episode.19 複雑な気持ち
ゼーレが私たち二人の前から去り、数時間。
午後になった頃には、襲撃は完全に収まっていた。一瞬にして終わったその様は、まるで、嵐のようであった。
基地内が落ち着いた後、私とトリスタンは、メインルーム内にて、フランシスカやグレイブと合流する。
「無事だったか、トリスタン」
「はい。一応は」
「マレイも無事のようだな」
「は、はい!」
私はしっかり返事をしようとして、逆にうわずった声を出してしまった。妙に大きな情けない声になってしまい恥ずかしい。
「心配したよっ、トリスタン!」
「……そう」
「何それっ。反応薄くない!?」
グレイブの言葉にはちゃんと返すトリスタンだが、フランシスカの言葉に対しては愛想なく返していた。いつものことながら、不思議な感じがする。なぜそこまで露骨に差をつけるのだろう、といった気分だ。
「ところでトリスタン。ここにも化け物は現れたか?」
「はい」
「やはり蜘蛛の形をしていたか?」
「蜘蛛の形もいましたが、人間の形もいました」
淡々とした調子でトリスタンが答えると、グレイブはあんぐりと口を空ける。彼女の横に立っているフランシスカも、その可愛らしい顔に、驚きの表情を浮かべていた。
「人型もいたのか!」
トリスタンが「はい」と返す隣で、私は小さく何度も頷く。
「今まで人型というのは聞いたことがない。まだ見ぬ種がいたとはな。それで、交戦したのか?」
「少しだけですが」
「どの程度の強さだ?」
「未知数な部分はありますが、おおよそ、僕と同じくらいでしょうか」
その言葉によって、場にさらなる衝撃が走る。まさかトリスタンほどの戦闘能力を誇るとは想像もしていなかったのだろう。
それからも、グレイブの人型に関する質問は続いた。
内容は、意思疎通の可不可や戦闘スタイル、狙いなど。大雑把な質問から細やかな質問まで、トリスタンは幅広く尋ねられていた。
そして最後の方には「なぜ捕らえなかった」という話になる。グレイブとしては、より多くの情報を収集するため、人型を捕獲してほしかったようだ。
だが、あのゼーレを捕獲など、できるわけがない。彼女はゼーレの強さを知らないからそのようなことを言えるのだろう。一度でも実際に交戦すれば、捕獲は不可能ということくらいは分かるはずである。
話が終わると私は服を着替え、トリスタンに案内してもらった。
目的地はもちろん、私の自室だ。
化け物狩り部隊の隊員には、原則、個々の部屋が与えられる。つまり、個室を与えられることになった私は、一応ではあるが隊員として認められているということなのだろう。そう考えると、少し嬉しい。
「今日からここが、マレイちゃんの部屋だよ」
言いながら、トリスタンは扉を開ける。
すると室内が見えた。
狭めの部屋だが、清潔感が漂っている。床には埃はなく、壁紙も透き通るような白。部屋の一番奥にはベッドが設置されており、クローゼットや手洗い場もある。最低限生活に必要な設備はすべて揃った、贅沢な部屋だ。
私は目の前に広がる光景に興奮し、大きな声を出してしまう。
「凄い! 凄いわ!」
アニタの宿屋は比較的綺麗な方だと言われていた。けれど、この部屋は、あの宿屋よりもずっと綺麗だ。
「トリスタン、本当にこんな良い部屋を借りて大丈夫なの?」
「そんなに良い部屋じゃないよ」
「でも、でも、凄く綺麗だわ! 清潔そのものだし!」
「嬉しそうだね」
くすっと笑みをこぼすトリスタン。
もしかしたら、私はまたおかしなことを言ってしまったのかもしれない。だが、あくまで本心を言ったまでである。
「それじゃ、今日はゆっくり過ごしてね。マレイちゃん」
「行ってしまうの?」
「僕は今から訓練があるんだ。だからまた夜にでも遊びに来るよ」
そう言って、優しげに微笑む。そして彼は部屋から出ていこうとした——のだが、一歩部屋の外へ出た瞬間に振り返る。絹のような金の髪が回転に乗ってサラリと揺れた。
「……トリスタン?」
彼の青い瞳がこちらをじっと見つめていたため、私は首を傾げながら呟くように言う。
すると彼は口を開いた。
「マレイちゃん。あの時……ゼーレに、どうしてあんなことを言ったの?」
「え?」
「『待っている』なんて」
トリスタンの声はいつになく静かだった。
私の発言を怒っているのだろうか、と少々心配になってしまう。
「ゼーレは君を狙っているんだよ?」
「……そう、よね。私にもよく分からない」
自分でもよく分からない。
ゼーレは敵。化け物を引き連れて襲撃し、私を狙い、トリスタンと戦った、正真正銘の敵なのだ。
だから、情けをかける必要などないし、歩み寄ろうとする必要もない。
——なのに私は。
彼と分かり合えるかもしれない、と思い、その方向で言葉を発した。普通ならありえないことだ。
「トリスタン……怒ってる?」
「いや、怒ってはいないよ。少し気になっただけなんだ。どうしてあんな風に言ったのか、ってね」
声が若干柔らかくなった。怒っていないというのは本当のようだ。
「……変よね、私。あんな人と分かり合えるわけがないのに。なのに、一瞬……」
「一瞬?」
「同じなんじゃないかって、思ってしまった」
トリスタンから「虚しいと思わない?」と言われた時や、別れる直前に私が親の話をした時に、ゼーレが見せたあの表情。
それらは、私たちレヴィアス人と異なるものでは、決してなかった。
「余計なことばかり考えていてごめんなさい。グレイブさんたちの前では、あの赤い光もちゃんと出せなかったし。……でも、まだ諦めない。もう一度あれができるように頑張るわ」
トリスタンに見離されれば、帝国軍に私の居場所はない。だから、彼に見離されること——それだけが怖い。
「だからトリスタン。私を見離さないで」
すると彼は、久々に、その整った顔に笑みを浮かべた。
「まさか。むしろ感心しているくらいだよ」
その顔を見てほっとした私は、安堵の溜め息をつきそうになったが、なんとかこらえる。
人前で大きな溜め息はさすがにまずい、と思ったからだ。
「君はきっと帝国軍に新しい光を運んでくれる。そう思ってはいたけど……もう動き始めるとはね」
トリスタンの言葉の意味は、私にはよく分からなかった。
だが、彼が怒っていないということを知れただけで、今は十分である。




