episode.75 じゃあさ
その日の夜。
私が宿泊するのは、二階の西寄りにある一室だった。
二人部屋のため、さほど広くはない。だが、なぜか二人部屋を私一人が使うという状況になっていたため、やや広く感じられた。ベッドも椅子も二つづつ。それなのに使うのは私一人。贅沢と言えば贅沢なのだが、できれば誰かがいてくれる方が良かった。一人きりは寂しい。
私は二つ並んだベッドの片方に、仰向けに寝転び、天井をぼんやりと眺める。その頭には、ゼーレやトリスタンのことが浮かんでいた。
……って、そんなことを言ったら男好きみたいじゃない。
一応弁明しておくと、単に男が好きというわけではない。
ただ、最近二人の様子が、妙に気になるのだ。気になって仕方がない。
休めと言われているにもかかわらず黙ってついてくるという、非常に大胆な行動をとったトリスタン。素直な発言をし妙に繊細な表情を浮かべる、今までと雰囲気が変わってきたゼーレ。
私には、二人がよく分からない。
コンコンと軽いノック音が聞こえてきたのは、私が、考え込んで悶々としていたちょうどその時だった。
こんな夜に尋ねてくるなんて誰だろう、と怪しみつつも、「はい。どなたですか?」と声を出してみる。もちろん扉は閉めたままで、だ。
すると、扉の向こうから、「僕だよ」と答える声が聞こえてきた。声は「トリスタンだよ。ちょっといいかな」と続ける。その声が彼のものであると判断した私は、偽者だったらどうしようと少々恐れつつも、扉を開けた。
「夜遅くに、突然ごめんね」
扉を開けると、そこには、トリスタンが立っていた。
それを目にして、私は内心、ほっと安堵の溜め息を漏らす。
一つに束ねたさらさらの長い金髪。浮世離れした端整な顔立ち。そして、薄暗い中でさえ目立つ、深海のような青の瞳。
これほど精巧な偽者が存在するわけがない。
「急にどうかしたの? トリスタン」
「ちょっと話があるんだ。今大丈夫かな」
「えぇ、大丈夫よ。入る?」
トリスタンはここへは来ていないという話になっているはずだ。だから、極力ばれない方がいい。
シブキガニとの戦闘が始まる直前に一瞬トリスタンを見てしまったフランシスカは、「気のせいだろう」と言っておくことで何とかごまかせた。しかし、もしこのシーンをグレイブに見られたりなんかすれば、間違いなくややこしいことになる。
だから私は、彼を、室内に入るよう促したのだ。
「マレイちゃんがそう言ってくれるなら、少しお邪魔するね」
トリスタンは案外すんなりと部屋に入ってきてくれた。
速やかに扉を閉める。
これでグレイブには見つかるまい。ひとまず安心だ。
「どこにいたらいいかな?」
「好きなところでいいわ」
「ありがとう。マレイちゃんは優しいね」
「優しいなんて言われるようなことは何もしていないわ」
そんな会話をしながら、トリスタンはベッドに腰かけた。
先ほどまで私が寝転んでいたのとは違う方のベッドに、彼は座っている。なので私は、先ほどまで寝転んでいた方のベッドの上に、そっと座った。
ベッドとベッドの間は二メートルほど離れているため、これなら近くなりすぎないのだ。もちろん遠すぎることもないため、話をするにはちょうど良い距離だと思う。
「それで、話って何?」
二人ともがベッドに座り、少し経ってから、私は改めて尋ねてみた。
夜分に部屋を訪ねてくるくらいだ、何か大切な話なのだろう。そう思ったからである。
「いきなりこんなことを聞くなんておかしいって思われるかもしれないんだけど、それでもいいかな」
口を開いたトリスタンの表情は真剣そのものだ。
「えぇ、もちろんよ。おかしいなんて思わないわ」
彼の真剣な表情に戸惑いつつも、はっきりと返した。
すると彼は、決意したように一度頷き、唇を動かす。
「マレイちゃんは、ゼーレのことをどう思っているの?」
「……え」
「ゼーレのこと、男の人として見ているのかな」
私は暫し何も返せなかった。
だって、トリスタンからそんな問いが出てくるとは、ほんのひと欠片も思わなかったから。
予想外のことに素早く対応するのが苦手なのだ、私は。
「最近仲良くしてるよね。マレイちゃんがゼーレに対して抱いているものって、もしかして、恋愛感情? それとも、ただの仲間意識程度のもの?」
冗談を言ってごまかせる空気ではなかった。
だが——そんなことを急に聞かれてもよく分からない。
「こんな聞き方は直球すぎかなとも思ったんだけど、ちょっと、気になって」
トリスタンの整った顔は、じっとこちらを向いている。目は心なしか伏せ気味だが、私から視線が逸れるといったことはない。
「何かあったの?」
時間稼ぎも兼ねて聞いてみた。
すると彼は、シーツをぎゅっと握りながら、小さな声で返してくる。
「……ゼーレがマレイちゃんのことを『愛しい』って言っていたんだ。半分寝言みたいな調子ではあったけど。でも、完全な寝言にしてははっきりしていてね」
私は思わず怪訝な顔をしてしまう。ゼーレがそんなことを言っているところなんて、まったく想像がつかないから。
「本当にそんなことを?」
「間違いないよ。付き添っていた時に聞いてしまったんだ」
「ゼーレは結構重傷だったもの、夢でも見ていたんじゃない?」
それ以外の可能性など、どうやっても考えられない。
だってゼーレは言っていたではないか。運命が許さない、と。
あれほど迷いのない口調でそう言っていたゼーレが、私を愛しく思っているはずなどない。
人はそれほどすぐには変わらない——これもまた、彼が述べた言葉だ。
「きっと夢を見ていたのよ」
「僕は違うと思う。ゼーレは、君に優しくしてもらって、勘違いしているんだよ。きっとそうだ」
私は咄嗟に首を横に振る。
「いいえ! それはありえないわ!」
普通に言ったつもりだったが、予想外に大きな声が出た。私はすぐに「ごめんなさい」と謝る。
「あのね、トリスタン。私はゼーレに優しくしてなんてないの」
私は彼を何度も傷つけてしまった。
たとえば、トリスタン救出の後、グレイブと三人でいた時。私は保身のために心ない言葉を吐いた。
列車の中での喧嘩だって、私がきつく言い過ぎたことが原因だ。
「ゼーレのこと、何度も傷つけたわ。言及はされなかったけれど、それは彼が優しいから。彼は多分……私のこと、あまり好きじゃないと思うわ」
そこまで言いきった時、トリスタンは唐突に立ち上がった。何事かと思っていると、彼はこちらへ歩いて接近してくる。意図が掴めない。
「じゃあさ」
戸惑っているうちに、ベッドの上に押し倒される。
たいして筋肉質でもないように見えるトリスタンだが、男性なだけあって、意外と力が強い。さほど力のない私などでは、抵抗できそうになかった。
「ゼーレのことは忘れて、僕だけを見てくれる?」




