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暁のカトレア  作者: 四季
1.始まりの出会い
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episode.4 希望抱く朝

 その瞬間、赤い光が溢れた。


 腕時計から放たれた真紅の光線は、巨大蜘蛛の化け物の胴部分を貫く。


 化け物はその巨体をくねらせてもがき、一分も経たないうちに動かなくなる。そしてついに、塵となって消えた。

 目前に広がる予想もしなかった光景を、私はただ呆然として見つめるほかなかった。私は素人だ、たいしたことをできるわけがない。そう思っていたのに、こんなことになるなんて。



「マレイちゃん……凄いな」


 一部始終を間近で見ていたトリスタンが、驚きと戸惑いが混じったような表情で呟く。


「あ、いや。悪い意味ではなくね。純粋に……」

「純粋に?」

「凄い破壊力だと思ったよ」


 女として痛恨な評価のされ方をしてしまった。

 凄い破壊力、と褒められる齢十八の少女。これはもはや残念以外の何物でもない。いや、貶されるのに比べればましだろう。しかし「わーい!褒められたー!」と素直に喜ぶ気にはなれない。


「これでひとまず戦闘は終わりだね。よし、それじゃ……くっ」


 巨大蜘蛛の化け物との戦闘を終え、立ち上がろうとしたトリスタンは、途中でカクンと膝を折る。膝と足首の間くらいまでの丈のブーツを履いた彼の足は震えていた。


「大丈夫!?」


 私は咄嗟にトリスタンの体を支えた。すると彼は申し訳なさそうな顔をする。


「また迷惑かけたね。ごめん」

「そんなことないわ! 貴方がいなかったら、今頃私、死んでいたもの!」


 トリスタンが庇ってくれたから、私は化け物の攻撃を受けずに済んだのだ。だから彼が謝る必要などあるわけがない。

 むしろ謝るべきなのはこちらである。


「ありがとう、トリスタン。貴方のおかげで助かった」

「感謝されるようなことはしていないよ」

「でも庇ってくれたじゃない。今日知り合ったばかりなのに、貴方は自分の身を犠牲にして私を護ってくれた。嬉しかったわ」


 人は大抵自分が一番大切なものだ。世のため人のため、と口では言えても、追い込まれれば保身に回る。

 それを悪いと言うわけではない。ただ、人間とはそういう生き物だ。もちろん私も。だからこそ、己を犠牲にして他人を護るというのは、誰にでもできることではない。


「マレイちゃんのためになったなら良かったよ。それに、僕の甘さも再確認できたしね」


 少し乱れた長い金髪を片手で整えながら呟くトリスタン。どこか満足していないような顔だ。多分、納得できない何かがあるのだろう。


「どういうこと?」

「速度も威力もまだ実戦に戻れるほどじゃないな、って。さっき交戦してみて改めて思ったんだ」

「動きは十分人間離れしていたと思うけど、あれでもまだ不十分なの?」


 すると彼は、左手首の腕時計を指差しながら苦笑する。


「これで一時的に身体能力を上げているんだ。だから人間離れしているように見えるのかもしれないね」


 でも、と彼は続ける。


「さっきの戦闘力くらいじゃ、ああいった類いの化け物には勝てない」


 直前までとは真逆の真剣な顔つきだ。


 私はその時、彼の背にまとわりつく闇を見た。


「もっと強くないと」


 実体のあるものが見えたわけではない。幽霊のようなものが見えたわけでもない。しかし、彼が背負う闇の片鱗が、私の瞳に確かに映った。


 その様は、あまりに悲しく、そして美しい。


 この世のものとは考え難いほどに整ったトリスタンの容貌。その魅力を真に引き出せるのは、どうやら、普段の穏やかな笑みではなかったようだ。

 私は平凡な女である。だから、彼の過去は知らないし、知りようもない。だが、彼は間違いなく、平凡とは言い難い道を歩んできたことだろう。


 その中で生まれた闇。


 悲しみか、憎しみか——正体こそ分からないが、確かに存在する暗い何か。

 それが、彼の人を越えた美しさを作り出している。そんな気がしてならない。


「マレイちゃん?」

「……あ」

「どうかした?」

「い、いえ。ただ、これからどうしようか考えていただけよ」


 ぎこちなく言葉を放つ私に、トリスタンは穏やかな笑顔で接してくれる。こちらを見つめる深海のような青に曇りはない。


「シーツを回収する?」

「そうね。取り敢えず集め……って、まだよ!」


 その時になって、トリスタンが脇腹を痛めていることを思い出した。出血は止まっているようだが、早く手当てするに越したことはないだろう。


 だから私は言う。


「トリスタン、私と一緒に宿屋まで来てくれる?」


 消毒液もガーゼや包帯も存在しないここでは、まともな手当てはできない。しかし、宿屋へ戻れば、多少の手当てはできることだろう。


「傷の手当てをするわ。ゆっくり休んで」


 するとトリスタンは、整った顔を縮めて苦笑する。


「そんなのいいよ。他人なのにこれ以上迷惑かけられないしさ」


 ——他人。


 なぜだろう。よく分からないけれど、その言葉が、心に突き刺さって抜けない。胸の奥が熱を持ったように熱くなり、じんじんと痛む。

 初めて覚える感覚だ。


「……マレイちゃん?」


 首を傾げるトリスタンを目にし、私は正気に戻る。

 初めての感覚に戸惑ったからか、心ここにあらずになってしまっていた。


「さっきから少し様子がおかしいよ? どうかした?」


 貴方の発言のせいじゃない! ……なんて言えるわけもない。

 私は笑顔を作り、首を左右に動かす。


「お気遣いありがとう。でも何もないわ。私は今から一度宿屋へ戻るの。一緒に来てもらっても構わない?」


 言ってから私は、トリスタンに借りた腕時計を返していなかったことを、思い出した。

 すぐに腕時計を彼へ差し出す。すると彼は「ありがとう」と、両手で丁寧に受け取った。

 腕時計が大事な物だからなのか、単に受け取る時の癖なのか。それは不明だが、男性が両手で物を受け取る光景というのは、多少違和感があった。


「一緒に来てもらっても大丈夫?」

「もちろんだよ」

「ありがとう、トリスタン」



 私には今まで、胸を張って友達と言える人がいなかった。

 当然一人で生きてきたわけではない。年の近い知り合いだっていた。過去はもちろん現在も。けれど友達と言えるような関係ではなかった。


 しかし、トリスタンとは友達になれるような気がする。

 年代も性別も違うけれど、何か同じような部分を感じるのだ。だから、分かり合える予感がする。


 そんな風に、微かな希望を抱いた朝だった。

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