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暁のカトレア  作者: 四季
3.化け物狩り部隊

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episode.43 蒼い夜

 地面に伏したトリスタンの背を、リュビエは躊躇いなく踏みにじる。彼女は楽しんでいるようにさえ見えた。トリスタンを倒したという満足感に満ちているのかもしれない。


「マレイちゃ……ん、逃げて」


 地面に押さえつけられたまま、トリスタンは言った。

 絞り出すような声は、聞くだけで胸が痛む。それと同時に、無力さを改めて突きつけられた気がして、心の中にある「情けない」という気持ちが、どんどん膨らんでいく。


「優しいのね。騎士(ナイト)さんは」


 リュビエは片手を口元へ添え、くすくすと控えめに笑った。

 上品な笑い方ではあるが、その顔には、嘲りの色が濃く浮かんでいる。


 それから彼女は、トリスタンの背を踏む足に、再び力を加える。トリスタンの白い背は、徐々に茶色く汚れてきていた。リュビエのブーツの裏についていた土が、トリスタンの衣装にも付着したものと思われる。


「でも、他人より自分の心配をするべきだと思うわよ」


 冷ややかに言い放った後、リュビエは、トリスタンの髪の房を掴み、彼の体を持ち上げる。


「……髪を引っ張らないでくれるかな」

「あら、生意気」

「……こんなくらいじゃ、生意気とは思えないんだけどね」


 トリスタンの、先ほど杖で殴られた額には、切り傷ができていた。さほど深そうではないものの、傷からは多少血が流れ出ている。痛そうに見える。


「黙ってちょうだい」


 リュビエは声を強めた。

 それから彼女は、トリスタンの首元に、小さな蛇を這わせる。


「止めて!」


 小さな蛇を目にした瞬間、私は叫んだ。

 前のことを思い出したからだ。


 あの時の小さな蛇は赤かった。しかし、今トリスタンの首元を這っている蛇は、赤ではなく、暗い緑色をしている。色の気味悪さから言えば前の赤の方が上だが、今回のものも油断はできない。


「……何なの? マレイ・チャーム・カトレア」


 彼女はゆっくりとこちらへ顔を向ける。

 純粋に鬱陶しいと思われていそうな感じだ。


「トリスタンに何をする気ですか!」

「そんなこと、お前には関係ないでしょ。黙っていてちょうだい」

「関係はあります!」


 前にも誰かに、こういうことを言ったことがある気がするが、それがいつだったか今は思い出せない。

 いや、思い出す必要もないだろう。そんなに大事なことではない。


「リュビエさんの狙いは私なのですよね? だったら、どうしていつもトリスタンに手を出すんですか。私を直接狙えばいいでしょう!」

「お前、案外愚か者ね。邪魔者を放っておけるわけがないじゃない」


 ——愚か者、か。


 確かにそうかもしれない。私は愚か、それは一つの真実だ。


 口では頑張る頑張ると言っておきながら、ろくに戦えず、周囲に迷惑をかけるだけ。フランシスカやトリスタンを巻き込み、痛い目に遭わせて、そのくせ自分だけは無傷でいる。


「お前が大人しくあたしに従えば、誰も巻き込まれずに済んだのよ。全部お前のせいよ、こんなことになったのは」


 リュビエはトリスタンは担ぎ上げる。

 トリスタンは、意識はあるものの、抵抗するほどの力はないらしい。浅い呼吸をしながら、私の方を見つめている。


「トリスタン! 待ってて、今助けるわ!」


 私はすぐに、指を腕時計の文字盤へ当て、右腕をリュビエの方へ向けた。


 そして、赤い光球を放つ。


 しかしリュビエには当たらなかった。

 彼女が素早く生み出した大蛇が光球を防いだからだ。


 ダリアで巨大蜘蛛の化け物を倒した時のような、光線。あれが出せたなら、大蛇を貫き、リュビエにまでダメージを与えられたかもしれない。だが、リュビエが私に攻撃の意思を抱いていないせいか、あれほどの力は出せなかった。


 巨大蜘蛛の化け物の時みたいな力を発揮するには、もっと、私自身が危険な状態に陥らなくてはならないのだろう。


 私は何とかトリスタンを取り戻そうと、大蛇に向けて赤い光球を何度も放った。数回の内に大蛇は倒せ、塵にすることができたが——時既に遅し。


 リュビエとトリスタンは消えていた。



「……そんな」


 場に一人残された私は、誰もいないその空間を、信じられない思いで見つめることしかできなかった。


 トリスタンがいなくなった。

 その事実を理解できず、ただひたすらに、呆然として立ち尽くす。


「どうして」


 ダリアで初めて出会ったあの日から、ずっと変わらず優しくしてくれたトリスタン。彼は私を、新しい世界へ連れ出してくれた。それからも、護ってくれて、傍にいてくれて、いつだって私を理解しようとしてくれて。

 彼は良い人だった。

 なのに、そんな善人の彼が、私のためにリュビエに連れていかれてしまうなんて。


『お前が大人しくあたしに従えば、誰も巻き込まれずに済んだのよ』


 真っ白になった頭に、リュビエの冷ややかな言葉がこだました。


 なぜ彼が。

 そんな思いが、胸の内に、少しずつ広がっていく。



 ちょうどその時。

 耳に飛び込んできた声に、私は正気を取り戻す。


「マレイちゃん! どうなったの!?」

「フラン……さん」

「え? え? トリスタンは?」


 フランシスカはトリスタンの姿がないことに戸惑い、きょとんとした顔で辺りを見回している。

 リュビエに蹴り飛ばされたわりには元気そうだった。


「あの女もいないし。これ、どうなってるのっ?」


 フランシスカは、睫毛のついた愛らしい目をパチパチさせながら、尋ねてくる。まだ状況が飲み込めていない様子だ。


「トリスタンは……リュビエに」


 私は説明しようと言葉を紡ぐ。

 だが、その唇さえ震え、言いたいことが上手く言えない。


「えっ? マレイちゃん、今何て言ったの?」

「リュビエに……」


 その先が言えない。


 一部始終を見ていた私がフランシスカに状況を説明するのは、当然のことだ。仲間なのだから、分かっていることはすべて話すべきだと思う。


 けれども、口が動かなかった。

 私の情けなさを明らかにするかのように思えて。


「マレイちゃん?」


 フランシスカの柔らかな髪から漂う甘い香りさえ、今は悲しい気持ちを掻き立てる。


「どうしたの。そんなにぼんやりしてたら、かっこ悪いよ?」

「ごめん……なさい」


 半ば無意識に、私は地面にへたり込む。

 脚が震えて、真っ直ぐ立っていられなくなったのである。


「ごめんなさい」


 傍にいることが当たり前。いつでも話せることが普通。

 心のどこかで、そう思っていたのかもしれない。だから、今私は、こんなにもショックを受けているのだろう。

 失って初めて大事さに気づく、とは、こういうことを言うに違いない。



 記念すべき初陣の日。

 初めての夜は、大切な人と引き離される痛みを思い出す、悲しい夜となった。

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