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暁のカトレア  作者: 四季
2.帝都へ

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episode.29 痛みを知れ

 マレイとトリスタンがグレイブについて話していた、その頃。

 グレイブは、昨夜拘束したゼーレと、地下牢にて顔を合わせていた。


「捕虜になった気分はどうだ、人型」


 グレイブは座った体勢で固定されたゼーレを見下し、冷ややかに言う。


「その人型という呼び方、不愉快です」


 ゼーレは静かに、しかし棘のある返し方をした。


 彼は今、囚われの身である。

 人のものでない両腕は体の後ろで固められ、全身を鎖で締めつけられ、両足には重り付き拘束具が装着されている。

 どう頑張っても動くことはできそうにない状態だ。


 だが、それでも彼は冷静さを欠いてはいない。


「ふざけるな、化け物め」

「失礼ですねぇ」

「調子に乗るなよ! 人型!」


 グレイブは咄嗟に長槍を取り出し、その先端を、ゼーレの喉元へ突きつける。

 しかし、ゼーレが顔色を変えることはなかった。


「そんなことで私が動揺すると、そう思いましたか?」


 彼は愉快そうな声色で言い放つ。ほぼ動けぬ状態にあっても尚、彼は強気な姿勢を貫いていた。

 所詮強がりに過ぎないのだろう。しかし、弱音を吐くことなど、彼にできるわけがない。どんな状況へ身を置いていたとしても、だ。


「馬鹿らしい。力で押さえつけようなど、野蛮としか言い様がありませんねぇ」

「黙れ。それ以上言うなら、首を掻き切ってやる」

「大事な情報源を殺してしまって良いのですかねぇ」


 仮面の隙間からじろりと睨まれ、グレイブは言葉を詰まらせる。


「……っ」


 すると、それを待っていたかのように、ゼーレは言う。


「勢いがあるのは良いことです。しかし、すぐに動揺するというのは、問題ですねぇ」

「どういう意味だ」

「あまり感情的になっていると、いつか足下をすくわれますよ。そう忠告して差し上げているのです」


 直後、グレイブはゼーレの前へしゃがむ。そして、長槍の先を、彼の太ももへ突き刺す。


「それ以上余計なことを言うなよ」


 低い声で威圧的に述べるグレイブ。

 彼女の漆黒の瞳は、憎しみと怒りの混じった複雑な色を湛えている。燃える炎のようにも、深い闇のようにも見える、そんな色だ。


「分かったか」


 するとゼーレは、何事もなかったかのような顔で返す。


「他人の脚を突き刺すとは、相変わらず乱暴ですねぇ」


 黒い装束のおかげで目立たないが、槍を刺されたゼーレの太ももは赤く滲んでいた。


「貴様らのせいで多くの者が命を落としてきた。無論、その中には私の知人も多くいる」

「だったら何だと言うのです?」

「ふざけるな!!」


 飄々とした態度を取り続けるゼーレに腹を立てたグレイブは、一言、鋭く叫んだ。


「ふざけてなどいませんが?」

「その態度がふざけていると言っているんだ! ……私たちレヴィアス人がこれまでどれだけ傷つき苦しんできたか、今ここで教えてやる」


 グレイブは、長槍を握る手に力を加える。

 この時になってゼーレは初めて表情を揺らした。掠れた苦痛の声を漏らす。


「痛いか、ふふっ、そうだろうな。心の痛みは分からずとも、肉体的な痛みなら分かるはずだ」

「……陰湿な女ですねぇ」

「何とでも言えばいい。これは死んでいった者たちによる復讐だ」


 化け物が手の届く距離にいる。そして、好きなように扱える。その事実が、彼女の復讐心の目を覚まさせたのだろう。これまでどうしようもなかった化け物たちへの憎しみを、彼女はただ、意味もなく、目の前のゼーレへと向けている。


「復讐、ですか……。馬鹿らしい。貴女の言う死んでいった者たちを殺したのは私、という証拠はあるのですかねぇ?」

「証拠も何も、皆を殺害したのは化け物だ! それはつまり、貴様の仲間に殺されたということ。貴様に殺されたも同然だ!」


 グレイブが荒々しく言い放つと、ゼーレは半ば呆れたように、首を左右に振った。


「それは違いますねぇ」


 目を見開くグレイブ。


「化け物への復讐心と私への復讐心は別物です。混ぜないでいただきたい」

「何を今さら!」

「貴女の憎しみは本来、私へ向けるべきものではないはずです」


 ゼーレの冷静な言葉に、グレイブは眉を寄せて黙る。


 彼女とて馬鹿ではない。だから、本当は分かっているのだ。自身が抱く憎しみや復讐心は、ゼーレを傷つけることでは消えない、と。


 それは分かっていて、それでも彼女は止められなかった。目の前にいる、化け物との繋がりを持つ男を傷つけることを。

 彼女の心はそれだけ荒んでいる、ということなのだろう。


「私をどうしようが貴女の自由です。ただ、どれだけ殴ろうが蹴ろうが、貴女の中の傷が癒えることは決してない。それもまた真実。……そうでしょう?」


 ゼーレは不気味なほどに落ち着いている。

 既に槍を刺され、これからさらにどんな目に遭うかも分からないというのに。


「これ以上痛い目に遭いたくないから、そんなことを言うのだろう? 素直に『止めてくれ』と言えばいいものを」


 そう言って、グレイブは槍を振るう。

 二度三度、ゼーレの腹部を柄が強打した。


 彼はさすがに痛かったらしく、上半身を折り曲げる。一筋の汗が、首筋を伝い、地面へ落ちた。


「痛みを知れ。傷つく痛みを、理不尽な目に遭う痛みを」


 地下牢という暗闇の中、グレイブの漆黒の瞳は、気味が悪いほどに爛々と輝いている。


 長年溜め込まれていた負の感情が、一気に溢れ出したからだろうか。彼女はもはや、その負の感情——心の闇に、完全に飲み込まれていた。


 暗闇の中でさえ目立つほどの黒。それが今の彼女、グレイブだった。


「……痛み、ねぇ」


 上半身を折り曲げたまま、地面を見つめて呟くゼーレ。


「そんなもの、知っていますよ……嫌というくらい」


 けれども彼の小さな呟きは、グレイブには聞こえていなかった。

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