episode.64 はじきあいつつも
無理矢理制止しようと強い調子で声をかけたため、ゼーレはすっかり不機嫌になってしまった。彼は窓の方を向きながら、自身が作り出した小さな蜘蛛型化け物と戯れている。こちらへ顔を向けようとは少しもしない。
「ゼーレ。さっきはきつい口調になって、ごめんなさい」
「…………」
「怒ってる?」
「…………」
完全に無視だ。
これだからゼーレは、と言いたくなるような、露骨な無視の仕方である。
なぜこうも分かりやすいのだろう。
「ゼーレ、こっちを向いて。怒らないで」
挫けずに声をかけてみるが、やはり返事は返ってこなかった。さすがにイラッときた私は、いけないと分かっていながらも、声を荒らげてしまう。
「もう! どうして無視するの!」
カッとなっていたのもあり、私は半ば無意識に、ゼーレの片腕を掴んでしまう。すると彼は、腕を掴む私の手を、パァンと払い除けた。
——そして、訪れる沈黙。
私とゼーレの間の空気が、冬のように冷えていく。どうしてゼーレとだけは、こうも上手くいかないのだろう。
アニタ、トリスタン、その他の隊員たち。今まで出会ってきたゼーレ以外の人たちとは、気まずくなることはあれど、派手に喧嘩になることはあまりなかった。
なのにゼーレとは、すぐに言い合いになってしまう。
「……酷い」
隣に座っているのがトリスタンなら、こんなことにはならなかったのに。
そんな風に思ってしまった。
「口を利いてさえくれないなんて、酷いわ」
段々泣きたくなってくる。
親しくなれてきたと思った。少しずつ距離は近づいていると、そう信じていた。
だけどそれは、私の勝手な思い込みだったのかもしれない。そう思った時、悲しみの波が押し寄せてきた。
言葉にならない鈍い痛みが、胸全体に広がる。
「どうしてよ……」
グレイブやシン、フランシスカなどを含む他の隊員たちは、自由気ままに寛いでいる。
持ってきたお菓子を食べる者。本を読んでいる者。隣の人と話す者。と、行動は色々だが、みんなリラックスした表情だ。
暗い顔をしているのは私だけ。
そんな時だった。
「どうしたのですかぁぁ?」
憂鬱な気分にさいなまれて黙り込んでいると、唐突に、誰かが声をかけてきた。いちびったような声だったので、声の主がシンだとすぐに気づく。
俯いていた面を持ち上げると、彼の大きめの眼鏡が、すぐ近くにまで接近してきていた。今日のシンは、いつもとはデザインが異なった眼鏡を装着している。今日の眼鏡は黒縁だ。
「シンさん……」
「浮かない顔をなさってますけどぉ、何かありましたかぁぁぁぁぁぁ?」
シンの独特の喋り方は健在のようである。
「特に何も……」
私が言いかけた瞬間、シンはさらに顔を近づけてきた。ぐいっぐいっ、と寄ってくる。かなりの迫力だ。
「嘘! それは嘘ですねぇぇぇ!」
声が大きい、声が。
「あ! もしかしてぇぇ、隣の彼と喧嘩ですかぁぁぁぁぁ!?」
「ちょ、ちょっと、静かにして下さいっ……!」
ヒートアップしてくるシンを、私は慌てて制止する。するとシンは、「そうでした」と言いつつ、大人びた咳払いをした。グレイブに怒られ慣れているからか、意外と素直だ。
「で、マレイさんがぁぁ、落ち込んでらっしゃる理由はぁぁ、何ですかぁぁぁ?」
「あの、気にしないで下さい。たいしたことはないので」
「けどぉ……心配ですよぉぉぉぉぉぉ。仲間ですからぁぁぁ」
なぜこうも首を突っ込んでくるのだろう、と不思議に思っていると、シンはゼーレの方へ目を向けた。
シンが余計なことを言わなければいいのだが。
「あのぉー、ゼーレさん。マレイさんに意地悪するのはぁ、止めて下さいぃぃぃ」
「余計な発言は慎んでいただきたいものですねぇ」
「で、ですがぁ、ゼーレさん。マレイさんが落ち込んでぇ……」
するとゼーレは、いつになく冷ややかな声を発する。
「黙りなさい」
ゼーレの金属製の腕に乗った小さな蜘蛛が、シンを威嚇するように動いていた。
その蜘蛛型化け物に気がつくや否や、シンは叫ぶ。
「うわあああぁぁ! 昆虫系は嫌ぁぁぁぁぁぁ!」
空気を震わせ、彼は大慌てで走り去る。半泣きになっていた。
シンが逃げていった直後、ゼーレは不満げにぽそりと呟く。
「蜘蛛は昆虫ではないのですがねぇ……」
突然の独り言に驚いてゼーレの方へ顔を向けると、ちょうど、彼もこちらを向いていた。彼は気まずそうな仕草をする。
しかし、少しして、彼は口を開く。
「先ほどは……その」
何やら言いにくそうにしている。
「すみませんでしたねぇ、無視して」
「え?」
思わず情けない声が出てしまった。ゼーレの方から謝ってくるなんて、夢にも思わなかったからだ。
「ゼーレ? 今、何て……」
「何度も言わせないで下さい」
両腕を背中側へ回しつつゼーレは返してきた。
「どうしてよ。聞こえなかったの、もう一度言ってくれない?」
「聞き逃した貴女に問題があるでしょう」
「ごめんなさい。でも、ちゃんと聞きたいの。だからお願い。もう一度言って」
やや上目遣いで頼んでみる。こういったことには慣れていないが、せっかくの機会だから試してみたのだ。
すると、意外なことに、ゼーレは言う。
「無視して悪かった、と言ったのです」
やはり聞き間違いではなかったらしい。改めてほっとした。
「……私を責めますか?」
「いいえ。そんなことしないわよ。気にしていないもの」
責めたって、何にもならない。
「やはり……お人好しですねぇ」
「悪い?」
「いえ、べつに」




