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暁のカトレア  作者: 四季
6.帰還

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episode.90 妄想風船

「おっと。そう簡単に、逃がしやしないでごわすよ?」


 私とゼーレのやり取りを聞いていたシロは、不愉快そうに顔を歪めながらぼやく。

 そして、続けて叫ぶ。


「行かせてもらうでごわす!」


 床を揺らすほどの叫び。

 そして彼は、私たち目がけて走ってくる。


「来たわ! ゼーレ!」

「……カトレアは下がっていて下さい」


 ゼーレは小さく返すと、その金属製の両腕を伸ばす。すると、床から、かなりたくさんの蜘蛛型化け物が現れた。詳しい仕組みは分からないが、かなり迫力のある光景だ。


「時間を稼ぎなさい」


 淡々とした調子で命ずるゼーレ。


 蜘蛛型化け物たちは、命に従い動き出す。半分は壁を作り出し、もう半分は近づいてくるシロを待ち受ける。


 だがシロはそんなことは気にしていないようだ。やや猫背気味の格好はそのままに、両腕をブンブン振り回しながら迫ってくる。


 勢い任せのシロ、配置を意識する蜘蛛型化け物。正反対ではあるが、どちらも凄まじい迫力だ。

 その光景を少し感心しながら見ていると、ゼーレが声をかけてくる。


「ここは一旦退きましょう、カトレア」


 割れている仮面の隙間から覗く翡翠のような瞳は、私をじっと見つめていた。その色は、真剣そのものである。


「え、退くの?」

「このスペースでは……さすがに不利ですからねぇ」


 目を細めながらゼーレは答えた。


「そういうこと。分かったわ。じゃあゼーレが先に……」


 言い終わるより早く、私はゼーレに抱き上げられた。


 この体勢は俗に言う『お姫様だっこ』というものだろう。しかし、実際にされてみた気分は、お姫様というより子どもだ。

 何とも言えぬ、複雑な心境である。


「揺れますから、そのつもりでいて下さい。くれぐれも……情けない声など出さぬように」


 背にひんやりとした感触。

 その原因は、ゼーレの金属製の腕が触れていることだと思われる。


「ちょっと、何をする気?」

「突破します」

「と、突破って?」


 私はゼーレの腕から降りると、蜘蛛型化け物の上に座った。


「一旦この部屋から出ます。ここは基地内ですからねぇ……敢えてリスクを負う必要もないでしょう」


 なるほど、それもそうだな。そんな風に思った。

 重さに差はあれど私もゼーレも負傷している。敵地でもないのに無理して戦うというのは、賢明な選択とは言えない。

 今は、ゼーレが言うように、一旦逃げるのが得策だろう。


「そうね。じゃあ任せるわ」


 私はゼーレと目を合わせる。そして、お互いに見つめあったまま、頷く。それとほぼ同時に、私たち二人を乗せた蜘蛛型化け物は動き出した。



 ——だが、シロとてそう易々と見逃しはしない。


「逃がさないでごわすよ!」


 私とゼーレが部屋の出口に向かっていっていることに気づいたシロは、蜘蛛型化け物の群れから目を逸らし、体をこちらへと向ける。

 そして、私たちの方へ突進してきた。凄まじい勢いだ。


「ゼーレ! 来てるわ!」


 そう叫んだ——直後。


 突進してきていたシロの体が、宙に浮いた。筋骨隆々の太い腕を振り被っている。

 私は反射的に身を縮めた。


「おるゅああぁぁぁぁ!!」


 鼓膜を貫くは、凄まじい雄叫び。

 私は迫力に圧倒されて、その場で身を伏せる。それにより、シロの拳を浴びることは辛うじて免れることができた。


 しかし。


 シロの拳は、ゼーレへと突き刺さる。


「……っ!」


 ゼーレは詰まるような息を漏らす。


 彼は胸の前で両腕を交差させ、ぎりぎりのところでシロの拳を防いでいた。常人を遥かに超越した反応速度は、さすがとしか言い様がない。


 ただ、防ぎはしたものの、拳の勢いを殺しきれてはいなかったようだ。

 ゼーレの体は吹き飛ばされた。そして、信じられないほどの速度で壁に激突。ほんの数秒のことだった。


「……くっ」


 何とか立ち上がるも、よろけてまともに動けないゼーレ。そんな彼の腹部に、シロの拳が突き刺さった。


 今度こそは直撃。

 これにはさすがのゼーレも顔をしかめる。


「ゼーレ!」


 慌てて蜘蛛型化け物から降りようとした私に向け、ゼーレは鋭く叫ぶ。


「来る必要はありません!!」


 予想外にきつい言い方だったため、私は、その場から動けなくなる。

 そんな中、体をくの字に折り曲げたまま叫ぶゼーレの片方の腕を、シロが掴むのが見えた。


「ゼーレ殿も不幸でごわすなぁ」


 嫌らしく、にやにや笑うシロ。


「このような腕では、想い人を抱き締めることさえままならない」


 シロの心ない言葉に、ゼーレの瞳が揺れた。


 なぜそんなことを平気で言えるのだろう。そんな思いが、私の胸中を満たしていく。

 ゼーレは望んで腕を捨てたわけではない。それはシロだって分かっているはずだ。にもかかわらず、敢えて傷を抉るような真似をする理由は、私には分からなかった。


「喧嘩だけは、一人前に売りますねぇ……」


 ゼーレは、一時こそ動揺したような顔をしていたものの、既に落ち着きを取り戻しつつあるようだ。

 切り替えの早さは、見事である。


「死ぬ前に教えて差し上げるでごわすよ」

「…………」

「愛されたことのないゼーレ殿には、恋なんて無理でごわす」


 言いきった後、シロは、ゼーレの腕をねじ曲げた。

 そもそも負傷していたゼーレが、筋骨隆々なシロから逃れられるわけもない。ゼーレはただ、苦痛に耐えるしかなかったことだろう。

 そんなゼーレを見て、シロは既に勝った気でいる様子だ。


「最期に何か、言い残すことはあるでごわすか?」

「……そうですねぇ」

「遺言は、おいらがちゃーんと、聞いて差し上げるでごわすよ」


 既に勝った気になられ、不快そうに顔をしかめるゼーレ。


「そしーて! ゼーレ殿抹殺に成功したおいらは、むふふ、リュビリュビ様に気に入られ、ぐふっ、リュビリュビ様と晴れて結ばれるのでごわす! むふふふふ」


 シロはゼーレ抹殺後に思いを馳せ、鼻の下を長くしていた。黒い顎ひげが目立つ顔面は赤らみ、鼻息は荒くなっている。


「むふふむふふむふむふむふふふふふ! ぐふふっ! ぐふふふふ!」


 彼はよほどリュビエを愛しているのだろう。リュビエのことが好きで好きで堪らない、ということだけは、ひしひしと伝わってくる。


 ……ただ、この光景をもしリュビエが見ていたとしたら、シロに対して少なからず嫌悪感を抱いたことだろう。


「早くリュビリュビ様に褒められたいでごわーす」


 妄想にふけるあまり、ほんの一瞬、ゼーレの腕を掴むシロの手が緩んだ。

 その隙を、ゼーレは見逃さない。


「……妄想が好きですねぇ」


 汚いものを見るような視線をシロに向けつつ、ゼーレはぽそりと吐き捨てる。


 ——次の瞬間。


 放たれた閃光の如きゼーレの蹴りが、シロの胸部へ命中した。

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