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暁のカトレア  作者: 四季
1.始まりの出会い

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episode.7 動き出す、私の歯車

「……マレイ? こんな夜遅くにうろついて、何をしているんだい」


 最悪だ、と青ざめる。

 なぜかというと、トリスタンに送ってもらっている途中でアニタに出会ってしまったからである。


 よりによってこのタイミングで遭遇するなんて——驚くくらいのついていなさだ。


「こんばんは、アニタさん」


 トリスタンはさりげない笑顔でアニタに挨拶する。しかし、彼女は、そのくらいでごまかせる人間ではなかった。


「どうしてアンタがマレイと一緒にいるんだい?」


 アニタはトリスタンへ、ねっとりとした視線を向けながら問う。


「少し用があったもので。部屋でお話をさせていただきました」


 さらりと答えるトリスタン。

 しかしアニタはそのくらいでは納得しない。


「まさか……おかしなことをしたんじゃないだろうね」

「おかしなこと? 何ですか、それ」

「男女が部屋でと言ったら決まっているじゃないか!」


 きょとんとした顔をするトリスタン。


「とぼけるんじゃないよ! マレイに何をしたんだい!?」


 すっかり怒りモードに入ってしまったアニタは止まらない。トリスタンの言葉を聞く気は微塵もなく、一方的に言葉を吐く。


「いくら宿泊客でも、手を出してたら承知しないよ!」

「待って下さい! トリスタンはそんな人じゃないです!」


 私は、怒りに染まったアニタを落ち着けようと、必死に声をかける。しかし私の声かけ程度で彼女を止められるわけもなかった。むしろ悪化させてしまったくらいである。


「マレイは黙ってな! これはその男との話だよ!」

「アニタさん。僕は本当に何もしていません」

「嘘だね! やらかした男ほど、最初はそういうことを言うんだよ!」

「いえ。本当に、たわいない話をしていただけです」


 淡々と返すトリスタン。

 私はその横で首を上下に動かす。


 するとアニタは「もういいよ!」と鋭く言い放ち、私の片腕を強く引っ張る。私はつまづきそうになったが、何とか耐えた。


「マレイ、来な」

「あ、でもトリスタンは……」

「あんなやつはいいよ!」

「待って下さい、まだお礼を言えてな」

「礼なんていらないよ!」


 鋭く言われたものだから、私は何も言い返せなかった。


 ……だって怖いんだもの。



 それからアニタの部屋に連れていかれた私は、「夜に男の部屋へ行くなんて」とこっぴどく叱られた。

 相手はトリスタンだし、そこまで気にすることもないと思うのだが。


「いいね、マレイ。今後こういったことが絶対にないようにしなよ。寄ってくる男には必ず企みがあるものと思うこと」

「トリスタンはそんな人じゃないです」

「今は紳士を装っているけど、いずれは手を出すつもりだよ。あの男には、今後絶対関わらないようにしな」


 アニタがなぜそこまで言うのか、私にはさっぱり理解できなかった。


 世の中には、確かに、女に手を出し罪を犯す人間もいる。しかし、トリスタンがそのような人間だとは考え難い。


「どうしてそこまで決めつけられるんですか? トリスタンに前科があるわけではないですよね?」

「前科の有無なんて関係ない。男はみんな獣になるんだよ。あいつは少しはいいやつかと思ってたが、結局……」


 ぷちっ。


 その瞬間、私の中の何かが切れた気がした。


「アニタさん、酷いです!」


 私は半ば無意識に叫んでいた。怒りのままに口から言葉が飛び出した、という感じだ。


「何も知らないのにそんなこと言わないで下さいっ!」


 するとアニタは激昂する。


「何だい! その口の利き方は!」

「一方的にトリスタンを悪く言わないで下さいっ!」

「マレイ、アンタ! 雇い主である主人になんてこと言うんだい!?」

「雇い主でも主人でも、言っていいことと悪いことがあります!」


 完全に喧嘩だ。


 正直面倒臭い。

 しかし、トリスタンを悪人扱いされてなるものか。私を理解しようとしてくれた彼を、まるで犯罪者かのように見るなんて、絶対に許せない。

 それだけが、今の私の原動力だった。


「やれやれ、まったく。マレイはいつから、そんなワガママになったのかねぇ」

「ワガママではありません。トリスタンを悪く言わないでほしいだけです」

「女を連れ込む男なんざ、みんな悪だよ。トリスタンとかいうあいつも、悪としか言い様がない」


 トリスタンが悪だとアニタに言いきられ、我慢ができなくなった。雇われの身ゆえ、日頃は極力穏やかに振る舞っている。だがこればかりは堪え難い。


「話になりません! こんなところ、もう出ていきます!」


 私は立ち上がり、アニタの部屋から脱走する。


「こら! 待ちな!」


 背後からアニタの焦ったような叫び声が聞こえた。

 しかし私は振り返らない。

 今振り返れば、私は脱走を躊躇ってしまうことだろう。それを分かっているからこそ、私は前だけを見据えて走った。



 喧嘩した勢いで宿屋を出たものの、行く当てなどない。だからといってすぐに宿屋へ戻るのも、アニタに負けたみたいで不愉快だ。となると、もはや、「外にいる」しか選択肢はない。だから私は、夜の闇を一人で歩くことにした。


 闇はあの夜を思い出す。だから嫌いだ。ただ、アニタへの怒りで頭がいっぱいな今の私は、そこまで嫌だと感じなかった。夜の闇以外に意識が回っているからだと思う。



 そんなことでぶらぶらしていた、その時だった。突如、私の背後の空気が揺れるのを感じ、振り返る。


「貴女が……マレイ・チャーム・カトレアですよねぇ」

「……誰!?」


 闇の中から、黒い影が近づいてくるのが見えた。

 私は警戒体勢をとる。


 やがて黒い影の正体が露わになる。そして私は愕然とした。想像を越える、不気味な姿をしていたからだ。


 銀色の仮面を着け、黒く長いマントを羽織っている。腕は両方とも機械のようだ。


「私の名は……ゼーレ。今朝は貴女のお力、存分に見させていただきましたよ」


 黒い影の正体——ゼーレは、ゆっくり足を動かし、一歩、一歩と、こちらへ近づいてくる。その滑らかな足取りが、彼の不気味さを高めている気がする。


「何か用ですか」

「マレイ・チャーム・カトレア。貴女は化け物から二度も生き延びましたねぇ。なかなか幸運の持ち主です」


 状況がまったく読めない。

 トリスタンと出会ってからというもの、おかしなことばかりが起きる。


「そこで一つ、貴女に尋ねたいことがあります」

「尋ねたいこと?」

「えぇ、その通り」


 ゼーレは私に発言に頷き、それから告げる。


「マレイ・チャーム・カトレア。我々につきませんかねぇ?」



 またしても勧誘。

 既に揉めているというのに、また新たな勧誘。



 ——嫌になってきた。

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