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暁のカトレア  作者: 四季
1.始まりの出会い
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episode.6 運命の別れ道

 突然の誘いに、暫し空いた口が塞がらなかった。


 私はどこにでもいるようなありふれた娘。宿屋で働く一般人である。帝国軍なんて言葉には馴染みがない。入るなんてもっての外だ。

 今日一日共に過ごしたのだから、トリスタンもそれは分かっているはず。にもかかわらず私を勧誘するなんて、謎としか言い様がない。


「トリスタン……何を言い出すの? 私みたいな一般人を帝国軍に誘うなんて、変よ?」


 私を帝国軍へ誘うということは、彼は帝国軍人なのだろう。それも驚きの一つだった。

 それならそうと、もっと早く言ってくれれば良かったのに。


「変じゃないよ。一般人出身の軍人もたくさんいる」


 トリスタンの言葉を聞き思い出す。そういえばアニタの息子も帝国軍に勤めていたな、と。それを思えば、普通の家からでも軍人になれるというのも理解できる。


 しかし私は女だ。しかも齢十八。


「それはそうね。でも、私には軍人なんて無理だわ」

「いや、無理じゃない。僕はこの目で君の持つ凄まじい力を見たから言っているんだ。マレイちゃん、君の力なら十分活躍できる」

「……だとしても、無理よ」


 凄まじい力なんて、活躍できるなんて。そんな次々言われても、私にはよく分からない。昨日まで平凡に暮らしてきたんだもの。


「私はこれまでもそうだったように、これからも平凡に生きていくの。普通の女として、ただひたすら平凡に」


 その瞬間、ベッドに腰掛けているトリスタンの眉がぴくっと動く。


「それでいいの?」


 いつになく静かな声。落ち着きのある低いその声は、まるで私の心の奥深くを探っているかのようだ。


 私は彼の問いに、すぐには答えられなかった。

 なぜなら、心の隅に、得体の知れない何かがあったからである。


「君はここが一番自分に相応しい場所だと思っているの?」


 追い討ちをかけるように言ってくるトリスタン。


 私は私自身の心がよく分からなくなってきていた。

 平凡に生きていくものと思っていたし、それを望んでいるはずだった。なのに、今私は、なぜか、彼についていきたいような気がしてならない。可能性を信じ、新たな道へと歩み出したい。そんな思いが湧いてくる。


「……分からないわ」


 自然と口からこぼれていた。

 考える間もなく、ありのままの心が溢れ出す。


「いきなりそんなことを言われても困るわよ。私自身、私がどうしたいのか分からないの」


 すると、トリスタンは頬を緩めた。


「帝国軍へ来てくれる可能性は、ゼロじゃないってことだね」

「えぇ。貴方には助けられた恩があるもの。バッサリとは断れないわ」

「……そんな理由なんだね」


 少し残念そうな顔をするトリスタン。


 彼についていくかはまだ分からない。しかし、彼と行ってもいいかもしれないと徐々に思えてきた。

 なので、疑問に思ったことを尋ねてみる。


「もし私が帝国軍へ入るとして、そこで何をするの?」


 するとトリスタンは、その整った顔に気色を浮かべた。海のように深みのある青の目は輝き、口角が僅かに上がっている。


「マレイちゃん……! 興味を持ってくれているんだね」


 トリスタンの声は弾んでいた。非常に分かりやすい人だ。


「まだ行くと決めたわけではないわよ」

「興味を持ってくれている事実だけで嬉しいよ」


 心から嬉しそうな顔をしているトリスタンを眺めていると、彼が女性を惹き付ける理由が少し分かった気がした。


「僕たちの仕事は化け物狩り。つまり、今朝の巨大蜘蛛みたいなのを片付けるのが仕事ってわけだよ」

「あんなのと戦うの?」


 早くも自信を失ってきた。

 不安しかない。


「そうだよ。今から十年前くらいかな、レヴィアス帝国に突如化け物が発生するようになったのは知っているよね?」

「えぇ」


 知らないわけがない。だって私の故郷は、あの巨大蜘蛛の化け物に焼き滅ぼされたのだから。

 圧倒的な強さを誇る化け物にすべてを破壊される恐ろしさは、この脳に深く刻み込まれている。八年が経った今でも、鮮明に思い出せるくらいに。


「その後、いくつもの街が化け物に襲われて破壊された。このままでは国が滅亡してしまうと考えた帝国は、対抗する手段を必死に研究し、ついにこれを発明した」


 説明しながら、トリスタンは腕時計を私に見せる。


「これは……今朝のおしゃれな腕時計ね」

「そう。これは、僕たち人間があの化け物を倒す、唯一の希望なんだ」


 レヴィアス帝国ならではのテクノロジーを利用した道具、といったところか。


「そういえば、白銀の剣を取り出していたわね」


 何も思わず言うと、トリスタンは「しまった」というような顔をする。


「あ、見られてた?」

「えっ、見ちゃいけなかったの?」


 私とトリスタンは顔を見合わせた。そのまま少しの沈黙。


 見つめあっているのにお互い何も言わないことが妙におかしくて、徐々に笑いが込み上げてくる。

 それから数秒、私はついに笑いをこぼしてしまった。ふふふっ、と変な笑い声を出してしまう。


「なんというか……見てしまってごめんなさい」


 変な笑い声を出してしまったのが恥ずかしくて仕方ない。


「あ、いや、気にしないで。説明の手間が省けて良かったよ」


 トリスタンはぎこちなく言葉を紡いでいく。


 ひんやりとした空気が私たち二人を包む。上手く言葉にできないのだが、非常に気まずい。それから、またしても沈黙が訪れた。


 やがて、長い沈黙を破り、トリスタンが爽やかに述べる。


「ちなみに僕の所属している化け物狩り部隊は、レヴィアス帝国軍の中でも比較的高い地位だから、給与は結構いいよ。その代わり死と隣り合わせだけどね」


 さらっと怖いことを……。

 不安を煽るような内容を時折混ぜ込んでくるのは止めてほしい。怖いことを言われては、私の心が揺れてしまう。


「トリスタン。取り敢えず、明日の朝まで時間を貰っても構わない?」


 これは私の人生を変えるような大きなことだ。一応色々考えてはみたが、「そう簡単に答えを出せるような内容ではない」というのが私の答えだった。もう少し時間が必要である。


「もちろん。構わないよ」

「ありがとう!」

「それじゃ、今日はお開きにしようか。マレイちゃん、部屋まで送るよ」


 トリスタンは優しく言ってくれた。しかし私は首を横に振る。


「いいわ。アニタに見つかると厄介なの」

「でも危ないよ?」

「外へ行くわけじゃないし、平気よ」

「駄目だよ!」


 急に調子を強めるトリスタン。

 日頃は温厚なのに時々強く出てくるところが不思議だ。


「部屋まで送るよ。……何かあってからじゃ遅いから」

「そうね、分かったわ。ありがとう」


 何かあってからじゃ遅いから、の部分に若干違和感を覚えながらも、私は素直に送ってもらうことにした。好意に甘えるというのも時には悪くないだろうから。

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