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暁のカトレア  作者: 四季
9.平穏へと戻りゆく

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episode.133 普通の蜘蛛と間違えないように

 グレイブに案内されてたどり着いたのは、医務室からはそこそこ離れた場所にある、個室だった。負傷者を寝かせておくのに相応しいとは思えない場所なので、正直少し意外だ。


 部屋の前まで来ると、扉を開け、グレイブは中へと入っていく。私はそれに続いた。


「……触れないでいただけますかねぇ」

「じっとして下さいっ……すぐ終わりますからっ……」

「触るなと言っているのです!」


 室内に入ると、いきなり、言い合いしている声が聞こえてきた。白いカーテンがあるため視認はできないのだが、恐らく、声を荒らげている方がゼーレだろう。


 あまり迷惑をかけていないと良いのだが……。


 そんなことを思いながら、グレイブの後ろを歩いていく。するとやがて、グレイブがカーテンを開けた。

 そこにいたのは、ベッドに横たわりつつも不機嫌さを顔全体から溢れさせているゼーレと、負傷者を介抱する係と思われる女性。


「……何の騒ぎだ?」


 グレイブが呆れ顔で尋ねる。すると、女性はすぐに顔を上げ、グレイブに向けてお辞儀をした。


「騒がしくして、申し訳ありませんっ!」


 女性は丁寧に謝罪し、十秒ほど経って頭を上げると、説明し始める。


「ゼーレさんの体の包帯を変えようとしていたのですが、下手だったもので、痛いところを触ってしまったようでして……」

「あれはわざとでしょう!」


 どうやら、今のゼーレはかなり機嫌が悪いようだ。声色はもちろん、発する言葉まで刺々しい。

 さらに、彼の枕元には小さな蜘蛛型化け物がいて、前方の脚を持ち上げて威嚇している。小さい体を懸命に動かし、主人を護ろうとしているのかもしれない。


「あ、あの……」


 ゼーレに鋭い言葉をかけられた女性は、今にも泣き出しそうな顔になりながら、オロオロしている。状況を説明しようにもゼーレが怖くてできない、といった様子だ。


「事情は後で聞こう。他のところでな」

「ありがとうございますっ! グレイブさん!」

「よし。では、マレイ。後はゼーレと仲良くな」


 グレイブは私へ視線を向けると、微かに口角を持ち上げ、女性と共に部屋を出ていってしまう。意味深な笑みが謎だ。


 こうして、私はゼーレと二人きりになってしまった。



 狭い部屋に、二人きり。

 しかし、いきなりすぎて、何を話せば良いのか分からない。


 どうしよう、と悩んでいると、ベッドに寝ていたゼーレが小さく声をかけてくる。


「……カトレア」


 彼の方へ視線を向ける。

 すると彼は小さく続けた。


「少し……起き上がっても、構いませんかねぇ……」

「構わないとは思うけれど、起き上がれるの?」

「……えぇ。しかし……起き上がるなと言われるのです」


 じゃあ、起き上がっちゃいけないんじゃない? 本音はそんな感じだ。だが、あまりはっきりと言うのも可哀想な気がするので、柔らかい言い方にしておく。


「なら仕方ないわよね。横になっておいた方が良いと思うわ」

「……そうです、か」


 ゼーレは残念そうだ。


「仕方ありませんねぇ……起きるのは止めておきます」


 止めるのか、と、内心突っ込んでしまった。


 だが、何だかんだで言いつけを守る真面目なゼーレは、微妙に愛らしい。愚痴を漏らしつつもちゃんとしている様は、愛嬌たっぷりだ。


 私はゼーレが寝ている隣まで歩いていく。

 物理的に距離が縮まれば、話せることも増えるかな、なんて思ったからである。


「ゼーレ、さっきはどうしてあんなに怒っていたの?」


 わけもなく尋ねた。

 すると彼は、翡翠のような瞳だけをこちらへ向け、返す。


「……見苦しいところを見せてしまい、失礼しました」


 彼の枕元にいる小さな蜘蛛型化け物は、いつの間にか大人しくなっている。威嚇するのは止めたようだ。


「上手く意志疎通ができなかった、とか?」

「……包帯を、変えようとしてくれたのは、良かったのですが」

「何か問題があったのね?」


 ゼーレは大人しくなった蜘蛛型化け物を手に乗せると、もう一方の手で優しく撫でる。撫でてもらえた蜘蛛型化け物は、すっかりご機嫌で、ちょこちょこと脚を動かしていた。


「……あの女、痛いところばかり触るのです。それも、『そこは痛い』とはっきり言っているにもかかわらず、です」

「そう……それは辛いわね」


 女性は、しなくてはならないことだから、と必死になっていたのだろう。そのせいで、ゼーレが痛いと訴えるのを聞けなかった。


 多分、そんなところだろうか。


「そのうえ……この可愛い子に危害を加えようとしたのです」


 ゼーレが述べると、彼の手に乗っている小さな蜘蛛型化け物は「そうそう」と言わんばかりに脚を動かした。


「危害、って?」

「……枕元にいたこの子を、叩き潰そうとしたのです」

「普通の蜘蛛と間違えたんじゃない?」


 するとゼーレは、はっきり、首を左右に振る。


「そんなこと……あり得ません」


 なぜそんなに自信満々で「あり得ない」と言えるのかが、私には理解不能だ。


 ゼーレの蜘蛛型化け物は、限りなく蜘蛛に近しい容姿をしている。体つきも、脚の形も、普通の蜘蛛にそっくりだ。特に、小さい個体になると、動き方を見ない限り、ただの蜘蛛とほぼ同じである。

 それゆえ、間違われることは多々ありそうだと思うのだが。


「あり得ないことはないと思うけど……」


 私がそう言うと、ゼーレの手に乗っている蜘蛛型化け物は、その小さな体を震わせた。ぷるぷる、ぷるぷる、と。


 怒っているのか、怯えているのか、よく分からない動作だ。


 ゼーレは、蜘蛛型化け物が平常心を損なってしまっていることに気がつくと、その背中を人差し指でこする。


「……貴女がそう言うのなら、あり得るのかもしれませんねぇ……しかし、乱暴するなんて許せません」

「きっと悪気はなかったはずよ」

「……ですかねぇ」


 ゼーレはまだ、納得がいかない、といった雰囲気を漂わせていた。


「私はそう思うわ」

「……ならば、そうなのやもしれませんねぇ」


 とにかく、と彼は続ける。


「お騒がせして……失礼しました」


 素直に謝罪するゼーレなんて、何だか不思議な感じがする。まるで、彼の皮を被った別人を見ているかのような、そんな感覚だった。

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