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暁のカトレア  作者: 四季
2.帝都へ

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episode.16 お迎えにあがりました

 化け物の襲撃を知らせる、けたたましい警報音は、それからもしばらく鳴り響き続けた。

 初めての体験で慣れていないというのもあるのだろうが、警報音を長時間聞いていると耳が痛くなってくる。気づけば両耳を塞いでしまっていた。


「大丈夫? マレイちゃん」


 私が耳を塞いでいることが気になったのか、隣にいたトリスタンが尋ねてくる。

 彼の、深海のような色をした瞳は、こちらを見つめながら、不安げに揺れていた。それでも色は美しい。


「えぇ、大丈夫よ」


 そう答えながらも、私の手は彼の袖を掴んでいた。完全に無意識で。

 これには私も驚いた。なぜって、掴もうと思っていないのに掴んでいたからである。


 それにしても、無意識とは結構恐ろしいものなのだと、こんな形で知ることになろうとは。予想外だ。


「あっ……。ごめんなさい」


 私は彼の袖から、手をパッと離す。


「いきなり掴んだりして、驚かせてしまったわよね。ごめんなさい。別に深い意味はないから、気にしないで」


 すると彼は、数回まばたきし、きょとんとした顔をする。


「マレイちゃん、どうして謝るの?」

「だって、いきなり他人の袖を引っ張るなんて、驚かせてしまうじゃない。だから謝ったのよ」


 まさかこんなことを説明する羽目になるとは思わなかった。


「そういうもの?」

「えぇ。そういうものよ」


 トリスタンの感覚は、時折、一般人とずれているように感じる。だが、その美しい容貌は、感覚のずれすら魅力に変えてしまうのだ。


「そっか。マレイちゃんが言うなら、きっとそうなんだね」


 生まれ落ちたばかりの雛のような純真さ。

 この世とは違う世界からやって来たような幻想的な麗しさ。


 ——これら二つの要素が上手く絡み、トリスタンという一つの奇跡を生み出したのだろう。


「でも僕は、袖を掴まれても嫌じゃないよ」

「……はい?」


 私は思わず、腑抜けた声を出してしまった。


 その理由は一つ。

 トリスタンが、自ら、私の手を握ってきていたからである。


「僕は君と手を繋ぎたいと思うよ」

「はぁ」

「それに、こうして傍にいたいとも思うよ」

「……そう」

「いつまでもマレイちゃんと親しくしたいし」

「…………」


 相応しい返答が見つからない。私はただ、困惑の色を浮かべることしかできなかった。


「もうマレイちゃんが傷つかないように、頑張って護ろう、とも思うよ」


 口説き文句のようにも思える言葉の数々。しかし彼は、それを素で言っていた。それも、恥ずかしげもなく言うものだから、かなり強烈だ。


「トリスタンって……少し変わっているのね」


 しばらく言葉を失っていた私の口からようやく飛び出したのは、シンプルな本音だった。


「……僕が? 変わっているなんて、今まで一度も言われたことがないよ? 少し変わっている、とさえ言われたことはないし」


 不思議な感覚だ。

 こうしてトリスタンと話している間だけは、恐怖や不安をすべて忘れられる。化け物が襲撃してきているということさえ忘れてしまいそうなほど、心が穏やかになっていく。


「言われたこと、ないのね」


 変わっていると言われたことがないのは美男子だからだろう、と私は思う。

 周囲の者たちも、トリスタンに進んで嫌われたくはないはずだ。だから、「変わっている」なんて、仮に思ったとしても言わない。敢えて言う必要のないことだ。


 美しさが呼ぶ孤独もあるのかもしれない。

 ふと、そんなことを考えた。


「うん。誰も僕の内面なんて見ようとしないから」


 トリスタンは小さく言い、寂しげに微笑む。


「でもトリスタン、人気者じゃない。洗濯の時だって、女性に囲まれていたでしょ。それって凄く幸せなことよ」


 すると彼は、少し俯き、吐き捨てるように言う。


「幸せなんかじゃない。見ず知らずの人に寄ってこられても、ただ疲れるだけだよ」


 トリスタンは、ああやってちやほやされるのは好きでないようだ。いろんな人がいるのだなぁ、と改めて感じた。

 もし私が男性だったら、女性にちやほやされると嬉しい……と思うのだが。


「トリスタンは女の人が嫌いなの?」

「え。そんなことないよ。マレイちゃんのことは、好きだよ」

「えっ!?」


 耳に飛び込んできた意外な言葉に、うっかり大きな声を出してしまった。慌てて口を塞ぐ。


 いつ化け物が来るか分からない状況だ。呑気なことを考えている暇などない。

 だが、いきなり「好きだよ」などと言われては、さすがに驚きを隠せなかった。


 トリスタンが私をそういう目で見ていないことは分かっている。けれども、こうもストレートに言われると、そういう意味かと思いそうになってしまうのだ。


「……マレイちゃん?」

「いっ、いいえ! 何でもないわ!」

「どうして慌てているの?」


 痛いところを突いてくる。


「そんなこと、聞かないでちょうだい!」

「どうして?」


 正直に理由を言うなら、これ以上突っ込まれては困るから、だ。しかし、そんなことを言えるわけがない。


「女には言いたくないこともあるのよ、トリスタン。だから根掘り葉掘り聞かないで」

「どうして言いたくないの?」

「だーかーらー、いちいち質問してこないでって言ってるでしょ!」

「僕が信用できないから?」

「違うっ!」


 私は声を荒らげてしまった。

 こういう時、自分はつくづく小さい人間だと思う。純粋に好奇心で尋ねてきている彼にすら腹を立てるのだから、どうしようもない。


「あ……ごめんなさい。ついきつく言ってしまって、ごめんなさい」

「気にしていないよ。こっちこそ、ごめん」


 トリスタンは苦笑しながら謝罪してくれた。

 彼は何も悪くない。なのに私は、彼に謝らせてしまった。それが少し、心の中にしこりとして残った。


「悪いのは私よ、トリスタン。だからその、本当に——」


 言いかけた、その時。


 メインルームいっぱいに、爆発音が響いた。


 音の直後に爆風。


 私は半ば無意識に身を縮める。

 それと同時に、トリスタンは一歩前へ出た。素早く取り出した白銀の剣を構えながら。


「おはようございます、マレイ・チャーム・カトレア。改めてお迎えにあがりました」


 聞き覚えのある声とともに現れたのは、銀色の仮面で顔を隠した不気味な男——ゼーレだった。

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