episode.35 無意味な抵抗をしないだけ
「ご苦労だったな、マレイ」
実力を測るための模擬戦闘は、一瞬にして終わった。六分間とは、驚くべき短さだ。もう少し長く感じるものかと思っていたのだが、まさに「一瞬」である。
「ありがとうございました」
私はそっとお礼を述べた。
負けたことは悔しいけれど、感謝の気持ちを忘れてはならない。相手をしてもらえただけでも光栄なことなのだから。
「お、お、おぉ、お疲れ様ですうぅぅぅ!」
「黙れ」
大声をあげながら接近してきたシンの頭を軽くはたくグレイブ。彼女の整った顔には、不快の色が浮かんでいた。
「い、いったぁぁーいですよおぉぉー……」
シンは両手で頭を押さえながら、そんなことを漏らしていた。
本当に痛そうだ。
「さて、こうしてマレイの実力を見させてもらったわけだが」
グレイブの改まった言い方に、私はごくりと唾を飲み込む。
どのような答えが飛び出すか分からない。合格か、不合格か。彼女がどういった判断を下すか、まったく不明である。
「身体能力は高くない。光球の威力も、コントロールしようと意識するあまり、まずまずになってしまっている」
もっともな発言だ。
私の戦闘能力はまだ未熟。グレイブに近づけるようなものではない。
「ただ、勝利を掴もうという心意気はあるな。そして、そのために、色々と考えて動いていた」
グレイブは静かに瞼を閉じる。
結果が出るのを、私はひたすら待つ。じっと待つ。
——やがて、グレイブはその瞼を開いた。
彼女の、潤いのある漆黒の瞳には、私の姿がくっきりと映っている。
闇のような黒でありながら、採れたばかりの果実のように瑞々しい瞳は、まるで水面のよう。
「それゆえ、合格だ」
グレイブの落ち着きのある声が、そう告げた。
「……合格、ですか?」
一瞬聞き間違いかと思った。
そこで聞き返してみたところ、グレイブは「そうだ」と言って頷いた。やはり私の聞き間違いではないようだ。
「ということは」
「あぁ。まもなく実戦投入だな」
いよいよ、といったところか。
今すぐ実戦が始めるわけではないのに、体が強張るのを感じる。「実戦投入」と言われただけでこの強張りだ。いざ戦いの場に立った時の緊張感は、恐らく、今では想像できないくらいのものだろう。
「まだ一人前とは言えないが、サポートがあれば十分役には立てるはずだ」
「……頑張ります」
胸には不安が渦巻いている。
だが、それと同じくらい、わくわく感もある。
「どうした? あまり自信がなさそうだが、何か不安要素でも?」
「い、いえ」
「そうか。それならいい」
短く言葉を発してから、グレイブは、その手で私の肩をぽんと叩く。
「実戦ではお前一人で戦うわけではない。だから心配するな」
声は静かだが、言葉そのものは温かなものだ。
こうして、私の実力試験は終了した。
合格したことをトリスタンに早く知らせたい。彼は本当に親身になって、色々と教えてくれたから。
けれど、今、どこにいるのだろう?
恐らく基地内にはいるものと思われる。だが、基地内と言っても広い。一人で探して回るのは、あまりに非効率的だ。
そんなことを考えつつ、私は地下牢へと向かう。
ゼーレの昼食の時間である。
早くトリスタンを見つけたいのだが……役割だから仕方ない。
地下牢内にある配膳室で一人分の食事を貰い、ゼーレがいる個室へと向かう。ここは昼間でも暗い。足下に注意を払いつつ、私は運んだ。
やがて彼の部屋へ着く。
コンコンと二回軽くノックして、扉を開け、中へと入っていった。
「……何です」
鎖で繋がれたゼーレは、私の存在に気がついたらしく、面倒臭そうに顔を上げる。
「お昼ご飯、持ってきたわ」
「もうそんな時間ですか……煩わしいですねぇ」
「煩わしい?」
「えぇ。一日に何度も入ってこられるのは、煩わしいとしか言い様がありません」
はぁ、と溜め息を漏らすゼーレ。
私は彼のための食事を、彼の横まで運ぶ。そして、スプーンを手に取る。
「いいから。さ、食べましょ」
「何ですか、その言い方は。私は子どもではありません」
「不快だったら、ごめんなさい。でも、食べなくちゃならないでしょ?」
ゼーレは両腕を体の後ろでくくられてしまっている。そのせいで、自力で食事がとれない。だから、誰かが食べさせてあげなくてはならないのだ。
私は彼の銀色の仮面を下の方だけ浮かせ、スプーンを口へと差し込む。
それにしても、母の仇でもある男にこんなことをしなくてはならないなんて——運命とは実に残酷なものである。
「……そういえば」
口に含んだものを飲み込んだ直後、彼は、思いついたように口を開く。
「今朝は貴女ではありませんでしたねぇ」
そんなことを言うなんて、少し意外だと思った。
私であろうが他の者であろうが、ゼーレにとっては敵だ。つまり、本来誰であろうがどうでもいいはずなのである。
だが、今の彼の発言だと、「誰であろうがどうでもいい」という感じではなく聞こえる。
「何か用でも?」
「えぇ、そうなの。ちょっとだけね」
「そうですか。ま、貴女がいてもいなくても、私には一切関係ありませんがねぇ」
敢えてそんなことを言うところがゼーレらしい。
そんなことを考えていると、いつの間にか笑ってしまっていた。彼の不器用さが微笑ましいからだ。
「それで、ちゃんと食べたの?」
「えぇ。ちゃんと追い返しましたよ」
「そう、それなら良かっ……って、違っ!」
うっかり流してしまうところだった。
「追い返したって、どういうこと!?」
信じられない。
そんなことをすれば余計に立場が悪くなることは明白ではないか。なぜ敢えて刺激するようなことをするのか、まったく理解できない。
「『感謝しろ』だの『這いつくばって食え』だのうるさかったので、帰っていただいただけのことです」
ゼーレは落ち着いていた。淡々と言葉を紡いでいく。
「まぁ確かに、その言い方は酷い気もするけれど……」
「私は、愚か者でないので無意味な抵抗をしないだけです。レヴィアス人に屈服したわけではありません」
どうもそういうことらしい。
初期に比べればだいぶ話してくれるようになったゼーレだが、まだ心を開ききってはいないようだ。
もっとも、当たり前といえば当たり前なのだが。
その時。
パタパタという乾いた足音が、耳に飛び込んできた。




