00 サクとハク
「……んお?」
冴えない顔の男子高校生、實本冴久≪さねもとさく≫は素っ頓狂な声を上げた。森の中にいた。何故かは分からないが。
寝巻のまま財布とスマホをポケットに入れ、左手には購入した『月刊巨乳エクスタシー』と夜食の入ったビニール袋が握られている。
一体ここはどこなのか。最後に残っていた記憶では、自分は帰り道の交差点で信号待ちをしていたはずだった。早く帰って自家発電をしたくて下半身のムスコが帰宅を望んでいた。
半開きのやる気のない眼で周囲を見渡す。どこまでも広がる森に若干の嫌気を感じ、ぼさぼさに伸びた黒髪の頭をボリボリと掻いた。
とにかく歩くことを決め、進み始めた。こういう時は川が見つけられれば、それを下っていった先に町とか村があるはずだとテレビ番組でやっていたのを思い出した。
風で揺れる木の葉の音。鳥の囀り。インドア派の冴久にとってはあまり馴染のない清らかな音の中で、何か違う物が聞こえてきた。小さな断末魔。小動物の鳴き声だと思われるそれが聞こえてきたのだ。少し気になってその声がする方へと冴久は向かった。
森の中で少し開けた場所に出た。その中央に、悲痛な声の主がいた。
「マジか。ファンタジーだな」
そこにいたのは手のひらサイズの小さな白銀の竜だった。ゲームで見ることがあったトラバサミにその小さな足を挟まれ、苦しそうにもがいている。
冴久自身はそれなりに動物は好きだったが、竜は見たことがなかった。といいうか見たことがあるわけがない。架空の生物なのだから。しかし今、目の前にいる。
周囲を確認したが、人の気配はない。隠しカメラで見つけた竜を助けるかどうかを検証するドッキリでもなさそうだ。目を擦ってみても、耳の穴をほじっても目の前の存在は消えない。
ため息をしつつ、冴久は罠にかかった竜へと近づいていった。厄介ごとに関わるのは嫌だったが、こんなにも痛そうにしているのを見過ごして後になって罪悪感に悩むのも嫌だった。
トラバサミをよく見れば、それを中心として薄い紫色のドーム状の何かを展開していた。その中に挟まれた竜がいるのだが、どうやら物理的な痛みだけでもがいているようではないことに気づいた。
「はっはー、すげーなー。竜に続いて今度は魔術的なアレか。よくできた夢だわ」
棒読み気味にそんなことを口から漏らしながら、ゆっくりとその手をトラバサミへと近づけていく。そういえば、これ素手で開けることができるのかと今更になって疑問が頭の中に浮かぶ。某サバイバルゲーム4の序盤ではこれに挟まれている犬を助けたが、あの主人公と比べても圧倒的に非力であるのは自分自身でも分かっていた。
だが、冴久の心配は無駄に終わる。ドーム状の何かはその手が触れた瞬間に消滅したからだ。それと連動するように、トラバサミも解除される。
苦痛から解放された白銀の竜は、その場にぐったりとしながら倒れこんだ。まだ未発達の小さな羽がぴくぴくと動いている。冴久は苦しそうなそれを持ち上げた。
表皮は小さなころに動物園の触れ合いコーナーで触ったことのある爬虫類のようにザラザラしている。しかし爬虫類と違ってその体温は温かく、人肌と同じくらいに感じられた。
脚の出血を抑えてあげたいが、残念ながら清潔な布などは持ち合わせていない。雑誌を破って巻き付けることも考えたが、使われているインクが害になる可能性と裸の女性が写されているものを使うはどうかと思い、止めた。
ふと耳をすませば、水の流れる音が聞こえてきた。竜の声で聞こえなかったが、近くに川があるようだ。ぐったりとしたままの竜を抱きかかえてその方角へと歩いていく。
たどり着いた先には穏やかな流れの川。流れる水も透き通るほど綺麗だったので、傷口を洗ってやろうと傷ついた脚を水に着けた。
次の瞬間、冴久の手の中で小さな竜は目を覚ました。その手から離れると、その小さな口で川の水を結構な勢いで飲み始めた。気づけばもう脚の傷は消えていた。
少々驚いたが、元気になったその様子に安心した冴久は河原にある大きめの石に腰かけた。おもむろに見上げた空は、雲一つない快晴だった。
これからどうするかと考え始めた時、小さな白銀の竜がその小さな手足を使ってこちらに駆け寄ってきた。足から上り、顔までたどり着くとザラザラした舌でまるでじゃれる子犬のように冴久の顔を舐めてきた。
(ありがとう! 助けてくれて!)
(こいつ直接脳内に……!?)
何処からともなく頭の中に響いたのは幼い少女の声。それは、今顔を舐めている小さな白銀の竜のものだった。
嬉しそうにじゃれ続けるそれを両手で抱き上げると、冴久は話しかけてみた。
「えーっと、俺の言葉わかる? 日本語はできるの?」
(言葉では何言ってるかわかんないけど、心からならわかるよ!)
(あ、そうっすか)
口から放つ言語は通じないが、心でならば会話ができるようだ。便利だなと思いつつ、さらに問いかけてみる。
(お前さんの名前はなんてーの? 俺は冴久っていうんだけど?)
(サク? サクって名前なのか! よろしく、サク!)
(おう、よろしく。んで、お前さんの名前は?)
(名前か、私名前ない!)
(マジか名無しの権兵衛か)
(ごんべー?)
(いや、こっちの話だ。気にしないでくれ)
名無しの竜は無邪気に手の中で喜んでいた。長い首の先にある大きめの綺麗な金色の瞳が興味津々な様子で冴久を見ている。
これからを考えても名前がないと呼ぶのに困る。パッと見から思い浮かんだ名前を提案してみた。
(じゃあ、その見た目からとって、『ハク』って名前でどーよ)
(ハク! 私、ハク! サクとハク! サクとハク!)
(気に入ってくれて嬉しいわ。よろしくな、ハク)
某パヤオ作品の登場人物と被っているが、ちょうどいい名前だと思った。もうちょっとましなネーミングセンスがあれば、もっとファンタジーっぽいいい名前を付けられてかもしれない。
名を与えられてハクは嬉しそうにしている。非現実的な見た目だが、實本冴久、サクはそれをみてほっこりしていた。
冴えない男子高校生が冴えてる異世界と出会い、新しい物語が生まれようとしていた。