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暁のカトレア  作者: 四季
1.始まりの出会い
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episode.5 やはり今日も忙しい

 洗濯を終え、巨大蜘蛛を倒した私たちは、一旦宿屋へ戻ることにした。

 私がシーツを持って宿屋を出てから、既に結構な時間が経っている。アニタはもしかしたら私を心配しているかもしれない。いや、それならまだしも、怒っていたら最悪だ。

 だから私は、いつもより急ぎ足だった。



 宿屋へ着くや否や、アニタにトリスタンを紹介した。速やかに紹介しなくては怪しまれると思ったからである。

 続けてトリスタンが怪我を負っていることを説明すると、アニタはすぐに救急箱を取り出してくれる。彼の白い衣装に赤い染みが広がっているのもあり、状況を飲み込みやすかったのだろう。


「服、脱げるかい」

「はい」


 椅子に腰掛けているトリスタンは静かに頷く。


「じゃあ脱いでもらってもいいかい? 軽く手当てするから」

「はい」


 落ち着いた声色で短く返事をし、トリスタンは白い上衣の前を開く。そして袖から腕を抜き、そのまま隣の椅子へそっと置いた。


 こうして露わになったのは、上衣の下に着ていた白色の半袖シャツ。こちらも上衣と同じく血に濡れている。

 トリスタンはそのシャツを、躊躇いなく捲り上げた。すると、脇腹の傷が露わになる。引っ掻かれたような傷だ。


 それを見たアニタは、目をみ開き眉頭を寄せる。


「アンタ、何があったんだい? こんな深い傷を負うなんて……」

「少し襲われまして」


 ごまかすように笑うトリスタン。


「もしかして、例の化け物にかい?」


 アニタは唐突に真剣な顔つきになる。

 硬い表情、静かな声色——いずれも彼女らしくない。


「はい。その一種に遭遇しまして、ついうっかり」

「そうかい。アンタいい顔してるんだから、気をつけなくちゃ駄目だよ」


 脇腹の引っ掻き傷を拭きながら母親のような発言をするアニタ。どうやら、彼女はトリスタンのことを気に入っているらしい。

 洗い場の時も然り、今も然り、トリスタンはかなり女性を惹き付ける質のようだ。


「そうだマレイ。裏の倉庫からいつものを取ってきておくれ」

「いつもの、ですか?」

「そうだよ」


 曖昧な言い方をされても分からない。


「えっと、何でしたっけ……」


 するとアニタは調子を強めた。


「また忘れたのかい!? いい加減にしなよ!」


 急にこうやって怒り出すから嫌なのよ。


 私は内心言ってやった。

 ……もっとも、口から出すことはできないが。


「パン、ビーンズ、干し肉だっていつも言っているじゃないか! 何度言えば覚えるんだい!?」


 初耳だ。

 パン、ビーンズ、干し肉——そんな簡単な内容を何度も忘れるほど、私は馬鹿ではない。


 しかし、こういう場面で本当のことを言えば、余計に揉める。だから私は頭を下げておいた。悔しさはあるが、生きていくためなので仕方がない。


「その後はシーツ回収! それからベッドメイク! 頼んだよ!」


 分かってますって。そう言いたくなるような言葉を、次から次へとかけられた。だが、もはや苛立つ気にすらならない。用事を次々言われるのには慣れっこだ。


 そんなことで、私はいつも通り仕事をこなしていく。ベッドメイクが終われば、宿泊客の夕食に向けて準備。夕食が終われば、皿洗い。それに加えて、テーブル周りや床の掃除。トリスタンがいれば少しはましになるかと思ったが、そんなことは微塵もなかった。一瞬期待しただけに残念な気分だ。


 一方、ここへ宿泊することを決めたトリスタンは、常に一階に居座り、あくせく働く私を眺めていた。単に私が自意識過剰なだけかもしれないが、彼は妙に熱心にこちらを見つめていた。少し戸惑ったくらいである。



 その夜、私はトリスタンに呼び出された。

 夜間に男性と二人で会うのは極力避けたい。しかし相手はトリスタンだ。しかも宿屋内の彼の客室で会うという話。

 それなら大丈夫だろう、と思った私は、こっそりと彼の客室へ向かった。



 扉をノックすると、トリスタンはすぐに出てきてくれる。


「来てくれたんだね」

「えぇ。でも何の用?」

「それは中で。取り敢えず入って」


 トリスタンがそう言うので、私は仕方なく客室内へと入ることに決めた。本当はあまり気が進まなかったけれど。


 室内へ入ると、彼は扉を閉める。これで完全な二人きりだ。逃げられないし、助けを求めることもできない。

 もし彼が何かしてきたらどうしよう、と一瞬不安がよぎる。しかし私は心の中で否定した。巨大蜘蛛の化け物から助けようとしてくれたトリスタンが悪人なわけがない、と。


「夜遅くに呼んでごめんね、マレイちゃん」


 やがて、トリスタンは口を開く。


 室内の明かりはオレンジ色のランプ二つだけ。お互いの姿が見えないほどではないけれど、昼間に比べると薄暗い。


「そこの椅子にでも座って。僕はこっちへ座るから」


 言いながらベッドに腰掛けるトリスタン。

 彼の下ろした長い金髪は、薄暗い闇の中でも輝いて見える。まるで上質な絹糸のようだ。


「分かったわ。でも、トリスタンはどうしてベッドへ座るの?」


 椅子は二つある。にもかかわらず、彼はベッドに座る。まるで私を避けているかのように。


「貴方もこっちで話せばいいのに」


 すると彼は黙った。言いたいことはあるが言えない、といったような表情を浮かべている。


「……トリスタン?」


 改めて声をかけると、彼の意識がこちらへ戻った。


「あ、気にしないで。僕はここが好きなだけだよ。それにほら」


 彼は近くにあった紐で金髪を一つに結びながら続ける。


「マレイちゃんを怖がらせても駄目だしね」


 怖がらせる?

 私には彼の発言の意味がいまいち分からなかった。


「どういう意味? トリスタンは怖くなんかないわよ」


 それに対し、彼は苦笑する。


「男と二人きりという状況は、女性にとっては怖くもある。前にそんなことを聞いたんだ」

「まぁそうね。そういった類いの犯罪に巻き込まれることだってあるわけだもの。でも、トリスタンはそんなことしないでしょ」


 確かに、私も一瞬は不安になった。

 しかし今はもう、彼を疑ってはいない。トリスタンは信じるに値する男性だと思うから。


「それで、用って何?」


 私は彼の青い瞳を真っ直ぐに見て尋ねた。

 すると彼は、一度目を閉じ、少しして開く。


「……マレイちゃん」


 トリスタンの表情は真剣そのものだ。


「帝国軍へ来る気はない?」

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