episode.42 いいことを思いついたわ
トリスタンと向かい合うリュビエの腕から、唐突に、一匹の蛇が発生する。銅のような赤茶色をしたその蛇は、ぐんぐん伸び、やがて一本の杖となった。一メートルくらいの長さの、細い杖だ。
白銀の剣を構えたまま、トリスタンは眉を寄せる。
リュビエは完成した杖を片手に握り、ふふっと口元に笑みを湛えつつ、改めてトリスタンの方を向く。
「騎士さんは剣を持っているものね、あたしも武器がなくちゃ」
だからといって自力で武器を作り出すとは。
もはや人のなせる業ではない。
「だから杖ってわけだね」
「そうよ」
余裕のある声でそう言い、すぐに一歩踏み出すリュビエ。トリスタンは咄嗟に防御の体勢をとる。
——数秒後。
場に、かん高い音が響く。
「剣と剣では、面白くないもの!」
リュビエは握った杖で、トリスタンに襲いかかっていた。
しかしさすがはトリスタン。剣の刃部分で、リュビエの杖を、確実に防いでいた。一瞬にして迫られたにもかかわらず、である。
あれだけ細いものをしっかりと防いだトリスタンの能力に、私は正直感心した。
「防ぐとはやるじゃない?」
「こういう攻防は慣れているからね」
だが一度で諦めるリュビエではない。
彼女は隙をみて距離をとり、そこから、再び仕掛けていく。
剣と杖が触れる度、カァン、と高く鋭い音が鳴る。鼓膜をつんざくような痛々しい音の連続に、私は、思わず耳を塞ぎたくなった。それほどにうるさい。
しかし、当の二人——リュビエとトリスタンは、そんな音など微塵も気にしてはいない。
もっとも、正しくは「気にする暇などない」なのかもしれないが。
「トリスタン! 無理しちゃ駄目よ!」
私は背後から叫ぶ。
彼が本当は疲れているということに気づいていたからだ。
トリスタンは、涼しい顔で、リュビエとやり合っている。一見本調子なように見える様子だ。
だが、それは違う。
これまで幾度も彼の戦いを見てきたからこそ分かることだろうが、今の彼は、かなり疲労が蓄積してきている。息の仕方や足取りを見れば、ほんの一瞬で分かるのだ。
「大丈夫だよ、マレイちゃん」
リュビエと剣を交差させていたトリスタンは、数歩退いてそう答えた。汗は額から頬へと流れ、肩で呼吸をしている。剣を扱う動作自体はそれほど変わっていないようにも見えるが、疲労が感じられるところが心配だ。
狼型化け物との長い戦闘を終えてからの、リュビエとの交戦。
これはトリスタンでも厳しいものがあるかもしれない。
「まだまだいくわよ!」
距離をとり少しほっとしたのも束の間、リュビエはトリスタンへと向かってくる。トリスタンに回復の時間を与えはしないつもりなのだろう。
「受けてたつよ」
再び仕掛けてくるリュビエに気づいた瞬間、トリスタンの目つきが鋭く変化する。
そして、かん高い音。
リュビエの杖とトリスタンの剣先が触れ合ったのだ。二人の戦闘が、再度始まる。
私はその様子を、ただ見守ることしかできなかった。
一度は、赤い光球でトリスタンを援護することを考えてもみた。だが、逆に彼に迷惑をかけてしまいそうな気がして、実行はできなかった。それでなくともギリギリの戦いだ。ほんの少しの手出しがトリスタンを不利にするかもしれない。そう考えてしまい、私は助力することを諦めた。
今私が彼のためにできるのは、彼の足を引っ張らないこと。そして、彼の弱点とならないこと。
もはや、それしかない。
それからしばらく、リュビエとトリスタンの戦いは続いた。
どちらかが圧倒的に強いといったことはない。そして、二者とも、まったくと言って過言ではないほど引かない。だから終わりがこない。
だが、少し距離をとって見ている私には、トリスタンの方が追い込まれつつあるのだということが分かる。というのも、剣の振りにいつものような切れがないのだ。そして、速度も若干遅いように感じられる。
一方リュビエは、まったくと言っていいほど、疲れの色を見せない。
ハイヒールのブーツを履いているにもかかわらず、しっかりとした踏み込み。力強さのある落ち着いた足取り。杖の操り方も安定している。
「ちょっと遅れてきたわね」
激しい攻防を繰り広げながら、リュビエはそっと呟いた。
それを聞いたトリスタンは、少々、眉間のしわを深くする。
「もうそろそろ体がきついかしら」
「…………」
「答える余裕すらないみたいね」
トリスタンが弱りつつあることを見抜いたリュビエは、攻勢を一気に強める。彼女の動作が、ここにきて、また一段と速まった。
「……くっ」
何とかさばきつつ、声を漏らすトリスタン。彼の表情に余裕の色はない。追い込まれてきている自覚はあるようだ。
ただ、だからといって諦めるトリスタンではない。
「無理はしない方が体のためよ」
「……うるさいよ。余計なお世話」
トリスタンは険しい顔つきで返した。
その様を見たリュビエは、愉快そうに口を動かす。
「生意気な騎士さんね。でも——」
彼女は言葉を一旦切った。
そして、銅のような赤茶色の杖を、大きく振り上げる。
「これでおしまい」
色気のある唇が動いた。
そして、その直後に杖が振り下ろされる。
「……しまった」
焦った顔で呟くトリスタン。
そんな彼の額を、リュビエの杖の先が殴った。
「——っ!」
白銀の剣がトリスタンの手から落ちる。彼は殴られた痛みに、暫し身動きをとれなくなった。両手を殴られた額に当て、彼は苦痛の息を漏らす。
「トリスタン!!」
私は思わず叫んだが、彼からの返事はなかった。
意識がないわけではなさそうなので、強い痛みによって返事ができないものと思われる。
「ふふ。良いことを思いついたわ」
突然リュビエが独り言を言い出す。
何事かと訝しんでいると、彼女は急に、トリスタンの脇腹辺りを蹴った。痛む額に集中していた彼は、無防備なところを狙われ、地面に倒れ込む。
フランシスカの時とは違って吹き飛びはしなかったが、これはこれで痛そうだ。
「考えてみれば……マレイ・チャーム・カトレアだけがすべてではないわよね」
地面に伏したトリスタンの背を、リュビエは強く踏みつける。走る痛みにトリスタンが身をよじっても、彼女は足の力を弱めたりはしない。むしろ、さらに強めるくらいだ。
「いいことを思いついたわ。これは名案ね」
ふふっ、と楽しそうに笑いながら、リュビエはそんなことを呟く。
妖艶さのある唇に、大人びた声色。それらが、彼女の不気味さを、余計に高めていた。




