episode.60 臣下は今日も騒がしい
ゼーレとの誤解は生じたまま、夜は明け、翌日が訪れる。
今日は特に仕事がないため、私は、訓練に励むことに決めた。しかしトリスタンは、さらわれていた間に負った傷の様子を見ておかなくてはならない。そのため、代わりにグレイブが付き合ってくれることになった。
場所は修練場のメインルーム。
誰もいないこの場所は、私たち二人で使うには広すぎる空間だ。
「よし。では早速戦闘を始めよう」
「はい!」
約束を破り勝手にトリスタン救出へ向かってしまったことを責められないか心配だ。
だが、今はそんなことを考えている暇はない。
「まずは腕時計を外せ」
「えっ?」
「腕時計無しで戦う、ということだが」
「えぇっ」
無茶だ。
光球を使わずにグレイブと渡り合うなんて、私にできるわけがない。彼女はいきなり厳しすぎる。
「もちろん私も腕時計は使わん。これで文句はないだろう?」
いや、そういう問題ではない。
グレイブは腕時計が無くともそれなりに強いだろう。それに比べて私は、腕時計無しでは無力。何もできないに決まっている。
「待って下さい! 無理です!」
「何を言う。無理を無理でなくするのが訓練というものだろう」
「だからって、いきなりすぎます!」
私が意見を述べた、その瞬間だった。
「いきなりすぎないですよぉぉぉー!!」
突如修練場内に響いたのは、シンの大きすぎる叫び声。
そのうるささといえば、反射的に両耳を塞いだほどである。
「おぉ、シンか」
私は鼓膜を貫かれそうになっているというのに、グレイブは眉ひとつ動かさない。
この巨大な叫びに、耳が痛まないのだろうか。もしかしたら慣れれば大丈夫になるものなのかもしれない、と、私は密かに思った。
「お部屋にぃぃぃ! いらっしゃらなかったのでぇぇぇー! 探していたらぁぁ、ここまでぇぇ、来てしまいましたぁぁぁ!」
「おい、シン。落ち着け。もう少し静かに話せ」
「できませんよぉー。グレイブさんがいなくなってしまったかとぉぉぉー」
シンは半泣きのようになりながらグレイブにもたれかかる。
だがグレイブは甘い女性ではない。もちろん、気安くもたれかかることなど許すような性格でもない。
そのため、彼女はシンを厳しく突き放していた。
「用があるならさっさと言え。何もないなら帰れ。今私はマレイの訓練中だ、ダラダラと話す暇はない」
血のように赤い唇からこぼれる言葉は、厳しく、そして冷たい。
まるで、棘に護られる気高き薔薇の花のよう。
「え……えぇとぉぉ……」
シンは、頭をくしゃくしゃと掻きながら、言葉を探していた。
それでなくとも豪快に外向きにはねている髪を、さらに手で乱すことによって、頭部が凄い状態になっている。
そのことに、彼は気づいていないのだろうか……。
「えぇとぉぉー……」
「速やかに言わないのなら、何もなかったと解釈するからな」
「そ、そんなぁぁぁー」
なかなか話し出さないシンに見切りをつけたグレイブは、何事もなかったかのように私へ視線を戻す。
真夜中のような漆黒の瞳に見つめられると、何とも言えない感覚を覚えた。
「よし。では開始しよう。マレイ、全力でかかってきて構わん」
「は、はい」
「何だ、その返事は。小さい!」
「あっ……はい!」
何だ、そのノリは。
「もっとはっきりと」
「はい!」
「もっと、だ」
ええっ。
大きな返事に意味はあるのだろうか。謎だ。
けれど逆らうというのも何なので、一応、しっかりと返事をしておく。
「はい!!」
するとグレイブは、ようやく満足したらしく、話を進める。
「よし、では訓練開始だな」
「頑張ります!!」
返事はいつもより大きめの声にしておいた。
また先ほどのように、「もっと」と言われる気がしたからである。もっとも、これといった具体的な根拠はないが。
そしてお昼頃。
訓練を終えた私は、グレイブやシンと食堂へ行く。
「マレイ、何を食べるんだ」
席につくや否や、グレイブが尋ねてきた。
「私ですか?」
「あぁ。貰ってきてやろう」
グレイブは妙に親切だ。
彼女は厳しい人だが、時にこんな風に親切なので、不思議な感じがする。クールビューティーとちょっとした優しさ。そのコントラストは、この心をときめかせて仕方ない。
そこへ、シンが乱入してくる。
「ではぁぁ! ボクはカレーライスでぇぇぇー!」
「マレイに言っているのだが」
「ボクもぉぉぉ、グレイブさんにぃ、貰ってきてほしいですよぉぉぉー!」
「断る」
ばっさりと拒否されたシンは、大袈裟に肩を落とす。ショボーン、という効果音が本当に聞こえてきそうなくらいの、派手な落ち込み方だ。
「で、マレイは何を?」
「カレーでお願いします……」
「分かった」
グレイブは一度頷くと、速やかに席を離れる。取りに行ってくれたようだ。ありがたいが、少し申し訳ない気もする。
シンも彼女についていき、私はその場に一人になってしまった。
賑わう食堂内で一人というのは、少々寂しさがある。けれど、今私がここから離れてしまっては、席を他の人にとられるかもしれない。だから私は、ぽつんと椅子に座ったまま、グレイブたちの帰りを待った。
そんな時だ。
見知らぬ女性三人組が話しかけてきたのは。
「ちょっといいかしら?」
最初に言葉を発したのは、三人組の真ん中の女性。パサついた茶髪が目立つ、二十代後半くらいのパッとしない女性である。
「マレイさんよね?」
「はい」
「貴女、トリスタンに構ってもらっておきながら、例の人型化け物にまで手を出したんですって?」
私は一瞬、何を言われているのか分からなかった。
手を出したなんて、まるで、私が悪い女であるかのような言い方ではないか。なぜそのようなことを言われねばならないのか、理解不能だ。
戸惑いのあまり言い返せずにいると、パサついた茶髪の女はさらに絡んでくる。
「貴女って、随分男好きなのね。どんな技で迫ったのか、ぜひ伝授いただきたいわ」
「え? あの、何ですか……?」
彼女は一体、何を言っているのだろう。
まったくもって理解できない。
しかし、そんな中でも一つだけ、分かることがある。それは、目の前の女性たちが、面倒臭い人たちだということだ。




