episode.66 食べられる化け物
数分後。
フランシスカが宿へ帰ってきた。息が荒れているところを思うと、駆けてきたのだろう。
「マレイちゃんっ!」
彼女は私の近くにいるトリスタンを目にし、戸惑いに満ちたような顔をする。なぜトリスタンらしき者がいるのか分からないからだろう。
しかしフランシスカは、そのことに触れはしなかった。それより大切なことがあったからだと思われる。
「すぐ来れるっ!?」
慌てた様子のフランシスカに、ゼーレが怪訝な顔をする。異変を察知したようだ。
「……何かあったのですか?」
「カニ型化け物が出たの! この宿の主さんも巻き込まれてるっ」
それを聞き、私は思わず声をあげる。
「そんな……!」
アニタが化け物に襲われているということだろうか。だとしたら、少しでも早く助けに行かなくては。一刻も早く駆けつけて、助けなくてはいけない。
だって、アニタには凄くお世話になったから。
カニ型化け物か何か知らないが、恩のある人をそんなやつに傷つけさせるわけにはいかない。
「分かった。すぐに行くわ」
私はトリスタンを一瞥する。彼は「行って」というように、一度こくりと頷く。急なことではあったが、トリスタンは状況を理解してくれているようである。
「じゃあついてきてっ」
「えぇ、行くわ!」
先に走って行くフランシスカ。
私は、その背中を追った。
フランシスカの背を見失わないよう気をつけつつ、砂利道を懸命に走る。
帝都の道はもう少し整備されている。だから、整備されていない砂利だらけの道を走るのは久々だ。けれど、私の足は砂利道を駆ける感覚をしっかりと覚えていた。それゆえ、苦労なく走ることができる。
人生において、何の役にも立たない経験などありはしないのだと、今改めて感じる。
海の見える高台に着いた時、そこから見下ろす砂浜の光景に、私は愕然とした。というのも、アニタの宿に勤めていた八年間の中でも、一度も見たことのない光景だったからである。
「なっ、なにこれっ!?」
驚かずにはいられなかった。
なんせ、広大な砂浜にびっしりと、巨大なカニが現れていたのだから。
「あれが噂のカニ型化け物らしいよっ」
フランシスカが最小限の言葉で教えてくれた。
「あれが……。でも、カニにしては大きくない?」
「マレイちゃんったら、もう! カニじゃないって言ってるでしょ? あれは化け物の一種!」
あ、そうか。
それなら巨大なのも理解できる。蜘蛛型化け物の中に数メートルある個体がいるのと同じことだから。
そこへ、今になって追いついてきたゼーレが口を挟んでくる。
「実に多いですねぇ」
ゼーレが自ら絡んできたことに、戸惑った顔をするフランシスカ。
よく考えてみれば、その反応は真っ当だ。ついこの前まで敵だった者が当たり前のように話に入ってきたのだから、戸惑わないわけがない。
むしろ、なんとなく馴染んでいる私が変なのである。
「何それっ。他人事みたいで感じ悪いっ!」
「貴女は……カトレアと違ってうるさいですねぇ」
「マレイちゃんと比べないで! フランはフランなのっ!」
フランシスカとゼーレは、いつの間にやら険悪になっていた。
こうして見ていると、なかなか上手くはいかないものなのだな、と思う。
「……それより。倒さなくて良いのですかねぇ」
砂浜を見下ろしながらゼーレが漏らすと、フランシスカはむっとした顔をする。そして、鋭く言い放つ。
「ちょっとは協力しなさいよっ!」
ミルクティー色の髪は柔らかで、無垢な少女のように愛らしい顔立ち。睫毛は長く、瞳は丸い。そんなフランシスカだが、はっきりとした物言いには結構迫力があった。
「うるさいですねぇ」
フランシスカから鋭い声をかけられたゼーレは、「怒るまでもない」といったようにそう呟き、顔を私の方へ向ける。これ以降フランシスカを無視する、ということを暗に言っているような態度だった。
「効率的に行きましょう」
「取り敢えず砂浜の方へ行ってみる? グレイブさんの指示を待ち続けるだけというのもなんだし……」
「……分かりました」
ゼーレはなぜか素直だった。ひねくれ者の彼が素直な言動をとっていると、とにかく不思議で仕方がない。
その瞬間。
フランシスカが文句を言ってきた。
「ちょっと! フランを放って勝手に進めるとか!」
……あ。
正直に言うと、彼女の存在を忘れてしまっていた。
時折、傍にいる人の存在を忘れて話を進めてしまうのは、私の悪い癖だ。そんなのは失礼極まりない。
これからは気をつけよう、と、私は密かに思った。
「あっ……、勝手にごめんなさい」
「ま、分かればいいけどねっ」
良かった。許してはもらえそうだ。
「それじゃあグレイブさんからの伝言を伝えるねっ。マレイちゃんとそいつは——」
刹那、ゼーレがぐっと前へ出る。
「不躾ですねぇ。そいつ、などと言わないで下さい」
「うるさい。黙って」
またしても険悪な空気になるフランシスカとゼーレを、私は必死に制止した。
というのも、くだらないことでいちいち言い争っている暇はないと分かっているからだ。今は、砂浜を埋め尽くすカニ型化け物を倒すのが、最優先である。
「とにかく! マレイちゃんとその男は、地面から化け物退治をして! フランは上空から一気にいくからっ」
フランシスカの言葉に、私はハキハキと返す。
「えぇ、分かったわ! 任せて!」
「なるほど……シブキガ二退治というわけですねぇ」
——数秒の間。
そして、私とフランシスカは同時に発する。
「「シブキガニ?」」
ゼーレがさらりと言った言葉に、反応したのだ。聞き慣れない言葉だけに、何かと思った。
「「シブキガニって?」」
私とフランシスカが再び尋ねると、ゼーレは答える。
「いちいち面倒ですねぇ……シブキガニというのは、あのカニ型の別名です」
なるほど、と感心する。
さすがあちら側にいた人間だけあって、化け物に詳しい。
「食用として開発された、珍しく食べられる化け物ですよ」




