episode.45 運命が許さない
結局私はゼーレのところへは行かなかった。というのも、夜が明けるまでずっと、フランシスカが私の部屋へ居座り続けていたからだ。
彼女の目がある中でゼーレに会いに行きなどすれば、誤解はますます深まることだろう。そんなことになっては堪らない。そして、もしも私がゼーレに情を抱いているなんて噂が広まれば、それこそ私がここから追い出されてしまうことだって考えられる。
特に、擁護してくれそうなトリスタンがいない今は、私の立場が危うくなる可能性が高い。気をつけなくては。
翌朝、フランシスカが自室へ帰ったタイミングを見計らい、私は地下牢へと向かった。朝食の時間でもあるこの時間帯なら、怪しまれもしないだろうから。
太陽が出始めている朝でも、地下牢内は変わらず薄暗い。
不気味な通路を、私は一人で歩いていく。
そして、やがてゼーレのいる牢まで到着すると、軽くノックをしてから扉を開けた。世話係ということで鍵は受け取っている。だから、面倒な手間なく扉を開けられるのだ。
「おはよう」
いつもより明るい声で挨拶する。
ゼーレと二人で顔を合わせる時は、今でもまだ緊張する。何か仕掛けてくるのではないかと考えて、不安になってしまう。
だからこそ、挨拶は明るく。
湧き上がる不安を拭い去れるように。
誰かに言われたわけではないが、個人的に、そう心がけている。
「……懐かしい、声ですねぇ」
私が個室内に入ってから少しすると、ゼーレの声が聞こえてきた。
拘束されたゼーレは、上半身を折り曲げ、地面に横たわっている。これまでは座る体勢のことが多かったため、寝そべっていることには正直驚いた。
「昨日は来れなくて、ごめんなさい」
「べつに。約束などした覚えはありませんが」
相変わらずそっけない。
「確かに約束はしていなかったけれど、でも、ご飯困ったでしょ?」
するとゼーレは、横たわっていた体を起こしながら返してくる。
「一日くらい……どうということはありません。そもそも、そこまで期待していませんから」
冷たくも受け取れそうな言葉だが、私には、彼なりの優しさに思える。
トリスタンがいなくなったショックでおかしくなっているだけかもしれないが。
「大変だったのでしょう? 貴女も」
「……えぇ。そうなの。トリスタンが——」
「聞きました」
ゼーレは、私の言葉を最後まで聞くことはしない。
「昨夜はあの黒い髪の女と話をしましたから。彼のことは、その時に聞きました」
「グレイブさんと話したの?」
「えぇ。それはもう、じっくりと」
彼女のことだから、きっと、乱暴な手段も使ったことだろう。ゼーレが昨夜どんな目に遭っていたのか、あまり考えたくはない。
一人暗い気持ちになっていると、ゼーレは口を開く。
「何です、その目は」
「えっ?」
「マレイ・チャーム・カトレア。貴女のその、憐れむような目つきは嫌いです」
そう言って、仮面の下の顔をしかめるゼーレ。
どうやら彼は心配されるのが嫌らしい。心配され慣れていないからだろうか。だとしたら、少し可哀想な気もする。
「それで、何をしに来たのです? 食事でもないようですしねぇ。情報を吐かせに来たのですか?」
「吐かせるなんて、そんな言い方しないで。私はただ、ゼーレが元気かどうか、様子を見に来ただけよ」
すると彼は、くくく、と自嘲気味な笑みをこぼす。
「なるほど……、一晩拷問された私がどんな様子かを確認しに来た、ということですねぇ。実に良いご趣味で」
ゼーレは、なぜこうも、ひねくれているのだろう。
私にそんな奇妙な趣味がないことくらい、知っているはずではないか。それなのに彼は、敢えて、私が奇妙な趣向の持ち主であるかのように言う。
どこまでも嫌みな男だ。
「どうしてそんな言い方をするの?」
「そんな言い方も何も、真実ではないですか」
このまま話し合っても平行線になりそうなので、私は話し合うことを諦めた。ひねくれた彼とは、まともな話し合いなど無理だ。
「……まぁいいわ。それで、昨夜は大丈夫だったの?」
「貴女は他人の心配をしている場合ですか」
「どうしてそうなるのよ!」
「私の心配をするくらいなら、トリスタンの身を案じなさい」
ゼーレは座る姿勢を整えながら言う。淡々とした声だが、冷たくは感じない。
「心配して……くれているの?」
もしかして、と思い尋ねてみる。
すると彼はそっぽを向いてしまった。
「馬鹿らしい。そんなわけがないでしょう。まったく貴女は、お人好しですねぇ」
銀色の仮面を装着した顔はそっぽを向いたままだ。彼は私に目をくれようとはしない。
「そうね。でも私、貴方を悪い人とは、どうも思えないの」
憎むべき敵だと頭では理解しているのに、だ。
「貴女がお人好しだからでは?」
吐き捨てるように言われてしまった。
ゼーレはいつもこうだ。あと少しで理解の手が届きそうなのに、もう少しというところで、心の壁で遮ってくる。それは誰だって、心の奥に触れられたくはないだろうが……少しくらい開いてくれても良いのに。
「そうかもしれないけれど……リュビエに無理矢理されている私を助けてくれたでしょ。あの時ゼーレが現れてくれなかったら、私、あのまま腕を折られていたわ」
私が言うと、彼は呆れたように溜め息を漏らす。
「はぁ。助けた覚えはありませんがねぇ」
「助けられたことは事実よ。ありがとう」
「……気持ち悪いですねぇ。トリスタンを失い、気が狂れでもしましたか」
酷い言われようだ。
けれど、もしかしたらそれもあるのかもしれない。
トリスタンと離れてしまった不安から、今度はゼーレに頼ろうとしている——そういうことも考えられる。
「分かっているのですか? マレイ・チャーム・カトレア。貴女が私と親しくするなど、あり得ぬことなのです」
「あり得ないことはないわ。こうして話していれば、いつか分かりあえるかもしれな——」
言いかけた時、ゼーレの声色が急激に鋭くなる。
「馬鹿らしい! いい加減になさい!」
どうしてそんなに怒るのか、私には理解できなかった。
私はゼーレと友好的な関係を築くよう努めている。それなのに、ゼーレはなぜそんなに嫌がるのか。
「トリスタンがいなくなった途端こちらへ擦り寄ってくるのは、止めていただきたいものですねぇ。私は貴女の寂しさを埋めるための代用品ではありません」
彼はどこか怒っているみたいだ。
機嫌を損ねるような言動をしてしまったかもしれない。
「それに」
ひと呼吸空けて、彼は続ける。
「私と貴女の関係など、運命が許しませんから」




