っていたフレーズ。一昔前の番組の歌だったが、サクにとってはお気に入りの歌の1つだった。
気持ちよく小声で口ずさみながら入浴を楽しんでいると、バスルームの扉の向こうからアイリスが話しかけてきた。
「……サク?」
「んお? どうしたアイリス、俺の歌が嫌だったら止めるけど――」
「は、入るね」
「!?」
扉が開いた。そこには体の前面をタオルで隠したアイリスの姿があった。




