episode.53 グレイブとフラン
その頃、帝国軍の基地は騒ぎになっていた。
理由は言うまでもない。地下牢にいたはずのゼーレが、マレイ諸共、忽然と姿を消したからである。ゼーレと共に消えたのが、彼に狙われていたマレイだっただけに、走る衝撃は特に大きかった。
「グレイブさん、どうします!? トリスタンに続けてマレイちゃんまでって、これはさすがに不味くないですかっ!?」
「……あぁ。不味いな。やってしまった」
もぬけの殻となった地下牢の個室で、グレイブとフランシスカは言葉を交わす。
「探しに行きますっ!?」
フランシスカはいつになく慌てた調子で述べる。
対するグレイブは、冷静さこそ保ってはいるが、その表情は険しかった。眉は寄り、目元に力が加わっているのが分かる。
「だが、慌てて動くのは危険だ」
「それはそうですけどっ……。トリスタンもいないのに、マレイちゃんまで!」
「落ち着け、フラン。捜索はする。だがまもなく夜だ、化け物が出る。朝を待つしかない」
落ち着いた口調で話すグレイブを見て、フランシスカは頬を膨らます。
「後回しってことですか!」
日頃はマレイに対してずけずけ物を言うフランシスカだが、マレイのことが嫌いというわけではなかったらしい。一応、マレイの身を案じてはいる様子だ。
「妙に大人しくしていると思ったが……」
グレイブは、独り言のように呟きつつ、個室の奥へと足を進める。そして床へしゃがみ込むと、砕かれた拘束具をそっと手に取った。
「そういう狙いだったか」
はぁ、と溜め息を漏らす。
そんな彼女の黒い瞳には、ゼーレへの憎しみの色が滲んでいる。熱い憎しみの炎は、今もまだ、彼女の内側で静かに燃え立っていた。
それからしばらくして、やがて、グレイブはゆっくりと立ち上がった。
それに気づいたフランシスカは、丸い目をぱちぱちさせながら、グレイブへ視線を向ける。
「グレイブさんっ?」
「何だ、フラン」
「暗い顔をなさっているので、どうしたのかな、と」
ストレートに聞かれたグレイブは、心なしか戸惑ったような顔をした。
しかしすぐに、口角を持ち上げる。
「いや。何も、たいしたことではない」
グレイブはフランシスカの直球には慣れている。だから、ちょっとやそっとで動揺したりはしない。
「人型の卑劣さを再確認しただけだ」
紅の唇から出るのは、刃物のように鋭い言葉。
グレイブから漂う異常なまでの威圧感は、フランシスカでさえゾッとするほどのものだった。熱いものが燃える瞳も、突き刺すような視線も、普通想像する範囲を遥かに超えた威圧感を放っている。
そんなグレイブを目にし、フランシスカは恐怖に近い感情を抱いた。
だからこそ、フランシスカは明るい声を出す。
「なるほどっ。分かりました!」
そして、普段と変わらない笑顔を、フランシスカは作った。いつもマレイに眩しさを感じさせている、向日葵のように晴れやかな笑みを。
向けられた明るい笑みに、グレイブは一瞬、目を見開く。
彼女にはこのような状況下で笑うという発想がなかったため、驚いたのかもしれない。
「いつも明るいな、お前は」
グレイブの頬がほんの少し緩んだ。
「フランが、ですかっ?」
「あぁ、そうだ。フラン……お前はなぜそんなにも明るいんだ」
意外な問いに、目をぱちぱちさせるフランシスカ。
「お前も確か、かつて化け物にやられたのだろう?」
「はいっ」
「家族……だったか?」
言いにくそうな控えめな声でグレイブは尋ねた。それに対し、フランシスカは首を横に振る。
「……婚約者ですよー」
そう答えたフランシスカの顔は、寂しげな色を湛えていた。薄く浮かんだ笑みが、物悲しさを余計に高めている。
「トリスタンみたいに綺麗な金髪をした人でした」
普通なら、しんみりするタイミング。
しかしグレイブは違った。
グレイブは、『失ったこと』にしんみりとするのではなく、『婚約者』に意識を向けたのだ。
「なっ……! その年で婚約者がいたのか!?」
「へ?」
ぽかんと口を開けるフランシスカ。話の急展開についていけていないようである。
「ふ、フラン! それはさすがに気が早くないか!?」
グレイブの瞳は、らしくなく揺れている。
「お前は確か、今まだ二十前だろう」
「そうですけど?」
「なのに、数年前に既に婚約者がいたなど、信じられん!」
やや興奮気味に話すグレイブに、フランシスカは一歩退く。
「何ですか、いきなりっ」
「私はこの年ですら独り身だぞ! なのに、なぜお前には婚約者などがいるんだ!」
「わけが分かりませんっ。ただ親が決めただけの婚約者です!」
思わぬ話題で言い合いになってしまう。
日頃、特別仲良しなことはない二人だが、喧嘩をするような仲の悪さではない。しかし、今回は、グレイブが進んで鋭い口調になったため、半ば喧嘩のような言い合いに発展してしまったのだ。
——けれど、二人とも、子どもではない。
少しして落ち着いたグレイブとフランシスカは、いつもの距離感に戻る。
「……少し言いすぎた。私はどうかしていたようだ」
グレイブは素直に謝罪する。
彼女は、そういうところはきっちりとした性格なのだ。
「そうみたいですねー」
微塵の躊躇いもなく返すフランシスカ。
フランシスカは、相変わらず相手のことをほとんど考慮しない発言をする。裏表がない、という意味では美点なのかもしれないが、少々困った部分といった印象である。
「とにかく、夜が明ければマレイの捜索をすぐに開始する。だからフランは心配しすぎるな」
「トリスタンもですよっ!」
鋭いところへ切り込んでいくフランシスカ。
その丸い瞳を見れば、トリスタンやマレイの身を案じていることがまる分かりだ。
「もちろん。一刻も早く探し出さなくては」
「何を今さらっ。遅いですよ!」
「フランは手厳しいな」
「全然進まないから言ってるんですっ!」
それからも、二人はしばらく、地下牢内で言葉を交わし続けた。
グレイブにとってもフランシスカにとっても、新鮮な体験だったことだろう。なんせ、二人はそこまで距離が近くなかったのだ。二人の距離が一気に縮まった——そういう意味では、マレイがいなくなったのも無意味ではなかったのかもしれない。
ただ、この時既にマレイがトリスタンを助けるべく戦っているとは、誰一人想像しなかったことだろう。




