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暁のカトレア  作者: 四季
6.帰還

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episode.87 楽しく過ごそうよ

 帝国軍基地内にある食堂にて、今私は、ゼーレの失われた腕に関する話を聞いている。既に昼時は過ぎ、夕食まではまだしばらく時間があるという、中間的な時間帯であるため、食堂は空き気味だ。営業してはいるものの、人が少ない。


「そして、ボスは私に言ったのです。人の心を捨て、絶対服従することを条件に、命だけは見逃してやってもいい、と」


 ゼーレは己の機械風の腕を一瞥し、ふっ、と息を漏らした。まるで、過去の自分を軽蔑するかのように。


 そこへ、怪訝な顔をしていたトリスタンが、口を挟む。


「その条件を飲んだということなのかな」

「そうです。そして、化け物を生み出し操る力を授けられたのも、その時でした」


 放たれた問いに対し、ゼーレは首を縦に振る。

 その瞬間、トリスタンの整った顔に、憤りの色が浮かんだ。青い瞳は燃えている。


「じゃあ君は、自分が助かるためだけにボスについたんだ。そして、化け物を使ってたくさんの人を殺めた」


 トリスタンの声は静かだった。けれども、噴火する直前の火山のような、得体の知れない力を感じさせる。


「許されることじゃないよ、それは」

「まぁ……そうでしょうねぇ」


 蜘蛛型化け物の上に座ったままゼーレが返した刹那、トリスタンがテーブルを強く叩いた。


「どうしてそんなに飄々としていられるのかな! 君は!」


 トリスタンの口から放たれた叫びは鋭く荒々しいものだった。嵐の夜の海のような激しさである。


「死んだんだよ! 人が! それもたくさん!」

「そうですねぇ。しかし、私が生きるためのやむを得ない犠牲でした」

「……生きるため? ふざけたことを!」


 今にも殴りかかりそうになるトリスタンを、私は咄嗟に制止する。


「待って! トリスタン!」


 比較的空いている時間とはいえ、周囲に人が一人もいないわけではないのだ。こんなところで乱闘騒ぎが起きれば、私もゼーレも、また目をつけられてしまう。それだけは避けたい。


「トリスタン、喧嘩は駄目よ」


 私は彼の片腕を掴み、じっと見つめて、落ち着かせるように努めた。


「でもマレイちゃん……」

「言いたいことがあるのなら、落ち着いて言ってちょうだい」


 視線の先にあるトリスタンの瞳は揺れていた。

 その美しい瞳は、鏡のように、彼の心を映し出しているのだろう。


「……マレイちゃん、君の村や大切な人たちもゼーレにやられたんだよ」

「そんなことは分かっているわ」


 一メートルも離れていないトリスタンの瞳を、真っ直ぐに見つめることは、私にはできなかった。


 無論、いつもなら何も考えずに目を向けられただろう。

 しかし、この静寂の中で、彼を直視することは、今の私には難しかったのである。


「なら、どうしてゼーレに優しくする必要があるのかな」

「お願い。そんなことを言わないで。ゼーレは変わったの。もうあの頃の彼とは違うわ」


 私がそこまで言うと、トリスタンは黙った。


 さらなる静寂が私たちを包み込む。


 いつもは活気のある食堂なのに、よりによって今は、人がほとんどいない。一番端の席に座っている大人しい二人組くらいしか見当たらないという状況だ。


 こういう時にこそ騒がしさが必要なのに、と、私は心の中で呟いた。

 もっとも、心の中での呟きなど、何の意味もないのだけれど。



 ——長い沈黙。


 それまで激しく言葉を発していたトリスタンが黙ったことにより、その沈黙はより一層深まった。


 トリスタンは今、微かに俯き、憂いを帯びた表情で黙っている。そんな彼にかける言葉を、私は持っていない。ゼーレは自分を乗せている蜘蛛型化け物を撫でながら、静寂が過ぎ去るのを待っている様子だ。


 この沈黙が永遠になったらどうしよう——そんな風に思ってしまうほど、重苦しい空気が漂っている。


「ねぇ」


 そんな沈黙を、やがて一つの声が、破った。


「どうしてみんな、そんなにややこしいのっ?」


 声の主はフランシスカ。

 私を含む三人のごたごたに若干巻き込まれた彼女は、呆れ顔だった。


「ゼーレを仲間に加えるって言ったのはグレイブさんだよ? あの超化け物嫌いのグレイブさんが決めたんだし、もうこれ以上何だかんだ言っても無駄なんじゃないのっ?」


 それはそうかもしれない。


「せっかくの休める時間なんだからさ、せめてその時くらいは楽しく過ごそうよっ」

「フランには関係ない」


 トリスタンは冷たい態度をとる。

 それに対し、負けじと言い返すフランシスカ。


「あるっ! 全然関係なくない!」


 制止していた空気が、少しづつ少しづつ、再び動き始める。


「だから、喧嘩はここまで! 取り敢えず甘いもの貰ってくるから、それ食べて休憩! 分かったっ!?」


 フランシスカは、席から立ち上がると、両手を腰に当てながらそう言った。兄弟喧嘩を収めようとしている母親のように。


 それから彼女は席から離れた。

 場には三人だけが残される。気まずさは最高潮に達している。


「トリスタン、取り敢えず一旦座りましょ」

「……そうだね」


 私は先にトリスタンへ声をかけ、彼を席につかせた。


 刹那、ちらりと彼の顔を見る。

 顔色を見る感じでは、だいぶ落ち着いてきているようだった。凄まじい迫力を醸し出す憤りの色は、既に消えている。これなら、平和的に進めていけそうな気が、しないこともない。


 続けて私は、ゼーレの方へと目を向ける。


「ゼーレ、体調は大丈夫なの?」


 蜘蛛型化け物を愛しそうに撫でていたゼーレは、さりげなくこちらへ視線を向けると、口を開いた。


「問題ありません」


 淡々とした調子で言った後、彼は再び、視線を蜘蛛型化け物へと戻す。


 ゆったりとした、柔らかな手つきで撫でてもらった蜘蛛型化け物は、脚をくいくいと動かして喜びを表している。何だか妙に幸せそうだ。

 眺めている方まで幸せな気分になってくるような光景である。



 こうして、本格的な喧嘩にまで発展することはなく済んだ。

 今回は、一歩誤れば殴り合い、というところまでいきかけていた。にもかかわらず、大喧嘩にならず済んだのは、偏に、フランシスカのおかげだろう。

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